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仮面の鬼畜伯爵

 翌日。予定より早く、いや、かなり早くロイドが到着した。


「朝いらっしゃるとは聞いていたけど、まさかこんなに早いなんて」


 貴族の朝は昼前までを言う。時間をしっかり確認していなかったシアートルにも問題はあるが、まさか鳥がさえずる朝陽が眩しい時間に来るとは思いもしなかった。


 アンジェニカは起きてはいたが完全に身支度が整っていなかったので、慌てて髪を整えバッグを持って外に出た。その後をノロノロと軽い装いで出てくる家族たち。


 そしてロイドの顔を見た時一様にギョッとして、目が覚めた。


 ロイドが仮面を着けていたのだ。


「何よ、アレ」


 ベロニカは聞こえそうな声で呟いた。


 真っ白な面に、金と赤で描かれたそれは、神獣スネルトではないか。蛇の頭に獅子の身体を持つと言われる、創造主ゲムルが従えた神獣の一つと言われているスネルト。


「モルガン伯爵。わざわざこのような所まで足を運んで下さりありがとうございます」


 シアートルは嬉しそうにロイドに近づいた。


「挨拶はいい。婚約者は?」


 ロイドはシアートルなど気にも留めないで、辺りを見回した。そして、旅行鞄を持ったアンジェニカを見つけると、スッとその前に進み出て挨拶をした。


「あなたが私の婚約者か?」

「はい、アンジェニカと申します」

「分かった。では行こう」


 それだけ言うと、アンジェニカからカバンを受け取り、アンジェニカの手を取りさっさと馬車に乗り込んだ。


「は?モルガン伯爵、どちらへ?」


 あまりの出来事にシアートルは暫く言葉も出なかったが、ハッと我に返ってロイドを引き留めようとした。


「我が領に帰るのだ」

「そ、そんな。何も、来ていきなり帰らずとも。ぜひ、我が屋敷でお寛ぎください」

「その必要はない」

「それはあんまりです。親子の別れも無いまま」

「時間はあったであろう。では」


 そう言うとアンジェニカとロイドを乗せた馬車はあっという間に見えなくなってしまった。


「……なんてことだ」


 まさか、こんなふうに娘を連れていかれるとは思わなかった。別れの挨拶もまだしていないし、餞別に用意したネックレスも渡せていないのに。







 こ、困ったわ。


 アンジェニカは静まり返った馬車の中で、一体どうしたらいいのかと悩んでいた。


 目の前に座る仮面の男が自分の婚約者であるモルガン伯爵ロイド・パークス・ヤヌスであることは分かっているのだか、如何せん一言も話さない上に、表情が分からない。


 沈黙した馬車の中で、ひたすら揺られながら何日間過ごすことになるのか。


「あ、あの」

「……」

「私、アンジェニカ・ララ・ミドルと申します。アンジェニカと呼んでください。突然、婚約者が変わってしまい申し訳ございません」


 アンジェニカが頭を下げると、アンジェニカの頭の上から甘くすっと耳に入ってくるいい声が聞こえた。


「ロイド・パークス・ヤヌスです。私のことはロイドと呼んでください。婚約者が変わったことについては、別に問題はありません。こちらも色々と訳有りですから」


 アンジェニカは思いもよらない言葉に目を見開いた。とても丁寧で優しい声は、想像していた鬼畜伯爵からかけ離れているように感じたのだ。ただ、訳有りと言われるとちょっと身構えてしまうが。


「それより、朝早く着いてしまったことをお詫びしなくてはなりません。逸る気持ちが抑えられず張り切って宿を出てしまい、申し訳ない」

「い、いえ。そんな」


 頭を下げて詫びるロイドにアンジェニカは慌てて頭を上げるように言った。


 逸る気持ち?張り切って?聞き間違いかしら?


「食事は取られましたか?」

「はい」

「それは良かった」

「お気遣い下さりありがとうございます」


 仮面の下から聞こえる甘く通る声は、先ほどまで緊張して強張っていたアンジェニカの身体を、ゆっくりと解していった。


「あなた方にしても迷惑な話だったでしょう。陛下からの話とあっては断ることも出来ないですし」

「いえ、それは」


 その通りなのだが、本人からこのようなことを訊かれてもいい答え方が浮かばない。


 正直な所、自分には関係ないという思いもあった。ベロニカに務まるのかという不安も。しかし、シアートルが言うには、ロイドは結婚相手に伯爵夫人としての務めを求めていないらしい。それなら、ベロニカでもどうにかなるかもしれないと思っていた。「要は、伴侶が居る事実があればいいらしい。今までのこともあるからな」と言う父の説明に納得した。


 形だけでも伴侶が居れば体裁が保てるということなのか。伯爵夫人としての仕事をしなくても、可愛らしいベロニカならそこに居るだけでも喜ばれそうだが、なるほど。お飾りをお探しということか。ロイドの女性遍歴を知れば、そこまで妥協されるのも仕方がないことか。


 しかし、それに対して声高に不満を言い募ったのがベロニカ。本人にしたら面白くないだろう。


 お飾りである上に、女性として求められているわけではない。山奥の片田舎では今までのように、お茶会やパーティーに参加も出来やしない。男性にちやほやされることが女性の価値を決めると思っているベロニカにとって、何もない山奥では監獄に送り込まれるのと同じだ。


 ベロニカが嫌がるのも無理はないわね。それにしても、ここまで結婚に拘るのは何故かしら?四度も失敗しているのだから、そろそろ諦めてもいい気がするのだけど。


 ロイドはアンジェニカの思案顔を眺めながら、一つ深呼吸をした。


「アンジェニカ嬢に一つお願いがあります」

「はい、何でしょうか」


 いきなりお願い?


