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特別な紅狼

 魔獣の樹窟の調査隊はロイド、アンジェニカ、セイラ、エブソン、そしてクレソン。セイラとエブソンはアンジェニカの護衛だ。


 セイラの土魔法は、自然豊かな場所ではかなり強力だし、身体能力の高いエブソンは身動きの取り辛い場所でも難なく動き回ることが出来る。それに、厩舎番のエブソンは動物を見分ける能力に長けていた。


 騎士隊には自分たちが魔獣の樹窟に入るまで、魔獣たちの気を引いてもらうことになっている。魔獣の樹窟に近づかずに魔獣たちを追い、気を逸らす。カリンにも後方支援として参加してもらうことになった。


「気を付けて」


 隊長たちに見送られて、調査隊は出発した。クレソンは出発する前まで、ずっとクンクンと鳴いて辺りを行ったり来たりとウロウロしていたが、いざ出発をすると、ノートと一緒に走るのが久しぶりだったからか、ノートにちょっかいを掛けながら元気に走り始めた。ノートは面倒くさそうに鼻を鳴らしていたが。


 魔獣の樹窟に着いたのは出発から二日後。馬が走れる道は一日もあれば終わってしまう。馬は拓けた場所にシールドを張って置いてきた。そこからは、けもの道を静かに歩いて進む。意外にもクレソンは怖がることもなく、耳をピンと立てて足取りも軽やかに進んでいる。


「魔獣の樹窟に入ったことはあるのですか」


 アンジェニカがロイドに訊いた。意気揚々と出てきたくせに、今になって不安になる。樹窟というくらいだから森の奧は深く暗闇のように先が見えないのではないか?深く広がる森のどこを目指せばいいのか?


「ああ、幼い頃と大人になってからと一回ずつ。幼い頃は調子に乗って一人で行ってしまって、迷子になったんだけどね」


 ロイドが少し恥ずかしそうに笑った。


 ロイドがミリタリル領に来たばかりの頃、屋敷の使用人はジェイとハンナとセイラしか居なかった。なんで自分はこんな目に遭わなくてはならないのか?父は仕事が忙しくてあまり会いに来てはくれない。自分は嫌われている、愛されてはいない。幼心に感じる虚無感がロイドを自棄に走らせた。


 誰にも気が付かれない内に屋敷を飛び出し、森の中を走りながら剣を振り回し、抵抗しない木を傷付け、小動物を威嚇してその怒りを晴らす。十歳のロイドに出来ることなんてその程度。しかし、土地勘も無いまま闇雲に走ったロイドはあっという間に迷子になり、気が付けばボロボロと涙を零しながら、父を、ジェイを、ハンナを、セイラを呼びながら歩いていた。


 どれだけの時間を歩き続けたのかは分からない。周りは木に覆われているのに、少し明るい不思議な空間を、泣きながら寝て歩いて空腹に目を回しながら過ごした。


 長い時間を過ごし森への恐怖は無くなったが、疲労と絶望感だけは膨れ上がる。自分のことを心配しているであろう使用人と父に謝りながら、全てを諦めて木の根に身体を預け、長い時間見えない空を見上げて過ごすロイド。


 そんな誰も返事をしてくれない不思議な空間で、唯一自分を見つけてくれたのは紅狼(ガオルフ)だった。


 目の前に現れた真っ赤な毛をした大きな魔獣を初めて見たロイドは、恐怖に声も出せずに震え失禁しそうになった。そんなロイドの顔を舐め、伏せをした紅狼(ガオルフ)はクイッと鼻先で自分の背を示した。


「……乗っていいの?」


 そう訊いても大きな紅狼(ガオルフ)は答えてはくれない。だが、ブルブルと震えながら漸くその背にしがみ付いたロイドを屋敷の近くまで送り届けてくれた。






 それが、紅狼(ガオルフ)のリーダーであるマリアベルとの出会い。


「その時は知らなかったのだけど、私はいつの間にか魔獣の樹窟に入っていたようなんだ。それに多分マリアベルはずっと私の近くにいたと思う。魔獣の樹窟に入ってマリアベルに出会うまで、魔獣を一匹も見なかったから」

「マリアベルが守っていてくれた、ということですか?」

「そうだと思っているよ」


 ロイドの柔らかい笑顔から、マリアベルに対する想いが特別なものだと感じられる。


「大人になって一度魔獣の樹窟に入ったら、すぐに紅狼(ガオルフ)の群れに囲まれたけどね」


 ハハハ、と笑うロイドは、あの時は大変だったと困ったような顔をする。牙を剥いて今にも襲い掛かろうとする紅狼(ガオルフ)たちと、たった一人で樹窟に入り込んだロイド。明かにロイドの軽率な行動が招いた窮地。決して紅狼(ガオルフ)と戦うつもりはなかったが、何もしなければヤられる。


