旅立ち 8
ヤトの瞳が開く。
その目を見つめながら、翠子はヤトの様子をじっくり確かめた。
腹部に負ったはずの傷はふさがり、血塗れた場所もきれいになっている。流石に衣服は元通りにはならず大きな穴が開いているが、それ以外の異常は見つからなかった。
顔色は悪くても表情はしっかりしていて、きちんと翠子を見詰めてくる。
「アキ……俺は?」
まだ状況がつかめないのだろう。ヤトは上半身を起こすとゆっくり首を左右に振った。
「ヤトは、あのセタって男に刺されたのよ。すぐに助けて傷を治したんだけど、あのままあそこに置いてくるわけにはいかなくて、一緒に連れて来たの。――――大丈夫?」
翠子の言葉にヤトは目を見開く。
「そうか……ありがとう。」
翠子は、慌てて首を左右に振った。
「そんな、お礼なんていらないわ。ねぇ、本当に大丈夫?」
「ああ。何ともない。アキは凄いな。」
笑顔で誉められて翠子は嬉しくなった。
「ヤトが無事で嬉しいわ。」
2人顔を見合わせて笑いあう。それだけでも心の底から嬉しかった。
そんなささやかな幸せを噛みしめている2人に、低い声がかかる。
『それは良かった。ではもう1人で平気だな。』
碧の竜が威圧するかのように首を伸ばしていた。
ヤトが驚いたようにその姿を見上げる。
「貴方は?」
『我の詮索を人の子に許すつもりはない。我は我が眷族たる彼女を迎えに来ただけだ。人の子よ、疾く去ねよ。』
ロウドは……物凄く偉そうだった。
実際ヤトは自分の体が震えだしそうな恐れを感じる。
「あ…………」
言葉を失い、金縛りにあったかのように身動きの取れぬヤトの目の前に庇うかのように黒い翼が差し出される。
「ロウドったらなんて言い方をするの!ダメじゃない。」
黒い竜が自分より体の大きな碧の竜を叱りつけた。
ロウドと……何故かヤトまでビックリしたように動きを止める。
「ヤトは怪我人なのよ。弱っている人を脅すなんて最低だわ。竜ってそんなにデリカシーのない種族なの?!」
『……デリカシー』
情けなくもロウドの大きな口はパカンと開いた。
「ヤト、ごめんなさい。こう見えて、ロウドも本当は良い竜なんだと思うんだけど」
翠子は、真剣にヤトに謝る。
「あ。いや……俺はそんな。」
口ごもるヤトに嬉しそうに笑いかけた。
「あぁ、ヤトは、やっぱり優しいのね。いいわ、私が紹介する。――――ヤト、この竜さんは、ロウドっていう名前なの。ちょっと俺様なところもあるけれど、でもとても優しいのよ。私が暴走しそうなところを助けてくれたの。」
翠子の説明に、ヤトは戸惑ったように頷いた。
「――――暴走?」
戸惑いながらも、その言葉にヤトは思わず反応を返す。
翠子は小さく頷いた。
「……うん。前にもあったわよね。あの時はヤトが止めてくれたけれど、私また暴走して酷い力を使いそうになっちゃったの。――――私はやっぱり弱いのよ。」
弱い犬程よく吠えるというのは、常識ともいうべきことわざである。
何かある度に我を失って力を暴走させようとする自分は、本当に弱いと翠子は思う。
「だから、私はロウドと竜の国に行こうと思うの。このままここに居たら私はいつか人間を……ヤトを傷つけてしまうかもしれないわ。だから……」
それは、翠子の決意だった。
それを今ヤトに告げることができて良かったと翠子は思う。
このまま黙ってお別れだなんて、翠子は嫌だったのだ。ヤトが傷つけられたのは辛い事だったが、でもこうして話ができた事に、ホッと息を吐く。
「そうか。」
小さくヤトも頷いてくれた。
『アキコ。』
ロウドが嬉しそうに長い首を翠子に絡めてくる。
それをきっちり距離をとって躱してから、翠子はヤトに話しかけた。
「あっモチロン、ヤトはきちんと人間の国に送って行くわよ。随分遠くに来ちゃったみたいだから此処から1人じゃとっても帰れないと思うもの。」
『アキコ!』
ロウドが抗議の声を上げる。
しかしこれだけは譲るつもりはなかった。此処でヤトを放り出すなど死ねというようなものである。
「ロウドがなんと言っても、絶対送って行くから!」
翠子はロウドと睨み合う。
そこにヤトの声がかかった。
「戻る必要はない。」
「!?――――そんな、ヤト此処はもの凄く遠いのよ。」
ロウドが当然というように頷き、翠子は焦る。
ヤトは首を左右に振った。
「戻らなくていい。戻らずに……このまま俺も一緒に連れていってくれ。」
ヤトは静かにそう言った。




