傷だらけのマリアベル
紅狼たちは少しずつその数を増やし、アンジェニカたちを囲んでいく。しかし、そこに敵意は無くロイドが前に進めばスッと道を開け、決して邪魔をする気はなさそうだ。
「もしかしたら、受け入れてもらえているかもしれませんね」
クレソンのお陰か、何事もなく紅狼のアジトまで辿り着くと、ロイドはギョッとして立ち止まった。大きな岩の前に横たわる血まみれの紅狼。片目は潰れたのか血に染まり、左の前足が無い。傷だらけの身体で息も絶え絶えだ。
「マリアベル……」
ロイドがその名を呼んだ。勿論反応は無い。ロイドが勝手に付けたのだから。しかし、唯一動くその潰れていない右目でじっとロイドを見ている。
「マリアベル、前に言っただろ?今度は美味しいお土産を持って来るって」
ロイドがそう言うと、肩に担いでいた大きな袋から、柔らかく煮た赤怪鳥の肉の入った革袋を取り出した。
「本当は牛肉とか豚肉とか持ってきたかったんだけど、家畜の味を教えるわけにはいかないからさ」
そう言うと大きく浅い皿に入れて、ゆっくりとマリアベルに近づく。横たわるマリアベルの周りを歩き回ってロイドを警戒する紅狼たち。
「大丈夫だ。私はマリアベルに攻撃はしない。毒も入っていない」
そう言うと、皿の肉を一つ口に放り込んだ。肉の味しかしないがとても柔らかい為、数回噛むだけですぐに口から無くなる。その様子を見ている紅狼たち。
「賢い子たちなのね。ずっと様子を窺っているわ」
アンジェニカが小さい声で呟く。
ロイドがマリアベルの前まで行ってゆっくりとしゃがみ込むと、顔の近くに肉の入った皿を置いた。
「君はおばあちゃんだからさ。柔らかい肉が良いかと思ったんだけど、他のものの方が良かったかな」
ロイドは寂しそうに笑った。
ロイドの目の裏には、今もあの美しく堂々とした姿のマリアベルが焼き付いている。リーダーが代わっているなら既にこの世にはいないかもしれない。そう思いながら、そうではないことを祈ってここまで来たが、こんな姿を見ることになるとは思ってもいなかった。
ゆっくりと横たわっていた身体を起こしたマリアベルは、目の前に置かれた皿の匂いを嗅ぐと、ベロッとその汁を舐め、ハグッと柔らかく煮た赤怪鳥の肉を食べた。そして目を細めると、再び頭を横たえた。
「食べてくれてありがとう」
ロイドはゆっくりと手を伸ばしマリアベルを撫でようとした。しかし、小さく牙を剥いて唸ったマリアベルはそれを許さなかった。
「……残念」
ロイドは寂しそうに笑う。すると後ろからクレソンが近づきマリアベルの匂いを嗅ぎ始めた。そしてその顔を舐めた。マリアベルはやはり唸ったが、クレソンはお構いなしだ。周りの紅狼たちも様子を窺うだけで敵意を向けることは無い。
「樹窟の紅狼たちが、今回の騒動を起こしているんじゃないってはっきりしましたね」
「ええ」
セイラがアンジェニカに囁く。
マリアベルの周りを囲む紅狼たちはきっとマリアベルを守っているのだ。そして、常に横に居る紅狼がこの群れの新しいリーダーなのだろう。
「この怪我は誰にやられたの?」
ロイドが訊いたところで互いに分かりはしないが、それでも訊かずにはいられない。
「はぐれモノのアイツにやられたの?」
何を訊いても、マリアベルはロイドを見つめるだけ。
「私たちはあの、はぐれモノを始末するつもりだ。君たちの仲間だとしても、これ以上被害を拡げるわけにはいかないから許してくれ」
「グゥ」
まるで返事をするかのように聞こえる声。
「もう行くよ。私たちが居ると君が疲れてしまうからね」
ロイドが立ちあがると、ゆっくりと後退りをして、アンジェニカの元まで行く。そして四人は紅狼のアジトを離れ樹窟の出口に向かった。
クレソンはマリアベルの鼻に自分の鼻先を付けると、ぐっと顔を上げ周りの紅狼たちを見渡し、身体を返してアンジェニカたちの後に続いた。
紅狼たちは襲い掛かることもなく追ってくることもなかった。
「はっきりしましたね」
アンジェニカの言葉にロイドが頷いた。
「ああ。明確な敵ははぐれ紅狼」
それから二日掛けて屋敷に戻ったロイドたちは、四人がいない間に二度の襲撃を受けたと聞いた。
一度目は、額に角を持つ一角兎の集団が、地面を掘りシールドを潜り抜けて出てきた。その時は巡回していた騎士によりすぐに騎士隊が集結し、一気に討伐をした。
二度目は、苔狐がシールドの僅かな隙間を抜けようと大量に出現したが、火に弱い苔狐を火魔法の使い手たちが黒焦げにした。
「やはり、奴らはシールドと人間をよく見ています。隙のある所ばかり狙ってきました」
「その隙は意図的だけどな」
隊長のベンとベンガルの報告を聞く限り、割と単純な罠に引っかかっている。
「小型魔獣ばかりで、大型魔獣は全然出てこないな」
「そうなんです」
大型魔獣を従えてはいない可能性がある。
「どれもこれも臆病な草食魔獣で、普段は森の奥で大人しくしている奴等ばかりですよ」
