噂は噂でしかない
ロイドを愛し執着し、ロイドだけが自分の全てになり、不安を感じ束縛をする。その愛情は真っすぐでそれでいて歪んでいて。結局、令嬢たちは自分の歪な愛情を恐れてロイドの元を去って行ったと。
新しい婚約者に聞かせる話なのかしら?いや聞いておくべきだわ。
「彼女たちは皆、疲れ切って、苦しんでいました。私が至らなかったのです。彼女たちの気持ちに応えきれなかったのですから」
つまり、彼を愛しすぎて狂ったということ?
理解できない、いや、全てが理解できないとも言えない。この美しさだ。誰もが心を奪われるだろうし、自分より美しい女性が彼を誘惑しないとも限らない。令嬢たちの心が穏やかでいられる筈もない。
「私は、仕事で何日も帰らないこともあります。その度に……」
ロイドの言葉が詰まった。
令嬢の狂乱する姿が想像できる。
「分かりました」
「え?」
「あなたを愛さなければ、私があなたの元を去ることはないと言いたいのですね?」
「……は、はい!そうです」
ロイドは話が通じたことを喜んでいるようだ。そんなに嬉しそうにされるのも複雑ではあるが。
「では、私がもしあなたを愛してしまったら?」
「……出ていくのなら止めません」
「出ていくことが前提ですか?」
「今までのことがありますから。私にはそれを止める権利はありません……」
彼も傷付いているのだろう。彼の話が本当なら、四人の令嬢に捨てられたのだから。
令嬢達は本当は彼を、悪くないと庇っていたのかもしれない。自分が悪い。彼を愛しすぎてしまった自分が、と。
噂話に眉根を寄せていたアンジェニカは、居心地が悪そうに俯いた。
「もし、出ていきたいと思ったら言ってください。生家に帰りたくなければ、新しい家を準備することもできます」
ロイドの言葉には、アンジェニカの事情を知っているかのような含みがある。
「……分かりました。お気遣いありがとうございます」
なんて話をしているのだろうか。まだ出会って少ししか経っていないというのに。
「悲しい話だわ……」
アンジェニカはボソッと呟いた。
その言葉がロイドに聞こえたかは分からない。ただ、二人は沈黙したまま、目的の宿に着いた。
ミリタリル領に着いたのはそれから二日後。山奥とは言っても屋敷に通じる道はキレイに整備されていて、まぁまぁ揺れるが然程苦も無く景色を楽しむことが出来た。ミリタリル領は元々ロイドの父ヨシュアが他領と併合して治めていたが、ロイドが成人した時に分領してロイドに与えた領地だ。
アンジェニカはロイドの話を信じて、これからの二人について考えることにした。馬車の中で二人きりで過ごせば、少しはその為人が見えてくる。間違いなく、彼は噂と違って心の優しい人だ。
こまめに休憩を取ってアンジェニカの体調に気を遣ってくれるし、気になることには何でも答えてくれた。甘く通る声は耳触りが良く、よく笑うその笑顔は穏やかで可愛らしいとさえ感じる。ロイドはアンジェニカよりも二歳年上なのだが。
そして、初めてアンジェニカと会った日に、シアートルの言葉を聞き入れずにさっさと屋敷を後にしたのは、仮面を取りたくなかったからだと教えてくれた。
なるほど。それにしても乱暴な対応ではあったが、よく考えればこんなに美しい顔をしているロイドを見て、ベロニカが何も思わないはずがない。彼女のことだ、婚約者は自分だと言い出しかねない。そういう意味では彼の行動は正解だったのかもしれない。
ミリタリル領の屋敷に着いた時、あまりに大きく立派な建物にアンジェニカは呆然とした。ミドル家の屋敷の二倍はあろうかという敷地に城を思わせる豪奢な邸。それなのに、ロイドと使用人を合わせて十人も住んでいないと聞いて益々驚いた。
それにロイドが抱える騎士団の駐屯地が隣接していて、そこには百人を超す団員が居る。彼らの住む宿舎は一人一人に部屋が与えられていて、建物がとんでもなく大きい。山奥の広い土地を使いたい放題だ。
