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明日ですか?

 国王は、王弟のヤヌス公爵の息子で甥のロイドを幼い頃からとても可愛がっていた。そして、繰り返し婚約者に逃げられ、世間から鬼畜と言われていることに心を痛めている。既に年頃の令嬢には婚約者が居て、良縁には恵まれないだろうと心配していたところに、婚約者のいなかったベロニカの存在を知り白羽の矢が立ったのだ。


「モルガン伯爵は国王陛下の甥だ。この良縁により、我が家は公爵家、そして王家とも縁付くことになる。とてもありがたい話だ。アンジェニカにとっても良い話だと思うよ」


 呑気に言うシアートルに、何を馬鹿なことを言っているのだ、と心では叫んでいるが、最早自分の意思など関係ないのだとアンジェニカは諦めた。


「分かりました。では、私はモルガン伯爵と婚約致します」

「分かってくれるか」

「お義姉様、ありがとう」

「いいのよ、ベロニカ。お腹の子を大切にしなさい。そして、ゲイルズ様としっかり領地を守ってちょうだい」

「はい、ありがとうございます」


 涙を浮かべるベロニカを見れば、これでよかったのだと思うしかない。


「ゲイルズ様、ベロニカを、ミドル家をどうぞよろしくお願いします」

「言われるまでも無い」


 ゲイルズは胸を張って笑顔を見せた。


「それで、アンジェニカ」

「はい」

「実はモルガン伯爵が明日にはこちらにいらっしゃる」

「は?何故です?」


 父の思いもよらない言葉に、アンジェニカは間抜けな声を出してしまった。


「婚約者を迎えに来るのよ」


 キャサリーがフフと笑った。とても嬉しそうに言うキャサリー同様に他の三人も嬉しそうだ。その思いは様々でも。


「伯爵自らこちらにいらっしゃるのですか?」

「そうだ」

「明日?」

「そうだ」

「婚約者を迎えに?」

「そう言っている」

「何てこと……!」


 婚約の話を今聞いて、明日には迎えに来る。


「なんでそんな大切なことを今頃言うのです」

「あなたが逃げ出したら困るからよ」


 キャサリーの言葉に、涙を抑えて顔を隠しながらも小さくクスリと笑ったベロニカ。さっきの涙が全部嘘だとよく分かる。


「……そうですか」

「逃げようなんて思わないことよ。王命に背けば命の保証は無いわよ」


 キャサリーは楽しそうに口元を隠して笑っている。


 本当にこの人たちは浅慮の極みね。


「そんなことしません。すぐに準備を致します」


 アンジェニカはそう言って部屋を後にした。


 ベロニカはあっさりと引いてしまった涙をしつこく拭っている。


「お義姉様ったら、婚約を解消されたのに平気な顔をされて……」

「ふふふ、まだしっかり理解できていないのよ」

「大丈夫でしょうか?相手はとても恐ろしい方なのですよね」

「酷いわ、ゲイルズ様。婚約者の私の前でお義姉様の心配をするなんて」

「いや、そういうわけでは」


 ゲイルズにしてみたら、浮気の果てに追い出すのだから罪悪感が無いわけではない。しかし、戻って来られたりしたら面倒なことこの上ない。自分より優秀な妻など目障りなだけだ。


「アンジェニカは優秀な子だから、きっと上手くやってくれるよ。モルガン伯爵の話は、全部噂にすぎないからね」


 シアートルは呑気にそんなことを言っているし、本当にそれ以上のことは考えていない。悪気も無い。決して嫌いなわけではない娘が、モルガン伯爵と仲良くやってくれてミドル家が安泰、更に自分の娘の結婚によって公爵家と、王家と縁付くことが出来るならそれでいいのだ。





 自分の部屋に戻ったアンジェニカは、少しの時間を呆然として過ごした。


 まさかこんなことが起こるなんて!こんな婚約解消の話なんて小説の中だけのことだと思っていた。婚約者に裏切られ、家を追い出される。しかも、追い出される先が鬼畜と言われるモルガン伯爵。


