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灰の中から王は生まれる〜しかし王冠は、何人かの血で染まっている〜  作者: 水縒あわし
プロローグ

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【第2話】



 石造りのグレイヴァル城は、底冷えのする巨大な墓標のようだった。



 天井のはりには数百年分のすすがこびりつき、隙間風が古びたタペストリーを亡霊のように揺らしている。


分厚い窓ガラスの向こうでは、この冬初めての雪が音もなく闇を白く染め上げていた。



 二十二歳のヴェイン=グレイハルトは、執務机に広げた羊皮紙から顔を上げた。



 目尻を揉みほぐし、凍えきった指先に息を吹きかける。


手元の書類は領内の備蓄麦の帳簿だ。


数字の羅列を追う視線は疲労にかすみ、吐く息は白い。



 不意に、遠くの石廊下から硬質な音が響いた。



 最初は、見回りの兵が鉄兜を落としたのかと思った。


だが違う。金属と金属がぶつかり合う音は、一つではない。


複数の軍靴が石畳を正確な歩調で踏み鳴らし、それが次第に数を増しながら、こちらへ向かってきている。



 怒声が微かに壁の向こうをすり抜けた。


悲鳴、そして何かが重々しく床に倒れ伏す、鈍い衝突音。



 ヴェインは椅子から立ち上がった。


机の端に立てかけてあった長剣の柄に手を伸ばす。



 ――ドガンッ!



 木製の重厚な扉が、蝶番ちょうつがいをへし折られて内側へ弾け飛んだ。



 舞い散る木片と雪の匂いと共に、黒い甲冑かっちゅうを着込んだ数人の兵士が雪崩れ込んでくる。


彼らは一切の躊躇なく、抜身の剣の切っ先を部屋の中央に立つヴェインへと向けた。



 刃の波が割れ、その後ろから一人の男が静かに歩み出てくる。



 グレイヴァル領筆頭家臣、バルト。



 仕立ての良い外套を羽織った初老の男は、狩りの獲物を追い詰めたような高揚感も、主君の血族に刃を向ける罪悪感も、その顔に一切浮かべていなかった。


ただ帳簿の計算違いを正すような、極めて事務的で冷え切った眼差しがヴェインの全身をなめ回す。



 バルトは一つだけ息を吸い、機械のように滑らかな声を出した。



「ヴェイン=グレイハルト。謀叛むほんの嫌疑により身柄を拘束する」



 剣を握るヴェインの手の甲に、青い筋が浮かび上がる。



 謀叛。


誰が、誰に対してか。


問うまでもないことだった。


領主である叔父ガレンの影が、バルトの背後に巨大な口を開けて待ち構えている。



 ヴェインの薄灰色の瞳が、バルトの目と交差した。



 沈黙が執務室を支配する。


松明の炎が爆ぜる音だけが、不自然なほど大きく響いた。



「叔父上の命令か」



 バルトの表情の筋肉は、ぴくりとも動かなかった。


肯定も否定もしない。


ただ僅かに顎を引き、背後の兵士たちへ視線で合図を送っただけだ。



 それが、最も雄弁な答えだった。



 ヴェインはゆっくりと指を開き、長剣を床に落とした。


カラン、と乾いた音が石の床に転がる。


多勢に無勢、ここで抗えばその場で斬り捨てられるという冷徹な計算が、彼の怒りを辛うじて押さえ込んでいた。



 兵士たちに両腕を乱暴に掴まれ、ヴェインは廊下へと引きずり出された。



 壁掛けの松明が落とす不規則な影の中を歩かされる。


壁には血飛沫ちしぶきが点々と黒い染みを作り、見慣れた城の衛兵たちが物言わぬ肉塊となって床に転がっていた。



 城内の中庭に通じる階段に差し掛かった時、廊下の奥にある一室から、微かに温かな光が漏れているのが見えた。



 光冠教こうかんきょうの神官に与えられた、祈りの部屋。



 重いオーク材の扉が、指一本分だけ開いていた。


通り過ぎるほんの数秒の間、ヴェインの視線がその隙間へと吸い込まれる。



 豪奢な金糸の法衣をまとった神官の背中が見えた。


神官は恭しく頭を下げ、革張りの椅子に深々と腰掛ける大柄な男――叔父ガレンに向かって、何かを熱心に囁いている。



(『ガレン叔父上の領地運営には、私兵を増やしすぎる危うさがあります。私はどうすべきでしょうか』)



 昨日。


他でもないあの部屋の、神聖なる告解室の暗がりの中で、ヴェイン自身が神官に向けて絞り出した声が、耳の奥で鮮明に蘇る。



 神官の分厚い唇が動き、ガレンの顔に満足げな歪みが走る。


叔父の手には、皮肉なほどに輝く数枚の金貨が握られていた。



(ああ)



 ヴェインの歩みが、ほんの一瞬だけ鈍る。



 胸の奥底。


幼い頃から両手で大切に守り続けてきた、目に見えない祭壇のようなものが、音を立てて崩れ落ちていく感覚があった。



 神は、人間の罪をゆるさない。


迷える者を導きもしない。



 光冠神アウレウスの威光も、慈悲深い祈りも、数枚の金貨と暴力の前ではただの装飾品に過ぎない。


この世界にあるのは、冷え切った石の壁と、他者の血をすすってでも生き残ろうとする人間の剥き出しの欲だけだ。



 粉々に砕け散った信仰の残骸が、肺の中を冷たい灰となって満たしていく。



 兵士の腕がヴェインの背中を荒々しく小突いた。



 夜の中庭へと放り出される。


舞い散る雪が容赦なく体温を奪っていく中、ヴェインは一度だけ振り返り、すでに遠くなった神官室の灯りを、底なし沼のように暗い目で見つめていた。



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