13 前途多難
「……失礼ですが、さっさと歩いてくれませんか」
「も、申し訳ありません。慣れない靴なので手間取ってしまって」
今宵開かれる夜会に参加するため、私は通された衣装部屋兼化粧室で身支度を済ませた。その後、足腰をぷるぷると震わせながらなんとか案内役のゼイン様の後ろをついて歩いていた。
彼の兄であるシュバルツィア公爵の指示とはいえ、私を快く思っていないことが丸わかりのゼイン様からは常に冷ややかな空気を感じる。
(これだけあからさまな態度をされると逆に清々しいとさえ思えてくるけど)
とはいえここまでヒールの高い靴を履いたことがない私にとって、ゼイン様の歩行速度は困りものだわ。気を抜くと盛大に転んじゃいそう。
そう考えた矢先、つま先がドレスの裾に引っかかった。
「わっ、わ」
あわや転倒しそうになる。すぐ横にあった手すりを掴んで事なきを得たが、私の前を歩くゼイン様は怪訝な顔をして振り返った。
「その、お、お構いなく〜……」
「はああ……」
完全よそ行きの笑顔を浮かべた私に、ゼイン様はこちらもびっくりの大きなため息を吐く。もはや隠す気のない面倒くさそうな表情に加え、心底煩わしいと言いたげである。
(ここまでくると、もうわざとよね)
あえて礼儀を欠いた振る舞いをすることで、ゼイン様は私の出方を窺っているのだろうか。
(正直、蔑みは痛くも痒くもないのだけれど)
私がジア帝国から来た聖女であるという認識の上でされる否定的な態度にいちいち落ち込んだりはしない。
けれど、なにも感じないわけではないわ。
各々の事情は理解しているつもりだし、過剰に疎まれることも仕方がないのだと理解していた。
だからこそ理性的に済ませようと努める反面、「それにしてもちょっとその態度はどうなのかしら?」とも考えてしまう自分がいる。
(でもここで言及してもしょうがないわよね)
しばらく様子見でいこうとしていた手前、変に目立って騒ぎになるのも避けたい。
それに歩くのが遅すぎた自分にも非はあるので、ここは素直に謝ることにした。
「申し訳ございません。私が愚鈍なばかりにゼイン様の貴重なお時間をさらに割いてしまって」
「…………」
私の言葉を聞いた途端、ゼイン様の表情がなぜか強ばった。
「下手に出て油断を誘う作戦ですか」
「え」
「僕は認めない」
「あの、ゼイン様?」
思わず聞き返すと、彼はより声を張上げて言い放った。
「僕はあなたを兄さんの妻とは、義姉上とは絶対に認めない!!」
「義、姉……?」
一瞬、何の話をしているのかという疑問が浮かぶ。
けれどすぐに合点がいった。
「あ、そっか。一応私はゼイン様の義姉という立場になるのですね。すっかり頭から抜けていました。なるほど、弟……弟ですか。実家には兄と妹だけでしたので、弟という響きはなんだか新鮮ですね!」
あくまでシュバルツィア公爵の弟という認識だったゼイン様が、形式上は義理の弟になるのだとわかり今までになかった興味が湧いてくる。
しかしそんな呑気な感想を言った私に、彼はさらなる一喝を入れた。
「いやだから、認めないと言っているじゃないか!」
「ああ、そういうお話でしたね。失礼しました、つい」
それからじっとゼイン様の様子を窺えば、なぜか固く身構えられる。
「兄さ――いえ、我が家門の当主があなたを妻に迎えたからと言って馴れ合う気はありません。魔女様を冒涜するレグシーナ教団の者と分かり合える気もしないですから」
またこの類の話かと思いつつも、言葉にしなければ私の考えは相手に伝わらない。
その機会がある限り、向き合う努力を怠るつもりはなかった。
「ゼイン様、ほかの方にも何度か言いましたが、私は魔女を冒涜するつもりはありません。信仰を否定する気もないんです」
