訓練 3
翌日その話をギョクにすれば、ギョクは大爆笑する。
「ハハハ!要はどうあっても認めるつもりはないって事だろう?カイザらしいや。」
爆笑しているギョクに翠子は素早く近づいた。
捕まえようとしてツッコミ、ひらりと逃げられる。
「惜しいッ!俺の気を逸らせて捕まえようって発想は良かったけれど、残念ながら俺はそんな手には引っ掛ってあげられないんだな。」
ニヤニヤとしたギョクの笑顔は、竜の割には可愛いと翠子は思う。
機嫌の良さそうな赤い尾がユラユラと揺れていた。
ギョクのセリフ半ばで翠子はもう一度ギョクに突っ込み、やっぱり逃げられる。
「一生懸命になっちゃって、可愛い子ちゃんってば健気だね。でもそろそろ違う方法を考えた方が良くない?いくら気を逸らせても、それじゃ俺は捕まらないよ。」
嘲るように言われてしまった。
しかしそれにはかまわずに、翠子は勢いよくもう一度突っ込む。
サッと逃げられたギョクの後ろ姿に叫んだ。
「他の方法じゃ何にもならないわ!」
それは翠子が翠子なりに考えた結論だった。
界渡りは、その世界で最強の力を持つ固体として顕現する。
そう、最強なのだ。
もしも翠子がなりふり構わずギョクを捕まえようとすれば、それは一瞬で可能な事だ。翠子自身の力をぶつけてギョクの動きを止めても良いし、最悪ロウドに命じても良い。
ギョクをただ捕まえるだけならば、そんなことはあっけない程に簡単な事だった。
でもそれでは本当に何にもならない。
そんな勝ち方では何一つ得るものがないだろう。
――――力も知恵も、そして番候補の心も。
翠子は、そう思う。
(別に心は、どうしても欲しいって訳じゃないけれど。)
それでも、出来ることならば心を通わせ仲良くなりたいと翠子は願う。
それくらいには翠子は、ロウドをはじめとした番候補たちに心を移していた。
それぞれに個性豊かな……豊かすぎるくらいに豊かな彼らは、しかし知れば知るほど嫌いになることが難しい魅力を持っている。
一緒に訓練し努力する過程で仲良くなれれば嬉しいと翠子は思った。
(だって、私はもう竜なんだもの。)
自ら望んだ訳ではなかったが、翠子は竜になった。
否応なく竜としてこれから長い時を生きていかなければならない。
(孤高の竜もかっこいいけれど、やっぱりずっとひとりぼっちは寂しいものね。)
番はいらなくとも、話し相手もいない長い時間は考えるだけで辛かった。
共に生きる仲間は欲しいと心から思う。
――――ヤトは人間だ。
哀しいけれど、翠子とは生きる時間が違った。どんなに長くとも、ヤトはあと百年も生きられないだろう。
(百年以上も生きる自分が想像出来ないけれど……)
でも、それでも、確実にそんな未来はやって来るのだ。
ヤトを喪ってその後も生き続けていかなければならない未来が。
そう考えれば自分と同じくらいの時を共有できるロウド達と友好的な関係を結ぶ事は、翠子にとって望ましい事だった。
……そうなのだと、他ならぬヤトに翠子は言われていた。
自分の寿命と翠子の寿命の違いを淡々と語り、翠子に自覚を促してくるヤト。
(ヤトったら、私の心配ばかりして――――)
ヤトの言葉には遺される翠子に対する気遣いばかりがあった。
優しい、本当に優しいヤト。
翠子は首を大きく横に振ると、気を取り直してギョクを睨んだ。
「絶対正攻法で捕まえてやるわ!」
再び翠子はギョクに突っ込む。
当然ギョクは逃げた。
ギョクは困ったように笑う。
「賢くないね、可愛い子ちゃん。」
「ギョクが求めるのは賢い番じゃないでしょう!」
翠子の言葉に、ギョクはギクリと体を強張らせる。
翠子はそこに迫り、ギョクは躱した。
何度も二頭は追いかけては逃れる。
その差はほんの少しずつではあるが、縮まっていた。
――――ギョクは本当に困る。
突然現れた、自分たちの王だという雌竜。
美しく圧倒的な力を持つ存在。
王とは知らずに出会った最初から、彼女はギョクの心を惹きつけた。
自分を捻じ伏せる力を持ちながらも、その力を使わず体当たりでぶつかってくる雌。
(そんな雌に囚われずにいる雄がいるはずない。)
ギョクは、とことん困った。
ギョクは、軽い印象とは裏腹に保守的な竜だった。
というよりは面倒ごとが嫌いなのだ。 毎日を面白おかしく暮らせればそれでいいと思っている。
全力で王の番となると宣言したギョクだったが、その実、自分が本当に王の番になれるなどと思ってはいなかった。
ロウドは強く、カイザは威厳があり、ファラは敵に回すとやっかいな竜だ。
(面白そうだから番選びに参加したけれど、誰かに本当に夢中になって必死になって、できもしないことを頑張るとか、超ダサい。)
そう思っているのに、なのにこのままでは、そうなってしまいそうだった。
(俺は自由でいたいのに。)
翠子が再びギョクに迫る。
ギョクは慌てて躱した。
しかし、その際、ほんのわずかに回避が遅れ、翠子の翼の先がギョクの体をかする。
ドクンとギョクの胸が高鳴った。
触れた箇所からジンと甘い痺れが走る。
「あん!もう少しだったのに。次は絶対捕まえるわ!」
耳に声が蜜のように溶けて聞こえる。
ギョクは小さく舌打ちした。
「諦めてくれる気はないかな可愛い子ちゃん?その方が君のためだよ。」
「絶対イヤ!!」
翠子の答えに高鳴る胸を抱え、ギョクは笑う。
「……俺は警告したよ。」
そう告げた。
(もし君が俺を捕まえたなら、もう離してあげられないよ。……アキコ。)
その名は、ギョクの胸にじんわりと沁み込んだ。
どんなにダサくとも自分がそうなってしまうだろうと、ギョクにはわかった。
 




