51 後期の授業が始まりました
家に帰った私達は、お母さんに今日の出来事を報告します。報連相は大事ですし、場合によってはお母さん達に飛び火するかもしれません。
「態々尾行するっていう事は、ここの住所は知られていないのかしら? お相手だった人ってダイヤ銀行だったのでしょ? 簡単に知られちゃいそうよね」
何と言っても我が家のメインバンクです。
私達の貯金口座もそうですが、今建築しているマンション関係の口座も同様にダイヤ銀行です。まあ、30億円近い金額のやり取りですし銀行内だと目立ちますよね。
「最近は個人情報に五月蠅くなってるから、大学とかからは聞き出せないと思う。銀行はどうかなあ、内部の人だしメインバンク変える?」
「そうね。日和が銀行行き辛くなりそうだし、それも在りかも知れないわね」
今建設中のマンション関係もそうですし、投資関係も含め銀行に行く機会はそれなりにあります。其の度に中村さんの許嫁が居るのを気にするのは確かに嫌ですね。
「でも他の銀行かあ。どこどこ銀行に口座を作ろうかなって思えるほど親しみのある所が無いんだよね」
「普通はそんなものじゃないかしら。銀行に親しみって普通は無いわよ?」
前世も含めしがない一般人としては、銀行の良し悪し何て判りませんよね。ただ、預入金額もあるとは思うのですが、現在のダイヤ銀行担当者にも、支店長にも悪い印象は無いんですよね。お母さんと色々と話はしましたが、一先ずこの件は保留としました。
今の処、ダイヤ銀行に対し思う所はありませんし、良く考えれば名古屋支店の行員数は結構いるかな。個人と法人で担当が違うみたいですし、それ以外にも部署は分かれています。それでも訪問時にタイミング悪く顔を合わせるか判りませんからね。
「日和が直接銀行へ行くことは少ないし、大丈夫じゃない?」
「私が絶対に行かないとっていう時は、ハンコとかサインが居る時だからね。でも、ちょっとした不安点があるだけで、何となく行き辛くなるよね」
「そうね、その気持ちは判るわ」
我が家に一担当者が何か出来る訳では無いと思ってはいますが、やはり気持ちの問題です。
不登校だったり、通勤できなくなったり、ちょっとした事が切欠で通えなくなるとか聞きますよね? 意外と切欠は些細な事で、段々とメンタルに不調を齎すものです。私的にはまだまだ余裕は有るのですが、無理をしない様に自分でも注意する事にしましょう。唯でさえ勉強やら、試験やらで余裕のない生活を送っていますから。
兎も角、近々では銀行に訪問する予定は無い為、中村さんが暮らす為の準備に注力します。間もなく大学も始まりますし、時間的余裕はそれ程ありません。
などと言っている間に時間はあっという間に過ぎて行って10月に入り後期の授業が始まりました。同じ家で暮らすことになって、中村さんとは次第に打ち解けはじめています。まあ、色々と話せない事も多いので、あくまでも次第にですが。
「まずは留年しない様にしないとだよね」
「だね。今まで以上に真剣に頑張らないと、学費が怖い」
うちの大学では、医学部の留年は学年に関わらず一定数発生しています。それこそ4年生だろうと、5年生だろうと、最終学年の6年生であっても関係なく留年します。最後の最後まで油断できないのが医学部なんですよね。
二人でそんな話をしていると、顔を顰めた学年主任の先生が中村さんを呼びに来ました。
「中村さん、時間は有る? ちょっと教務課まで来てもらいたいのだけど」
「もしかして、父の件でしょうか?」
「ええ、先程、突然来られてちょっと揉めてるの」
中村さんの携帯は着信不可にしている。その為、直接中村さんと話すことが出来ない為、学校へと乗り込んできたんだろう。こうなる事はある程度予想出来ていた為、私達は揃って教務課へと向かう事にしました。
「予想通り過ぎる。まあ、お父さんって我慢出来る人じゃないからなあ」
「それって医者としてもどうなの?」