すると、ゼイン様の瞳がほのかに開かれる。が、すぐに鋭い眼差しに変えた。
「……口ではなんとでも言える。以前にも、そういった妄言を吐いてこちらの資源をかすめ取ろうとするジア帝国の商人らがいました。企みを暴かれると絵踏という下劣極まりない行為にまで及んだ最低の連中です」
それは確かに酷い話だわ。彼らの信仰対象を踏み絵にするなんて冒涜以外のなにものでもないのに。
ただ、これだけは伝えたくて私はそっと口を開いた。
「私は、その商人たちではありませんよ」
「そんなのは重々承知しています! 僕が言いたいのは――」
「ですからどうか、そのように怯えないでください」
「……は?」
ゼイン様は意表を突かれたように目を瞠った。
「あ、あなたは何を言って。僕は怯えてなんかっ」
「……では、私の勘違いですね」
たじろいだゼイン様にそれ以上の追求はせず、私はあっさりと意見を取り下げる。
けれど今の反応を見て、私が持っていた違和感は確信に変わっていた。
ゼイン様からは単純な軽蔑のほかに、密かな畏怖が隠れているということに。
(初めはこれまでの経験から私に対して不安や危機感を持っているのだろうと思っていたけれど。それだけじゃないというか。あ、もしかして)
「ゼイン様はお兄様のことを……公爵様の身を案じていらっしゃるのですね」
「……!!」
言い終えた途端、ゼイン様の頬が真っ赤に染まった。シュバルツィア公爵に似て整った顔立ちが、表情も相まってさらに幼くなる。
彼は急いで自分の腕で顔を隠していた。図星、ということなのかしら。でもどうしてここまで恥ずかしがっているのだろう。
家族を心配するのはなにも恥ずかしいことじゃない。心配するがゆえに、危害が加えられるのではないかと不安や恐れを抱くのは当然だ。
そこまで考えたところで、彼にどう声をかけるべきか迷う。
(なんだか何を言っても逆効果な気もするし)
おそらく今のゼイン様は、警戒相手に図星を突かれたことや、それを表情に出してしまったことで気が動転している。ここで私がどんなに言葉を尽くしても、結局は一刀両断されそうな雰囲気だ。
(弟として兄を心配する姿勢は単純に微笑ましいのだけれど、世情を考えるとそうも言っていられないのが難儀よね)
ああ、なんだか……ちょっと面倒くさい、かも。ゼイン様がではなく、この世界の状況が。
私が一瞬だけ、そう思ってしまったところで。
「ぼ、僕は失礼させていただきます! もうじきここに兄さんが来ますので、あなたは待機していてください!!」
とんでもない声量で告げたゼイン様は、私から背を向けると逃げるように走り去ってしまった。
(私を一人にしてしまっても問題ないわけ……?)
自分で言うのもあれだけど、私って警戒対象の聖女よね。それだけ動揺していたってことなのかしら。
呆気にとられていると、近くのバルコニーから「クエッ」と鳴き声が聞こえた。
視線を向けると、バルコニーを囲った手すり部分に一羽の黒い鳥が留まっている。
「あなたは……公爵様の伝書鳥の…………そういえば、名前はなにかしら?」
「クエッ」
バルコニーに入って伝書鳥の近くに寄ると、つぶらな瞳をぱちぱちと動かして私をじっと見つめてきた。あら可愛い。
「とりあえず、クロちゃんって呼ぼうかしら」
「クエッ、クエッ」
クロちゃんはご機嫌に羽をバサバサと動かしながら私の差し出した手に擦り寄ってくる。
愛らしい様子に癒されていると、ふと口からため息がこぼれた。
「……前途多難ね」
「クエッ?」
「何かあったようだな」
クロちゃんの鳴き声と重なるように背後から声がした。
振り向くと、夜会の正装服に着替えたシュバルツィア公爵が立っていた。