美しい鬼畜伯爵
パーティーが終わりイレイナとメリッサが会場を後にし、アンジェニカも帰ろうとしていた時、その行く手を塞いだのはゲイルズとベロニカ、シアートルとキャサリー。ミドル家の人々が勢ぞろいだ。
「一体どういうつもりだ?」
ゲイルズの声に、未だ会場に残っていた人々の視線が集まった。ゲイルズの開口一番の質問に、アンジェニカは答えを持たない。
「どういうつもりとは?」
「とぼけるな!式には遅れるわ、挨拶にはなかなか来ないわ。挙句に賓客の前で、ベロニカを罵るわ。やっていることが姑息だろう!」
唾を飛ばしながら叫ぶゲイルズを呆れ顔で眺めていたアンジェニカは、ニヤニヤと笑うベロニカを見て大きく溜息を吐いた。
「挨拶が遅れたのは謝ります。私が挨拶をすれば、皆様の注目を集めてしまい、お祝いの席が台無しになると思い、遠慮をしていました。ですがそれ以外は身に覚えのないこと。誰に聞いたのですか?ベロニカを罵ったなんて」
「ふん、皆が言っていたぞ、そうだな?ベロニカ」
「はい、そうです。お義姉様が目を吊り上げていて怖かったですわ」
イレイナ様とメリッサが帰ったのを見計らって近づいてきたのね。それにまだ賓客が残っているのに騒ぎだすなんて、相変わらず考えが足りない。
「私は何も罵っておりませんわ。それに、式には最初から参列していました。勿論入り口でお父様が躓いて転びそうになっているところも、ベロニカの指に指輪がなかなか入らなくて苦労しているところも見ていました」
「はぁあ?なんですって」
妊婦は浮腫みやすいため、人によっては指がパンパンになることもある。それで指輪が入らなくなってしまって、グリグリと無理矢理指にはめて時間が掛かっていた。
「それでも、確かに挨拶をしなかったのは私の不作法に他なりません。申し訳ありませんでした」
アンジェニカは深く頭を下げ暫く動かなかった。それが他人の目にどう映るのか理解していないゲイルズは満足げに笑っている。
「まぁ、いい。どうせ、俺の政策で領地が潤ったことを嫉んでいるんだろう?アンジェニカには出来なかったことをやり遂げたからな」
ああ、あの滅茶苦茶な政策ね。入出国に掛かる費用全て無料にして、通行手形を審査も無しに発行し、入出国の際の手続きを簡素化したという。犯罪者でもなんでも受け入れますって言っているような、とんでもない政策。確かに、カサブランカ領は一時的には潤うでしょうが、彼等が何時までもそれを許すはずがないわ。それについては既に、何人かの人とは話をしている。必要な助言もした。彼らの怒りを買うべきではない。彼らは決してやられっ放しの人たちではない。必ず報復に出るはずだと。
「それで、婚約者様はどうしたのですか?お義姉様」
またその話なの?
漸く顔を上げたアンジェニカの目に映るベロニカの顔は、幸せの絶頂にいる花嫁の美しさとは無縁と思えるほど醜く歪み、その目には蔑みの色を浮かべている。
「今日は来ないで欲しいと私がお願いしたから、ロイド様はいらっしゃらないわ」
「ひどーい。折角家族になるんだから、連れてきて紹介して下さればいいのに。あ、やっぱり、お義姉様も酷い目に遭っているの?だから連れて来られないの?」
「ベロニカ」
クスクスと笑うベロニカ。
「そのドレス、本当に婚約者から貰ったの?自分で用意したんじゃないの?」
「ベロニカ、いい加減になさい」
「だって本当のことでしょ?あの鬼畜伯爵がお義姉様にそんな良いドレスを贈るなんてことあり得ないわ。お義姉様、可哀そう。そんなに見栄を張らなくてもいいのに」
ベロニカの言葉に眉を顰める賓客たち。
「ベロニカ」
「私、いつも心配していたんです。鬼畜伯爵が何時お義姉様の心を壊すのかと思うと、もう心配で、心配で。だって鬼畜でしょ?お義姉様の婚約者」
「ベロニカ、いい加減になさい!!」
アンジェニカがそう叫んだ時、その細い肩を大きく温かい手が抱き寄せた。アンジェニカが吃驚して見上げると、ロイド。
「ロイ?」
「遅いから迎えに来たんだ。アンジー、もう帰るだろ?」
「え、ええ……」
ミドル家の人々も周りの賓客も唖然として、アンジェニカの横に立つ黒いマントにフードを被った男を見ている。
