最高の贅沢
朝、目が覚めて自分が暖かな寝床でぐっすりと眠った満足感に浸る。
それはヤトがここ数年味わえなかった”最高の贅沢”だった。
1人で生きると決めた時からヤトはゆっくりと眠った事がない。
常に周囲に気を配りマント1枚にくるまって浅い眠りを繰り返すのがヤトの睡眠だ。
ただこうして何の不安もなく眠れるということが、どれだけ幸せな事なのかを、いったい何人の人間が知っているだろう。
ヤトは自分にその幸せをもたらした稀有な存在をそっと見上げた。
感嘆のため息しか出ない堂々とした体躯がそこにある。
自分を雨露だけでなく全ての危険から守る存在が。
竜がそこに居るというその事だけでこの場にはどんな生物も近寄らなくなる。
竜は、それだけ別格な神同等の存在だった。
(その中でも、こいつは違う意味で”別格”だが…)
竜なのに飛べない。
それだけでなく、人間なんかに近づき声をかける。
あまつさえ、自分の懐に人間を入れて眠るなんて!
そんな竜は、いない。
こいつはいったい何なんだ?とヤトは自問する。赤子なのだとしても一般的な竜とは違い過ぎるだろう。
…そして、そんな違い過ぎる竜に無防備に近づく自分も人間として有り得ない態度をしているのだろうという自覚がヤトにはあった。
例えばこのままこの竜を自分に懐かせ自分の味方につけるとしても、竜は人にとって危険過ぎる存在なのだ。
世界には竜が起こしたとんでもない伝説が溢れている。
【一夜にして島を沈めた。】とか、
【咆哮で山を吹き飛ばした。】とか、
【視線だけで人を消した。】とか…
その全てが真実とは思わないが、竜にはそれを実行することが可能なのだと誰もが信じている。
そしてそれは決して過大評価でも間違いでもないのだ。
たとえそれが誤りであったとしても…少なくとも目の前の竜が一瞬でヤトを殺せることだけは確かだった。
大きな口、鋭い爪、長く重い尻尾。竜の体のどこか一部分がほんの僅かでも害意を持ってヤトに触れれば、一瞬でヤトの命は奪われてしまうだろう。
そんな凶器とも呼べるモノが、ヤトを囲んでいるのだ。
なのに、ヤトは熟睡した。
(俺も大概イカれている。)
そんな自分と出会ったこの竜は運がいいのか悪いのか。
変わり者の自分とおかしな竜。
案外いい組み合わせなのかもしれないとヤトは思う。
そんな事を考えていたら、竜が突然目を覚ました。
大きな黒い瞳が開く。
縦に入った金の光彩が朝の光に絞られて輝いた。
(ああ。綺麗だ。)
ヤトはうっとりと見惚れる。
「おはようございます。」
何故か照れたように、竜が律儀に挨拶した。
…やっぱりこの竜は、おかしい。
「ああ。おはよう。」
ヤトは、そう返した。




