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お忍びデート

 アンジェニカは嬉しそうにニコッとした。

 庭園を楽しんだ二人は町に行くことにした。馬車に揺られて数時間もすると賑やかな町の入り口に着く。


 ロイドが町の案内をすべきなのだが、残念ながらロイドは町に殆ど行ったことがないためそれが出来ない。アンジェニカは「なら、二人で探索が出来ますね!」と嬉しそうに言うと、落ち込んだロイドの手をとって歩き出した。


「すみません」

「何がですか?」

「私は一応領主なので、町のことを知っておかなくてはならないのに」


 フードを深く被って顔を隠した未だ落ち込み中のロイドが小さく答える。


「フフフ、全然気にしていませんよ。町のことはジェイがしっかり把握していますし。ロイが人前に出ない理由だってちゃんと知っているのですから」

「……でも」

「そんなことは気にしないで、楽しみましょう!」

「町歩きは楽しみですが、あなたに不快な思いをさせないか心配です」


 町を歩いている時に、ロイドに恋慕を抱く人間が現れないか心配しているのだ。もしそんなことになれば、町をのんびり歩くことが出来なくなってしまう。


「その時は走って逃げましょう?フフ、私、意外と運動神経はいいのですよ」


 楽しそうに笑うアンジェニカが「馬車も近くに待たせているし、大丈夫ですよ」と言うと、ロイドは「いざとなったらアンジーを私が抱えて走ります」と笑った。


 アンジェニカはこの日のために、使用人たちからお勧めのお店は色々と聞いて情報収集は完璧。アンジェニカも今まで町をのんびりと歩いたことが殆どないからワクワクする。


「あっ!」


 アンジェニカはさっそく何かを見つけたようで、ぱぁっと顔を輝かせた。


「トマーソンがさっき教えてくれた美味しいジェラートのお店って、あそこじゃないですか?」


 アンジェニカが指をさしたのは、臙脂色の布のひさしにジェラートのイラストが描かれた可愛らしい店。


「行きましょう、ロイ」


 アンジェニカはスキップでもしそうなくらい軽やかに歩き出した。ジェラートのお店の扉を開けると、元気な店員の声と同時に甘い匂いが鼻腔を抜けて、俄然購買意欲が湧いてくる。


「まぁ、ジェラートは三種類まで選べるそうですわ」


 アンジェニカはとても嬉しそうに、ショーケースのジェラートをみて、店員に試食をしたいジェラートを伝えている。


「ロイは?気になる味があったら試食が出来ますよ」

「私は、……よく分かりません」

「そう、なら……はい」


 アンジェニカは、今店員に貰ったばかりの試食用のアマレーナをロイドに渡した。アマレーナはワイルドチェリーのシロップ漬け。


「いえ、アンジーが食べて下さい」

「いいから、食べてみて」


 アンジェニカがもう一つ貰ったのを見て、ロイドはアマレーナのジェラートを口に運ぶ。アマレーナの甘みと酸味がとても絶妙で美味しい、とアンジェニカが言ったが、ロイドにはそこまでは分からない。ただ、冷たくて美味しいと思う。


「どうですか?」


 アンジェニカはロイドの顔を覗き込んだ。


「美味しいです」

「でしょ?レモンは好きですか?」

「特に好き嫌いはないです」

「そうですか。私はさっぱりした味が好きなのです」

「じゃあ、レモンをお願いしましょう」

「ありがとうございます。ロイの好きな味も選びましょう」

「私は……」


 ロイドは黙り込んだ。アンジェニカが今朝の朝食を思い出して、聞いてみる。


「……苺は?」

「苺?」


 今日の朝の食事でロイドが最後に食べていたのが苺。本人は気が付いていないようだが、ロイドは好きな物を最後に食べるようだ。一昨日とその前はカリフラワーが最後だった。


 ロイドはサラダに添えられたカリフラワーを残しておいて、最後にランチドレッシングをしっかり絡めてから食べる。だから好きなのだと思う。それとも全く逆かしら?


