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愛しい人たちの待つ我が家へ

「明日は行かなくてもいいんじゃないかな?」


 アンジェニカのお腹をさすりながら、ロイドはこれで何度目になるかわからない言葉を言った。


 三人用のソファーに足を伸ばし、アンジェニカを自分の前に座らせたロイドは、アンジェニカの首筋に唇をあてながら優しく抱きしめお腹を触る。ときどき感じる胎動を逃すまいと、手の平に神経を集中させているのに、そんなときに限ってお腹の中の子どもはおとなしい。


「動かない」


 ボソッと呟いたロイドは目の前の白く細い肩に顔を埋めた。


「フフ、お昼寝中ね」

「いつもだ。私が触るときはいつも寝ている」

「そんなことないわよ。さっきまで元気に動いていたんだから」

「なのに私が触ったら動かなくなった」


 確かに絶妙なタイミングでおとなしくなる。


「嫌われているのかな」

「違うわよ。あなたに構ってほしくて悪戯をしているの」

「……いくらでも構ってあげるから、起きてほしい」

「フフフ、困った子ね」


 アンジェニカのお腹に乗ったロイドの手に自分の左手を重ねて、右手でお腹をなでる。「お父さんと遊んであげて」そう心で呟いたら、ほんのわずかにお腹の右側が動いて「また今度ね」と言っている気がした。残念ながら、ロイドには感じられなかったようだ。アンジェニカの肩に頭を乗せたまま、「意地悪だ」と情けない声を出すロイドがおかしくて、アンジェニカはクスクスと笑った。


「ねぇ、やっぱり明日は行かなくていいと思うよ。陛下だってわかってくれるよ」


 明日から二日間、国王グランデの生誕を祝う祝賀行事が行われる。そしてロイドが行かなくてもいいと言っているのは、明日の昼から行われるパーティーだ。


「そんなこと言わないで」


 王国中の貴族が参加する大イベントに欠席すれば、国王軽視と言われかねない。少なくとも一度は顔を出し、あいさつを済ませなくては話にならないだろう。なんと言ってもロイドは国王グランデの甥だ。そして、二人が結婚して初めて参加する公式の場でもある。それなのにこの美しい夫は、ただただ妻の腹を触りながら幸せに浸りたいがために、すべての煩わしい行事をボイコットしてしまおうと考えている。


「パーティーに行けば、君のことを好奇の目で見る奴らがたくさんいるよ」


 もちろんそれはわかっているが覚悟の上だ。


「好奇の目で見られるというなら、ロイだって同じじゃない。それに、私たちを助けてくれる人たちだっているでしょ?」


 グランデもヨシュアも、もちろんイレイナもメリッサも。友人や仕事でつながった優しい人たちがいる。だから、アンジェニカはまったく心配していない。


「それに、ロイのことを鬼畜伯爵と呼んでいた人たちが、いっせいに口を噤むことになるわ」


 アンジェニカはその体を抱きしめていたロイドの腕をほどき、体を起こしてロイドのほうに向き直り、今度はアンジェニカがロイドを抱きしめた。


「あなたをひと目見たら、きっと鬼畜と呼んでしまったことを後悔するでしょうね? こんなに美しくて優しいロイが鬼畜であるはずがないもの」


 ロイドが優しくその華奢な背中に手を回すと、アンジェニカの甘い香りがロイドを包みこんだ。


「べつに私は、アンジーさえ知っていてくれれば、誰に鬼畜と呼ばれても構わない。むしろ、鬼畜と呼ばれているほうが、煩わしさがなくてちょうどいいくらいだ」

「フフフ、おばかさんね」


 寂しがり屋の優しい夫はときどきそんなことを言う。人づきあいはあまり得意ではないが、それでも友人と呼べる人が増えてきたロイドは、その友人たちと会う約束をした日は、前日からとても楽しみにしていることをアンジェニカは知っている。


「陛下にごあいさつをしたら、下がらせてもらいましょうね」

「うん」


 自分の胸に顔を埋めたロイドの艶やかな黒髪をなでながら、アンジェニカはクスリと笑った。




 王宮の一番大きなパーティー会場には、宿まで迎えに来たヨシュアの馬車で向かった。高位貴族は入場があとのほうになるため、すでに多くの貴族たちが会場入りをしている。


「我々が最後だそうだ」


 ヨシュアが笑う。


 わざとギリギリの時間にしてくれたことには感謝しかない。パーティーが始まるまで時間があると、注目を浴びて気分も悪いだろう、とヨシュアが自分と入場することを提案してくれたのだ。


 アンジェニカを真ん中にしてロイドが左側、ヨシュアが右側に立つ。アンジェニカは左右両方の腕に自分の手をかけた。「こんなエスコートはしたことがないな」とヨシュアがうれしそうに笑う。