まあ、患者さんへの対応は可もなく不可もないらしい。もっとも、詳しく聞くと患者さんは患者さんと言う存在として区別しているらしい。
「ある意味、お医者さんらしい?」
「どうなんだろう? 変に感情移入しないという点ではいいのかな?」
中村さんの言う通り感情に左右されないという面では良いのでしょうか? ただ、なんか違うと言う気はしますが、まだ学生の私達では判断は尽きませんね。
そんな事を話していると、何やら大きな声が聞こえてきました。
「お父さんだ。第三者に声を荒げるのは珍しいかな?」
私は中村さんの後ろに着いて、教務課の中へと入っていきます。すると、教務課にある応接スペースに中村さんの父親と、良く知らない男性が二人対面で座っていました。中村さんの父親は明らかに感情的になっているのが判ります。
「父親の私が言っているんだ! あんた達はさっさと手続きをしろ!」
「ですから、いくら父親と言っても既に成人している娘さんの事を勝手に決める事は出来ません。そもそも親権があったとしても法律で子供の人格を尊重しなければならないと規定されています。貴方の行動に娘さんの意思を尊重しているとは思えません」
「学費を出しているのは私だ! ならば私の意見が最優先だろうが!」
双方ともにある程度大きな声で話している為、周りにいる人にも会話が聞こえている。そして、怒鳴り声を上げている中村さんの父親には、中々に厳しい冷たい視線が注がれていた。
「皆さん、お待たせしました。父がご迷惑を掛けて申し訳ありません」
中村さんは慌てて先生達に駆け寄ると頭を下げました。
でも、そんな中村さんの姿勢そっちのけで中村さんの父親は顔を真っ赤にして立ち上がりました。
「良子! お前は退学だ! 今更謝っても遅い! 家に背いた事を後悔して暮らすがいい!」
中村さんへと怒鳴りつける表情が明らかに娘に向けて良い表情ではありません。娘を傷つけようとする醜悪な心根が浮かんでいて、見ていて非常に醜く不快ですね。
「お、お断りします。私は退学するつもりは有りません」
中村さんは、しっかりとした声で反論しました。
「家長が退学と言っているんだ! お前は従えばいい!」
「お、お断りします!」
うん、私を含め二人のやり取りを傍らで聞いている者達は、皆が揃ってこの傲慢な男を睨みつけていました。こっちこそ怒鳴りつけたくて、必死に我慢しているんです。
「今までお前にどれだけ金が掛かっていると思っているんだ! 中村家から出て行くなら今まで掛かった金を全て返してからにしろ!」
プツン
あれ? 何かどっかで紐が切れたような音が聞こえた? そんな思いと共に何故か私の口からは笑い声が零れている。
「ふふふふ、あは、あははははは」
最初は小さく、次第に大きくなる私の笑い声に、周りの人達からの視線が一斉に注がれた。私は、そんな状況の中、糞おやじへと冷たい視線と言葉をを投げかける。
「凄いなあ、此処まで酷い父親って本当に要るんですね。まるでドラマの様。あ、違うかな? ドラマより酷い?」
周りに居る大人たちへと視線を向けると、特に女性事務員っぽい人達が大きく頷く。それ以外の人達も顔を顰めて糞おやじへと冷たい視線を向ける。
「また貴様か! 関係ないものは出しゃばるな!」
糞おやじは顔を真っ赤にさせて此方を睨みつける。しかし、私はそんな視線を物ともせず、しっかりと睨みつける。
「金を返せ? 子供の養育費って意味が解っています? はあ、裁判でも何でも好きに起こせば良いでしょう。裁判理由は娘が自分の言う事をきかないから養育費の返還を求めるでしょうか? まあ、何でも好きに訴えればよいですが、此方からは絶縁状を出させて頂きますね」
最悪の可能性として、このような事を言い出すことも想定していました。その為、法律に関しても深くでは無いですが調べてあります。その中には。親としての養育義務がキチンと明記されていました。
