雷撃文庫一次選考
雷撃文庫小説大賞。
それは、ライトノベル作家を目指す数千人もの人間が、受賞という栄光を目指して熾烈な戦いを繰り広げる場である。
もっとも、雷撃文庫の作家にして今回の選考をしている側であるこの俺、佐々木信二に言わせてみれば、実際のところは小説として成り立っていないものがほとんどで、勝負らしい勝負をしているのは全体の十分の一程度なのだが。
俺は一人称小説のような解説を脳内でしてみてから、己の行為の不毛さを嘆いた。こんなことをしたところで仕事の量が減るわけではない。
時刻は午前十時。
雷撃文庫の編集室の脇にある休憩所で、俺は眼鏡を押し上げた。目の前のデスクにうず高く積まれた茶封筒の山に顔をしかめる。
「佐々木さん、おはようございまーす。おー、ハンパない量ですね」
やる気の無い声と共に、だらけた格好の若者が入ってきた。パリっとしたジーンズに爽やかな水色の半袖シャツを着て、黒髪は自然に跳ねている。
――秋坂徹。俺を一次選考という地獄に引き擦り込んだ男だった。
秋坂の出で立ちは社会人として疑問を覚えるものだが、ダークスーツにネクタイを締め、眼鏡にオールバックという時代錯誤な格好をした俺もあまり人のことは言えない。
「来たか秋坂。お前な、どうして一次選考を引き受けた。これは作家がやる仕事じゃないぞ」
俺の言葉に、秋坂が真面目な表情になる。
「俺たちは小説家だ、最終選考に来る作品しか見ない――それは傲慢だと思いませんか」
秋坂のつっかかってくる言葉が、俺の心に響いた。
なるほど、と思う。確かにプロになってからというものを思い返すと、初心を忘れているかもしれない。
「というのは冗談で、まあなんとなくっス」
俺は震える拳を理性で抑える。
「たまにはいいじゃないですか。フレッシュな作品が読めますよ。三次選考はベテラン陣に任せましょうよ」
「まさかとは思うが、まともじゃないものを二次に送る気じゃないだろうな」
俺はいぶかしむような視線を秋坂に投げかけた。
「いや、さすがにその気はありませんけど」
ヘラヘラとした笑いを浮かべる秋坂。そのふぬけた笑みが、俺の気力を萎えさせた。
「ま、始めますか」
そういって秋坂は、ソファーに腰掛けると適当な封筒を掴んで原稿を読み始めた。俺もそれにならう。
俺と秋坂は同じ回の雷撃大賞で共に受賞したという縁があった。
今は二十五のおっさんである俺も、当時はまだ二十歳になったばかりだった。秋坂は大賞で、俺は佳作。まあ、それはいい。
問題なのは、俺が緊張しながら雷撃大賞の表彰式に行ったとき、雷撃文庫のベテラン陣と知った顔で喋っていた秋坂は当時まだ十五の中学生だったということだ。
その時から何かと気に食わない奴ではあるが、実力は本物であり、ライトノベル界でもトップクラスの作家だ。
「くらえダークフレア! この世界は私のパンデモニウムとなるのだ! ハハッハハハッハハハ!」
目の前で大笑いしながら原稿をめくる秋坂を見て、俺は深いため息をついた。
締まりのない風貌は中学生の頃と全く変わっていない。締め切りは常にギリギリで、一日か二日オーバーすることもある。わざわざ雷撃の本社にやってきたのにも関わらず、原稿を提出するのを忘れてそのまま帰ったことが三回。
しかも印税の九割以上を慈善事業に募金したせいで貧窮しているという筋金入りの馬鹿だ。つられたのか張り合ったのか同じことをした俺も馬鹿だが。
「そうだ佐々木さん、今回は俺締め切り守れそうですよ」
「それが普通なんだよ」
秋坂の言葉に頭痛を覚えながらも、俺は原稿をめくっていった。
四本目の缶コーヒーが切れたとき、すでに三時間が経過していた。
俺は缶コーヒーを潰してやろうと左手に力を込めるが、スチール缶はびくともしない。
フレッシュな作品が揃ってて面白いですよと秋坂はいっていたが、いかんせん青過ぎる。苦いだけの「フレッシュ」さに、俺は早くも食傷気味になっていた。
「とある山鳩の政権奪取」
「駄目だ」
「ゲイおん!」
「駄目だ」
俺は読んでいた原稿から目を外すと、秋坂を睨み付ける。
「ふざけたタイトルはその時点で落とせ! 次やったら永久追放だと評価シートに書いておけ!」
「そんな殺生な」
「俺の渾名を忘れたか」
雷撃文庫で初めて選考に携わったとき、俺にはある渾名がついた。「タイトルキラー」だ。
糞みたいなタイトルはその時点で叩き落すという、傍から見れば異常とも取られかねない行動。しかし実際のところそんな馬鹿な真似ができるわけもなく、脇に避けた作品にも後できちんと目を通している。ただし、俺が「臭い」と思ったタイトルは、百パーセント中身も腐っていた。
「でも佐々木さんの改題前のタイトルも酷かったじゃないで――」
「いいか、改題前など無い。分かったか?」
俺は秋坂の言葉を遮る。俺のデビュー作のタイトルは『君と僕とこの部屋で』だ。『少女監獄』などではない。断じてない。
