夢 2
またある時、ヤトはベッドに寝たきりの一人の男と対峙していた。
ギラギラと瞳を光らせた、痩せて明らかに死の淵にいると思われる男。
ベッドの脇には、やはりどこかに傷を負っているのだろうか蹲ったままのハヌがいた。
「私の竜様は、どこだ?」
男――――セタが、口を開く。
湖のほとりでヤトと死闘を演じたセタ。彼は生き延びていたのだ。
「お前の竜など、どこにもいない。」
ヤトは冷静に言葉を返す。
「違う!私の竜だ。強大にして万能な竜。あの竜が居れば、お前に与えられた私の傷も全て癒える。……どこだ?どこに隠したのだ?無謀な戦を未然に防ぎ、玉座を奪い返すために立ったお前が、竜を連れて来ないはずがない!」
半狂乱にセタは叫ぶ。
「そのために、お前が現王を――――あの男を、唆したのか?」
ヤトの問いに、セタは歪んだ笑いを浮かべた。
「その通りだ。愚かな権力を求めることにしか興味のない愚王。あんな男を操ることなど赤子の手をひねるより簡単な事だった。全て、お前をおびき寄せるためだ。お前とお前と一緒に必ずくるだろう竜を!」
ヤトは顔をしかめる。
「愚かなのは、セタお前だ。自分の我欲のために祖国を無謀な戦いに導くなど、許されざる行為だ。お前の身勝手な行いのために、どれ程の犠牲が出たと思う?」
「綺麗ごとを吐くな!」
セタは怒鳴る。
「人が一番大切なのは自分だ。自分の命のためならば、犠牲など、どれ程出ても構うものか!」
相変わらずセタの考えは理解できないものだった。
ヤトは、大きく首を横に振る。
「お前の考えは間違っている。」
「恵まれて育ったお前などに、私の気持ちがわかるものか。御託はもういい!さっさと竜を呼べ。」
セタの怒鳴り声と共に、部屋の中に武装した敵が雪崩れこんでくる。
だが、同時にヤトの仲間も飛び込んできた。
争いが、はじまる。
「他はかまうな。第二王子を狙え!」
セタの指示で、ヤトが狙われる。
敵味方入り乱れての戦いが繰り広げられた。
激しい乱戦。
しかし、この戦いは、良く統制のとれたヤトの方に利があるようだった。
徐々に数を減らすセタの仲間達。
遂にヤトの仲間の剣が、セタを守っていた護衛を切り伏せ、セタ自身に向けられる。
その瞬間、動けぬと思っていたセタが動いた。
被っていた布団を、襲撃者に向かって、はね除け立ち上がるセタ。
隠し持っていた剣を、真っ直ぐにヤトに向けた。
「お前を傷つければ、竜が現れる。血を見せろ!」
その目は、狂気に光っていた。
セタの狂った剣を、ヤトは、ガッシ!と受け止める。
「竜を……アキを、お前の醜い野望に巻き込ませるものか。」
つばぜり合いをしながら、ヤトはセタを睨み付けた。
「アキは――――竜は、此処にいない。竜の国に留まっている。例え俺が倒れたとしても現れはしない!」
ヤトのその言葉に、セタは目を見開く。
「まさか?本当なのか?本当にお前は、竜の国から身一つで戻ってきたのか?」
「当たり前だ!」
ヤトの剣が、セタの剣を弾く。
突如、セタは狂ったように笑いだした。
「ハ……ハハ、バカな。本当にそんな愚かな真似を?」
そう言った途端、セタは、がむしゃらにヤトに斬りかかってきた。
「なんてバカな事を!あれほどの力を利用もせずに手放すなんて。お前は、やはり愚かな偽善者だ。竜の力が有れば、この世界を苦もなく手に入れられるというのに。…………高貴で傲慢で、馬鹿な王子。お前のお綺麗な考え方には、ヘドが出る!」
セタは、ヤトを罵り攻撃する。
――――しかし、その剣は徐々に力を失っていった。
元々傷つき重症だったセタが、これ程に戦える事の方がおかしい。
おそらくセタは何かの薬を使っているのだと思われた。
それがどんな薬だとしても、ボロボロの体にその体が可能な以上の力を発揮させるような薬がろくなものでないのはわかりきっている。
セタは明らかに死にかけていた。
「剣を捨てろ!今ならまだ治療をすれば、お前の命は助かるかもしれない。竜が来ない現状でお前が助かる術はそれしかない。」