 急襲に備えて剣に手を掛けた時、大きな威嚇の声と共に現れた紅狼(ガオルフ)。他の紅狼(ガオルフ)より二回りも大きく、揺れる真っ赤な美しい毛を見てマリアベルだとすぐに分かった。


「やぁ、久しぶり」と、まるで旧知の友に挨拶をするように声を掛けたロイドを、じっと見つめるマリアベルは、プイッと鼻でロイドの後方を示した。


「……帰れ、って?」遊びに来たわけではないが、もう一度マリアベルに会いたかったロイドは少し残念そうに首を竦めた。「分かった。今度は何か美味しいものをお土産に持って来るよ」ロイドはそう言って後退りをしながらその場を離れた。


「それからは入っていないんだ」

「あなたも私に文句を言えないくらい無鉄砲だわ」


 アンジェニカは呆れ顔だ。でも嬉しかった。やはり紅狼(ガオルフ)は人が思う程、獰猛な魔獣ではない。


「マリアベルが特別なんだよ。決して紅狼(ガオルフ)は優しい魔獣ではないんだ」


 アンジェニカの心が読めるのか、アンジェニカが口にするより先にロイドが言葉を足した。


「……」


 アンジェニカよりずっと魔獣のことを知っているロイドの言葉は正しい。クレソンという特別な紅狼(ガオルフ)しか知らないアンジェニカはつい甘く見てしまうが、実際の魔獣は人を襲うのだ。


「さぁ、もう魔獣の樹窟はすぐだ」


 ロイドが指をさした先に、今までよりずっと暗く重々しい雰囲気をした森が見えてきた。けもの道が数本その森に向かって伸びていて、アンジェニカたちはそのうちの一本を辿ってやってきた。一番細く魔獣もあまり通らない道だ。


 意外にもクレソンはここまで進んできても怯えることがない。言い方を変えれば、クレソンが怯える相手が居ないということだ。紅狼(ガオルフ)の鋭い嗅覚とクレソンが敏感に感じ取る気配が無いということは、あの紅狼(ガオルフ)は今ここにはいないのか、いつもいないのか。


「今から入るが、先に話した通り無理に進むことはしない。もし見つかったら、出来るだけ戦わずに逃げる。クレソンの反応さえ確認できればいい」


「分かったわ」


 アンジェニカとセイラとエブソンが頷いた。


 魔獣の樹窟の入り口は、大きな岩を覆うように樹の根が張っていてとても分かりやすい。その大きな岩の形は歪で地面には着いていない。多分大昔に何らかの理由で地盤が下がり、根が地面から大きく露出し、根に挟まれた岩はそのまま浮いているような状態になっているのだろう。いつ落ちてくるのかと心配にならなくもない。実際あちこちに砕けた岩が落ちていて、危険ではないとはとても言えない。


「岩が落ちてくる前に入ろう」


 ロイドが縁起でもないことを言いながら先頭を行く。次にアンジェニカとクレソン、続いてセイラ、エブソン。


 樹窟の中は入り口同様に大樹の根が露出していて、葉はずっと高い所にある。鬱蒼としているというより、殺伐としている感じだ。暫く進むと、漸く根が土の中にある見慣れた姿の大樹が茂る森となった。


 不思議なことに、太陽の光は一切入っては来ないのに、森の中は少し明るい。


「不思議ですね、ここは」


 魔獣の住処に侵入しているとは思えないほど、穏やかな空間。


「油断は禁物だ。既に彼等は私たちの様子を窺っている」


 つまり、既に見つかっていて見張っているということ。クレソンは耳を立て、周りをキョロキョロしているが、敵意を見せていない。相手もクレソンを連れていることで、不審者たちとの距離を取りかねているのだ。


「もうすぐ紅狼(ガオルフ)のアジトだ。そこに着く前に攻撃をしてくるかもしれないので用心して」


 平然とした顔で歩くロイドとセイラとエブソン。流石に心配になってきてクレソンにぴったりと引っ付いて歩くアンジェニカ。


「あっ」


 アンジェニカが小さく声を上げた。少し離れた所にポツポツと姿を現し始めた紅狼(ガオルフ)


「なんだか、……小さい?」


 クレソンより少し小さく見える紅狼(ガオルフ)たち。


「クレソンより幼い子たちなのね」


 アンジェニカが呟くように納得した。


「いや、あれは成獣ですよ」


 エブソンが言う。


「え?」

「クレソンが大きいんです」

「そうなの」


 クレソンはキョトンとしている。仲間と思ってはいないようだ。





読んで下さりありがとうございます。

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