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「うん!」
その言葉を聞いて、和昭は苦悩の表情に変わった。
「それだけじゃない。今年は線形代数もあるし、私って文系だよね?そもそも数学を避けるために文系選んだのに、なんで今さら確率論やらされるの!? 今、文系の私たちに確率論を学ばせるなんて、完全にいじめじゃない?来学期、絶対に大変だよ。図書館、きっと私たちの第二のドーミトリーになっちゃうよ。……確率論の公式とか概念とか、見るだけで頭痛くなるのに、それを全部暗記しろとか、試験とか、どう考えても詰んでる。」
「まあまあ、落ち着けって。なんとかなるさ。和昭は前に言ってたじゃん?文学部の数学って実は——」
「は?なんか言ってたっけ?理央、ちょっと思い出させてくれよ。」
「――『愛の計算』……って、えぇ!? まさか本気で忘れたの!? わざわざちゃんと検証までしたのに! たとえばベイズの定理を使って告白の成功率を計算するとか、マルコフ連鎖で三行詩を書くとか、意外といけそうじゃん?」
「……理央、完全にそっちに引っ張られてるし。」和昭は思わず頭を抱え、「それ、ただの『誤論フォーラム』のノリで出た冗談だよ。なんで数学の知識と文学をそんな無理やり結びつけようとするのよ……」
理央はオレンジ色の瞳をパチパチさせながら、無邪気に首をかしげた。
「でもさ、こうして見ると、ある意味面白くない? それに、もしかしたら退屈な学問も楽しくなるかもしれないし。こういうアイデアを勉強に取り入れたら、公式とか概念とか覚えやすくなるかも? 特に確率論。」
「……うーん、理央の言うこと、一理あるかも。文学部の学生って、確率論とか苦手な人多いし。マルコフ連鎖を使った三行詩とか、本当に書けたら文学部でちょっとした話題になるかもね。」
「まあ、言いたいことはわかるけど、まず試験に受からなきゃでしょ。こういう面白いアイデアはあくまで補助で、本業はちゃんと教科書と問題集を解くこと。……和昭が今日図書館に来たのも、どうせスマホいじるためじゃないでしょ?」
「そ、そうだった! 危うく本題を忘れるところだった! でもさ、この範囲、めっちゃ難しくて全然わかんないんだよ……」
「予習か?」
「うん。あと復習も。ほら、これ見て。」
「えーと……面積分?ああ、これか。ちょっとは覚えてる。和昭は先に本を読んでて。私はもう少しだけ式の導出をやってみる。どうしてもダメだったら教えてあげるよ。」
「えっ、ホントに?」
「とは言っても、正直私もここ全然自信ないんだよなぁ……ちゃんと理解できてる気がしないし。」
「理央がそう言うなら、余計に不安になるんだけど!? 」
図書館の窓から射し込む光に、蔦の影が揺れる。
「でも和昭なら、勉強の方向変えても大したことないでしょ?すぐに慣れると思うけど。」
「慣れるかどうかはともかく……さっきやっと気持ち落ち着けたつもりだったけど、やっぱり冷静に考えておかしいよなぁ。大学数学なんて文学部と全然関係ないのに、なんで必修になってるんだ?本当にわからないよ。」
「たぶん学校は、私たちに総合的な思考力を身につけさせたいんだろう。何でも幅広く学べってこと。でも純粋に文学を研究したい人にはちょっときついよね。例えば私たちもPythonの授業あるし、宿題も期末試験も普通の教室で筆記試験だよ。しかも持ち込み不可なんだ。」
「普通の教室って……えっ、まさかパソコン教室じゃなく?」
「そう。この万年筆とこの手でプログラムを書く。笑えるだろ?実際に動かしてエラーを直すこともできないんだぜ?まあ基本的な内容だけだったから、なんとか合格した。」
「それならまだマシかもよ。聞いた話だと、このあと私たち、AIの発展史について、古文で記述する持ち込み不可筆記試験があるんだって。しかも最後には、古文でAIの歴史に関する論文まで書けって……いくらなんでも、学問の垣根を越えすぎじゃない?」
「古文でAIの発展史!? いや、それもう鑑真に微積分解かせるレベルだろ!?ほんとに書けるのかよ?」
「さあな。こんな調子じゃ、そのうち、緑科学部の人たちに、『数学の公式だけで恋愛小説を書く』みたいな課題が出されるかもしれないよ?」
「そうなっていく気がするんだよね。」
「その時、『誤論フォーラム』がどんなカオスになるか、想像もつかないな……」
「その時の和昭はきっとスマホ片手に爆笑しながらスレ追ってたんじゃ。」
「それとも、商学部の君たちに書かせようとしてるのかもね。」
「マジで勘弁してくれ……」
ほぼ誰もいない図書館で、光源理央はぼそぼそと呟きながら、12枚目の原稿用紙を取り出した。
万年筆のペン先が紙の上で鋭い折れ線を描き、滲んだインクが一瞬で関数グラフを呑み込んだ。
夜桜和昭はその「11番目の紙くず」をゴミ箱に投げ入れ、席に座ったけど、光源理央が言う通り、すぐにスマホを取り出して遊び始めた。
「うわ、誤論フォーラムのトップ、マジで爆発してる……えっ。理央、ちょっと悪い知らせがあるんだけど。しかも、理央にとって特に悪いニュース。」
理央は万年筆を止めて顔を上げた。
「誤論フォーラムの大ニュース?まさか緑科学部が数学の公式でラブストーリーを書いて、授業の最後の論文にするとかじゃないよね……それとも商学部?勘弁して……」
和昭は肩をすくめて笑った。
「やばい、理央、完全に私に影響されちゃった。」
「それって、結局何なの?体育学部の奴らが書かされるとか?」
「いや、違う違う。」和昭はスマホの画面をスクロールしながら意味深に話した。「前にさ、理央が作ったあの収益率モデル、覚えてる?」
理央は眉をひそめた。
「……先物収益率予測モデル?」
その瞬間、何かに気づいたのか、顔色が少し変わった。
「……まさか……まさか!? 」
和昭はスマホの画面を見せながら話し続けた。
「半時間前に、誰かがAIを使って君のモデルを分解したんだよ。」
「……え?」
「ホントに怖いんだよ、理央。見ててちょっと震えた。」
光源理央のペンが「気候因子の重み」の後ろで止まり、インクの塊が滲んだ。和昭は慌ててティッシュを引き寄せ、それをかぶせた。
「あー、こぼした。気をつけて、服や手に付いたら落ちないから。」
「わかってる。……で、原材料費、輸送のロス、市場の供給と需要の変動、あと気候が原材料の生産に与える影響……全部AIに分解しちゃった?」