14 魔宝石のブレスレット
夜会着に着飾ったシュバルツィア公爵が背後に現れ、振り返った私と視線が重なる。
頭のてっぺんから足のつま先に至るまで、黒色が取り入れられた彼の装いは、何度見ても独特の雰囲気を醸し出していた。
「お前――」
同じく私の姿を確認したシュバルツィア公爵は、ほんのりと目を見開いた。
ピタリとその場で立ち止まり、なにか言いかけていたけれど、それより先に私のほうが興奮気味に話しかけていた。
「うっ……わ……公爵様、すごく素敵です! 男の人に妖艶と言っていいのかわかりませんが、とにかく色っぽい! とてもお似合いです!」
それぐらい彼の姿は魅力的に見えた。言うなれば絶景を目にしたときの感動に似ている。
最初の服装も公爵家当主の威厳に溢れるものだったけれど、夜会仕様の華々しさが追加されたことにより全体的に洗練されて気品が増したように感じた。
ジア帝国の実家で異母妹がドレスの試着をするたび、お付の侍女やメイドたちが歓喜の声を上げている場面に出くわすことがあった。
おそらく彼女たちもこういう気持ちだったに違いないと今さらながら共感する。
(美形が惜しみなく着飾ると、思わず拍手を贈りたいぐらいの出来栄えになるのね。緊張とはまた違うけれどつい圧倒されてしまうわ)
とはいえ思うままに大絶賛してしまって品がなかったかしら、と心配になった。気のせいでなければ若干引かれているような。
そんな私の懸念をよそに、驚いた様子で佇んでいたシュバルツィア公爵は、やがて我に返ると小さく吹き出した。
「……はははっ。賛美や賞賛は聞き飽きていたつもりだが、面と向かって"色っぽい"と言われたのは初めての経験だな」
それから噛み締めるように笑声を呑み込むと、微笑を称えて唇の端をにやりと吊り上げた。彼の左耳から垂れたピアスも愉快げに揺れている。
「お褒めに預かり光栄だ」
すると、流れるような動作で右手をするりと掬い取られる。
その手の熱を感じながら彼の動きを目で追っていた私は、手首に取り付けられたブレスレットに気がつく。
「これは……?」
「シュバルツィア領地で採掘される魔宝石を使って職人が手がけた装飾品だ」
少し紫がかった純黒の宝石は、彼の瞳の色と似ている。
落ち着いた深い色合い。それでいて見る者の感性に揺さぶりかけるような、神秘的な輝きを宿している。
「……綺麗ですね。え、もしかしてこれを私に?」
「これから夜会で好奇の目に晒されるだろうお前に、せめてもの贈物だ。ちょっとしたお守りとでも思えばいい」
それを聞いて私は心底不思議で堪らなかった。
(おかしな人ね。私はレグシーナ教団からやってきた人間で、しかも聖女なんて嘘っぱちの、彼からすれば立派な欺瞞者なのに。こんなに綺麗なお守りを用意しているなんて)
しばらくの間、自分の妻にならないかと突拍子もない提案をしたのはシュバルツィア公爵本人だ。
手付金の件や、なによりも混乱を避けたいという理由から私をそばに置く決定を下したのだろうけれど、贈り物というさり気ない厚意を前にいろいろと考えてしまう。
「気に入らないか?」
「そんなことはありません。ただ、その……仮初の妻に関してこちらに拒否権はないとおっしゃっていましたし、そんな私にお守りをくださるなんて律儀な方だなぁと思いまして」
「もっと非情に徹してボロ雑巾のようにこき使われるほうがいいと?」
素直な疑問を口にすると、シュバルツィア公爵は手すりに肘を置き、凭れるような体勢を取って尋ねてくる。その顔はなんだか愉快げだ。
「ボロ雑巾は嫌ですけど、そうですね……普通はもっと義務的にというか、しっかり線引きされるものかと」
正直こうもあっさり友好的な態度を取られると、彼の真意というか、腹のうちが全く読めなくて戸惑う。
つい数分前にゼイン様から拒絶の言葉を浴びた影響で、より彼の振る舞いが異色に見えているのかもしれないけれど。
するとシュバルツィア公爵は、ふうんと考える素振りを見せたあとで、柔らかく口を曲げた。
「相手によって必要とあれば慈悲を無くすのは容易だが、お前にそれは得策じゃない。というより無意味だ」
「と言いますと?」
「俺は今日初めてお前に会ったばかりだが、その聖女信者らしからぬ性格には一目を置いている。そしてバカ正直に思ったことを口から出すところといい、巧妙に駆け引きを仕掛けたところでむしろこっちが食われかねない」
「一応確認なのですが、それ私に言っても大丈夫ですか??」
彼の本心が読めないと構えていたところに、予想の斜め上をいく思い切った話をされて困惑した。
しかしシュバルツィア公爵は至って平然、あっけらかんとしている。
そして、紫がかった黒い瞳が細められ、挑発するように私を見据えた。
「お前がこれから俺の妻として振る舞う以上は、こっちもある程度の考えは事前に伝えておくべきだ。俺は自分が言える範囲の話をしている。――それはアシュリー・ダフネル、お前もだろ?」
「…………」
その言い方はまるで、「お前も肝心なところまでは話していないだろう?」と遠回しに問われているようだった。
(ううん、違う)
まるで、じゃなくて。おそらく彼は確信を得て言った。私が何かしらの隠し事をしていると勘づいているのだわ。
そして私の生家名を出すことで、それをわかりやすく示唆し、さり気ない牽制に繋げている気がしてならない。
(……無理もないわ)
シュバルツィア公爵と精霊の加護の話になった際、自分の言動はあまりにも不審で怪しかった。
ゼイン様の登場で会話は中断されたけれど、私の衝動的な発言で彼の疑念を深めてしまったことは想像にたやすい。
それでも私が誤魔化したことで簡単に聞き出せるものではないと悟ったからなのか、この場でシュバルツィア公爵は肩を竦めるだけだった。
「当座の目標は、千年祭を無事に締めくくることだ。それに伴い特にこの半年の間は無用な混乱を避け、各諸侯にお前の素性が露呈しないよう注意を払う必要がある。妻を装うと同時にそれに気をつけてくれさえすれば、お前には快適な環境を用意すると約束しよう」
「大結晶の修復は……」
「俺がなんとかするから気にするな。まあ気にしたところで、魔力の気配も極薄なお前にはどうもできないだろうが」
シュバルツィア公爵は軽く笑った。その言葉にこちらを馬鹿にする意図は全くなく、あくまでありのままの事実を述べていた。
微々たる神聖力しか持ち合わせていないことは言うまでもなく、加えて彼は、私の発する魔力の気配の程度を見極めてそう判断している。
でも、私の魔菅がずたぼろに損傷していることまでは察知していなさそうだった。原因については私も断定できていないので、詮索されることもないだろうとひとまず安堵する。
「……ブレスレット、ありがとうございます。遅ばせながら、これからよろしくお願いいたします」
手首のブレスレットに触れながら、隣に立つ彼を見上げた。
とにもかくにも、私はしばらくの期間は彼のそばを離れられそうにない。私が千年前に残した結晶空間……大結晶のことも気になるし。
「よろしく、妻殿」
お守りとして贈られた魔宝石のブレスレットが、まるでこれからの二人の関係を表す証明、利害と妥協点の末に締結された契約の印のようにも思えた。