確かに言われてみればこれまでもそうだ。肉食魔獣もいたが、全て小型。数が多く立て続けに攻撃をしてくるから、騎士隊の疲労も手伝って苦戦してはいたが、平時なら手子摺るような相手ではなかった。
「なるほどな。つまり、はぐれ紅狼が従えているのは自分より弱い小型魔獣のみ。紅狼の群れは一切関知していない。それどころか、はぐれ紅狼を敵視している可能性もある」
何故マリアベルがあれほど傷付いていたのか。想像の域を出ないが、はぐれ紅狼にやられたのではないか。マリアベルの周りには常に仲間がいた筈。それでも、あれほどの傷を負うなんて。
「マリアベルは、助からないのでしょうか?私たちに出来ることは?カリン様にお願いして治療してもらうのはどうでしょう?」
アンジェニカが言うように、カリンに頼めばどうにかなるかもしれない。しかし。
「マリアベルは紅狼のリーダーだ。人の力を借りることは望まないだろう」
「でも」
「……」
ロイドはそれ以上何も言わなかった。アンジェニカも、それ以上言うことを止めた。
「今は奴を倒すことに集中しよう」
はぐれ紅狼を見つけるために、隠密行動を得意とするトマーソンと闇魔法の使い手のジェイが気配を消し、闇に隠れるように森の木々に身を潜めた。今回はこちらから仕掛けて、はぐれ紅狼を誘き出すのだ。
最初の作戦では、シールドを襲撃してくる魔獣と、後ろで様子を見ているはぐれ紅狼を同時に攻撃するはずだったが、数で上回る魔獣に対して力が分散するのは分が悪いと判断し、はぐれ紅狼のアジトを見つけてそこを叩くことにした。
いくつかの小隊に分かれた騎士隊が、交代で森に入って見かける魔獣を全て駆逐し、挑発行為を繰り返したのだ。小さい魔獣は 水鼠から大きい魔獣は 大岾猫まで。まんまと挑発に乗った多種の魔獣たちが徐々に集まり始め、騎士隊と魔獣の戦いは激化する。騎士隊を指揮するのはロイド。
その様子を離れた所で見ているはぐれ紅狼を、トマーソンとジェイが見張っていた。
はぐれ紅狼はじっと目の前の戦いを見ている。魔獣が次々にやられていくのに、人間は少しすると傷一つない身体で再び戻って来る。はぐれ紅狼は人間の様子を見ながら、戦場から離れた所に黄色く光る場所を見つけた。その光を浴びると人間がまた戻って来る。
はぐれ紅狼が低く遠吠えをすると、その遠吠えに反応した魔獣たちが一斉に辺りをキョロキョロと見回す。そして、魔獣たちが一斉に騎士たちが集まる光の方向へと向きを変えて突進した。狙うは黄色い光を放つ少女。
「キャ!」
神官のカリンは、突然無数の足音と共に魔獣が自分に襲い掛かって来たことに恐怖して悲鳴を上げた。そのカリンの周りを囲むのは、護衛を任されたハンナ、リアーナ、ヤッセン、エブソン。それぞれ武器を構えて既に臨戦態勢だ。
「カリン様に近づけるな!」
ハンナの声と同時にヤッセンが業火を放ち、魔獣を黒く炭にした。
「ヤッセン、山火事だけは起こすんじゃないよ」
リアーナがそう言うと走り出し、魔獣に突っ込み長剣を振り下ろす。その風圧だけで魔獣が大量に吹っ飛んでいく。
「リアーナ、楽しそうだね」
ハンナが薙ぎ払った魔獣は、身体を半分に分け地面にボタボタと落ちていく。
「ハンナ、どっちが沢山狩れるか久しぶりに勝負しようよ」
「何言っているのよ。あなたは吹っ飛ばしてしまうから、数が分からないじゃない」
ハンナが呆れ顔で長槍を魔獣に突き立てる。
「雰囲気よ、雰囲気」
リアーナはケラケラと笑いながら長剣を振り下ろす。カリンは唖然として、その手が止まってしまった。
「すみませんね。うちの女性陣は皆さんおっかなくて」
エブソンがヘラリと笑う。その手は魔獣の血で真っ赤に染まっていた。
「い、いえ。本当に皆さん、強くて頼もしいです」
「そりゃ、全員名の知れた元騎士ですから」
「え、騎士なんですか」
「そ。公爵閣下も、国王陛下も過保護だから、一騎当千の強者ばかりロイド様に付けたんですよ」
「そうなんですね」
「なので、安心してください」
エブソンがそう言った時、銃声と共に頭上から炎に包まれた青嘴烏がバタバタと落ちてきた。
「キャ」
カリンがまたもや小さく悲鳴を上げる。
「あー、奥様です」
「え?え?奥様?」
「うちの奥様も普通じゃないんで」
カリンは辺りをキョロキョロしたが、アンジェニカを見つけることは出来なかった。
暫くすると再び遠吠えが聞こえ、その遠吠えを合図に魔獣が一斉に引き揚げ出した。
「引いて行きますね」
「はい」
騎士隊は魔獣を少しだけ追いかけたが、深追いすることはしない。今回の目的は、はぐれ紅狼のアジトを見つけることだ。だからと言って、全く追いかけないのも疑わしいので、少し追いかけてそれらしくみせる。あとはトマーソンとジェイが上手く追跡してくれることを祈るしかない。
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