仕事好き
ロイドはアンジェニカを迎えたその翌日から、国境近くに出没した魔獣を討伐するために出掛けたきり帰っていない。自分がいない間、自由に過ごしていいと言われていたアンジェニカは、手紙を書いたり屋敷中を散歩したり使用人と話をしたりして過ごした。
特に手紙は出す相手がかなりの人数に及び、二日掛けてどうにか書き終えるという大変な作業になった。仕事で関わった人や友人は、突然ミドル家を出たアンジェニカの事情など知るはずもない。まずは、簡単にでも事情を知ってもらわなくてはならないだろう。
本当は、仕事で関わってきた人たちには直接挨拶をしたかったし、進行中の案件から無責任に手を引くことになってしまったことを、自分の口から説明をしたかった。勿論、直接詫びるべきであると分かっている。しかし、ミドル家を出たアンジェニカがそのような行動に出れば、ゲイルズが嫌な顔をすることは想像に容易い。
自分が出来ることは、真摯に謝りこれからはゲイルズを助けて欲しいと手紙を綴ることだけだった。
五日も過ぎるとさすがに手持ち無沙汰になって来たアンジェニカは、家令のジェイに屋敷や領地のことを教わることにした。
ジェイに「仕事を覚えたい」とアンジェニカが言った時の、彼の顔は面白かった。驚いて目を見開き、その後は感動したのか目を潤ませていた。アンジェニカが慌ててハンカチを渡すと、目頭を押さえて益々涙を流している。
「ど、どうしたのかしら?」
「申し訳ございません。まさかアンジェニカ様からそのようなことを言って頂けるとは夢にも思わず」
あ、お飾りだから?いえ、ロイド様はお飾りを求めているわけではないと仰っていたわ。
「実は、言い難い話ですが前の奥様や婚約者様は、ロイド様にしか関心がなく屋敷の主人としての仕事には一切関心を示して下さらなかったので」
そう言ってジェイはティッシュで鼻をかんだ。
「そう」
それは大変だったのね、きっと。
「では、私が仕事を教わっても問題は無いのね?」
「勿論でございます」
それからは毎日ジェイが屋敷のことや領内のことを教えてくれた。因みに、涙もろい家令のジェイは闇魔法の使い手だそうだ。
ジェイの教え方は端的で、既に領主の仕事を代行してきたアンジェニカにはありがたい程無駄がない。
ミリタリル領は山奥の為、住民が少ない。その為、税収は他領に比べると少ない。魔獣討伐費用は国からの支度金で賄われていて、国境警備の費用も国がある程度保証している。これは特に魔獣が多く生息する魔獣の樹窟を有するミリタリル領に対する特別な支援でもある。
モルガン伯爵家の収入源は、騎士団の騎士隊が受ける仕事と魔道具部が作る魔道具。討伐した魔獣の角や牙や皮は武具や魔道具の材料に使われ、肉や内臓は売ったりしている。貴重な南白狐の毛皮のコートやマットはとても人気があり、かなりの高値で取引されている。
赤字ではないけど、大儲けと言うわけでもない。一番の収入源は魔道具ね。
可能であれば騎士団の収支についても細かく見てみたいと言えば、ジェイは益々大粒の涙を流して帳簿を持ってきた。きっと一人で大変だったのだろう。ちょっと同情してしまった。
そして、ここでは好きな事だけをして過ごすと決めたのに、仕事をしているアンジェニカ。しかも喜んで。結局自分は仕事が好きなのだ、と実感して大きな溜息を吐いてしまった。
アンジェニカが何かと忙しく過ごし数日が過ぎた頃、漸くロイドが遠征から帰ってきた。
アンジェニカは扉の前で待っていて「お帰りなさいませ。お疲れ様でした」と出迎える。そんなアンジェニカに驚いたのかロイドが目を見張って、それからニコリと笑った。
「ただいま帰りました」
ロイドの美しい笑顔にアンジェニカはドキリとした。
まだ耐性が無いからこの笑顔は私には危険だわ。ロイド様を好きになってはいけないのに、あんな笑顔を向けるなんて反則よ。
アンジェニカは僅かに赤い顔をしながら、自室に着替えに向かったロイドの背中をちょっと睨んだ。
夕食はロイドと二人きりで。いつもは使用人たちも一緒に食事をするが、婚約者としてやってきて二回目の食事に無粋な真似をする使用人たちは居ない。
山の中と言うこともあって、野菜と肉が中心の食事になってしまうが、どれも美味しくてアンジェニカは「ついつい食べ過ぎてしまうの」と恥ずかしそうに笑う。
ロイドはアンジェニカが痩せすぎていると思っているので、もっと食べて太った方が良いと思っているし、アンジェニカの食べる量は自分の半分ほどだ。全く食べ過ぎではない。
