屍食姫
薄暗い路地裏。不良やホームレスがたむろするような場所に似つかわしくない影があった。死体の様に白い肌、それと対照的な闇色のドレスを身につけた少女が立っている。月に照らされたその姿は女神の様で見る者を魅了する。やがて、月は隠れ照らす物が無くなった路地裏に血が舞った。
とある高校の教室で、生徒たちが楽しそうに談笑している。その中の一人の少年は噂好きの友人に話しかけられた。いつもテンションが高い彼だが、今日は一段と高い。どうやら特ダネを仕入れたらしい。
「なあ、こんな噂知ってるか」
「どんな噂?」
「最近、行方不明になっているホームレスとかはさ、実は『屍食姫』に食われたって噂だよ」
「その『屍食姫』ってなんだよ?」
「行方不明の人を食ったのがスッゲー綺麗な女の人らしいんだ。それが、屍食鬼をもじった『屍食姫』ってこと」
「ふぅーん」
少年は、さも興味が無いかのような生返事を返し、帰る支度を始めた。友人はせっかくの特ダネを軽く流されたのが気に入らないのかブツブツと文句を言っている。それを無視して、授業道具を詰めたリュックを背負い友人と共に外に出た。
外は軽く赤みがかっている。日が完全に沈むのもそう時間は掛からないだろう。友人と途中で別れた少年は、少し寄り道するため、よく使う路地裏を通った。
少年は路地裏を歩いていると、ふと違和感を覚えた。静かすぎるのだ。彼が通るこの道は普段なら不良たちの喧騒やホームレスがゴミを漁る音が遠巻きで聞こえてくる。だが、その音は今日に限って聞こえてこない。
その違和感からか少年は早く大通りに出ようと急ぎ足になる。彼の足音だけが狭い建物の合間に反響する。その音に少年の歩みはより速くなる。
もう少しで大通りに出られるところで、一瞬人影が視界の端に映った。気にならないほどの一瞬だ。しかし、少年は気になった。見なければ、確認しなければ、彼の頭はそんな思考に囚われた。
少年が目を向けた先には一人の女性、いや、少女が立っていた。年齢は十五~六位だろう。濡れているかのように煌めく黒髪に、夜を彷彿させる黒いドレス、それとは対照的な白い肌。彼女が立っている場所だけ周りから切り取られたように見える。
「何か御用かしら」
不意に少女から声が発せられる。透き通った、名工が作った楽器の音色の様な声だ。
しばし少年はその声に惚けるが、意識をはっきりとさせて尋ねた。
「君はここで何をしているんだ?」
「んー、散歩…かしらね」
「散歩?こんな所を?」
「あら、なかなか素敵な所よ。静かで落ち着きがあって」
彼女は無邪気さ、妖艶さが混じった笑みを浮かべる。その笑みは少年を嘲笑う様であり、誘う様でもあった。美しい、それしか例えようがない笑みだ。
彼は顔を赤らめ、反応に困った。正直、この場所はそこまで好きではない。だが、目の前で笑う少女とはもっと話したいとも思った。何故かはわからない。葛藤に苦しむ。いっそお茶にでも誘おうか、それとも早急に此処から立ち去るべきか。思考がそれだけに埋め尽くされる。まともに考えられない。纏まらない。
その姿が面白いのか少女はより笑みを深める。新しいおもちゃを手に入れた子供のように。どこか遠い何かを見ているかのような瞳が少年を捉えている。
「あ…えっと、その、名前は?」
しばらくして、彼がひねり出した言葉を発する。
「ルオーグよ。L・O・U・H・Gで、ルオーグ」
少女はクスクスと笑いながら答えた。どこか嬉しそうに笑っている。予想した問いが当たったようだ。
「が、外国人なんだ」
「いいえ、生まれも育ちも日本よ。親は確かに外人だけどね。そういえば、用事はいいのかしら。急いで いたみたいだけど」
「…あ!」
少年は慌てて時間を確認する。思ったよりも時間が過ぎていた。日もすっかり沈み掛かっている。寄り道するどころではない。
「ごめん!もう家に帰らないと。明日また会おう」
名残惜しそうに彼女との会話を切ると、大通りに向かって走り出す。ルオーグはやはりおかしそうに笑っている。
月の光も差し込まない路地裏で何かが動く。何かは月も星も無い空を見上げ、口角を吊り上げた。