彼らの主な活動は魔獣討伐や、国境の監視。国境の監視と言っても、国境に聳える山は険しく道も狭いため、隣国から攻め入られる心配はあまりない。しかもミリタリル領有する魔獣の樹窟は国境に近く、大型魔獣も住みついていて、人を寄せ付けない。その為、騎士隊の仕事はどちらかというと魔獣討伐が主となる。
さらに騎士団には魔道具部もあり、魔道具の発明を主とした部門もある。魔道具部の団員の中には他人に馴染めない人も多い。自分の世界に没頭していたり、一般には理解できないことを考えていたり。その為、魔道具部は変わり者集団とも呼ばれている。
問題を抱えているのは何も魔道具部の団員に限ったことではない。騎士隊の団員も多かれ少なかれ問題を抱えていて、居場所が無くてここまで来た者もいる。その為、荒くれ者集団と揶揄する声もある。
そういう意味では、騎士団はなかなか近寄りがたい場所。その中でロイドに下心を抱けば、あっという間に仲間にボコボコにされ追い出される。騎士団はロイドに忠誠を誓った者たちの集まりでもあるのだ。
そうして作り上げられたロイド有する騎士団は、王国でも一、二を争う強さだと言われており、その存在を警戒する者もいる。しかし、国王が正式に認めている為、表立って非難する者はいない。
よくよく聞いていると、国王は甥のロイドに対して至極甘い。その理由を知る者は王弟でロイドの父親であるヨシュアだけだ。
アンジェニカとロイドが屋敷に着いた時、邸の扉の前には使用人全員が揃っていた。誰もが好意的に迎えてくれていてアンジェニカはホッとした。突然婚約者を変えてくるような家の者を、笑顔で迎えてくれるなんて思ってもいなかったからだ。
更に、自分は思い込みで人を決めつける、なんと浅慮な人間であろうかと恥じ入った。
山奥の僻地にある屋敷の使用人だから、大らかで、言い方は悪いが「きちんと教育をされた使用人」を期待していなかったのだ。しかし、その思い込みはあっという間に覆され、自分を恥じるアンジェニカ。家令も侍女も庭師も御者も厩舎番も礼儀正しく、さながら王宮務めの選び抜かれた侍従のようだった。
ロイド様は公爵家のご子息。使用人がしっかり教育されているのは当たり前なのに。自分こそ片田舎の小娘だと自覚しなくてはいけないわ。
そう胆に銘じた。
アンジェニカは自分の部屋に案内された。部屋に置かれたアンティークの調度品は、質も高く手入れも行き届いている。アンジェニカはほうっと感嘆の溜息を吐いた。
部屋の中を一通り確認して少し落ち着いた頃、アンジェニカ付きの侍女のメアリーを紹介された。アンジェニカより二つ年下で、子爵家の三女。公爵家の遠縁にあたる笑顔の可愛らしい令嬢で、暗器の使い手だとか。
令嬢で暗器の使い手?それ、必要なの?よく分からないわ。
屋敷にはロイド以外に、家令のジェイ、侍女長のハンナと侍女のメアリー、御者のトマーソン、庭師のセイラ、料理長のリアーナと調理師のヤッセン、厩舎番のエブソン、そして新たに仲間入りしたアンジェニカの十人。
この大きなお屋敷に十人?手入れはどうなっているのかしら?
最初こそ心配したが、杞憂であった。常に清潔に保たれているのは生活区だけ。それは邸の中心。それ以外は侵入されても生活区に入れないように、迷路のようになっているのだ。その為、邸の造りを知らない者が入ると下手したら一生出られない。というのも幻影魔法が常に張られていて、一度通った道に辿り着くのは無理と言っていいからだ。
勿論、生活区以外には絶対入ってはいけないと念を押された。当然、ダメと言われたことをする気はない。それに、いずれは幻影魔法まで使われる理由も教えてもらえるだろう。なんと言ってもロイドは『訳有り』なのだから。
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