ゲイルズの言い分
アンジェニカが帰って来たのは、ゲイルズたちが邸に忍び込んで随分してからだった。
「お帰り、どうだった」
アンジェニカを出迎えたロイドが腕を広げると、アンジェニカは笑顔でその腕に包まれた。そしてロイドはアンジェニカの柔らかい唇に口付けをした。
「いい感じよ。それに益々魔道具部は忙しくなるわ。お義父様と打ち合わせをしなくてはいけないし、荷物を運送するために騎士隊にも頑張ってもらわないと」
「それは大変だ」
ロイドはニコニコしてアンジェニカの細い腰に手を回し、食堂に向かった。
「お腹空いたわ」
「今日はいい魚が入ったってリアーナが言っていたよ」
「まぁ、楽しみ」
結婚したばかりの二人は相も変わらず仲が良い。
ロイドは人前に出ても平気になった。勿論、その美しさで人を惹き付けることは変わらないが、突然訳も分からない恋情を抱かれて押し寄せてくる人は居ないし、病的に執着してくる人も居ない。お陰で領主としての仕事が出来るようになって、町への視察も顔を隠さずに行けるようになった。
ジェイの負担もかなり減ったし、アンジェニカは屋敷の管理と仕事に力を入れることが出来ている。
ヨシュアが後ろ盾となってくれていることもあって、魔道具の売れ行きは概ね順調。いずれは自分たちの力で販路を拡げていきたいというのが目下の目標だ。
とは言っても、今はとにかく仕事を熟すので精いっぱい。騎士隊は魔獣討伐や護衛の仕事で今やフル稼働している。
魔道具の中でも特に大型の凍結庫は荷馬車を何台も必要とする。しかも高価なため、盗賊に狙われることもある。
それに小物で最近人気の、空間温度調整装置付きのネックレスも、順調に売り上げを伸ばしている。ネックレスに組み込まれた魔法を発動させると、首回りを中心に涼しくしたり暖かくしたり出来る。これは、かなり高価で貴族相手の商品ではあるが、三個、四個とまとめて購入する貴族が多いため、今や看板商品の一つだ。
勿論高価な商品の為、運送にもかなり気を遣わなくてはならない。
「ところで」
「何?」
「外にミドル家の馬車があるけど」
漸くちょっとだけ気にしていたことをアンジェニカが口にした。
「ああ。ミドル家の当主とその奥方がやってきて、君に会わせろって騒いでいたよ」
「そう。二人はどこにいるの」
「うん」
ロイドが何故か口籠る。
「ロイ?」
「……彼らは西の邸に入った」
「西の……」
アンジェニカが絶対に入ってはいけないと言われている、幻影魔法が掛けられている建物。
「数日したら、出られると思うよ」
数日間は放置するのね。
アンジェニカは心の中で大きく溜息を吐いた。
彼らが見せられている幻影はどんなものだろうか?欲求に応えてくれているだろうか?恐怖に震えるような恐ろしいものだろうか?決して二人を助ける気はないけど。
「ちゃんと、ミドル家の屋敷には帰してあげてください」
「いいの?」
「こんな所で死んだりしたら、寝覚めが悪いです」
「そうだね」
ロイドはニッコリと笑った。
一週間もすれば精神が崩壊するだろう。そうなる前には幻影を解除しないとな。
出来ることならアンジェニカの目に触れる前に処分してしまいたいが。そう思ってアンジェニカをチラッと見ると、ジッとロイドを見つめている。ロイドは慌てて薄黒い思考を追いやった。
「大丈夫だよ。ちゃんと帰すから」
今度はアンジェニカがニッコリと笑った。
ベロニカが西の邸から出てきたのはそれから六日後のことだった。出てきたというより、セイラとハンナが引き摺り出したというべきか。ドレスを脱ぎ捨て、コルセットではなくシュミーズを着ているのだが、肩から下に下ろしたのか破けていて乳房が丸出しになっている。
「なんでこうなるの?」
異臭を放つベロニカを見下ろしながら、ついそんな品の無い言葉がアンジェニカの口から零れた。
少しすると、シーツを抱えたメアリーがやってきて、ベロニカをシーツでグルグルに巻きそのまま縛り付けた。ベロニカはそれを嫌がることもなく、トロンとした目でどこともなく見詰めては捜すようにロイドの名を呼ぶ。
「いい夢を見ていたようですね」
