第十二話:お姉ちゃんは、僕が守る!
バシンッ!
ヴェルナーの振るう革のムチが石畳を叩き、乾いた音を広場に響かせた。
ブランシュは背中に冷たい石壁を感じながら、息を殺していた。そのすぐ脇で、リュカがブランシュにくっつくように小さく身を縮めている。
「……あの男は、いつもそうだった」
ヴェルナーが低く呟く。目は異常なほど吊り上がり、血走っている。
「くそぉ!」
罵り声と共に、またムチが振り下ろされる。
バシィッ!
「ひぃぃ」
リュカが小さな悲鳴を上げながら、ブランシュにしがみついてきた。
ヴェルナーの放った一撃は、広場に捨て置かれた小さな樽に当たり、樽はカラカラと数回転がって止まった。
「学院でも……領地でも……どこへ行ってもだ」
ヴェルナーの声が歪む。
「皆があの男を褒め称える。ヴァレリー男爵は立派だ、ヴァレリー男爵は優秀だ……ただの男爵のくせにぃ!」
ムチがもう一度振られる。
「だがなァ……!」
ヴェルナーが叫ぶ。
「私のほうが、優秀なんだぁ!」
ゆっくり釣り上がる唇の端には、白い泡が浮いている。どう考えても異常だ。甘い香りの影響が深刻になってきているのだろう。
「――ヴァレリーの娘、お前がいなくなったら父親は悲しむだろうなぁ、そうだろう?」
ブランシュの隣で、ひそひそと声がした。
「……なあ、ヴァレリーって誰だよ」
土地神だった。ここにいるヴェルナーとリュカには、土地神の姿は見えていないし、声も聞こえていない。
ブランシュはヴェルナーの気を引かないように、目立たないよう小さく答えた。
「私の父よ。ヴァレリー男爵。この執事の同級生なの」
「……あー」
土地神が肩をすくめて、呆れたような仕草をした。
「つまり、同級生の娘に八つ当たりしてんのか」
その間にも、ヴェルナーは何かをぶつぶつと呟いている。
「そうだ……あの時も……」
ムチを振るう手が止まる。そして、いきなり髪を乱暴にかきむしった。
「なぜだ……なぜなんだ。なぜ、あの男ばかり……!」
ヴェルナーの声が震えている。
「違うんだ……私は……」
ヴェルナーの視線はもう、ブランシュたちを見ていなかった。ぶつぶつと、何かを呟いている。
ブランシュの隣にいる土地神は、涙の仮面をしていて顔は見えないが、しかめっ面をしていそうな気配だ。
大げさな仕草で胸の前で腕を組むと、ブランシュのほうに体を傾け、小声で言った。
「あいつ、前より強くなってるぞ……甘い匂いのせいだな」
ブランシュは油断なくヴェルナーを監視しながら小さく答えた。
「分かってる」
もう広場には誰もいない。ヴェルナーがたまに上げる奇声が不気味に響く。
ムチが当たった場所が熱をもってひどく痛む。服もぼろぼろだ。
ブランシュはギリっと唇を噛んだ。
「どうにかして、リュカだけでも逃がしたい……」
「お姉ちゃん……」
ブランシュの言葉しか聞こえていないリュカが、心配そうに見上げてくる。
「大丈夫よ、リュカ。私にまかせて」
微笑んでリュカの頭を撫でてみたものの、どうすればいいのか分からない。
リュカに強がって微笑むブランシュを、土地神は横目でじっと見た。
「――お前さ、なんか特別な力を持ってるだろ?」
ブランシュの眉がわずかに動く。
「占いしているとき、手のひらが光ってた。あれ、なんなんだ?」
「……」
「それに、ルーンカードも光ってた」
占いのときにブランシュの手やカードが淡い金色に輝くのは、ブランシュが先祖から受け継ぐ才能のせいだ。
普通の人には見えないが、土地神には見えているらしい。
「それによぉ、俺の姿が見えてる時点でおかしいんだよ。普通の人間には見えねぇし」
そのとき、ヴェルナーの奇声が上がり、少し離れた場所でムチが石畳を叩く音がした。
ブランシュは身構えたが、ムチの音は続かなかった。ぶつぶつという声がまた聞こえ始める。
ヴェルナーが、いつまた攻撃してくるか分からない。ブランシュは覚悟を決めて、土地神に自分の才能のことを話すことにした。
師匠でもある祖母からは、誰にも話してはいけないと言われているが、相手は土地神だ。人間ではないのだから、きっと許されるだろう。
リュカにも話は聞こえてしまうが、こんな危険な状況だ。祖母との約束を破ることになるが、許してもらおう。
「……私には、占いの師匠がいるの」
土地神がちらりと横目で見る。
「祖母よ。ずっと祖母から教わってきた……」
リュカも話を聞いているようだが、ブランシュは構わず続ける。
「祖母が言うには、私たちの家系には特別な力があるらしいの。《世界と対話する力》って祖母は呼んでいた」
土地神が眉をひそめる。
「世界と対話?今、俺と話しているみたいに?」
