48 昔の常識、今の非常識 前編
中村さんからヘルプの電話が入ったのは、後期の授業が間もなく始まろうかと言う頃。
前回の飲み会以降、特に相談も無い事からいつの間にか気にしなくなっていました。てっきり話し合いは上手くいっているんだと思ってたんですが、どうやら違ったみたいです。
「兎に角、落ち着いて。話を聞くからどっかで待ち合わせしよ?」
普段はどちらかと言えば陽キャ寄りの中村さんですが、思いっきりネガティブに振り切っていました。思いっきり涙声ですし、何があったかは大体想像が出来ます。私は急いで出かける準備をして家を飛び出しました。
予定に無い外出だった為、久しぶりに公共交通機関での移動です。
9月とは言え残暑が中々に厳しく、外に出ると思いっきり汗が噴き出しました。今後、どんどんと夏が厳しく、そして長くなっていく事を知っているだけにウンザリしてきます。
「う~~~、暑い。運転手さん来るの待てば良かったかなあ」
照りつける太陽とじわじわと吹き出る汗に車で来なかったことを若干後悔しながらも、地下鉄から名古屋駅で私鉄へと乗り換えました。ここから待ち合わせの駅へと向かいます。
そして、駅に到着して改札へと向かうと、中村さんが私を待っていてくれました。
「鈴木さん、わざわざありがとう」
「うん、大丈夫? 少し落ち着いたかな?」
電話を掛けて来てから時間が経っているので中村さんも少し落ち着いた感じです。ただ、その表情には明るさは欠片も見えません。
「で? どうしようか? まず話を聞いてからの方が良いかな?」
こうなったら中村さんの家に私も行くしか無いと覚悟はしてきました。ただ、事前の状況が今一つ分かっていないので知りたい所です。
「うん、ありがとう」
中村さんの言動は、やはり歯切れが悪いです。そんな中村さんと連れ立って、駅前にあるファミレスに入りました。
「そっかあ。相手の人も関係解消には反対なんだ」
「うん、お父さんが話にならないから、博人さんからお願いしたいって話したんだ。そしたら、濁されて逆にお父さんに話が行ったの」
まあ、お相手としたら突然の申し出に動揺はするだろう。どういうつもりなのかと連絡を入れる事は想像できる。ただ、そこから話し合いとならずに、今日お父さんとお相手さん二人から一方的に攻め立てられたらしい。
「ぜんぜん話を聞いてもらえなかった?」
「うん。話をしようとしても被せられて」
話を聞いていて思うんですが、大学生ってまだ子供なんです。社会経験だって無いですし、学校と言う狭い世界の中でしか生きて来ていない訳です。そんな中、本来無条件で味方になってくれる親が話を聞いてくれないと言うのは辛いですよね。特に相手は衣食住を握っている訳ですから。
「大体状況は分かったかな。うん、それじゃあ行こうか」
「あの、本当にいいの?」
今更ながらに巻き込む事に不安を持ったみたい。私も何かあったら相談してと言ってましたし、このまま放置は駄目だと思うので中村さんの家へと向かう事にしました。
で、まだ帰っていなかった中村さんの許嫁とお父さんと対面です。
しかし、通されて思いますが思いっきり侮られていますね。外見的に小娘なのは認めますが、中身は同世代ですよ? 言えませんけどね。
「改めてですが、同じ棚田医大の同期生鈴木と言います。今回は中村さんから助けて欲しいと頼まれたので、急遽お邪魔する事になりました」
私は実の子供ではありませんから、そのお陰か言葉を被せて来る事は有りませんでした。ただ、思いっきり小娘がって雰囲気が感じ取れます。ついでに中村さんのお相手さんも居ますけど、見た感じあまり良い感じがしません。先入観のせいかもしれませんけどね。
「娘の事で態々来てくれた事には感謝するが、他人の家の事に口出しするのは感心しないな。君ももう二十歳を過ぎているんだ、分別という物を学ぶことだ」
うん、思いっきり上から目線ですか。まあ、最初に中村さんの事に対して感謝すると建前でも言えただけマシでしょう。ただ、声から態度から此方へ圧力を掛けて来ていますね。
「私は自己紹介させて頂いたのですが、お二方の自己紹介はないのでしょうか? 良い年をした大人なんですから、自己紹介くらい基本ですよ? 教わりませんでした? まず世の中の常識を学びましょうね?」
実は私って結構気が強かったりするんです。
