猟師小屋
レイの手際は驚くほど早かった。
まるではじめから考えていたように荷物をまとめ、コオウの寝ていたベッドの下 から一振りの剣を取り出した。
キークとコオウの瞳は剣に吸い寄せられた。長さは普通の長剣だったが、柄には水 晶がはめられ、鞘には葉をモチーフとした細かい模様が掘ってあり人目を引きつける美しさがあった。
「うわっ!!なんだよお前。この剣は?!たいそうなもん持ってんだなぁ。どっかの王宮からパクッてきたの か?!」
レイは苦笑しつつ剣を腰に納める。
「・・・これは私の剣ですよ。キーク、貴方のように言う人が多いからこうして隠しておいたのです。」
レイに言われキークはぽりぽりと頭をかいた。そんなキークといまだ固まっているコオウをおいてレイは窓を開け 放ち笑顔で二人に言った。
「さぁ、行きましょう!」
その言葉に固まっていたコオウが大慌てで動き出す。
「えっ!ち・ちょっと待ってよ、レイ!ここ四階だよ!?ま・まさか飛び降りるつもり?!」
二階ぐらいなら出来ないこともないが四階では死にかねない。真っ青になっているコオウにレイは微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。私が下で受け止めますから。キーク、貴方は一人で降りられますか?」
レイの問いにキークは片 眉を上げて笑う。
「なめんなよ!俺だって能力者の端くれだ。そのぐらいできるさ!」
そう言ってキークは窓から外へと身を躍らせた。着地する寸前に地面を軟化させ衝撃を吸収させたが、少しばかり たたらを踏んだ。
「うおっと!・・・うん。まぁこんなもンか。俺にしちゃ上出来だな。」
そう一人で呟き、どうだと言わんばかりの視線で窓を見上げるとレイが宙に舞うところだった。
キークの視界でレ イはみるみるうちに大きくなり、地面に触れる前にふわりと減速し着地した。
一方、窓の中のコオウは着地したレイが自分に向かって手を差し出すところを見ていた。
(こ・怖いかも・・・)
あまりの高さにレイとキークが小さく見えてコオウは足が竦んだ。だがその時、宿の廊下からカチャカチャと言う 鎧の摩擦音と騒がしい声が聞こえてきたので、えいとばかりにコオウは重力に身を任せた。
頬に当たる風が勢いを 増し、地面がどんどん近くなる。
背筋を這い上がる嫌悪感に悲鳴を上げかけたその時、コオウの体はふわりと減速 し下で待ちかまえていたレイの腕の中にすとんと収まった。
「ありがと・・」
「急いで。」
コオウの声を遮りレイはキークに目配せすると、コオウの手を引き城門と正反対の方向に走りだした。
「お・おい!!何処行くんだ?!」
レイに追いつきながらキークが尋ねる。
「そうだよ!この先は城壁に阻まれて行き止まりになってるよ!?」
コオウもこれに続く。だがレイは走ることをやめずいつもの口調で答える。
「私に考えがあります。・・・キーク。“通り抜け”を知っていますか?」
「“通り抜け”をやるのか?!・・・聞き伝えで知ってるが実際には見たことはねぇ。」
その答えでレイは満足そうに言った。
「十分です!私がやるのでキークはコオウを連れて抜けてください。」
「ね・ねぇ!僕に説明はないの?」
コオウがこう言った所で城壁にたどり着いた。
「Oyzehik on imnan.....Usamaniekod awatihsatit ow otoihs etukadasi.」
レイが壁に額を付けて異国の言葉で唱えると、城壁の一部が揺らいだ様に見えた。
「行くぞ!!」
キークはコオウの手を引き壁に向かって駆けだす。
ぶつかるとおもってコオウはぎゅっと堅く目を瞑った。
だが体 に感じたものは衝撃ではなくふわりと体を包み込むような感覚だった。距離にして二歩分。驚いて目を開くとそこ に壁はなく深い堀があった。慌てて振り向くとレイがそこに立っていて壁は元通りになっていた。コオウは驚いて 声すら出ない。
