隅っこの彼とまんまるい世界
彼はいつも教室の窓の外をボケッと見ていた。
授業中も休み時間も。
私はその彼の横顔を見つめるのが好きだった。
中山くんは正面から見るとどこか中心線がずれているような、崩れた顔なのに、横から見るとかっこよかった。
友達の誰に話しても信じて貰えなかったが、横顔だけだったら眼鏡のCMに出ている俳優に似ていた。
中山くんはいつも窓の外を見ていた。
春も夏も秋も冬も。
私は高校三年間の中で一度も中山くんと話したことがない。
私のあの生ぬるい温室のような過激な思い出の無い高校生活は音も無く終わって、生ぬるい温室のような大学生活を送っていた。
勧められるままに入った演劇同好会で、私は情熱の欠片もないような不熱心さで半幽霊部員状態になっている。
「シェイクスピア……」
ありきたりな題材。
ありきたりすぎて、もう誰も扱わないような台本を真面目に演じている部員の皆。
私はたまに彼らのところにやって来ては、眺めたり、休んだ部員の代わりを演じたりしている。
「高校の頃はさ、アンタ、もう少し協調性あったっていうかさ」
美香と喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲んでいた。
美香は高校の同じバレーボール部に入っていた友達。
大学は別だったので、会うのは半年振りか。
美香は高校と時の真っ黒いショートの髪型を明るい茶色に染め、ウェーブをかけていた。
私はなにか羽織ってくれば良かったと後悔した。
外は蒸し暑く、もうすぐ八月に入ると言うのに、そのコーヒーショップは冷房の効きすぎで寒かったのだ。
せめてホットを頼むべきだった。
「美香、変わったね」
私は思わず、会ってから三回目のセりフを言った。
「いやさ、髪のことはもういいよ」
美香はあきれたように言った。
髪の毛のことだけではないのだ。
私は心の片隅で考える。
女の子らしくなった、美香の服装、雰囲気。
香り。
美香はバレーボールのアタッカーだった。
背はそれほど高くないのに、誰よりもジャンプが高くて、スマッシュの音が誰よりも綺麗だった。
「てかさ、アンタも変わったよねってハナシ。聞いてる?」
「うん。変わってないよ」
「変わったって。アンタ、バレーやってた頃はもうちょっとキリッとしてたよ」
そうかな。
私は美香のコーヒーカップを持つ優雅な手つきに見惚れた。
やっぱり私もホットにすれば良かったな。
結局、私達は映画を観て帰った。
なんで集まったんだっけ。
ああ、そうだ。
*
私はセッターだった。
チームの司令塔だった。
声はでかくない。
それほど上手くもない。
トスを上げるのは得意だったけど。
そしてバレー部の副部長だった。
「さあ、雰囲気じゃない?」
何故私が副部長なのかと愚痴ったとき、美香は言った。
「しっかりしてるじゃん、アンタ」
演劇同好会なんて何で入ったんだろう。
ありきたりな大学生活になっちゃったじゃん。
「バレー続けないの?」
親にも顧問にも言われた。
別にそれほど強いわけじゃなかったし、楽しかったけど、そこまで執着しているものでもなかった。
私にとってバレーボールって高校生活のオマケというか、調味料だっただけじゃん。
なくなってもそれほど変わらなかったような。
中山くんの事を思い出していた。
彼は帰宅部で学校が終わると一番で教室から出て行った。
お昼休みもチャイムと同時に教室からいなくなった。
授業中は窓の外しか見ていなくて。
いったい何処を、何を見ていたのだろう。
中山くんは、何をして、何を感じていたのだろう。
「ああ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの!?」
有名なシェイクスピアのセリフ。
有名過ぎて、もうここ以外の場所では誰も聞かないような。
真面目な顔して大げさな身振りで演じる彼らを私はボケっと見ている。
「佐藤さん、暇ならジュリエットの衣装、直してよ」
名前も忘れてしまった先輩が私に言う。
私は「はーい」と間が抜けた返事をして舞台裏へ入る。
この前練習中にジュリエットが裾を踏み、破けてしまったドレス。
薄暗い舞台裏兼部室は、小道具や衣類が転がっていて乱雑している。
足元に気をつけながら進む。
埃臭いような、かび臭いような臭いがする。
袖で口を塞ぎながら、破けたドレスを探す。
先輩、出しといてくださいよ。そう思いながら。
目を凝らすとオレンジ色の照明に塵が舞っているのが見える。
こんな場所を私は生きているのかもしれない。
ふと思う。
埃っぽくて、薄暗くて、そんな中で破けたドレスを探しているような。
山中くんもそうだったのかな。
一生懸命部活をやっていた頃には気がつかなかった、埃っぽい世界。
隅っこだここは。
やっとのことで、クリーム色のドレスを見つける。
ジュリエットの普段着。
「鈴木、見つかったか」
タイミング良く、先輩が部室に入ってくる。
