踏み越えてはいけない関係
凍結庫が順調に売り上げを伸ばし、騎士団の無駄をかなり省いたことで更に財政的に余裕が出来た。最近は研究費も増額したことで、新しい魔道具が次々と生まれている。とは言っても半分以上は没ネタだが。
それに農具を新しく仕入れさらに魔石の組み込まれた耕運機を農家に配った。これでかなり作業が楽になるはずだと開発したエリンが胸を張る。勿論、商品化を視野に入れているアンジェニカは抜け目なく準備中だ。
そして、山道の整備をするために魔道具部のマイルズに掘削機を作って欲しいと頼んだところ、何故か黒牛か黒闘牛を捕まえてきてくださいと言われた。黒牛は普通の牛と黒闘牛が掛け合わさった牛で、黒闘牛は真っ黒で岩のように大きな魔獣の牛だ。
出来上がった掘削機を見せてもらうと、大きな刃が無数に並んだスコップのようなもので地面を削り、硬い大きな鉄板で地を均す道具だった。しかも装着して使うもので黒牛や黒闘牛が適任だとか。確かに大きな掘削機で、黒闘牛に装着をしたらそれらしく見えるし、効率も上がりそうだが。
「さすがに黒闘牛は無理ね。アレはただの暴れ牛だし。黒牛は大人しい性格だから黒牛の方がよさそうだわ」
「黒牛は身体が小さいんですよね」
掘削機を作ったマイルズは不満そうだが、黒牛は黒闘牛よりは小さいが、普通の牛より二回りほど大きいのだ。
「黒牛なら飼育されているから、買い取ってすぐにでも掘削機を装着することも出来るわよ」
アンジェニカが言うとマイルズは納得して、黒牛に合わせたサイズに調整してくれることになった。掘削機は山道整備以外に森を削って居住区を拡げるための開拓にも活躍した。それによりミリタリル領に住む人が増えることが期待できる。山道の整備を開始するために人を集めたところ想像以上に人数が集まり、掘削機を早急に増産することになった。
ミリタリル領に人が集まりつつある。山道がしっかり整備されれば人の行き来が活発になり、もっと賑やかになるだろう。
「アンジェニカ」
「ロイ」
アンジェニカが執務室で仕事をしているとロイドが入ってきた。
実は財政に余裕が出来たことで魔石を大量に購入した為、魔獣を人道に近づけない策を講じることが出来た。シールドを張るという簡単なものだが、意外にもそのシールドが魔獣には嫌な物らしく、魔獣が近づいてこない。その為ロイドはあまり遠征に出る必要がなくなり、多くの時間を屋敷で過ごすようになった。
「仕事が落ち着いたのですか?」
騎士団の魔道具研究に国王がかなり興味を持っていて、報告をせよということで書類を纏めているが、ロイドはデスクに向かうより魔獣に向かう方が性に合っている。少々お疲れ気味でアンジェニカを休憩に誘いに来たらしい。
「ちょっと休まないと目が痛い」
「私も丁度休憩をしたいと思っていました」
「気分転換に庭に行きませんか?」
ロイドの差し出した手を僅かに迷った様子で取るアンジェニカ。最近アンジェニカから距離を感じるロイドは、不意に寂しそうな顔をする。
一体自分が何をしてしまったのか分からないが、アンジェニカは今まで以上に距離を置こうとしている。自分の気持ちをアンジェニカに知られてしまったのかもしれない。アンジェニカを愛していることを。アンジェニカが自分を愛してくれればいい。それで執着してくれるなら、奈落へと堕ちるなら、喜んで一緒に堕ちていきたいと思っている醜い自分を。
「セイラが丁度バラが見頃だと」
「そうでしたね。見に行きたいと思っていたのに、最近は忙しくてまだ見ていないのです」
「それならバラを見ながらお茶を飲みましょう」
ロイドがにっこりと笑うとその憂いを帯びた顔が益々美しさを増した。
何故、そんな顔をするの?
変わらない態度で接しているつもりなのに、時折見せるロイドの僅かに歪んだ顔に目を背けたくなる。
まだ足りないの?もっと距離を取らないと、ロイドはその辛そうな顔をし続けるの?