 悶々と答えの出ない疑問を考えていたアンジェニカは、ロイドの通る声に思考を止めた。


「その、自意識過剰なことを言って申し訳ありませんが」

「はい」

「私のことは好きにならないでください」

「……は?」


 確かに自意識過剰だわ。四度も失敗しているのに。鬼畜と言われていることをご存知無いのかしら?


「いや、その」


 ロイドは、目が点になっているアンジェニカを見て、顔を赤くしている、ようだ。仮面では隠しきれていない耳が赤い。自分で言っておきながら恥ずかしかったらしい。


「この仮面は、あなた以外に顔を晒さないために着けました」

「ということは、私の前では取って下さるのですか?」

「はい。あなたが私を好きにならないと約束して下さるのでしたら」


 何と答えていいのやら。


「好きにならなければいいのですね?」


 溜息が出ちゃうわ。鬼畜伯爵を好きになる人っているの?


 思わずそんな言葉が漏れそうになるのをグッと堪えたアンジェニカ。


「分かりましたわ」

「では、取っても良いでしょうか?」


 良いも何も、着けて欲しいと頼んだわけではない。


「どうぞ、取って下さい」


 アンジェニカの言葉にロイドはモジモジしつつも仮面を外した。


 あ、そういうことか。


 目の前に現れた美しい顔に、あっという間に心を奪われた。心を奪われたと言うのは大袈裟か。ただ、目が離せない美しさ。


 短く艶やかな黒い髪と黒い瞳は話に聞いていた通り。それにスッとした鼻筋に、くっきりした目は目尻が僅かに垂れ、薄い唇は上品でプルプルと艶やかに見えているのは気のせいだろうか。よく見れば服の上からでも分かる鍛え上げられた体躯。


 眉目秀麗とはこの方のためにある言葉だわ。


 じっと見つめてしまったアンジェニカは、ふとロイドと目が合い、我に返って顔を赤くした。


「も、申し訳ありません」

「い、いえ」


 アンジェニカにつられてロイドも顔を赤くする。


「それで、先ほど言ったことですが」

「ロイド様を好きにならない、ということですね」

「はい」

「私は、お飾りの妻であることは重々理解しているつもりです。その上で、理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「え?いや……」


 既に恋人がいるが、陛下の薦めて下さるお話を断り切れなかったと言うなら、二人の愛を邪魔しないとお伝えしなくてはならないし、既にお子様がいらっしゃって、乳母としての役割を果たす者が必要だというなら、未経験ではあるが頑張ろう。乳は出ないけど問題は無いかしら?もしかして、やっぱり男色?まぁそれなら、それでもいいが、跡取りは必要なのよね?いや、それとも……。


 アンジェニカの想像はどんどん最近読んだ小説さながらに奇抜になる。


「あの、別にお飾りの妻を望んでいるわけでは。ただ、陛下が薦めて下さったお話なので、お断りが出来なかったというのはありますが」


 今まで失敗した四人とも国王自ら選んだ令嬢たちだった。しかし、それでも彼の元を逃げ出したのだ。逃げ出すと言うことは、国王の顔に泥を塗るのと同じだ。それでも、国王はそれを全て許している。そして、今回で五人目。


「そうですか」

「陛下は、私のことをとても心配して下さっているので」

「そのようですね」

「はい」


 ロイドは申し訳なさそうな顔をしている。初対面の自分に対して、そんなに素直な感情を見せていいのか心配になる。そしてそんな姿がアンジェニカには可愛らしく見えた。いや、本当は特に可愛らしい仕草をしているわけではない。何のフィルターが掛かっているのか、ロイドの仕草も声も表情も、何もかもが人を惹き付けるのだ。


 でも。今、目の前にいるロイド様が本当の姿とは言えないわ。そうでもなければ、彼から逃げ出す人なんて居るとは思えないもの。屋敷に着いた途端に本性を現すのかもしれない。


 アンジェニカは用心しようと心に決めた。それなのに、その決心を一瞬にして壊すロイドの言葉。


「出て行った四人の令嬢たちは、私を愛することが辛いと言っていました」

「は?」


 ついアンジェニカは間抜けな声を出した。思ってもいない言葉を聞くと、人は時として全ての教養を失うらしい。


 ただ、顔を赤くしているロイドを見れば、ちゃんと聞いてあげなくてはいけないと思ってしまう。




読んで下さりありがとうございます。

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