表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

多治見

清延が京都を立ち、岡崎城までの道のりに未だに迷う事が多々あり、直ぐにはつけなかった。


熱田神宮へ先ずは詣でて、それからその迷いが強くなり、父が支えていた小笠原家の様子を見たくなった、


小笠原家は無念な事に武田との戦いに敗れて散り散りになった。

その後怪我をして戦えない父は商人になり、京都で呉服屋を開いたのだ。


その主君の小笠原家に清延の幼い時からの友人がいた


その喜三郎は、主君の息子であったが、年も同じで、共に武道を習い清延にはかけがえのない友の一人だったのだ。


「喜三郎殿に会いたいなぁ」


清延が、清洲城下を抜けて、天竜川を見つめて呟く


この川を登って行けば木曽、そしてそこからならば、何とか小笠原家の懐かしい土地まで行ける


そんな思いが強かった

しかし、今は武田信玄がこの地を全て支配していた


上杉との戦いの間に、信玄は海を目指して、木曽、今川と攻めるつもりだと確信していた。


そして今まさに甲斐国は大きな国になっていた。

信玄の父親信虎が支配していた時よりずっと大きく


清延は大きなため息を吐いた


「やはり、武田信玄の足元にひとりで乗り込んで、父上の仇として無惨に終わっても仕方あるまい」


その時、師匠の言葉が脳裏に浮かぶ


「そうだ、この辺りは美濃焼」


師匠に茶碗をひとつで士官の話を聞いた時、殿様は茶碗が好きな方かもと思い出した。

清洲の信長様は、美濃焼等多くの茶碗を集めておられた事を思い出し、美濃焼を見ていこうと思った。


この辺りで美濃焼と考えた


「まぁ、多治見、、、かなぁ」


大昔から美濃焼と言えば、この地で作られた。

焼き物では多治見が良いとその地へ向かった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