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灰の中から王は生まれる〜しかし王冠は、何人かの血で染まっている〜  作者: 水縒あわし
第1部

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【第27話】



 ダスクマーレの石造りの倉庫。


その中央に鎮座する分厚い長机の上に、広大な東方一帯を記した巨大な羊皮紙の地図が広げられていた。



 車座を囲むように立つのは、五人の影。



 腕を組み、大剣に寄りかかるクロード。


帳簿の束を抱えたペトラ。


無言で地図の距離を目測している老工兵ハインツ。


そして、少し離れた丸椅子で両膝を抱えているエラ。



 冷たい隙間風が油ランプの炎を揺らす中、ヴェインは地図の東の果て——グレイヴァル辺境領の中心に、音もなく短剣の切っ先を突き立てた。



「これより一年後。冬が明け、雪解け水が銀流川ぎんながれがわを満たす時期を狙い、グレイヴァルを奪還する」



 氷のように透き通った声が、石壁に反響した。



 初めてヴェインの口から語られる、明確な『期限』と『目的』。


ペトラが微かに息をみ、クロードの双眸そうぼう剣呑けんのんな光が宿る。



 ヴェインは短剣から手を離し、盤面全体を見渡すように視線を上げた。



「計画は、三つの段階で構成される。一つ目、バルトと正規兵の分断だ」



 ヴェインの指先が、地図上の関所をなぞる。



「バルト本人は完璧な道具だが、彼の手足となって恐怖政治を実行しているのは、中間の将校たちだ。彼らの忠誠は恐怖と金で買われているに過ぎない。ペトラの情報網と資金を使い、彼らの弱みを握り、あるいは買収して内側から切り崩す。頭と手足を切り離すんだ」


「二つ目。内部からの同調者の確保。ダスクマーレに逃げてきた農民たちを『連絡役』として密かに領内へ戻す。ガレンの重税に耐えかねているが、まだ動ける若者たちが村々には残っている。彼らを蜂起ほうきの火種とする」



 淡々と語られる恐るべき内乱の図面。


ハインツが、図面上の街道を指の腹で静かに叩いて肯定を示した。



「そして三つ目。これが最も重要だ。ガレンの後ろ盾である大国ヴェルミリアを物理的に動かさせないための、外交的牽制けんせい



 ヴェインの指が、アイゼンブルク、そしてさらに南に広がる強大な国家『テネブラ』の領土を円で囲んだ。



「イゾルデを通じてアイゼンブルクの経済的圧力を強めると同時に、南のテネブラ王国に密使を送る」


「待て」



 たまらず、クロードが低くしゃがれた声で遮った。



「西の商人どもは金で動く。だが、テネブラはヴェルミリアに次ぐ軍事国家だ。たかが一介の没落貴族が、あの国の王宮に何を持っていく気だ。鼻でわらわれて終わりだぞ」



 南の戦場でテネブラの軍靴の恐ろしさを知る傭兵だからこその、現実的な反論。



 ヴェインは薄灰色の瞳でクロードを真っ直ぐに見据え、一切の躊躇ちゅうちょなく答えた。



「『独立した緩衝地帯』という概念だ」



 ランプの炎が、ヴェインの顔に深い陰影を落とす。



「ヴェルミリアが東の辺境を完全に飲み込めば、その刃は遠からず南のテネブラにも向く。私はテネブラに『グレイヴァルがいかなる大国にも属さない完全な独立領としてふたになること』を提案する。ヴェルミリアの拡大を防ぐための、最も安上がりな防壁として、我々の謀叛むほんを黙認し、背後からヴェルミリアを牽制しろと」



 息を呑むような静寂が下りた。



 ペトラは呆然ぼうぜんとヴェインの横顔を見つめ、クロードは言葉を失ったように太い眉を寄せている。



 狂気だ。


大国同士の軍事的な均衡状態を、たった一枚の羊皮紙とハッタリだけで作り出そうとしている。


しかし、その論理には致命的なほどの説得力と、冷徹な生存戦略が通底していた。



「……勝てる?」



 重すぎる沈黙を破ったのは、エラのひどく平坦で、日常の挨拶でもするような軽い声だった。



 彼女は丸椅子から立ち上がり、とてとてと机に近づくと、短剣の刺さった地図を不思議そうに見下ろした。



 ヴェインは張り詰めていた肩の力をほんの少しだけ抜き、エラの鳶色とびいろの瞳を見つめ返した。



「五分五分だ」



 為政者としての嘘はつかない。


一つの計算違いで、全員が首を吊ることになる極細の蜘蛛の糸。



 しかしエラは、その絶望的な確率を聞いて、ふわりと口元をほころばせた。



「じゃあ、半分は勝てるってことだね」



 あまりにも無垢むくで、論理の飛躍した前向きさ。



 死地に向かう者たちにとって、それはどんな綿密な戦略よりも、奇妙なほど温かい説得力を持っていた。



「……ッ、クク、ハハハハッ!」



 突然、クロードが腹を抱え、天井を仰いで吹き出した。



 いつもは冷笑か鼻を鳴らすだけの男が、涙を浮かべるほど豪快に笑っている。


ペトラも毒気を抜かれたように肩をすくめて吹き出し、無口なハインツの目尻にも微かなしわが寄っていた。



 ヴェインは一人、笑わなかった。



 しかし、胸の奥底で鉛のように固まっていた重圧が、エラのその一言によって、嘘のように軽くほどけていくのを感じていた。



 彼は深く息を吐き出し、突き立てた短剣の柄を静かに握り直した。



 一年後。


灰色の旗が、東の雪原にひるがえるまでの冷酷な秒読みが、この夜、確かに始まった。



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