今日のサラダは鳥の皮をカリッと焼いて乗せたスキンサラダ。香ばしい皮の香りと、バルサミコ酢とオリーブオイルと塩のバランスが絶妙だ。
「今日もとても美味しいわ」
料理を運んできた調理師のヤッセンに感想を伝える。
「ありがとうございます。今日は旦那様もいらっしゃるので、母がとても張り切っていまして」
「そうなのね」
料理長のリアーナと調理師のヤッセンは親子だ。
「料理は人の心と身体を育てる、というのが母の信条でして」とニコニコしながら料理を運んでくるヤッセンは、その昔、ちょっとやんちゃだったらしい。そのヤッセンの度の過ぎたやんちゃぶりに、突然怒りの沸点を超したリアーナが長剣をヤッセンの喉元に向けた。あまりの恐ろしさに失禁したヤッセンは、それ以来リアーナの言いなりだそうだ。
想像がつくと思うがリアーナは長剣の使い手で、ヤッセンは長剣と火魔法の使い手だ。
「結局甘ったれだったのですよ、僕は」
そう言って自分の黒歴史を面白可笑しく話してくれるのは、アンジェニカに少しでも早く馴染んで欲しいから。
実はロイドは食には特に関心が無い。生存のために腹に入ればいいという程度で、硬かろうが苦かろうが関係ない。その為、料理が人を育てると思っているリアーナは、どんな料理にもニコリともせずに、ほんの数分で全てを食べ終えてしまう主人に不満があった。
ところが数日前に女神がやってきたのだ。どんな料理も美味しい美味しいと言って食べ、いつも「ありがとう」と感謝を伝えてくれる麗しい女神が。
過去にやって来たお花畑の女たちとは明らかに違う。お花畑たちは、「太らない食事を作って」「肌が綺麗になる食事しか食べたくないわ」「胸が大きくなる食事にして頂戴」「あの異国の珍味を食べれば声が綺麗になるからそれを入れて」と無理な要望ばかり言ってきた。
ロイド様に愛されるために必要なのだと言うが、ロイド様は長い髪の毛をショートカットにしても気が付かないくらい鈍い男だよ、と教えてやりたいくらいだった。
それが、女神様は食事が終われば厨房までやってきて、「今日のあのお料理はなんていう名前かしら?」「まぁ、そんなに丁寧に漉していたのね。本当に滑らかで美味しかったわ」「あのピリッとした刺激が美味しさの秘密ね」と感想を言ってくれる。女神様は全てを分かっておられた。
「あの料理はグラタンと言って、西の国の料理なのです。グラタンは粉がダマにならないようにするのが難しいのです。ああ、私には秘策がありますので失敗は絶対にしません」「あのスープは裏漉しが重要なのです。五回は裏漉ししなくてはあの滑らかさは出ませんよ」「あの刺激は東洋ハナサーンショという香辛料を使っています。私がわざわざその地まで行って手に入れた珍しい物なのです。いえいえ、料理を極めるための努力は惜しみませんよ」
ああ、まさかこんな話を興味深そうに聞いてくださるなんて。「このリアーナ、これからはアンジェニカ様のために食事を作ります」そう誓ったが、いや待て待て。ロイドの様子がいつもと違う。
なんでも美味しいと言って喜んでくれるアンジェニカと、食べられればなんでもいいと言うロイド。ロイドだけの時は肉をドンと置いてパンとサラダとスープを一気に出す。使用人たちも一緒に食べるから騒がしいし直ぐに終わる。しかし、今日のロイドはアンジェニカに合わせてゆっくりと食事をしている。
アンジェニカ様が「とても美味しいですね。私、このしっとりとした所が好きですわ」なんて言うと、ロイド様が「そうですか。ああ、本当だ。しっとりとしていて美味しいですね」なんて言っている。本当に分かっているのか?アンジェニカ様は本当に美味しそうだが、ロイド様はアンジェニカ様ばかり見ているじゃないか。
リアーナとヤッセンはこっそりと二人を盗み見ながら、コソコソとそんなことを言っていた。
「なぁ、母さん」
「何?」
「アンジェニカ様は今までの令嬢とは違うな」
「そりゃそうだよ。アンジェニカ様は女神様だからね」
「はぁ」
母と話が成立するのか心配になるヤッセン。
「アンジェニカ様は今までの令嬢みたいに、ロイド様の為に、とか言わないじゃないか」
「……ああ、そうだね」
リアーナも漸くそのことに気が付いた。
「やはり女神様だからだ」
「……」
リアーナはアンジェニカを崇拝する信者になったようだ。
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