ロイドの気持ちが分からないし聞くことも出来ないアンジェニカには不安しかない。いつからこんなにギクシャクとしてしまったのか。
ロイドの腕に自分の手を掛けながらも、その身体を不自然にならない程度に離す。妙に早い心臓の音がロイドに聞こえないで欲しくて、距離を取ろうとすると次第に足が遅くなる。ギリギリまで身体が離れたところでグッと腕を引き、アンジェニカの身体を自分に引き寄せたロイド。
「え?」
「体調が悪いのですか?」
心配そうな顔をしてロイドがアンジェニカの顔を覗き込んだ。
「いいえ、そんなことありません。少し歩くのが遅かったですね。ごめんなさい」
アンジェニカの固まった笑顔にロイドの顔が益々辛そうになる。
「本当ですよ。心配しないでください」
「アンジェニカ」
「本当です。だから、私を……」
不意に涙が零れてしまった。
アンジェニカと呼ばないで。
ロイドはギョッとして慌ててアンジェニカを抱きしめた。
「アンジェニカ?どうしたのです?何故泣くの」
「ロイ、ごめんなさい。何でもないの」
「何か我慢しているの?アンジー、お願いだから言ってください。我慢なんかしないで、アンジー?」
こんな時だけアンジーと呼ぶの?あなたが分からないわ。全然分からないのよ。不安よ。私は不安で仕方がないの。あなたを愛したりしないから。せめて傍に居させて。
そう言葉に出来たらいいのに。
ボロボロと涙をこぼしながら、言葉にならない言葉を胸の内に紡ぐアンジェニカを、ロイドは歯痒い思いで見つめ、ぐっと奥歯を噛んでからアンジェニカを抱き上げた。
「ひゃっ!」
突然のことに驚いたアンジェニカは慌ててその逞しい首にしがみ付いた。
「ロイ!何?私は大丈夫よ?」
「……」
返事はない。どこに向かっているの?だってこっちは……。
アンジェニカを抱えたまま階段を上り、問答無用で入っていった部屋はロイドの寝室。漸く立ち止まったロイドは優しくベッドにアンジェニカを座らせた。ロイドはアンジェニカの前で膝を突き愛しい人を見つめている。
「ロイ?」
「ここには誰も入ってこないよ。だから話をしよう」
「何も、話すことなんてないわ」
アンジェニカはロイドから顔を背けて、再び零れる涙を拭った。
なんでこんなに涙が出るのか、一度決壊した涙腺は修復に時間が掛かる。
「涙の訳を教えて」
「……何でもないの。ちょっと疲れただけよ」
「アンジェニカ」
そう呼ばれると辛い。
「アンジー」
「……、どうしてアンジェニカと呼ぶの?」
「え?」
「どうして?」
思いもよらない言葉に息を呑むロイド。まさか、自分が愛称を呼ばなかったからか?
「いや、だって、アンジェニカって呼ぶと、私が年上っぽく感じるじゃないか」
「……は?」
アンジェニカの涙腺の修復が完了した。
「だって、アンジーって呼ぶとこのまま変わらない気がして」
「……え?」
アンジェニカの顔が困惑に歪んだ。
「全然言っている意味が分かりませんわ」
「その前に、アンジーが泣くのは呼び方のせい?」
「……そうですわ」
「それだけ?」
「……ええ」
「嘘だ」
ロイドが頭の中を覗き見しそうなくらいに凝視する。
「……ロイが辛そうな顔をするから」
「だって、君が私から離れようとするから」
「それは、ロイが私から距離を取ろうとするから」
「いつ?私はそんなことをしていない」
「したわ、アンジーと呼んでくれなくなった。私が近づき過ぎたのでしょ?」
「違う!そうじゃない」
「じゃあ、本当のことを言って。なんで愛称を止めたの?」
「……それは」
口籠るロイドにアンジェニカは落胆した。
やっぱりそうなんじゃない。
「二人の関係を変えたかったから。そのきっかけが欲しかった」
「……はっきり言ってくれればいいのに。私が踏み越えそうになっているって」
「違う、そうじゃない。でも言えば君は私を拒絶する」
「しないわ。私があなたを拒絶するわけがないじゃない!」
「する!」
「しない!」
「踏み越えてこっち側に来てと言っても?」
「え?」
「愛していると言っても?」
「……え?」
「アンジーを愛しているから、一緒に堕ちてくれと言っても、君は拒絶しないか?」
「……うそ」
ロイドは寂しそうに笑った。
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