ヤトの言葉に、セタはまた狂ったような笑い声を上げた。
「お優しい王子様、私の望みはお前の死だけだ!」
狂気に歪んだ男が最期の力で斬りかかる。
受け止めたヤトは、今度こそ、その剣を弾き飛ばした。
ガラン!と音を立てて、床を転がる剣。
「捕らえろ!重罪人だ。罪を認めさせ、償わせなければならない。」
ヤトの命令に、セタの一味をほぼ制圧しかけていたヤトの仲間達が、セタを捕獲しようと集まってくる。
先ほどまで寝ていたベッドの方に追い詰められたセタは、足を取られたように、その場に倒れこんだ。
そこは、ハヌがいる場所だった。
咄嗟にヤトはマズイと思う。蹲ったまま戦いの最中にも動かなかったハヌだが、セタに忠実な生き物は、何をするかわからない。
「やれ!」
ヤトの危惧通り、セタが命令を発した。
ハヌが立ち上がる。
「気をつけろ!」
咄嗟に身構えたヤトだが、その心配は無用に終わった。
セタの命を受けたハヌが、牙を剥く。
だが、その牙の向かった先はヤトではなかった。
ハヌの鋭い牙は、狙い過たずセタの喉笛に深々と突き刺さる。
ヒュッ!とセタの喉から掠れた音が漏れた。
「なっ!?」
勢い良く吹き出す血飛沫。
だが、セタの顔には驚きの色はなく、これがセタの命令通りのことなのだということをヤトは知る。
ヤトに捕まる前に、セタは自ら死を選んだのだった。
ヤトは慌ててセタに近寄る。
「離せ!」
必死にハヌを引き離そうとした。
しかしどうあってもハヌは、セタに食い込ませた牙を抜かない。
「退いてください!」
やむを得ないと見たヤトの仲間が、剣を抜いた。そのまま一刀両断にハヌの首を切り落とす。
絶命したハヌの頭をセタの喉から外した。
益々酷く吹き出て溢れる血。
「止血を!」
ヤトの言葉に、瀕死のセタの口角が上がった。
「……む…ムダだ。お前の……な……さけなど…受け……な……」
「喋るな!」
のどを動かせば、それだけ血は多く溢れ出る。
なのにセタは、口を動かし切れ切れの言葉を紡ごうとする。
「お綺麗………王………お前…思…通り……らぬ者……もある…知」
ゴホッ!とセタは、大量の血を吐いた。
そしてガクリと首を落とす。
「――――死にました。」
慌ててセタの息を確かめたヤトの仲間が、悔しそうに報告する。
ヤトは唇を噛んだ。
世の中には、どうしてもわかりあえぬ者はいる。
ヤトとセタは、それだと言えた。
生まれも育ちも違い、生きる姿勢そのものが相容れない存在。だからこそ、ぶつかればどちらかが破滅するのは仕方ない事なのだろう。
とは言え、ヤトの中にはやりきれなさが残った。
セタも自分の国の民なのだ。
そして、それは玉座を奪った反逆者もまたしかり。
「全ての民とわかりあえるなどとは思っていないが……」
ヤトは、小さく呟く。
「ヤト様?」
聞き取れなかったのだろう、ヤトの仲間が聞き返してきた。
ヤトは静かに頭を横に振る。
(全てを救うことはできない。……だからこそ、自分に出来る範囲の者だけにでも、手を差しのべたい。)
ヤトは決意する。
「行こう。」
ここに留まっているわけにはいかなかった。
セタとハヌの遺体にもう一度目をやる。
もはや二度と動く事のない、もの言わぬ骸。
「一緒に埋めてやれ。」
黄泉路への道も、共に逝けば迷わぬだろうとヤトは思う。
頭を上げ、ヤトは走り出した。
無性にアキに会いたいと、思いながら…
「ヤト……私もヤトに会いたいわ。」
心の痛くなるような夢から目覚めた翠子は、そう呟く。
「アキ、まだ早い。もう少し眠れ。」
隣に眠るロウドが体を寄せてくれた。
大きな翼が、翠子の体を覆うように広げられ、上からかぶせられる。
「人の世界の争いは、おさまりつつある。ヤトも直に戻るだろう。」
優しく言われて、翠子は目を閉じた。
「ヤト……。」
心はいつでも一緒にいたい。そう願って翠子は、夢の中に落ちた。
 




