第七話:占いが導く脱出方法
領主館の敷地に入ったブランシュは、そのまま建物へは向かわなかった。
砂利道を通って、手入れの行き届いた花壇の脇を歩き始めた。この先には屋敷の広い庭園がある。
土地神はというと、ブランシュの後についてきている。
「……土地神様。ここまで来るんですか。屋敷の中まで?」
ブランシュが振り返って、とがめるように小声で言うと、土地神は肩をすくめた。
「このへんはどこも俺の庭みたいなもんだぞ」
ぶつぶつ言いながらも、土地神は足を止めない。
二人が庭園に足を踏み入れようとしたときだった。
後ろから、鼻にかかった若い女の声が飛んできた。
「あらあら。貧乏くさい匂いがすると思ったら……貧乏男爵家の令嬢様のご帰還だったのね」
ブランシュが振り返ると、侍女服姿の女が立っていた。
年齢は18歳くらいだろうか。15歳のブランシュより大人に見える。
彼女の着ている白い飾り縁のついた紺色のドレスは、領主館の侍女の制服なのだ。ゆるくウェーブのかかった金髪を後ろでひとつにまとめた姿は、清楚で品がある。
ブランシュは優雅に腰をかがめて挨拶をした。
「セレスティーヌ先輩、おはようございます。朝の買い出しに行っておりました」
「侍女なのに朝の買い出しなんて、まるで下働きの女中みたいじゃない?みじめなことね」
実はブランシュの名前はブランシュ・ヴァレリーという。ヴァレリー家は男爵位を持ち、ブランシュの父が男爵家の当主をしている。
この伯爵家の領主館には見習い侍女として働きに出ているが、年齢がまだ15歳と若いので、実家が貧乏なので働きに出ていると勘違いされているのだ。
ヴァレリー男爵家は場所こそ王都から離れた田舎にあるが、別に貧乏ではない。
朝から買い出しに出かけているのも、ちゃんとした理由がある。複数の理由が重なって、ブランシュはこの領主館で自活を強いられている。
ただブランシュは田舎に育ったせいで、身の回りのことや食事の準備などもできる。
それに占いもできるせいで、他の侍女たちには密かに人気なのだ。
そこがセレスティーヌには気に食わない。おもしろくない。
なので、ブランシュを目の敵にして、なにかと絡んでくるのだ。
セレスティーヌはブランシュの服、シンプルな生成り色のワンピースを上から下まで眺め、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「あら、あなた、そんなみっともない格好で外に出たの?さすが貧乏男爵家のご令嬢さまね。服のセンスが素晴らしいこと」
ブランシュの横に来た土地神が、顔をしかめて、ぼそっと言う。
「嫌味な奴だねぇ。でもブランシュ、応戦する時間はないぞ」
ブランシュは軽く片手を挙げて、分かっていると土地神に知らせる。それから、にこりと笑った。
「セレスティーヌ先輩、こんなところにいていいんですか?」
セレスティーヌの片眉が、ぴくりと動く。
「なんですって?」
ブランシュは続けた。
「今日は奥様がお茶会に行かれるはずです。朝からそのお支度で忙しいと思っていましたのに……奥様に気に入られて、奥様付きの侍女になりたいと思ってらっしゃるんでしょう?」
セレスティーヌの意地悪な笑みが、一瞬で固まった。
「……そういうことは、早く言いなさいよ!」
吐き捨てるように言うと、セレスティーヌは踵を返し、急いで領主館の中へと入っていった。
「領主の奥方の予定まで把握してるなんて、さすが凄腕占い師だな」
土地神が顎に手を当てて、うんうんと感心したようにうなずいているが、それは違う。
「見習い侍女の私が、奥様の予定なんて知る理由ないでしょう?でたらめです」
「騙したのかよ。悪い占い師だ。詐欺師だな」
楽しげにいう土地神のことは相手にせず、ブランシュは広い庭園の端を歩き始めた。
庭のいちばん奥。正面の屋敷から離れた場所に、古い平屋があった。
屋根は低く、壁はくすんでいる。窓枠の木もぼろぼろで、建っているのがやっとといった様子だ。この小屋は、古くなって使われなくなった庭仕事の用具置き場なのだ。
ブランシュは迷いなく戸を開け、中へ入った。
部屋は狭い。だが、焼き立てのパンの香ばしい匂いと、ハーブ茶の匂いが混じり合って落ち着く。
