第四幕:本当の飼い主
やあ、君。僕はホームズだ。そして、ホームズを愛するシャーロキアンの一人だ。
なのにーーシャーロック・ホームズと名乗っている。
第三幕では、犬探しを半ば強制的に僕らは押しつけられた。
僕らはハウスメイドのメイベル・アダムズによって、追い払われた。
僕らは仕方ないから、ベーカー街の街道を北へと上り、リージェンツ・パークへと行った。
ここは、
1910年のリージェンツ・パーク。
19世紀初頭の都市計画の名残をとどめる歴史的な王立公園だ。
貴族や富裕層の邸宅に囲まれながらも、徐々に一般市民に開放された。
僕らのような、ある意味”ヒマな連中”も恩恵にあやかれた。
ロンドンの緑豊かな社交場さ。
もしかしたら、犬もいるかもしれない。ーー食われてなきゃいいけど。
僕らは噴水の前の、木製のベンチに腰掛けた。
ワトソンが僕に質問を投げかけた。
彼の手には手帳とペンが握られてた。
「ホームズ。ボクら犬探しでもしないと、マズイよ。ーーしかも白いビーグル犬。いなくなってから、もう三日も経っている。見つからない可能性もあるし、盗まれたかもーー。
ちゃんと捜査してあげる? それとも誤魔化すかい?」
「もちろん捜査はするさ。ただーー」
僕は噴水の水飛沫を眺めながら言った。
「クララ嬢の“ベーカー街にいる”という言葉が気にならないか?」
「そういえば、そうだ。彼女、どこから来たんだろう?」
「ベーカー街はマリルボーン地区の一部だ。ここは高級住宅が集まっている。金持ちの溜まり場だ。彼女は、そこから来たんだろう。」
「ーーたしかに、間違いなさそうだね。」
「それと、もうひとつ。あの子は一人で“虚実荘”に来た。
あの場所を知っていた。
つまり、犬を僕らの建物に出入りさせていた可能性が高い。
僕らが住み始めたあとで消えたと思い込んだんだろう。
ーークソガキめ。どっちに転んでも僕らを追い出すつもりだ。
犬が見つかれば、虚実荘を”犬小屋”にしてくる。あの子にとっては、それが普通だから。
見つからなければ、追い出しにかかるさ。僕らを”無能”と罵ってさ。」
ワトソンは可哀想に顔をしかめた。
「ボクは犬は苦手だよ、ホームズ。あそこを犬小屋にされたら、ソファとか取られる。」
「だろうね。犬の世話まで押しつけられる。
メイベル・アダムズひとりで充分なのに」
「どちらかと言えば、君が世話されてる。」
「僕に出された料理を見たか?
僕のだけ肉は少ないし、半分くらい食われているぜ。君のは手を出されてないようだけどな。」
「それは君が彼女を怒らせるからだよ。」
「ウソをつかなきゃいい。
夫人だって?冗談じゃないーー」
そのとき、ワトソンが突然声を上げた。
「ホームズ。犬だ」
僕は彼の視線を追った。
白いビーグルの子犬が、優雅に公園の道を歩いていた。
「よくやったじゃないか、ワトソン。
額に星がなけりゃ書き足せばいい。これで捜索は終わりだ」
僕は彼の肩を叩いた。
ワトソンは苦い顔をした。
「でも首輪がないよ……」と僕は犬を見ながら言った。
「どこで何していたか、調べる必要がある」
「じゃあ、君が捕まえてくれたら嬉しいな……」とワトソン。
「僕の記録係だろ。ーーやれよ」
再び肩を叩くと、ワトソンの顔がしわしわになった。
「せめて二人でやろうよ……」
犬はゆっくり、公園の奥へ進んでいった。
ナースマイルズ・トンネルの前で立ち止まり、匂いを嗅ぐと、そのまま中へ入っていく。
僕らも近づく。
薄暗いトンネルの奥に、誰かがしゃがんでいた。
「誰かいる……老人みたいだ」とワトソンが囁いた。
「ああ、ホームレスだな。
優しくすべきだろう。僕らの“未来の姿”かもしれない」
ワトソンは青ざめ、たぶん僕の顔も青かった。
老人はボロ帽子に白いボサボサの髪を押し込み、
右目には黒いアイパッチ。
やけに年季の入った白シャツに、シミだらけの黒いズボン。
灰色の、多ポケットの古いベスト。
彼は犬に向かって、聞いたことのない言葉で話しかけていた。
「犬を大事にしてるみたいだ」とワトソンが小声で言う。
「別の犬かもしれない。確認しよう」
ワトソンは僕を残して前に進んだ。
そして、彼もまた老人の言葉で話し始めた。
僕は、異国語の響きに微妙な不安を覚えながら、二人の会話に耳を傾けた。
しばらくしてワトソンが戻り、沈んだ顔で言った。
「ホームズ……良い知らせと悪い知らせ。
良い知らせは、あの犬はクララ嬢のロキだ。
悪い知らせは……クララ嬢が、この老人から盗んだらしい。
ロキの本当の飼い主は、彼なんだ……」
僕は、あのクソガキのケツを蹴飛ばしに、
今すぐ虚実荘へ戻りたい衝動にかられた。
(こうして、第四幕は白いビーグル犬で幕を閉じる。)