 ロイドは少し考えるように間を空けたが、ニコッとして「苺は好きです」と答えた。


「やっぱり!」


 アンジェニカは嬉しくなってちょっと大きな声を出してしまい、慌てて口を両手で押さえた。そして、ロイドと目が合って、フフフ、と二人で笑う。


 アンジェニカは弟を見守る姉のような気持ちになって少し顔が緩んだ。自分より年上で体も大きい婚約者を、弟のように思うのは如何なものかと思うが、自分たちにはその程度の距離感が安全だ。


 二人は相談をして、アマレーナとレモンと苺のジェラートが乗ったカップを一つ買ってスプーンを二つ貰った。


「こんなに大きかったら一人では食べきれないわ」

「そうですね」


 二人は他の人たちがしているように、煉瓦造りの階段の端に座った。アンジェニカは外で階段に座ったことも、テーブルと椅子がないところで何かを食べたこともない。ちょっとソワソワして辺りを見回すが、誰も顔を顰めることはなく、楽しそうにお喋りをしたりジェラートを食べたりしている。


「凄く、ドキドキします」

「どうしましたか?」

「町中の人目に触れる所でこんなふうに食べたことなんて一度もなくて」

「ああ」


 アンジェニカはちょっと恥ずかしそうにあたりを見回した。


 アンジェニカの言葉を、ロイドはすぐに理解をした。


「確かに、貴族としては行儀が悪いかもしれませんが、今はそんなこと気にする必要はありません。私たちを見て指をさす人もいないですよ」

「そうですね。歩きながら食べるのはちょっと難しいですが、こうして外でのんびりと食べるのは楽しいし気持ちがいいです」

「それは良かった」


 ウィレミナが亡くなってからは、学業と領地の仕事で毎日忙しくヘトヘトだった。ベロニカの楽しそうな笑い声を聞きながら、自分以外の家族の話し声を聞きながら、執務室で家令と一緒に仕事をしていた。


 ベロニカとゲイルズが楽しそうに庭でティータイムを過ごしている姿も何度も見た。自分が行くべきだったがキャサリーに「仕事をしなさい」と執務室に閉じ込められて、代わりにベロニカがゲイルズの話し相手をしていたのだ。いつの間にかそれが当たり前のようになっていった。


 そのうちアンジェニカは諦めてしまった。ゲイルズの相手はベロニカがしてくれているから、自分は仕事をしよう。シアートルの仕事を手伝っている自分のことを、ゲイルズは分かってくれているはず。こんな変な状況も今だけ。結婚すれば全てが普通の状態になるはず。そんなアンジェニカの甘い考えが、ゲイルズとベロニカの不貞という結果を招いた。


「アンジー?」


 考え事をしてしまったアンジェニカの手が暫く止まっていた。ロイドの心配そうな顔を見て「ごめんなさい。ちょっと色々思い出してしまって」とぎこちなく笑うアンジェニカ。


「早く食べないと溶けちゃいますよ」


 ロイドはあえてその内容を聞こうとはしなかった。代わりにジェラートを一口自分の口に運んだ。


「そうですね」


 二人は少し多めにスプーンに掬って、ジェラートがドロドロになる前に食べ終えた。


「美味しかったぁ」


 アンジェニカが満足そうに呟くと、ロイドが「美味しかったです」とそれに応えた。ロイドは立ち上がってゴミを捨てるとアンジェニカに手を差し出す。


 美しい女性と深くフードを被って顔を隠した連れの男。一見怪しげなカップルなのに、しかしその所作は美しく見とれてしまった者も多かっただろう。貴族のお忍びデートだろう、とジロジロ見ないように気を遣っている者もいる。


 ロイドが感じる僅かな違和感。何だろう?そう思ったが「次はどこに行きましょうか?」と言うアンジェニカのその言葉に、ロイドはふと感じた僅かな違和感を頭の隅に追いやった。


 決まった時間になると水を高く噴き上げる噴水を見に行くことにした二人は、店を覗きながらのんびりと目的地に向かう。そして噴水を堪能してから平民向けの食堂に入って遅めの昼食を楽しみ、次に図書館に行って本を読み、それから教会に行って礼拝堂の椅子に座って祈り、暫くその静寂を楽しんだ。


 それから馬車に向かう道の途中の店でデニッシュを数種類買った。ロイドはその中の一つを半分にして、歩きながらアンジェニカに渡す。アンジェニカがそれを受け取ると、ロイドはニコッと笑って、一口頬張った。アンジェニカもそれに倣うようにして口に運ぶ。


「出来ちゃいましたね」

「え?」

「食べ歩き」


 アンジェニカは少し齧ったデニッシュをじっと見て、それからふと「美味しいわ」と呟いた。


 ロイドがクスリと笑う。


「そうですね」


 アンジェニカが二口目を飲み込んだ時には、ロイドの手にはデニッシュは既に無かった。







読んで下さりありがとうございます。

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