古い机と椅子、寝台。棚に積まれた布。どれも古く、粗末だが綺麗に掃除され、手入れされた部屋は居心地が良い。
「ブランシュ、おかえり」
奥から少年が駆け寄ってくる。十歳くらいだろうか。痩せているが健康そうだ。
金髪が肩まで伸びて、大きな目と色白の肌も相まって、女の子のように可愛い。
この少年は、小屋でブランシュと暮らしているリュカだ。
リュカリオン・グラスティ伯爵令息。通称リュカ。
リュカはもっと幼い頃、子供のいなかったグラスティ伯爵夫妻に養子として迎えられた。その後、思いもかけずグラスティ伯爵夫妻は、子供を男女ひとりずつ授かった。
伯爵夫婦に実子ができてしまったので、リュカは居場所を失ってしまったのだ。伯爵夫妻に疎んじられているリュカの世話を、屋敷の者たちはしなくなった。
そのうちに食事も事欠くようになり、ガリガリに痩せたリュカを発見したのは、伯爵家に働きに来たブランシュだった。
ブランシュは自ら申し出て、リュカの世話係になった。伯爵夫妻もブランシュの父、ヴァレリー男爵の目を恐れたのだろう、ブランシュの申し出を拒否しなかったのだ。
そのときからブランシュはリュカと、この小屋に住んでいる。ただ、やはりリュカのことを快くは思っていない使用人も多く、食事を出さないといった意地悪をしてくるのだ。
だから、ブランシュは買い出しに行くといって毎朝、領主館を出ては街で占いをして、日銭を稼ぐ。
そのお金で、自分とリュカの食費や生活費を稼いでいるのだ。
ブランシュは肩の布バッグを下ろし、少年の頭に手を置いた。
「リュカ、ただいま。待たせてごめんね」
リュカはキラキラとした目でブランシュを見上げた。
「ぜんぜん大丈夫!パンもちゃんと焼けてるよ!」
最近、ブランシュはパンを焼くのをリュカに任せるようになったのだ。ブランシュの仕込んでおいたパン種を、小屋に作り付けの小さな暖炉で焼いてくれる。
ブランシュは部屋を素早く見回し、持ち出すものを頭に浮かべる。
「リュカ、この家を出ようと思う」
リュカが驚いた顔で見上げてくる。
「え?この小屋を出るってこと?」
ブランシュは床に膝をついて、リュカと同じ目線になる。
「ううん。この領都グラスティを出るの。全部は言えないんだけど、この街に良くないことが起こるらしいの。だから、逃げようと思う」
ブランシュの切迫した感じを察したのか、リュカは目を大きく見開いて、ブランシュの話を聞いている。
「リュカ、あなたを置いていくことなんて、できない。一緒に行こう」
リュカは、大人しくコクンとうなずいた。
「お姉ちゃんについていくよ」
土地神は壁にもたれて、二人のやり取りを黙って聞いていたが、話がまとまったのを見て、口を出してきた。
「……急いだほうがいいぞ」
「わかってるって」
「え?なに?」
突然、ブランシュが誰もいない戸口のあたりに声をかけたので、リュカが不思議そうな顔で聞いてくる。
「なんでもないわ。リュカ、持って行く物ある?」
「なんにもないよ。あ、焼き立てのパンは持っていかなきゃ!」
ブランシュは机の上に置かれていたパンを清潔な布巾で包んでから、布バッグにしまいこむ。
それから部屋の片隅の床板がはがれた箇所に手をつっこむ。引っ張り出したのは革製の小袋だ。中にはお金が入っている。
伯爵家の給金は1年払いなので、まだ一年も働いていないブランシュは給金をもらっていない。
だから革製の小袋に入っているのは、ブランシュが実家から持ってきたお金に、街で占いをして稼いだお金を加えたものだ。
そうたくさんは入っていないが、暫くの間、ブランシュとリュカが宿屋に泊まったり、食事を取ったりするくらいはできるだろう。
もし資金が尽きれば、占いをして日銭を稼いでもいいし、女中仕事や売り子の仕事をしたっていいのだ。なんとでもなる。
「リュカ、行こう」
「うん、ブランシュお姉ちゃん」
ブランシュはリュカの手をとって小屋を出た。
ブランシュはリュカの手を引いて小屋を出た。
屋敷全体の空気が、さっきより重く感じられる。
甘い匂いが、また濃くなったようだ。
「匂いが強くなってるな」
背後で土地神が言う。ブランシュは、それに応えて小さくうなずいた。
ブランシュは歩幅を広げ、リュカの手を強く引いた。
「ブ、ブランシュお姉ちゃん」