「貴様が良子に要らぬ知恵をつけさせたんだな! 唯では済まさん! お前も覚悟しろ」
今にも掴み掛って来そうな様子ですが、此れだけ第三者が居る中で暴力に繋がる行動を起こす愚は解っているみたいです。必死に拳を握りしめています。
「脅迫ととらえて構わない? なんなら、此方から訴えても良くってよ?」
小説の読みすぎでしょうか? 何か気分が高揚しすぎて言い回しが変になってる。思いっきり勢いで会話しているので、考える前に言葉が口から飛び出しているのが判ります。
「貴様のせいで良子は退学だ! は、良子は良い友達を持ったなあ。お前と知り合わなければ無事医者に成れていたのかもしれないのになあ。それが退学とは」
醜い。余りにも醜くて、思わず殴りつけたくなる。そこをジッと我慢しながら何か言い返そうとしたら、中村さんの叫び声が響き渡りました。
「五月蠅い! もう黙って! 貴方なんか親じゃない!」
「何だその態度は! 家に帰ったら覚悟しておくんだな!」
中村さんの父親は、凄い形相で自分の娘を睨みつける。
私としては、呆れるとしか言い様がない。
もう恥も外聞も無いのだろう。ただ只管に相手を、娘を傷つけて自分の溜飲を下げたいと行動しているとしか思えません。これが実の親かと思うと怒りしか湧いてきません。
「もういい加減にしたらどう? 其れ以上恥ずかしい言動は聞きたくないんだけど。それと、何で中村さんが退学になるのかしら? 本人は退学しないって言ってるでしょ? 馬鹿なの? 理解できてないの?」
私の言葉に又もや顔を真っ赤にして睨みつけて来る。
「絶縁するなら勝手にしろ。そうなれば親でもなければ子でもない。そんな奴に学費を出す義理は無いな! そんな当たり前のことが判らんのか。これだから女は馬鹿なんだ」
本当にこの男は親なのだろうか? 私と中村さんを睨みつける顔は、感情のままに真っ赤に染まっている。ただ、こんな茶番はそろそろ終わりにしよう。これ以上は中村さん的にも良くないだろう。
「そっちが出さなくても、私が出せば良いんでしょ? あと2年分だから2千万くらいかしら? その程度、負担でも何でもないわ。中村さんは安心してね」
思いっきり慈悲深い女神の様な表情を浮かべながら中村さんを見る。そして、表情を一転して糞おやじを睨みつけた。
「今一度、冷静になって自分の言動を顧みる事ね。もっとも、今更後悔しても遅いけどね。自分の娘から見限られたの、判る? 絶縁したの。此処からは、お金も私が援助するから気にしないで良いわ。卒業までせいぜい一億もあれば足りるでしょ?」
「な、な、な」
「人あっての家でしょうに。本当に愚かな事」
思いっきり上から目線で、哀れみを多分に含んで見下してあげました。
糞おやじは、口をパクパクさせながら此方を見ます。その視線の前で私は中村さんの腕を取り、共に退室する様に促す。
「先生、もう問題点は解決で良いでしょうか? 私達は帰りますので何かありましたら言ってください」
「あ、ああ。そうだな、俺も行こう」
「須藤先生!」
何か他の人達に呼び止められていますが、先生はお辞儀をすると私達と連れ立って教務室を後にしました。
「良いんですか? あっち放っておいて」
「それこそ問題無いだろう。中村は大丈夫か?」
「は、はい」
緊張が解けたせいか、中村さんの瞳からはボロボロと涙がこぼれ始めていました。私も、先生もその事を指摘する事無く、足早に教務室から遠ざかります。
「しかし、たかが一億かあ。死ぬまでに一度くらいは言ってみたいな」
「先生! あれは勢いって言うか、言葉の綾です!」
何か思いっきり気分が高揚していたというか、戦闘モードだったんです。勢いって怖いですよね。
「うん、なんか鈴木さん、凄かった。悪役令嬢、みたいだった」
思いっきり鼻声で、それでも幾分明るく中村さんが答えます。
「は? 悪役令嬢? 何で!」
私の驚きの声を聴いて、中村さん達は笑い声を上げるのでした。




