多治見
清延が京都を立ち、岡崎城までの道のりに未だに迷う事が多々あり、直ぐにはつけなかった。
熱田神宮へ先ずは詣でて、それからその迷いが強くなり、父が支えていた小笠原家の様子を見たくなった、
小笠原家は無念な事に武田との戦いに敗れて散り散りになった。
その後怪我をして戦えない父は商人になり、京都で呉服屋を開いたのだ。
その主君の小笠原家に清延の幼い時からの友人がいた
その喜三郎は、主君の息子であったが、年も同じで、共に武道を習い清延にはかけがえのない友の一人だったのだ。
「喜三郎殿に会いたいなぁ」
清延が、清洲城下を抜けて、天竜川を見つめて呟く
この川を登って行けば木曽、そしてそこからならば、何とか小笠原家の懐かしい土地まで行ける
そんな思いが強かった
しかし、今は武田信玄がこの地を全て支配していた
上杉との戦いの間に、信玄は海を目指して、木曽、今川と攻めるつもりだと確信していた。
そして今まさに甲斐国は大きな国になっていた。
信玄の父親信虎が支配していた時よりずっと大きく
清延は大きなため息を吐いた
「やはり、武田信玄の足元にひとりで乗り込んで、父上の仇として無惨に終わっても仕方あるまい」
その時、師匠の言葉が脳裏に浮かぶ
「そうだ、この辺りは美濃焼」
師匠に茶碗をひとつで士官の話を聞いた時、殿様は茶碗が好きな方かもと思い出した。
清洲の信長様は、美濃焼等多くの茶碗を集めておられた事を思い出し、美濃焼を見ていこうと思った。
この辺りで美濃焼と考えた
「まぁ、多治見、、、かなぁ」
大昔から美濃焼と言えば、この地で作られた。
焼き物では多治見が良いとその地へ向かった。