 誰もが好奇心を持ってそのときを待っていたのだろう。三人の名前が呼ばれたとき、ピタッと話し声がやみ、姿を現した瞬間から、誰もが息を潜めて穴があくほど三人を見つめていた。


 噂と違わぬ美しさを持つ黒髪に黒い瞳のロイドと、その美貌で多くの女性を虜にしてきたヨシュア。そしてその二人にエスコートをされて入ってきたアンジェニカ。長身に薄紫の髪がきらめき、陶器のような肌に美しい顔立ち。そのバラ色の唇に目を奪われた男性がどれほどいるのだろうか。


 会場中のすべての視線を集めた三人に、果敢にも近づいていったのはナタリシア侯爵と夫人のイレイナ。そして、その娘でアンジェニカの友人のメリッサ。仕事で何度も顔を合わせている数人の貴族たちも、親しげに集まってきた。アンジェニカの体調を気遣いながら、先日、遅くまでロイドを酒の席につきあわせたことを詫び、今度はもっといい酒を用意しておく、とロイドにこっそりウインクをしながら。


 いつの間にかでき上がった大きな集団の中心にはアンジェニカとロイド。それを見ているほかの貴族たちは、黒髪の鬼畜伯爵を見て、本当にあの方なのか? とささやき合っている。


「ロイド様を初めて目にした方々は混乱するでしょうね」

「そうね」


 アンジェニカがメリッサの言葉にうなずいた。


 賓客たちがすべて到着したところで、中央の扉が開き国王グランデと王妃が入場した。後ろには先の王妃が生んだ二人の王子とその婚約者。グランデの視線の先にはアンジェニカとロイド。グランデがわずかに微笑んだことに気がついたのはヨシュアだけ。


 国王と王妃のダンスで始まったパーティーは、美しいドレスの華が会場を埋めつくし、国王へのあいさつや歓談と、これまでにないにぎやかなものとなった。それはグランデがこれまでになく楽しそうにしているからだろう。


 そしてその中で一番笑顔を見せているのが今。グランデのもとにあいさつに来たアンジェニカとロイドとヨシュアを前に、楽しそうに笑うグランデ。ヨシュアも何やら上機嫌で相づちを打っている。


 そこにロイドを鬼畜伯爵と呼ぶ者はもういなかった。ただ、噂以上の美貌に、心を撃ち抜かれてしまった令嬢は何人もいたが。


 あいさつを終えた二人が王宮をあとにしたのはそれからすぐだった。


「囲まれる前に帰ったほうがいい」


 アンジェニカの体調を気遣ったヨシュアの助言にうなずいた二人は、喜んで会場を出て馬車に乗りこんだのだ。


「疲れた?」

「ちょっとだけ」


 少し無理をしたかもしれない。早く宿で休みたいところだ。


「私の奧さんは頑張りすぎるからね」


 そう言ってアンジェニカの頭を自分の膝の上に乗せたロイドは、優しくその髪をなでた。


「宿でゆっくり休んだら、領に帰ろう」

「そうね」


 座席で横になったアンジェニカはロイドの顔を見あげ、窓の外に見える雲を眺めた。


 早く帰って愛しい人たちの顔を見たい。かわいいクレソンの真っ赤な毛に顔を突っこみたいし、でき上がっているであろう新しい魔道具も見たい。作りかけのテーブルランナーの刺繍も完成させたいし、お気に入りの小説もそろそろ読了だ。仕事の新しい企画書がもう少しで出来上がるからヨシュアに見せようと思っている。ロイドとゆっくりお茶を飲みたいし、これから生まれてくる子どもの名前もそろそろ決めておきたい。


「ロイ、私は幸せよ。大好きなあなたがいて、大好きな人たちに囲まれて好きなことだけをしていられる人生なんて最高だわ」

「私も幸せだよ」


 アンジェニカに出会わなければ、今頃どんな人生を送っていたか。


 ロイドがアンジェニカに顔を寄せると二人は軽くくちづけを交わした。少しの触れあいだけでも、二人の心は幸せで満たされる。


「やっぱりこのまま領に帰らない?」


 アンジェニカがそう言って笑う。


「大丈夫なの?」

「屋敷のほうが落ちつくもの」

「わかった。そうしよう」


 ロイドがうれしそうにうなずく。


「ハンナとメアリーに急いで荷物をまとめてもらわないと」

「もうとっくに準備が整っているかもしれないよ」

「フフフ、そうね。二人ならきっと私たちの考えることなんてお見通しね」

「できる使用人だからな」

「早く帰りたいわ」

「ああ、早く帰ろう」


 愛しい人たちが待つ我が家へ。










 おわり

最後まで読んで下さりありがとうございます。

本作はこれにて完結となります。

少しでも面白いと思ったら、

★、ブクマで評価いただけるとありがたいです。


ありがとうございました。



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