「はい。ありましたー」
やる気の無い返事。自分でも分かっている。
先輩は私に裁縫セットを投げる。
「鈴木、裏方じゃなくて、劇に出てみないのか」
「先輩こそ」
先輩は笑って言う。
「俺はいいの。ロミオ、似合わないから」
私は狭い部室の椅子に座って破けたドレスを縫い始める。
「隅っこて落ち着きますもんねー」
「この部室?」
「照明係とか、大道具係とか」
「バッカ。裏方いないと劇が出来ないじゃんか。立派な仕事だ」
はい、出来ました。
私はクリーム色のドレスを先輩に投げる。
ジュリエットの普段着。
埃がブワッと舞う。
先輩はゴホゴホと咳き込みながら受け取る。
「サンキュ。俺、裁縫だけは出来ないんだ」
「裏方ならそれくらい出来ないといけないんじゃないですか」
「かもな」
ああそれと、鈴木。
去り際、先輩が言う。
「地球は丸いらしいぞ」
「はあ、それくらい知ってます」
「隅っこなんてないんじゃねぇ?」
山中くんは何を思って生きたんだろう。
ほら部活やってなかったじゃん。
後輩とか先輩とかいなかったわけじゃん。
それどころか、私、山中くんが友達といるところ見たことないし。
私、中山くんとしゃべったことないし。
何も知らないけど。
隅っこって落ち着くよ。
隅っこって落ち着くけど、本当は隅っこなんて無いんだって。
ねぇ。中山くん。
本当は隅っこなんて無いんだって。
高校三年生の初夏、桜が散って、葉が芽吹くころ。
中山くんは死んだ。
自殺なのか事故なのか、私は知らない。
家に帰宅途中、橋から転落死。遺書はない。
大雨で風の強い日だった。
私はその日、部活で遅くなって、お母さんに迎えに来てもらって車で帰った。
私は中山くんのお葬式にも行ってない。
だって私、中山くんとしゃべったことないし。
クラスの誰かが、中山くんのお葬式に出たって話も聞かない。
美香はお墓参り付き合ってくれるって言ったけど、土壇場になって私は行きたくなくなった。
だって、中山くんの死に現実味がなかったし、今でもそうだけど、
誰もお墓参りしてなかったら、どうしようって、思っちゃったんだもん。
でもそんなわけ無いんだよね。
私の知らない誰かが、中山くんの死に涙を流しているんだ。
隅っこなんてないんだから。
私は一人で中山くんのお墓参りをした。
一年以上経って、しかも命日を一ヶ月以上過ぎてからだったけど、
お墓の前には綺麗な向日葵の花束は供えてあった。
中山くんと向日葵が似合なさ過ぎて、私は黒い墓石の前で少し笑った。
普段着で来てしまったこと、そして持ってきた花屋さんで勧められた、ありきたりなお供え用の花束のこと、高校生活の中でずっと見ていたのに声を掛けられなかったことを悔やんだ。
私は中山くんに「ごめんね」と言った。
「そうだ、来年のジュリエットは私らしいよ」
私は久しぶりに会った美香に報告した。
この前と同じ喫茶店で、私はホットコーヒーを飲んでいた。
美香は伸びた髪を耳の後ろで結んでいる。
すっかり大学生らしく大人びている。
「すごいじゃん。出世したね!」
私は美香のカランカランとアイスコーヒーの氷をかき混ぜる手つきに見惚れた。
すっかり秋になって肌寒くなったのに、店の中は暖房がきいて暖かい。
私もアイスコーヒーにすれば良かった。
「でもさあ、今度のロミオとジュリエットは一味違うんだって」
「へえ、どんな?」
「ジュリエットが超貧乏で地味で、ロミオもそんなに坊ちゃんじゃなくて」
「ふんふん」
「玉の輿を狙う双方の親に結婚を反対されて~みたいな?」
「なにそれ」
美香は綺麗に笑った。
「ね。もうシェイクスピアでもなんでもよね」
私達は映画を観て帰った。
私は中山くんのお墓参りに行った事を美香には言わなかった。
来年のロミオ役があの先輩だってことも、言わなかった。
バレー、またやりたくなっちゃったな。
今度美香に言って、美香の大学の部活に遊びに行っちゃおうかな。
私の高く上げたトスを、美香がアタックする。
そうしたら、ほら、晴れた青空が広がるみたいに、すっきりと気持ちがいいから。
ほんの少し、あのありきたりで温室のような生ぬるい青春が懐かしくなった。
今だって、ありきたりな青春を謳歌しているけどね。
「ロミオ、あなたはどうしてロミオなの!?」
私は生きている。
読んでくださってありがとうございます。
ずっとお話書いてなかったのですが、ある方から温かい励ましのお言葉を貰い、一念発起致しました。
方々から言われているように、私のお話には描写が足りないので、細かく書くように気をつけたんですが、どうでしょうか?
主人公の心情を増やして、描写しなければいけない場面を減らしたのは「逃げ」だったかな。と反省しています。
そして、バレーボールは体育の授業以外したこと無いので、間違えている表現もあると思います。
色々なご指摘、お願いします。
読んでくださってありがとうございました。




