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運良く、今回光源理央が選んだ場所は古本修復室からそんなに遠くなかった。今の彼女たちにとって、それが唯一の希望だった。
二人は身をかがめて、本棚の間を素早く移動してる。背後では蔓が暴れまわる音が、影のようにピッタリついてくる——あの暗紅色のツルたちは、植物学の常識をぶち壊す速さでどんどん膨らんでいって、本棚をギシギシときしませながら押し潰していく。
一歩走るたびに、あの命取りのツタがすぐ後ろまで迫ってきて、二人を飲み込みそうな気がする。
古本修復室の分厚いドアが、もう目と鼻の先。なのに、そのほんのわずかな距離が、まるで山も海も越えなければならないみたいに遠く感じる。
「左っ!!」
夜桜和昭の叫び声が裏返った。
ツタのトゲが理央の耳元をかすめたかと思うと、髪留めのリボンをぶった切った。黒い長髪が広がった瞬間、二人は同時に5メートル先のあのドアが見えた——あの外部からの飛来虫を防ぐドアが今、救いの光みたいに淡く光って見えた。
「やっぱり体学部を選ばなかったのは正解だった」とついさっき言ったかと思えば、今度は「もう少し身体能力が高ければいいのに」と願うなんて。このブーメランは信じられないほど自分に返ってきて……
スビート早すぎるだろう。
理央はそのまま考えつつ、持てる力を全部振り絞って、和昭と一緒にその重たい扉を押し開けている——マジで毎日図書館と教室で論文ばっか書いてたの、超後悔。運動って、めちゃくちゃ大事だね。
だけどその瞬間だった。
太いツルが稲妻みたいなスピードで横から飛んできて、狙いは——和昭の足首!
「和昭っ!ドア押して!!」
理央は反射的に、和昭の位置を自分と入れ替えて、そのまま手にしていた万年筆を振りかぶり、ツル目がけて全力で突き刺した!
「ズシャッ!!」
暗緑色の液体が、古本修復室の恒温ガラスに飛び散る。ツルは……まるで赤ん坊みたいな、気味悪い泣き声を上げた。ペン先が突き刺さったところで、まさかのツルの動きが一瞬止まった。
暗緑色の液体が古本修復室のドアにまみれ、つるが赤ちゃんの泣き声みたいな奇妙な声を上げた。鋭いペン先がつるに刺さった途端、ちょっと信じらんないけど、その動きが奇跡的に一時鈍くなってきた。
「開いた!!」
和昭は勢い余って床に倒れ込んだ。理央の叫びが喉の奥で詰まったまま、冷たい蔦が彼女の足首をガッチリ絡め取っていた——!
「早く……入って!」
和昭が急に振り返って、理央の腕をがっちり掴み、爪が肉に食い込むほどに力を入れた。
「無理……」
「しゃがんで!」和昭が膝をついて、さっと古本を掴んで投げた。
古本が理央のすねをかすめて蔦に当たる。火傷したように蔦が縮むと、理央はよろめいて前のめりに。二人が古本修復室へ転がり込んだ瞬間、扉を閉めた背後の方から異様な音——骨の軋むようなかすかな引っ掻き音が響いた。
「入ってこないで!」
髪を乱した和昭が震える扉に全身で押し合いをしながら、理央は冷や汗で濡れた襟元をぐいっと引っ張り、最も近い本棚にしがみついた。
ドンッ!!
高さ2メートルの本棚がドサッと倒れると、古本が雪のように舞い上がった。黄色い紙はカビの臭いに伴って、空中で爆発したように散らばった。
誰も動けない。
いや、動こうとも思えない。
喉が渇いても、唾を飲み込む音すら出せなかった。今、ほんのわずかな物音が命を脅かす恐れがあるからだ。
最初はガンガンと心臓が張り裂けそうなほどの激しい音が続いた。だけど、だんだんと……そのリズムが鈍くなり、ついには——
シン……と、やがて、長い沈黙が訪れる。
でもこの静けさは、さっきの物音よりもずっと不気味に増している。
「……やつら、弱いとこを探してる。」理央が紙に落ちた埃みたいな小さい声で、ぽつりと呟いた。
誰も、軽はずみに動けなかった。
外の「それ」らは、本当に去ったのか?それともただ、こちらの油断を狙って、近くに身を潜めているだけなのか?
夜桜和昭は唇を噛みしめ、指尖がまだ袖口をしっかり握りしめていた。長い間が経ってから、彼女はそっと、まるでこの世界がまだ安全かどうかを確かめるように口を開いた——
「私たち……もう一つの本棚を、曳き寄せないかしら?」
彼女の視線は、ドアの隙間に向いていた。いつの間にか、そこに針の先ほどの小さな穴が開いている。この大きさじゃツルは通れないだろうけど、念のため、補強しておくに越したことはない。
「賛成。」
理央はすぐに頷いて、ふたりで隣の本棚をズズズッと引っ張り始めた——
そのときだった。
本棚が動いた瞬間、電灯の光が暗がりの隅っこに差し込んだ。
見ると、片隅に黒髪のツインテールの女の子が座っていて、片手には分厚い《植物行動予測モデル》の手稿をしっかりと抱え、もう片手はスプーンを持って、ケーキをのんびりと口に運んでいて、もぐもぐ食べている。
まるで、外のあの阿鼻叫喚の混乱なんて存在しなかったかのように。
「……」
「……」
光源理央と夜桜和昭は目を丸くして、あごが落ちそうになるほど驚いて、お互いに見て、信じられない目で見つめ合った。
え?なにこの状況?ここ?人?いる?
そして誰???
「き、君は……誰?」
光源理央が先に沈黙を破った。
黒髪のツインテールの少女はケーキを飲み込むと、やっと《植物行動予測モデル》の手稿から目を離した。
そして——
「わああ!?私!?え本当?弥往終だ!とはいえ君らは誰!?てかなんでいきなり入ってくるの!?誰も来ないと思ってたのに、やばいやばいやばいやばいやばい!!!」
その声は驚きには満ちていたが、なぜか「天気がいいから散歩しましょう」とか、「DLCそろそろ出るかな」とか、「今週の部活は休み」とか、そんなレベルの平和な関心と同じテンションだった。ついさっきまでの出来事、いや、命の危機は、突然今日「政治の高校上昇受験」があることを知った時よりもずっとドキドキするほどなのに、まったく影響を受けてないみたいだ。
それに、厳密に言えばこの出来事はまだ進行中なんだけど、彼女はそのことに気づいてないみたいで、まるで全大学にとっての命の危機はないようだ。
和昭は眉をしかめ、焦りと諦めの気持ちを混ぜながら穏やかな声で言った。