帰還 4
「今のような?」
首を傾げる翠子に、長は長い首を折り曲げ頷いて見せる。
『陛下は竜の国に、ヤトは人の世界に、それぞれ暮らし、年に一度か二度、ヤトが陛下に会いにくる。そんな関係です。そうすれば人の世界にも竜の世界にも波風は立たない。』
言われた翠子は、ふと自分の両親を思い出した。
翠子の父は、単身赴任だった。赴任先は海外で、直に会えるのは夏休みとお正月だけだ。Skypeや電話を頻繁にしていたのでそれほど離れているという感覚はなかったが、長の言う事はそれに似ていると思う。
(要は遠距離恋愛よね。)
以前、同級生同士で付き合っている友人が、彼氏の志望校が遠くの学校で、卒業したら遠恋になると嘆いていたのも思い出す。
遠距離恋愛は難しいと聞くけれど、普通に上手くやっている人の話も聞くし、何より翠子の両親は、実の娘の翠子が呆れるような仲良し夫婦だった。
どうして母が父について一緒に海外に行かなかったのかが、ずっと不思議だったくらいだ。
(パパとママは両方界渡りだから、私がいる間は一緒に暮らせなかったのかもしれない。)
唐突に翠子はそう思いつく。
地球の界渡りの定員は2名だ。翠子が界渡りとして目覚めぬ限り、父母は普通に暮らせるはずなのだが、万が一にも翠子が定員外として、成人前に異世界に弾かれる可能性を、両親は恐れたのかもしれなかった。
(私が、界渡りをしたのも突然だったし……)
界渡りのテリトリーの決まりはよくわからないが、能力に目覚めた途端、強制的にテリトリーから追い出されたという事態を見ても、地球のテリトリーはギリギリ2名分でちょっとでもバランスが崩れれば、一番弱い者が弾かれる状態だったのだろう。
(きっと密集しているよりも離れている方がいいのよ。)
ラブラブのバカップルだった両親。
(あんなに愛し合っていたパパとママでも、子供の為に別々に暮らすことを撰んだ。)
ならば翠子だって、ヤトの為に離れて暮らす事を選べるはずだ。
(一生会えないわけじゃない。)
七夕の織姫と彦星だって会えるのは年に一度だ。
翠子は、グッと頭を上げる。
「ヤト、私は長が言う事が一番いいと思う。ずっと一緒にいれない事はものすごく寂しいけれど、でも我慢するわ。ヤトみたいな立派な王様をキサや他の皆から取り上げて、私が独占するわけにはいかないもの。」
泣きそうになりながら翠子はそう告げた。
目を見開いたヤトは、ギュッと唇を噛む。
「アキ、お前はものわかりが良すぎる!」
大声で怒鳴った。
「一年に一度か二度だと!?……今日まで、二年半も我慢して、ようやく会えて……それなのに、またそんなに離れるなど!しかもお前の傍には、お前の番の座を狙う竜が四六時中くっついているのに!――――絶対に嫌だ!」
普段のロウド達への丁寧な態度をかなぐり捨てて、ヤトはギッ!と彼らを睨み付ける。
番候補達は呆れたように、自分達を不遜に睨み付ける人間を見た。
まるで駄々を捏ねる子供のようなヤトの姿に翠子はびっくりした。
同時に……とても嬉しくなる。
ヤトは間違いなくやきもちを妬いていた。
ギョクがゲラゲラと笑い出す。
『ワガママな人間さんだね。』
『ウザイ。潰すか?』
苛ついたようにファラが問いかける。
「絶対ダメよ!」
慌てて翠子が宥めれば、何故かカイザが、チッと舌打ちをこぼした。
『ヤト、お前は自分の立場を考えろ。』
ため息をつきながら、ロウドがヤトを見る。
『我ら竜にとって人の世界の事情など、どうでもよい事だ。導き手であるお前を失って人が迷おうとも、我らに痛手は何もない。それでも人間に――――お前にとって最善と思える妥協案を、長は提示してくれているのだ。アキコもそれがわかって納得している。お前とて、本当はわかっているはずだ。』
ロウドに諭されてヤトは黙りこむ。
長がヤトの方に首を伸ばした。
『人の子の王よ。とりあえず今はそれで引き下がるが良い。問題は人の世界にある。この決定が嫌なのならば、お前自身が人の世界を変えるしかあるまい。我ら竜が共にあっても問題のない世界へと。』
長の言葉にヤトはうつむいた。
「アキと離れるのは嫌だ。」
それでもヤトはそう呟く。
強情なヤトを竜達はそれでも黙って見守る。
やがて――――ヤトは、顔を上げた。
「嫌だが、我慢する。………………アキ、待っていてくれるか?俺が人の世界を変えるか、そうでなければ、後継者を育て上げ、そいつに国を任し、竜の国に帰って来られる日まで。」
翠子は、大きく頷いた。
本当は翠子だって離れるのは嫌だと思う。
それでも、自分がヤトと共にいることで誰かを傷つけるのは嫌だった。
ましてやヤトの心を追い詰めるのもゴメンだ。
「遠くに離れていたとしても、心はいつも一緒よ。」
翠子はそう言いながら、ヤトの胸に頭を寄せ、そっと触れる。
もしもこれが元の人間の体であれば、思いっきり抱きつけるのにと、ちょっぴり残念に思った。
(抱きつけるどころか、人間の姿であれば、竜の力を隠して人間としてヤトの傍にいることも出来るわ。)
大きな黒い自分の体を意識しながら、翠子は切なくそう思う。
ロウド達が、いつも美しいと褒めてくれる竜の姿は、翠子にとっては少しもそんな風に思えない、恨めしいくらいの体だ。
今は、以前の自分の小さな少女の体が欲しかった。
『心が決まったのであれば、さっさと我らの中から番を選べ。ヤト、お前が陛下を託せる者は誰だ?』
翠子のそんな気持ちも知らず、カイザがヤトを急かす。
確かにヤトは、翠子の番を決めるために、竜の国に戻って来たのだった。
自分の胸に触れる翠子の大きな頭を愛しげに撫でていたヤトが、その言葉に頭を上げる。
唇を噛みしめ…………やがて、ゆっくりと開いた。
声を出そうとしたその時――――
《翠子!》
大きな声が、空から響いた。