俺はタイトルの良さそうな物を探す。……あった、タイトルの響きは中々だ。俺は秋坂の方を向いて、
「ほら、例えばこれだ。『半熟果実収穫祭』。悪くない響きだと思わないか?」
そういってからアダルトビデオのようなタイトルだと思い直すが、一度言ってしまった以上は読むべきだろう。
「……うーん、どうでしょうねえ」
秋坂の半端な返事を傍目に、俺はあらすじを飛ばして本文を読み始める。
初っ端からライトノベル向けではない性描写。それも、男と男の、濃密な、ネチョネチョとした――
机に原稿を叩きつける俺の視界に映ったのは、ニヤけ顔で俺を見ている秋坂だった。
「半熟なんとかって言うボーイズラブが混ざってたから注意したほうがいいですよ」
自分で読んだのにもう一度山の中に戻しやがったのか。俺が射殺すように睨み付けると、秋坂は一瞬にして視線を逸らした。
頭にくるのは、俺が一作品を読む間に、秋坂は三作品は読んでいるという事実だ。自分の三倍の仕事をしているとなると、仕事の邪魔をされていても文句が付けにくい。
W大に一浪で受かった俺と、T大に現役で受かった秋坂にある差だろうか――そんなくだらないことを考えながら、原稿をめくる手を速めていく。
更に三時間が経過したあと、俺はもう編集室の窓をぶち破って身投げしたい気分だった。
秋坂が目をつける作品はネジが外れた奇抜な面白さを持ったものが多いのだが、俺が引く作品はどれも文章力や構成力が足りないただの駄作ばかりだった。
だが、予選通過した小説を入れるダンボール箱には通過作品も溜まっていた。一次選考は、小説として成り立っていれば基本的に通るのだ。
実のところ、俺たちには特殊な権限が与えられている。一押しの作品があれば、それを一次選考を飛ばして二次選考や三次選考の場にそのまま持っていくことができた。未だに俺の眼鏡に適う作品がないので無意味な権限だが。
コーヒーを飲もうと手を伸ばしたら、机にバラ撒かれた封筒に指が触れた。うんざりしながらそのうちの一つを引いて、大して期待もせずに読み始めた。他の作品に比べると薄めの作品で、原稿用紙百五十枚分ぐらいだろうか。
最初の数ページで投げ捨て――られなかった。
「……これは…………」
勿論、四年も選考をやっていれば、開いた瞬間に他の作品とは比べ物にならない物に出会うこともある。
だがこの衝撃はそれとは比較にならないほど大きかった。過去に一度、何処かで感じたことがある気がするが、思い出せない。
体中の疲れが吹き飛んでいくのが手に取るように分かる。俺はコーヒーを飲もうとしていたことなど完全に忘れて、原稿を読み始めた。
「佐々木さん」
俺は秋坂の声を無視して、貪る様にその原稿に目を走らせた。
読み終わった俺は、しばらく放心状態で天井の蛍光灯を見上げていた。トイレに行っているのか、秋坂の姿は無い。
俺は思い出したようにコーヒーに手を伸ばすと、乾ききった喉を潤す。
時計を見れば、読み始めてから既に三十分が経過していた。もう一度読み直したいと原稿に伸びそうになる手を自制する。
このレベルのモノを俺は書けるだろうか――そう自分に問いかける。
答えはノーだった。幻想的な風景は、理詰めのミステリーが得意な俺には絶対に書けないだろう。読めば読むほど作品の世界に引き込まれていく感覚は魔術的とすら言って良かった。奇抜ながら納得の行く世界観。しかし王道の安定感がオリジナリティとの調和をみせている。重厚なストーリーとキャラ設定は、味方だけでなく、敵やサブキャラにまで容易に感情移入が出来る環境を創り出していた。
俺は手の震えを抑えながら、作者の賞の応募暦を確認する。
――無い。賞の応募暦自体、書かれていない。
「……嘘だろ」
用紙を確認するが、そもそもあらすじや応募歴が書かれている紙が同封されていない。
俺は焦った。応募要項を守っていない作品は落とすのがルールとはいえ、この作品を落としていいのだろうか?
否、断じて否。
「おい……秋坂」
トイレ帰りらしい秋坂に声をかける。
「何ですか?」
「……こいつは大賞だ。絶対に。……いや、俺が大賞を取らせる、と言ってもいい」
これがもし二次、三次と選考が続く中で落とされでもした日には、俺は雷撃の下読み連中の頭を疑うだろう。
俺の頭の中に妄想が広がっていく。授賞式でこの作者と出会えるのかと思うと心が躍った。自分など簡単に越えられてしまうだろうが、そんなことは構わない。
この作者ならば、自分の目の前に座るライトノベル界のトップスターに並ぶかもしれない。五年間で二千万部の記録にすら打ち勝てる気がした。顔が自然とにやけていくのが分かる。
「ああ、それ俺の原稿です」
お前のかよ。
ライトニングシューターは長すぎるという読者の方にも楽しんで頂けたら幸いです。
……その足でライトニングシューターも読んでみませんか。