ハンナは淡々とした口調で、恍惚とした顔のベロニカを見下ろした。幻影魔法から解放されたベロニカは、いずれ脳内にある甘い世界から引き離され、現実を知ることになる。それとも、そのまま自分が作り上げた都合のいい世界に身を置くことを選ぶか。その方がベロニカには幸せかもしれない。
メアリーがベロニカの口元に水の入ったコップを当てると、ベロニカが必死に水を飲み干した。
二人が邸に忍び込んでから六日間、馬車はその場を動かずにずっと二人を待っていた。それというのも、ロイドが寝室を一部屋貸してくれて、食事も出してくれたし、シャワーとトイレも自由に使わせてくれたし、馬も牧場で自由にさせてくれた。主人を心配などしてはいないが、別段不都合も無いどころか快適に過ごせたので、御者はご褒美でも貰った気分でのんびりと過ごしていた。
それから少しするとゲイルズがエブソンとトマーソンに肩を担がれるようにして出てきた。
「ゲイルズ様……」
「……」
アンジェニカの声に気が付いたゲイルズは、今にも殺しそうな目でアンジェニカを睨み付けている。しかし、一人では歩けないほど衰弱していて、殆ど引き摺られている状態だ。西の邸で唯一口に出来たのは、所々に置かれていたピッチャーの水。ポツンと置かれたそれを夢中で飲み干して命を繋いでいた。
馬車の前まで来て二人がゲイルズから離れ、ゲイルズは地面にぺたんと座り込んだ。そして目の前のベロニカの姿に気が付いて僅かに瞠目したがそれだけだった。
「……か?」
「え?」
「まんぞくか?」
弱弱しいゲイルズの声は、それでもアンジェニカを非難するに十分な程、憎しみが込められていた。
「俺の人生を滅茶苦茶にして、さぞ楽しいことだろう」
「何を仰っているのですか?いつ私がそんなことをしましたか?」
「ふん、惚けるか。ここなら味方もいるし、怖いものなんてないもんな」
ゲイルズのこの憎しみはどこから湧いてくるのだろうか?アンジェニカにしたら、完全な八つ当たりだ。自分たちで窮地を招き、勝手に忍び込んで幻影に苦しんだ。全部自分たちが招いていることではないのか?どうしたらそうやって人のせいに出来るのだろうか?アンジェニカには理解が出来ない。
「本当に私が悪いのでしょうか?ゲイルズ様に非が無いと?」
「なんで俺に非があるんだ。全てお前たちが俺にしてきた仕打ちのせいだろ!」
仕打ち?何のこと?
「全く身に覚えがありませんわ」
「やっぱり惚けるのか」
ハハハと乾いた笑いが聞こえる。
「お前たちは、いやお前は、俺を馬鹿にしていたじゃないか!」
「そんなことはしていませんわ」
「それすら気が付いていないのか、傲慢だな」
ゲイルズの声に少し力が入ってきた。
「私には一体何のことだか分かりません」
「……、お前が俺になんと言ったか覚えていないのか?ウィレミナ様が亡くなって、ベロニカたちが屋敷にやってきたばかりの頃だ」
「え?」
一体何年前の話をしているのか。
「全て私にお任せください、と言ったんだ」
「……」
いつかは分からないが、多分言っている気がする。だけどそれが何?
「自分はウィレミナ様からしっかりと学んだから、当主代行も出来る。全て自分に任せておけば心配はない、とそう言いたかったんだろう?」
「……」
確かに聞き方によってはそう受け取れる。実際、その時のアンジェニカはそう思っていた。全てを任せて、とは思っていないが、当主代行が出来るくらいに仕事を覚えようとは思っていた。それは、当主代行として仕事をしていたウィレミナを尊敬していたし、自分もそうありたいと思っていたからだ。
「俺は形だけの伯爵で、役立たずのお飾りだといいたかったんだろ!」
そこまでは言っていない!
「それに、こんな阿婆擦れを俺に押し付けて」
「は?お言葉ですが、不貞を働いたのはあなた方です」
「お前たちがお膳立てしたんだろ……!クッ、ゴホゴホ……」
「え?」
六日間飲まず食わずのゲイルズは、張り付く喉にむせ返って咳き込んだ。慌ててメアリーが差し出した水を奪い取ると、一気に飲み干した。
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