女一人で生きて行かないとって思うと、多少気が強くないと働いていけませんからね。別に喧嘩が強いとか無いですから、当たり前ですが時と場所は選びます。
そして、今は相手のミスを逃さず噛み付く時ですよね。
「なんだその言い方は!」
顔を真っ赤にしておじさんは怒鳴りますが、まあ男尊女卑の亭主関白で生きて来たならこんな物でしょう。常に下に見ている女性に対し煽り耐性なんてある訳ないですから。で、私は思いっきり馬鹿にしたような視線を向け、同様にお隣の男の様子も確認します。
う~~~ん、こちらも似たようなものですね。思いっきり顔が歪んでますねえ。
「私の言った事理解できませんでした? 自己紹介できませんか? 困りました。日本語が通じないみたいですねえ」
こういう時の会話って、相手の発言に対し受け答えしちゃダメなんです。
まあ、これは私なりの方法ですから正しいかは知りませんが。常に此方で会話の基を作り、相手の発言をコントロールします。自分に有利な発言から崩すのが良いです。まあ、相手との関係を気にするなら使えない方法ですが、別に中村さんの父親と仲良くしたくは無いですからね。
「貴様! 私を無視する気か! 貴様の担当教授は誰だ!」
うん、こういう相手って大体こういう対応をして来ますよね。要は権力とか、そういった物で相手を黙らそうとするんです。相手は娘と同じ学生ですし、自分は医者という事で何らかの圧力を頼める立場に居るのかもしれません。
まあ、関係ないんですけどね。
「うわ、圧力掛けるんですか? こんな情けない事で。無いわあ、何って言うんですか? 娘の結婚を強要して嫌がられました。何とかしてくださいですか? うわあ、有り得ない」
「何だと!」
おじさんは顔を真っ赤にして立ち上がりました。プライド高そうですからね。自分の意見に反論されるって近年は経験無いのじゃないでしょうか?
「義父さん、落ち着いてください。君も子供じゃないんだ、その様な人を馬鹿にするような発言は注意する様に。育ちが出るな」
うん、最後に一言多いタイプですか。
「はあ。最後の一言が無ければマシだったのですが。その育ちが出るなって一言、今要ります? それこそ、性格が出ますよね? 友達いますか? 居るなら大事にした方が良いですよ?」
こういう人って普段からこうでしょうから。もし友人と呼べる人なら性格がすっごく良い人だと思うのです。逃しちゃったら次に友達になってくれる人が見つかるか難しそうです。
「本当に失礼だな君は!」
まあ、意図して煽っていますからね。ただ、思った通りになりすぎて怖いくらい。世の中、思った通りに行くなんて滅多にないのですが。
「相手に合わせているだけですが? 失礼はお互い様でしょう」
うん、私もちょっと冷静ではないかもしれません。最初からこんな風に喧嘩腰になるとは思っていませんでした。まあ、現実とはそんなものです。
「これ以上話を聞く必要はないな。とっとと帰りなさい」
多少は冷静になったのか、おじさんは此方を睨みつけながら玄関の方を指さします。
「そうですね。これ以上は意味なさそうですね。中村さん、荷物を纏めて貰っても良いですか? とっとと家を出ましょう」
それまで私の横でオロオロとしていた中村さんは、慌てた様子で席を立ちます。
事前にファミレスで話し合った中には、中村さんが我が家へと避難する事も想定していました。お互いに冷静に考える為にも、一度家を出た方が良いとは思うのです。
「あ、はい! 直ぐに用意します」
「良子! 何処へ行く!」
中村さんが部屋を出ようとすると、おじさんが怒鳴りつけます。その声に中村さんの体が跳ね身動きが出来なくなりました。
「大丈夫、ここは私に任せて急いで用意して」
「勝手な事は許さんぞ!」
私と父親の言葉に板挟みになった中村さんは、視線をキョロキョロとさせます。
「大丈夫、中村さんはもう成人しているんだよ? 自分の行動に親の了承何て要らないから」
家出しましたと警察に届け出たとしても、その子供が成人していれば相手にはされません。誘拐など犯罪絡みであれば別ですが、今回の場合はそれに当てはまりません。
「自分の行動が何を齎すか理解しているんだろうな」
「そうだよ。良子ちゃん。良子ちゃんらしくないと思うな」
おじさんの発言だけでなく、許嫁と言われた男の声にも明らかに脅しのニュアンスが含まれています。
私は思いっきり大きな溜息を吐きました。