「ひえぇぇぇ・・。お前すげえなぁ。」
キークが感嘆の声を上げるとレイは微笑み堀の外に見える森を指さした。
「いえ、そんな大したものではないですよ。それより早くここを渡ってあの森に入りましょう。森の奥の猟師小屋 を目指します!」
その言葉に二人は頷くと三人は深い堀の中へ飛び込んだ。
森の中をレイを先頭にずぶ濡れの三人は歩き続けた。
一時間も歩いた頃だろうか。
月はすっかり南天の空に昇っていた。
キークは横のコオウがたびたびつまずいている ことに気が付くとレイに言う。
「おいっ!レイっ!!王子様がそろそろきつそうだ。それにこんなカッコじゃみんな風邪引いちまう!!」
その言葉にレイは振り向き申し訳なさそうに言う。
「・・・気が付かなくてすいませんでした。でももう少しだけ頑張ってください!」
レイの言葉に朝から緊張続きだったコオウが音を上げた。
「もう少しってどの位!?僕はもう疲れたっ!!もう嫌だっ!!」
レイの言葉にコオウがわめくと、レイはコオウの近くまでやって来るとコオウの手を取り有無も言わさず引っ張っ ていく。
「嫌だ!!もう歩きたくない!!離せ無礼者!!」
ペチン。
場の雰囲気とかけ離れた音がしてキークは唖然とした。レイがコオウの頬を両手で挟むようにして叩いていた。コ オウは一瞬何が起こったのか理解できず口をふさぐ。そんなコオウにレイは冷徹な声色で言う。
「駄々をこねるようなら今から城に帰りなさい。私達は追っ手から逃げているのです。もし貴方がこれ以上騒ぐの なら私とキークの邪魔になるので置いていきます。それと『無礼者』というような言葉遣いはやめなさい。自ら身 分を露呈するようなものです。」
そう言うとコオウの頬に置いた手を肩まで下ろし、レイはいつもの笑みを浮かべた。
「・・・もし私達とまだ行くつもりで、体力がきついなら馬を呼んであげましょう。」
コオウはうつむきしばらくしてキークとレイに小さな声で言った。
「迷惑かけてごめんなさい。僕はあなた達と行きたいです。でも・・・疲れて足が動かないんです…。レイ、貴方 の能力を借りても良いですか?」
レイもキークも笑顔になる。
「おう!!もう少しらしいし頑張ろうぜ!!」
その言葉にコオウが笑うのを見ると、レイは瞳を閉じ、高く、低く指笛を吹き始める。その音色の美しさにキーク とコオウは聞き入った。すると遠くから微かな蹄の音が聞こえだした。その音は次第に近くなり、突然林の中から 二頭の馬が飛び出してきた。その内の一頭を見てコオウが叫ぶ。
「フーユ!!!」
コオウが叫ぶとその馬は嬉しそうにコオウの肩に頭を預けた。
「フーユ、フーユ!!よかった!お前は無事だったんだね!!」
再会を喜ぶコオウを横目にキークはもう一頭を見やった。白い馬だった。シミ一つない真っ白な毛並みに鬣だけが 取って付けたように黒く、引き締まった馬だった。
「・・・こういう事ができるなら最初からやれよ・・・。で、こいつは?」
キークの問いにレイが答える。
「私の馬です。ラクナといいます。・・・すいません。城の近くで使うと呪術師にばれるかもしれないと思っ て・・・そのまま忘れていました。」
そう言ってレイは苦笑する。
「どうも私は自分の能力の、上手い使い方がまだ分かってないようです。ところで・・・キークは馬に乗れます か?」
レイの問いにキークはばつの悪そうな顔で答える。
「・・・いや、あの、えーと乗れないんだが・・・」
「え~!キーク、乗馬できないの?!」
コオウの声にキークはむっとして答える。
「悪かったなぁ!俺の部族は農耕民族なんだよ!馬なんて野生のしか見たことねぇよ!」
「ふふふ、それでは私と乗りましょうか。」
二人のやりとりを見ていたレイはそう言うとひらりとラクナの背に飛び乗った。コオウもそれに続いてフーユに跨 る。キークは見よう見まねでレイの後ろに飛び乗った。
「さぁ行きましょう!もうすぐです!」