ブランシュは首を振った。
「土地神様は特別よ。こんなふうに普通におしゃべりできるわけじゃないの。気持ちが伝わってくる……そんな感じ」
「なるほどな……」
「私の家族はね、普通の人より色々なことに気がつくの。人の気持ちとか空気の変化とか……。父なんかは、状況判断が優れているとか、先見の明があるとか言われてるかな」
土地神は腕を組み直して、ふぅっと息を吐いた。
「そりゃヴェルナーは、お前の父親に勝てんわ。お前の占いがよく当たるのも理由があるってこった」
「そういうことね」
「だけどよぉ……」
土地神がおおげさな動きで、ブランシュの顔を覗き込む。
「その《世界と対話する力》とやらで、あの嫉妬に狂ったヴェルナーに立ち向かえるのか?」
「それは……この話には、まだ続きがあるのよ」
ブランシュの目が遠くをみつめるものになる。
「――昔、私が住んでいた街に、魔獣が襲いかかってきたの」
土地神の耳がぴくりと動いて、背筋が伸びる。
「魔獣ぅ?」
「そう、魔獣。大きなトカゲみたいなやつ。このあたりは都会だから見かけないけど、うちは田舎だから。しかも群れで街に襲いかかってきたの」
思い出すだけで、体が凍りつく。ひどい体験だった。
「あのとき、街は大騒ぎだった。うちの兵士たちが頑張ってたけど、とても全部は止めきれそうになかった。このままじゃ、みんなやられるって思った」
ブランシュは静かに続けた。
「だから私は……どうにかして、みんなを助けたくて《世界と対話する力》を自分に使ってしまった……」
土地神が訝しげな顔をする。
「自分に?自分と対話したってことか?」
「いつもはね、世界に向かって話しかけるの。なにか話したいことある?ってね」
土地神は黙って聞いている。
「でも、そのとき……私は自分に問いかけてしまった」
ブランシュの声は震え、今にも泣き出しそうだ。
「みんなを助けたい。私はどうしたらいい?私に何ができるの?って……」
ブランシュが指で目元をぬぐうのを見て、土地神は顔をそらす。
「私の問いかけに、私は応えた……ううん、違う」
ブランシュは小さく首を振った。
「私の中の、何かが応えたの」
ブランシュの肩が小さく上下している。息が荒くなっているのだろう。
ここでヴェルナーの奇声がまた聞こえた。ブランシュたちの視線が、ヴェルナーに向く。
ヴェルナーはムチを片手に持ったまま、頭をかきむしり、円を描くように歩き回っている。
「で、お前に応えてくれたその力っていうのは、トカゲ野郎たちから街を守ったのか?」
「ええ……魔獣は全滅した」
魔獣は全滅したと聞いて、土地神が仮面の眉のあたりをボリボリかく。
「全滅ねぇ。そりゃまた強い力だな」
ブランシュは苦い笑みを浮かべた。
「ええ、そうなの。とても強い力。その力がね……止まらなかったのよ」
「はぁ?止まらなかったって……まさか……」
「そのまさかよ。魔獣を追い払ったあとも、力が暴れ続けて……街の人たちまで傷つけてしまうところだった」
土地神が「ひゅぅ」と妙な音を喉から出した。
「暴走したのか?」
ブランシュは土地神のほうを向き直り、はっきりとうなずいた。
「そのときは、祖母と父がなんとかしてくれたの。でもね、私にこの力は制御できない、危険だってことになって……」
ブランシュは静かに言った。
「力を封印されたの。もう私には、その力は使えない」
土地神は少し黙ったあと、言葉を選びながら話し始めた。
「でもよ……」
顎をしゃくって、ヴェルナーの方を指す。
「今はどうなんだ。状況は最悪だぞ」
確かに土地神の言う通りだった。
「その力、どんな力かは知らんが、もう一回使うしかないんじゃないのか?」
ブランシュはすぐには応えられなかった。
そんなこと分かっているのだ。ここで、あのときに解放した力を使えば、ヴェルナーにも立ち向かえる。
だけど……。
「……無理よ。封印もされてる。使えるかどうかも分からない。それに……」
弱々しい、かすれた声がブランシュから出る。
「……制御できるか……分からない……」
土地神は、黙って聞いている。
「誰かを傷つけるかもしれないと思うと……怖いの」
そのときだった。
ブランシュの脇にいたリュカが、ゆっくり前へ出てくる。
そして、ブランシュを背中に庇うように立った。
小さな背中には、怒りのようなものを感じる。
「……リュカ?」
リュカは振り返らないまま言った。
「ブランシュお姉ちゃん」
その声は力強く、決意に満ちていた。
「お姉ちゃんは、僕が守る!」
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