「貴方達こそ何が言いたいの? もし中村さんがここで家を出たらどうするっていうの?」
「そんなもの「あ、待って!」きま、何だ」
感情のままに発言するであろうおじさんの言葉を遮ります。そして、私はちゃんと理解できるように、ここが大きな分かれ道だよと判るように話を続けました。
「判ってますか? 此処での発言が今後の未来を決めるんですよ? それを理解して発言していますか?」
判断を間違うな、一度言ってしまった言葉ってずっと残るんだぞ。そんな思いを込めておじさんの目を見ます。ただ、結果は残念な事になりました。
「それは私の言葉だ。良子、中村家に砂を掛けるつもりか? 態度を改め、その事をよく理解し謝罪すれば今なら許そう」
「そうだよ。きっと結婚が近くなって不安になったんだね。いいよ、僕も義父さん同様許すよ」
ああ、この二人は何も理解出来ていないんだと判った。中村さんとも、こうなる事の想定は既にしているし、その場合の対応すら打ち合わせている。
無言のまま中村さんが部屋を出ようとすると、父親が決定的な言葉を口にした。
「大学を中退する事になるぞ! それでも良いのか!」
私は思わず天を仰ぎ、哀れみすら表情に浮かべ中村さんの父親だった男を見る。
「家を出るなら学費は出さないつもりですか? 今なら発言を撤回できますよ?」
恐らくこの私の発言は、父親だった男に対し反省を促すどころか煽りにしかならないだろう。それでも私は口にせずにはいられないし、曖昧なままで終わらす事も出来ない。
「当たり前だ! 中村家に仇名すものになぜ金を出してやらねばならん。これ以上逆らうなら今後金は一切出さん」
「良子ちゃん、大学中退しても僕は気にしないよ? そもそも医者に成る必要なんて僕は無いって思ってたんだ」
この馬鹿な許嫁は、これでフォローしている積りなのだろうか? 同様にこの父親も今までの娘の頑張りを何だと思っているのだろうか? あまりの発言に私の頭の中は怒りでいっぱいになる。
悪意しか感じられない二人の発言に、中村さんの足が竦んでしまったのだろう。唇を噛みしめて下を向いている。でも、私はこうなる事も想定はしていた。勿論、出来ればこうなって欲しくないとは思っていたけど。
「中村さん、大丈夫だから用意してね」
「う、うん」
「良子!」
中村さんは顔を上げ逃げる様に部屋を飛び出て行く。そんな中村さんを怒鳴りつける父親。こういう家庭ってまだまだあるんだなと思いながら、改めて私は二人と対峙する。
「自分の子供の幸せを願えないなんて、悲しい人ですね。あと、自分より優秀な女性は許せませんか? 何が言いたいのか判りませんが、発言が気持ち悪すぎ」
「親に逆らって幸せになどなれるものか! 貴様に誑かされたせいで良子は大学中退だ。貴様が余計な事を吹き込まなければ大学も卒業し、医者になって、博人君と結婚して幸せになっていたはずだ。それももう終わりかもしれないがな」
「義父さん、僕は別に大学中退でも気にしませんよ。医学部に進むのもどうかと思ってたんです。案の定、誑かされて。変に頭が良いのも困ったものです」
うん、話しが全然通じませんが、この二人が中村さんを娘どころか一人の人間と認識しているのかも怪しくなってきた。これ以上相手にしていても仕方がない。余計に気分が悪くなるだけ。
「早く中村さん準備できないかなあ」
多くを持たなくても良いとは言ってある。足りない物は後で考えればよいのだし、日中の家族が居ない時間にこっそりと取りに戻ればよいのだ。
もうこれ以上二人に関わるのは止めようと思い無言で中村さんが来るのを待っていると、どうやら彼方が苛立った様子で怒鳴り声を上げた。
「大体貴様はなんなんだ! 貴様の家にも抗議させて貰う。覚悟しておくのだな」
「君だって最悪退学かもね? 僕は都銀のダイヤ銀行に勤めているんだ。君みたいな人間だってダイヤ銀行くらい知っているだろ?」
何か馬鹿な事を言っています。
ただ、ダイヤ銀行ですか。我が家のメインバンクですね。それこそ、名古屋支店の支店長さんとかも良く知っています。今建設しているマンション関係で何度かお会いしていますし。
「はあ。もう口を開かないでくれますか? 中村さんが用意出来たらすぐに失礼しますから」
何かぎゃあぎゃあ言っていますが、私は玄関で待とうかと部屋を出ました。一緒の部屋にいても不愉快になるだけですからね。
長くなってきたので前後編で分けます!