リュカが息を切らし、軽く走りながらブランシュを見上げてくる。
「大変なことが起きるってほんと?みんな、大丈夫かな……」
そのリュカの言葉に、ブランシュの胸は痛んだ。
甘い匂いがしたあと、血の匂いが混じるという土地神の言葉が本当なら、この街で何かが起きる。良くないことが。
ブランシュはこの屋敷では嫌な思いもした。生活も大変だった。でも、街や街に住む人々のことは好きだった。
市場の人たち。店先を貸してくれたマルゴさん、芋売りのライザさん、薬屋のジェフ爺さん。まだ一度しか会っていないが、香辛屋のベイツさんも悪い人じゃなかった。
占いの卓に座ると、皆、なんだかんだと気を使ってくれた。
あの人たちが傷つくのは嫌だ。
けれど今のブランシュにできることは情けないほど少ない。リュカを連れて逃げる。それですら上手くできるか分からないのだ。
「……みんなが大丈夫とは言えないわ」
ブランシュは正直に言った。
「でも、私に助けられるのはリュカだけなの。ごめんなさい」
リュカは唇を噛み、こくんとうなずく。これから危険なことが起こるなどと言わなければよかったと、ブランシュは後悔した
でも、言っておかなければ、リュカが危険な目に合うかもしれない。まだ幼いリュカの心を思うと、ブランシュはたまらない気持ちになる。
「おーい、急いだほうがいいぞ」
土地神が急かしてくるが、どこか遠い場所を見るような目つきをしている。
「なにが見えたの?」
リュカに聞こえないように小さな声で、こっそりと土地神に聞くが黙って首を横にふるだけだ。
「俺はこれでも禁忌を犯してるんだ。これ以上は無理だな、諦めてくれ」
甘い匂いのことを人間であるブランシュに伝えただけでも、禁忌だったのかもしれない。そう思って、ブランシュはそれ以上聞くのをやめた
屋敷の庭園を半分ほど進んだとき、正面玄関のほうから、馬のいななきが響いた。人の叫びや、走り回る音も聞こえる。
ブランシュは立ち止まり、耳を澄ませた。
見回りに出ていた者が帰ってきたのか。それとも、外で何か起きた報告か。
土地神が舌打ちする。
「遅かったかもな。動き出すのが」
もし本当に戦闘が始まるのだとすれば、街を囲う城壁の門も閉ざされるだろう。そうなる前に外へ出たい。
だがその前に、この領主館から出ないといけない。領主館は緊急時には、門を固く閉ざす。
もう既に警備の兵たちは、屋敷の門を閉めようとしているだろう。
どうやって外に出よう?
いつもなら裏門から出る。
けれど、今はどうだろうか?
ブランシュは確信が持てないでいた。
裏門なら警備の兵は、いつもは一人だけだ。
ブランシュが話しかけるなどして、兵士の気を引いている間に、リュカを裏門から出そうと思っていたが、非常事態になれば警備の兵も増える。
とてもそんな簡単な手口で、リュカを外に出せるとは思えない。
ブランシュは一瞬だけ迷った。
「……ちょっと待ってもらってもいいかしら」
ブランシュは立ち止まり、布バッグの中に片手をいれた。その手をバッグから引く抜いたとき、その手は淡い黄金色の光に包まれていた。
手の中には、一枚のルーンカード。
《風の回廊》のカードだ。
《風の回廊》は、変化を表すカードだ。風は気まぐれに向きを変える。そんな自由気ままに吹く風が、作り出した回廊は、次々に形を変え、方向を変えて変化していく。
このカードの絵柄は、細い石造りの回廊を吹き抜ける風が描かれている。回廊の先には半開きの扉があり、風に押されたのか、扉が静かに開きかけている。
ブランシュがルーンカードを一枚引いたのを見て、土地神がやってくる。
「どんなカードが出た?」
「《風の回廊》。変化のカード……」
リュカも目を見開いてカードを見ている。
「お姉ちゃん、このカードの絵、石の廊下の先で扉が開きかけてるよ!」
カードに描かれた扉は、二枚扉の堂々としたものだ。
「さて、凄腕占い師は、このカードをどう読み解く?」
土地神からの質問に、ブランシュは迷わず答えた。
「その身を変え、王道を進め……さあ、リュカ、行くわよ!」
ブランシュはリュカの手を引き、走り出した。
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