着いたのはベッドも机もない簡素な猟師小屋だった。レイが扉を押すとギィ・・・という音がして扉が開いた。
「キーク。暖炉に火を灯してもらえませんか?」
馬から荷を下ろしながらレイはキークに言った。
「おう!・・・・フィリアラ!」
キークの紋証と言葉で暖炉に赤々と炎がともった。
「取りあえず火はついたぜ。・・・服を乾かさないと風邪引いちまう。」
そう言って服を脱ぎ始めるキークにレイは言う。
「えぇと、服を脱いだら私の荷物の中に宿屋のシーツが入っているので、それを羽織ってくださいね。」
「えっ!レイ!勝手に盗んだの?」
驚いて目を見開くコオウにレイは苦笑する。
「緊急時だったということで大目に見てもらえてると良いのですが。」
服を脱ぎシーツをまとったキークがあきれたように言った。
「お前、結構神経図太いな。」
「・・褒め言葉として受け取っておきます。・・・コオウ、貴方も着替えないと風邪を引きますよ。」
レイに言われるがままにコオウはシーツにくるまる。二人が暖炉の前で服を乾かし始めるのを見てレイも着替え始 めた。 三人は暖炉の前に座り込み今後について話し合う。
「えぇと、俺は取りあえず故郷のユーカ村に帰ろうと思う。ユーカは呪術の村だから能力者に対抗だってできるだ ろうし。」
ユーカという言葉にレイが反応した。
「ユーカ!?キークはユーカ出身なのですか?丁度よかった!私はユーカに行こうとしていた所なんです。」
レイの言葉にキークは驚いた。
「へぇ、奇遇だなぁ。それじゃぁ俺と一緒に来いよ。」
キークの誘いにレイは頷く。
「えぇ、そうさせてください。」
「えっ!じ・じゃあ僕も一緒で良い?」
コオウの問いに二人は顔を見合わせ笑う。 コオウの問いに二人は顔を見合わせ笑う。
「おう!こんな所に一人置いていくほど俺は非情な人間じゃないぜ。」
「私もかまいません。」
コオウがにっこりと笑うとレイは立ち上がり荷物の中から地図を引っ張り出す。
「問題は道筋だと思います。私達は十中八九指名手配されているでしょう。街道や大きな通りは通らない方が得策 です。」
レイの示す地図を見てキークとコオウがうなる。
「う~ん、俺は馬もあるし街道をガーっと走ってくのが良いと思うんだが」
「でも例の呪術師もいるかも・・・。」
コオウの意見にレイは優しく微笑む。
「・・・私はこのまま森を抜けてユーカの裏からになりますが山を越えるのが良いかと思います。」
レイの指が地図上の『ユラの森』から『フツユ山』を通りユーカ村の文字の上を叩く。
「えっ!い・嫌だよ!ユラの森を抜けるなんて無理だよ!!」
難色を示すコオウにキークは首をひねる。
「なんか問題でもあるのか?別に諸手をあげて賛成する訳じゃないが、そこまで・・・。」
キークの言葉にコオウはあきれる。
「キーク・・・。この森の伝説知らないの?『ユラ』の由来は『闇の集う』だよ!?闇に犯された動物たちが旅人 を襲うって・・・。」
「だいじょぶだって、そんなのただの言い伝えだろ?」
不安げなコオウをキークは笑う。
「他に道がありますか?・・・大丈夫ですよ。この森に邪悪な気配はありません。」
レイの話にコオウは渋々頷いた。
「・・・それではもう寝ましょう。明日は早朝に出発します。」
「うん!・・・火の番は誰がする?なんか冒険小説みたいだね・・・。」
コオウの質問にキークが苦笑する。
「おいおい・・・。俺らを誰だと思ってんだよ。能力者だぞ、能・力・者!一晩ぐらい見て無くても平気さ。」
コオウは軽く頭をかきながら赤くなってうつむいた。
隣でキークの寝息を聞きながらコオウはじっと暖炉の火を見つめていた。眠れば否応なくカイ達の夢を見そうだっ た。横のキークを見てコオウはフウとため息を付いた。すると急に肩を叩かれコオウは思わず飛び上がりそうにな る。慌てて振り向くとレイが人差し指を唇に当て微笑んでいた。
“眠れませんか?”
小声で囁くレイにコオウは小さく頷いた。
“少し話をしましょうか?”
