【第34話】
灰色の夜明けとともに血を流したグレイヴァル城は、数刻後、凍てつくような静寂を取り戻していた。
鉛色の雪雲が低く垂れ込める城の中庭。
かつて、父ヴァルターが領民たちの直訴を聞くために開け放っていたその広大な石畳の上に、今はダスクマーレから帰還した逃亡農民たちや、城下に住まう民衆が黒山の人だかりを作っていた。
何百という目が、広場の中央に急造された無骨な木組みの処刑台へと注がれている。
人々の吐く白い息が立ち込める中、後ろ手に太い麻縄で縛られたバルトが、二人の傭兵によって引き立てられてきた。
恐怖政治の執行者として冷徹に実務を取り仕切っていたかつての面影はない。
その防寒外套は泥と血に汚れ、乱れた髪の奥の双眸には、逃れようのない死の気配に対する怯えと、虚勢が混じり合っていた。
「……公開処刑など、悪趣味な真似だ」
処刑台から少し離れた回廊の柱に寄りかかり、クロードが大剣の柄に腕を乗せながら低く呟いた。
傭兵として数多の戦場と死の裏面を歩いてきた彼にとって、見せしめの殺しは無能な支配者が好む下策に過ぎない。
民衆の恐怖を煽る手法は、バルトが行ってきた圧政と何ら変わらないのではないか。
クロードの太い声には、そんな明確な苦言が滲んでいた。
しかし、その傍らに立つヴェインは、薄灰色の瞳をまっすぐに処刑台へ向けたまま、一切の抑揚のない声で答えた。
「見せしめのためではない。記録のためだ」
「記録、だと?」
「そうだ。これは私怨による暗殺ではない。新しい統治者が、古い圧政者を法と秩序の下に裁いたという事実。それを、この土地の歴史の転換点として領民すべての記憶に焼き付ける。……統治の正統性は、密室の血の中には生まれない」
それは、復讐の炎に焼かれる青年の言葉ではなく、盤面全体を見下ろす『王』としての冷徹な宣告だった。
権力を行使するにあたり、自らの行動に絶対的な「大義」という名の楔を打つ。
クロードは鼻で短く息を吐き、それ以上は何も言わなかった。
ヴェインは回廊を離れ、雪の舞い散る中庭へとゆっくり歩み出た。
灰黒色の外套が冷たい風に翻る。
彼が処刑台の前に立つと、広場を埋め尽くしていた領民たちのざわめきが、波が引くようにピタリと止み、恐ろしいほどの静寂が落ちた。
ヴェインは一段高い場所に跪かされたバルトを見上げ、よく通る、しかしどこまでも氷のように冷たい声で、罪状を読み上げ始めた。
「元グレイヴァル領主補佐、バルト。お前は領主ガレンの名を騙り、あるいは共謀し、大国ヴェルミリアの威を借って不当な重税を課した。税を納められぬ無辜の領民から土地を奪い、見せしめの拷問によって多数の命を理不尽に散らした。そして何より、正統なる統治権を簒奪した反逆の罪」
父ヴァルターの暗殺という、最大の罪についてはあえて口にしなかった。
あの毒殺は、大国ヴェルミリアの謀略が深く絡んでいる。
今この場でそれを民衆に開示すれば、無用な混乱と大国への恐怖を煽るだけだ。
為政者として、開示すべき情報と隠匿すべき真実を、ヴェインは瞬時に選別していた。
すべての罪状が読み上げられ、処刑人の構える巨大な戦斧が、重々しく冬の空へと持ち上げられた時だった。
冷たい石畳に膝をついたバルトが、不意に首を巡らせ、血走った目でヴェインを睨み下ろした。
その歪んだ唇の端に、残酷な実務で数え切れないほどの手を血に染めてきた者特有の、暗くねじ曲がった優越感が張り付く。
「……お前には、殺せない」
処刑台の上から、負け惜しみとも呪詛ともつかない嗄れた声が落ちてきた。
「なぜ」
ヴェインが短く、平坦に問う。
「まだ、若造だからだ」
バルトは喉の奥で、ヒュッ、と乾いた音を立てて笑った。
机上の計算だけで盤面を動かし、自らの手は汚してこなかった温室育ちの青二才。
いかに冷酷に振る舞おうとも、いざ生身の人間を合法的に死の淵へ蹴り落とす「王の業」を前にすれば、その足は必ずすくむはずだという、死に行く者の最後の侮蔑。
ヴェインは、バルトの目を真っ直ぐに見つめ返した。
長い、長すぎる沈黙が降りた。
広場に集まった何百という民衆が息を呑み、処刑人すらも静止する中、風が枯れ葉と雪を運び、二人の間を通り抜けていく音だけが響く。
十秒、あるいは二十秒。
ヴェインの表情の筋肉は、ただの1ミリたりとも動かなかった。
怒りもせず、焦りもせず、ただ薄灰色の瞳で男の魂の底を解剖するように見据え――やがて、処刑人に向かって、音もなく右手を振り下ろした。
鈍く、重い、肉と骨を断つ音が広場に反響した。
歓声も悲鳴も上がらなかった。
首が地に落ち、雪を赤く染め上げるその瞬間を最後まで見届けても、ヴェインの表情は変わらない。
ただ一つ、古い秩序が終わり、新しい秩序が始まったという事実だけが、そこに冷たく横たわっていた。
処刑から一時間後。
歓喜と安堵に沸く城の喧騒から遠く離れた、裏手にある古い石造りの井戸。
ヴェインは外套を脱ぎ捨て、誰の目もないその場所で、一人きりで冷たい井戸水を汲み上げていた。
ザバァ、と。
手桶から溢れた氷のように冷たい水が、右手に刻まれた古い刃の傷跡を激しく打ち据える。
ヴェインは両手をこすり合わせ、狂ったように洗い続けていた。
自らが直接斧を振るったわけではない。
返り血など一滴も浴びていない。
しかし、己の意志と合図で、合法的に他者の命を奪ったという事実が、目に見えないどす黒い血となって、手のひらから肘の裏までべっとりとこびりついているように感じられたのだ。
感覚がなくなるほど手が赤く腫れ上がっても、彼は井戸水を汲み、洗い続けた。
王冠の重さという名の呪いが、冷たい水と共に彼の骨の髄まで浸透していく。
その行動は、彼が極めて論理的で冷徹な怪物でありながら、同時に、まだ人間としての柔らかい魂を残していることの痛々しい証明であった。
その背中を、少し離れた石壁の陰から、エラだけがじっと見つめていた。
彼女は声をかけなかった。近づくこともしなかった。ただ、平坦な鳶色の瞳に、初めて「王」としての血を被った青年の、誰にも見せることのできない孤独な儀式を、静かに焼き付けていた。