 噂ではその美しさとは裏腹に、令嬢の心を傷付けていたとかいないとか。四人の令嬢に逃げられ、そのお相手の令嬢たちは長く泣き暮らしたと聞く。


「なんてことでしょう。まさか、私がそんな方の所に行くの?」


 実感など湧くわけがないが、明日には伯爵自ら迎えに来ると言う。


「信じられないわ」


 本当に?と自分に聞いてみても、納得の出来る答えなど自分に出せるはずがない。急に心臓が大きく脈打ち始め、嫌な汗をかき始めた。


「こうしてはいられないのよ」


 既に、アンジェニカ付きの侍女フラウは荷物を準備し始めていた。アンジェニカは頬を二度叩いて、気持ちを切り替えた。


「お嬢様。私が全て準備いたします。お嬢様は、どうぞお心を穏やかにお休みください」


 そう言って、アンジェニカを休ませようとするフラウの心遣いは嬉しいが、今はゆっくりしている方がいろいろ考えてしまって辛い。


「ありがとう。でも大丈夫よ」


 アンジェニカは「よし」と気合を入れて、クローゼットに仕舞い込んでいた刺繍道具と小型の猟銃をバッグに詰めた。


「やはり猟銃を持って行かれるのですか?」


 フラウは小さく溜息を吐いた。


 お転婆のアンジェニカは、ウィレミナが存命の頃、ウィレミナと一緒に馬に乗り狩りに出かけていた。幼い頃はボウガンを使っていたが、身体が猟銃の衝撃に耐えられるようになった十三歳の頃から、片手で持てる小型の特殊な猟銃を使うようになった。しかしウィレミナが七年前に狩りの際に事故に遭い儚くなって、それ以来猟銃に触ることはなかった。


「ええ、これには沢山の思い出があるから」


 猟銃を撫でながら母を思い出した。


 とても溌剌としていたウィレミナは、太陽のような人だった。周りを明るくしてくれる笑顔の絶えない人だったのに。そんなウィレミナが儚くなって一年もしない内にキャサリーを後妻に迎えた父。とても受け入れることが出来ずに、暫く部屋に籠ってしまったのは、アンジェニカの最後の我儘だった。


「……」


 モルガン伯爵が治めるミリタリル領は山奥の僻地。獣も多く狩りをするには絶好の場所でもある。この際、暫く離れていた猟銃に触れてみるのもいいかもしれない。


「フラウ、モルガン伯爵は社交をなさらない方だと聞いたわ。派手なドレスより動きやすいドレスを多くしてちょうだい。それから狩猟用の服は……、もう着られないわね」


 七年前に着たきり新しく買い替えてもいない。


「あとで買いに行きましょう」

「はい」


 気持ちを切り替えたい時、買い物は役に立つ。


 ふと思い出してクローゼットの奥に仕舞い込んだ、小さな革袋を引っ張り出してきた。その中にはウィレミナの愛用していたルビーのネックレス。これだけは手放したくないと思って、ベロニカに見つからないように古いドレスの中に隠していた。


 別の小袋にはゲイルズから貰った本物の宝石が数点。これはゲイルズの親が用意したものだ。婚約が決まって数年は、ゲイルズの親が宝石を用意していてくれたから。


 そのうち、ゲイルズが自らの予算でプレゼントを贈るようになると、贈られた宝石は全てイミテーションとなった。アンジェニカには本物とイミテーションの違いなど分からないとでも思ったのだろうか?


 伯爵家の四男だから予算が少ないのかもしれないが、何も一か月分の予算をつぎ込めと言っているわけではないのだ。誕生日のプレゼントくらい、小さな石でもいいから本物を贈ってもらいたかった。それは欲張りな話だろうか?



 そんなことを思ってはまた溜息。これでは作業が進まない。


「頂いた宝石は、いざという時のために取っておかないといけないわね」


 ロイドの元に行って先の令嬢達のように逃げ出したとしても、アンジェニカが実家に帰ることは出来ない。家族の様子を見る限り明日この屋敷を出たら、再びアンジェニカがこの屋敷に戻ることは許されないだろう。それならば、少しでもお金になるものを持って行かないと。いざとなればそれを売って平民として生きていかなくてはならないのだから。


 なんて大袈裟なことを考えてみたが、しっかり金を貯めておいたアンジェニカの財産はかなりのものだ。アンジェニカ一人だけなら、数年は働かずに生きていけるから心配はいらない。


 逃げることを視野に入れて婚約するってどうなの?


 一時期世間を騒がせたロイドの醜聞も、ここ数年は鳴りを潜めていたし、ウィレミナが亡くなってからは忙しくて噂話を仕入れている暇など無かったから、実際の所、詳しく知っているわけではない。


 ロイドが一人目の婚約者と結婚した時、アンジェニカは十六歳だった。学友たちが、誰かから聞いたロイドの離縁話を、最低な男と言いながら面白可笑しく話して回っていたから、嫌悪感を抱きながらも聞いていた。だから、イメージは相当悪い。


 それに鬼畜と言われる程酷い人なんて、やっぱり私も逃げ出すことになるのじゃないのかしら?


 嫌な未来を想像してハーッと溜息を吐いた。






読んで下さりありがとうございます。

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