良い話と悪い話 1
ヤトを人間世界まで送ったのはギョクだった。
当然翠子は自分が送りたいと主張したのだが、ヤト自身がそれを断った。
「別れが尚更辛くなる。」
言われてみれば、それは確かにその通りで、絶対ぐちゃぐちゃに泣いてしまうだろう自覚のあった翠子は渋々諦める。
泣くだけでは済まず、一緒に行きたくなるのは火を見るより明らかだった。
ロウドは翠子の側を離れたがらず、カイザもファラも人間世界には近寄ることすら嫌がったので、ギョクしか残っていなかったとも言える。
「仕方ないなぁ。」と言いながら、素直に了承したギョク。
夜陰に紛れ件の湖までヤトを運んだギョクは、至極上機嫌にヤトに話しかけてきた。
『さよならだね。人間さん。健闘を祈るよ。出来るだけ早く戻って来て、今度こそ俺を陛下の番に選んでよね。』
「早く戻る努力はしますが、貴方を選ぶかどうかはお約束できません。」
ヤトが真面目返せば、クククッと、赤い竜は笑う。
『相変わらず優等生の答えだね。今なら此処に居るのは俺と人間さんだけなんだよ。裏取引のし放題だと思わない?……俺なら、人間さんが死ぬまで陛下と一緒に居ることを許してあげられるよ?こっそり人間さんの世界征服を手伝ってあげることもね。……魅力的な申し出だと思うけどな?』
器用に片目をつぶりながらギョクはそう囁いた。
「お断りします。」
きっぱりとヤトは断る。
ギョクは、声をあげて笑った。
『残念。ここで頷いてくれたら、正々堂々人間さんをぱっくり噛み殺せたのに。』
…………どうせそんなことだろうと、思っていたヤトである。こっそりとため息をついた。
そのヤトの様子に、ますますギョクは楽しそうに笑う。
『ご褒美に良いことを教えてあげる。』
キラキラと赤い瞳を輝かせた申し出に、悪い予感しかしないヤトだった。
『――――あっ、でも悪い知らせもあるんだった。どっちから聞きたい?』
いかにも、たった今思い出したというようなギョクの言葉に、ヤトはやっぱりと思う。
『まあ、どっちが先でも同じかな?…………じゃあ、悪い方からね。』
自分で聞いておきながら、そう言ったギョクは、意地悪く笑った。
『人間さんは5年以内に戻るって言ったけれど、出来れば3年以内に戻った方がいいよ。』
突然の忠告に、ヤトは何故かと首をかしげる。
『竜にはね、発情期があるんだ。』
続けられた言葉は、思ってもみないことだった。
『竜は、長命な種族だ。普段発情しないってわけじゃ無いけれど、人間みたいにバンバン子を産んでいたら数が増えすぎてしまうだろう?だから交合しても子のできる時季とできない時季があるんだよ。子のできる時季――――それが発情期だ。』
サラリと告げられた内容にヤトは驚く。そんなことは聞いたことがなかった。
『他の種族にわざわざ告げることでもないからね。』
確かにそれはその通りだった。
ギョクはうっとりと首を長く伸ばす。
『成人した竜が一斉に発情期に入るから、この季節には度々交合飛翔が起こる。交合ために空を飛ぶんだ。――――竜の交合飛翔は凄いよ。……まず雌の竜が飛び立ち、その後を雄の竜が追うんだ。空一面が竜に覆い尽くされる。』
想像したヤトは呆然とする。
交合のため雌雄入り乱れて飛ぶ巨大な竜達。
物凄い光景になりそうだった。
『もちろん、既に番のいる竜は互いに互いを求めて飛ぶから、そこに横槍を入れる竜はいないし、番いたくないから飛ばないという選択をした竜に無理強いをする竜もいないけれど、…………訳も分からぬ内に、勢いに巻き込まれる竜もいる。』
長く伸ばされたギョクの首が、ヤトの方を向きジッと見つめてきた。
『竜の成人は、18歳と決まっている。陛下は今15歳だよね?……3年後、陛下に交合飛翔に対する知識を教え、注意をする竜はいないんじゃないかな?………… 少なくとも俺は、教えたりしないよ。』
ギョクの大きな口の両端は、ニヤリと上に引き上げられた。
何の知識もなく、その時季を迎えた若い竜がどうなるかは、想像に難くない。
本能に引きずられ発情するままに飛び立つ若い雌と、それを追う経験豊富な雄。
『陛下は……、確かに誰よりも高い能力を持っておられるけれど、交合飛翔ばかりは強さよりも駆け引きだからね。当然ロウドは本気を出して来るだろうし、俺だって負けるつもりはないよ。カイザやファラ、他のみんなもそうだろうね。』
ギョクは本当に楽しそうだった。
ヤトは、低く唸る。
『人間さんがあんまりのんびりしていると、この次、人間さんが陛下に会うときは、陛下はお母さん竜になっているかもね?』
アハハと、ギョクは声を立てる。
――――笑い事では、なかった。
何としても3年の内に戻り、交合飛翔について翠子に注意しなければと、ヤトは固く決意する。
拳を握りしめるヤトを、ニヤニヤとギョクは見ていた。