コオウはもう一度頷いた。それを見たレイはおもむろに立ち上がり、キークに歩み寄ると耳元で小さく何かを囁い た。
「これでちょっとの事では起きません。」
そう言ってレイはコオウの隣に腰を下ろした。 話をすると言っても何を話せばいいのか分からず、コオウはただじっと揺れる炎を見ていた。
「夢・・・ですか?」
レイの声にぎょっとし、体を堅くして隣のレイを見ると、レイもまた炎を見つめていた。宿では銀色に見えた“邪神 の瞳”の中で炎が妖しげに揺れ、銀の瞳を紅く染めていた。
「・・・うん。でも、ただの夢だから・・・気にしないで・・・。」
「・・・私は宿でうなされる貴方を見ました・・・。・・・もし無理にでも眠りたいのでしたら方法がないわけで はありませんが・・・。」
レイの気遣うような声にコオウはゆっくりと首を振る。
「うん。ありがとう。でも、いいや。・・・これは僕の罪だから。僕が背負わなきゃいけないよね。その代わり何 か少し話をしようよ。」
気丈にも笑顔を作ったコオウにレイは優しく悲しげな笑顔を見せた。
「貴方は強いですね。」
その言葉に首を振るコオウの柔らかい茶髪を、レイはクシャリと撫でた。
「ねぇ、レイが紋章術だっけ?あの魔法みたいなのを使う時って何語を使ってるの?南方語じゃないし・・・。僕 は王宮でたくさんの言語を習ったけど、聞いたこと無い音だったよ。」
レイは少し困ったように笑う。
「私は紋章術は使っていませんよ。使いたくても使えないのです。」
コオウは驚いてレイを仰ぎ見る。『魔法』と呼ばれるものはすべて紋証術だと思っていた。レイは小さく頷き続き を話し出す。
「詳しいことは分かりませんが、紋章術はユーカ村の秘技と聞いています。私は紋章術について話を聞くために ユーカに向かっていたのです。・・・言語については秘密です。」
笑顔でそれ以上何も言わないレイの様子に、コオウは残念そうな顔で炎を見つめ続けた。
「今、貴方はいくつですか?」
急に尋ねられコオウは戸惑う。
「・・・えっと、この秋で十二になりました。」
その答えにレイの目が細められ、何処か遠くを見つめているような表情になった。
「・・・やはり貴方は強い子ですね。」
そんなレイにコオウも微笑む。
「強くなんか無いよ。・・・ねぇレイはいくつ?コオンに来る前は何処にいたの?」
「・・・私は・・今度の冬で二十になります。ここ半年間は世界を放浪していました。・・・そろそろ寝た方がい いですよ。明日も早いです。」
そう言ってレイはコオウの耳元で囁いた。
「よく眠れるおまじないです。・・・Enumir on esieri oy Ayusarakanur enumir ow okok in.」
コオウの意識は闇ではなく、光の眠りへと落ちていった。
キークはさわやかな小鳥の囀りで目が覚めた。大きく伸びをして起きあがると、ちょうどレイが身支度をしている 所だった。
「おはようございます。」
長い髪をリボンで束ねながらレイはキークに言う。蒼黒い髪が朝日に揺れ、根本の黒から毛先の蒼まで見事なグラ デーションだった。
「おまえ綺麗だなぁ。」
思ったことを口にするとレイはいぶかしげな顔をする。
「い・いや!変な意味はねぇぞっ!!俺にそんな趣味はないからなっ!!・・・なんて言うかその髪のグラデー ションがだな・・・」
するとレイは困ったように笑う。
「いえ、別に変な意味にとった訳ではありません。・・・ただ私はこんな瞳なので・・・。」
「・・・あぁ、『邪神の瞳』か。・・・そんなんただの口伝だろ。そりゃ、最初見た時は気味悪かったが、今は別 にそうは思わねぇ。現にこうして俺らの逃亡を手伝ってくれてる訳だし・・・。」
キークの言葉を聞いてレイは悲しげに笑う。
「ありがとうございます。そう言って頂けると気が楽です。」
朝日が顔を出し始めたのを見てレイは言う。
「・・・コオウを起こしてください。私は馬達の準備をしてきます。」
そう言ってレイは小屋から出て行った。
レイはフーユやラクナに鞍をつけた後、ラクナの白い毛に顔を埋めた。
「本当に誰もが、ただの口伝だと言ってくれたら・・・あのころの私はもう少し救われたのかな…。」
主人の悲しげな声にラクナは小さく慰めるように嘶いた。