「あれ、おいしそう」
ポツリと呟いた言葉がやけに響く。通りには車が通行人が在るというのに、此処だけ時が止まったかのように静まっている。
「夜に会うとき、楽しみ」
笑い声が路地裏に満ちる。クスクス、クスクスと。静かな路地裏に聴く者はいない。ただ、笑い声だけ響く。
数日が経ち、彼は今日も彼女と会った路地裏に訪れた。そこでは彼女は会った頃と変わらずクスクスと笑っていた。その光景に少年は顔を綻ばせる。
「あら、今日も来たのね。よく飽きないわね」
「その…なんか気になっちゃって」
少年は恥ずかしそうに笑う。どこかぎこちないが彼女への想いが見て取れる優しい笑みだ。敬意、友情、恋慕、それらが混ざり合った想いだが、初々しさがあって可愛らしい。
ひとしきり談笑を楽しむ二人。時間を気にせずに下らない日常の会話、空虚な学校生活の話題に花を咲かせる。時が過ぎるのを忘れて楽しむ二人。それは空が暗くなり、大通りの喧騒が落ち着く頃まで続いた。
ようやく時間を気にした少年はいつものようにルオーグに別れを告げて、路地裏から出て行こうとする。しかし、今日はいつもとは違ってルオーグに呼び止められた。
「夜に、また此処で…」
短く小さく呟いたそれだが少年には異様にはっきりと聞こえた。直接脳に刻まれたような気さえした。だが、心地好い。
不敵に笑うルオーグを背にどこか遠くを見ているかのように帰っていく少年。その背中を見て、彼女はより一層笑みを深める。
―ようやく、ようやく彼を。今夜に…―
「たのしみ」
浮かべる笑みは同じ、だがその内に秘めた想いは狂気に歪んでいた。
夜が訪れた。街灯が照らす大通りとは裏腹に路地裏は不気味さしか存在していない。少し先さえも闇がかかり、進む者の意志を削ぐ。
少年はそこを迷うことなく進んでいた。闇の中でもはっきりと見える道しるべがあるからだ。
やがて、いつもの場所にやってきた。コンクリートに囲まれた此処はひどく静寂で寒ささえ感じる。
だから、だろう。少年は気付けなかった。周りは凄惨で口に出すもれるほどの状況に。死体、死体、死体、どこを見ても死体。血が飛び散り、臓器が道を塞ぎ、欠損した手足が山になっている。しかし、どの死体も恐怖に染まっておらず、幸福に満ちた顔をしている。
少年はそのど真ん中に居た。死体が彼を囲っている。全ての手足が彼に向かっている。
恐怖、不可解、絶望が彼を覆う。その中でルオーグを探す。死体を掻き分け、手を血で染めて探す。
不意に背後から足音がした。コツ…コツ…とゆっくりゆっくりと少年に近づいてくる。振り向くと初めて出会った日と変わらない笑みを浮かべたルオーグがいた。しかし、彼女もまた異常だった。彼女の体は血で染まっていた。口からは人の指の様な物がはみ出ている。それをガムを吐き捨てるかのように口から捨て笑みを深めた。
「今晩は。やっと夜に会えたね。この日が楽しみだったよ」
理解が追いつかない少年に一方的に話しかけてくる。何故としか出てこない。
「私は死体が好き。動かないから、好きな人をいつもそばに置いておける。でも、それじゃあその人を愛 しているとは言わない。死体を食べ、自分の血肉にし、一体になってこそ心から愛した証拠になる」
少し早口で述べられたそれは少年の頭では到底理解出来ないものだった。狂っている。それしか言いようが無かった。恐怖で体が動かせない。
「あなたのこと、初めて会った時から気になってた。少しの間だったけど話をしてとても楽しかった」
少しずつ迫ってくる。クリスマスにプレゼントを貰った子供のように嬉しそうに笑いながらゆっくりと。
「だから、私はとってもあなたを愛してる」
死が目の前に来て、少年は悟った。動けないんじゃない。自分の意志で動かないんだ。彼女に殺され、自分の体が彼女の一部となることを、心から欲している。だから、動かない。
「いただきます」
視界が赤く染まる。血が抜けていく。体が重くなる。薄れていく意識の中、彼は愛しい人の名前を呟いた。
…愛シテル。ルオ。
ハッピーエンド?