ちょっといつもと言葉遣いが違うわ。……ドキドキする。
「……モルガン伯爵?」
「ま、まぁ、お義姉様の婚約者のモルガン伯爵ですの?」
シアートルの言葉に、マントのフードで顔を隠した男の正体が、ロイドと知ったベロニカが声を掛けたが、ロイドはベロニカには一瞥もくれない。
「アンジー、早く帰ろう。宿に着くまでに暗くなってしまう」
「ええ、そうですね」
ロイドは、ベロニカを完全に無視してアンジェニカに話しかけた。
「ちょ、ちょっと、何なの!」
「皆様、私たちはこれで失礼しますわ」
アンジェニカがそう言うと、二人は踵を返し馬車に向かう。
「お待ちください!モルガン伯爵」
シアートルの言葉に足を止めた二人。
「宜しければ今夜は我が家にお泊り下さい。歓迎いたします」
私にはそんなこと一言も言わなかったのに。
「遠慮しますよ」
ロイドは顔だけを少しシアートルの方に向けた。
「何故ですか?」
公爵家や王家と縁付きたいシアートルは必死だ。ロイドはクスリと笑った。
「私は鬼畜伯爵ですからね。それにアンジェニカが帰りたくない家など私もご免です」
「な……」
「失礼します」
再びアンジェニカの肩を抱いたまま歩き始めたロイド。ベロニカは突然走り出し、マントからでも分かるその逞しい腕にしがみ付いた。
「ロイド様!そんなことを仰らないで!」
胸をギュッとロイドの腕に当て、上目遣いにロイドの顔を覗き込んだ。そして息が止まるくらいに驚いた。そのフードから僅かに覗く顔だけでもかなりの美しさと分かる。そして心臓が一気にドキドキとして、そのまま心を奪われたのは言うまでもない。
「ベロニカ!離れなさい!」
アンジェニカが慌てて、ベロニカをロイドの腕から離し、ゲイルズの元まで引っ張って行った。
「いや!やめて、何をするの」
「あなたこそ何をしているの。妊婦なのに走るなんて。それに、異性にあんなに身体を引っ付けてはいけないわ」
「変なことを言わないで。お義姉様こそ、何?ロイド様を私に奪われるのが怖いの?」
「は?」
ベロニカの言葉には誰もが唖然とした。何故、奪うのだ。
「ベロニカ、何を言っているのだ。お前はゲイルズの妻だぞ」
シアートルも流石にベロニカの言葉を聞き流すことが出来なかった。
「だから何?結婚したからって、私のことを好きになってはいけないなんてことはないわ」
ベロニカが大きな声で叫んだ。ゲイルズがギョッとしたのは言うまでもない。それはゲイルズだけではない。
「や、止めなさい、ベロニカ」
「そうよ。なんで、ま、とにかく、今は静かにするのよ」
シアートルとキャサリーはとにかくベロニカを黙らせようと必死だ。
「ロイ、行きましょう」
アンジェニカはその隙にロイドと二人で馬車に乗り込みその場を後にした。
アンジェニカたちが居なくなった後も、馬車の方に向かってアンジェニカを呼びロイドを呼んでいたベロニカは、無理やり邸の自室に閉じ込められてもなお、喚き続けていた。
「すみません」
ロイドの頭には大きな犬の耳が付いているようだ。シュンとして反省していることがよく分かる。
「いいのですよ。私のことを心配して来てくれたのでしょ?」
「馬車から少しアンジーの姿が見えていたのですぐ来ると思ったのですけど、アンジーが動かなくなったから」
ゲイルズに行く手を阻まれていた時のことか。
「ありがとうございます。お陰で大きな問題も起こらずに済みました」
ベロニカは想像通りだったけど、もう会うこともないから問題も無いだろう。
「楽しめましたか?」
「ええ、久しぶりにお友達にも会えましたし、いろいろと良い情報を得ることが出来ました。それに……」
今後カサブランカ領が直面しそうな問題も見えてきた。もう、自分に出来ることは無いので関係はないが。
「あー、早く屋敷に帰りたいです。皆に会いたいし、クレソンをモフモフしたいです」
「クレソンは拗ねていそうですね」
「フフフ、最近撫でてあげないと自分で頭を擦り付けてくるのです」
アンジェニカはクレソンがフンフンと鼻をならしながら、構って欲しくて引っ付いてくるのが好きで、ワザと撫でないで焦らしたりしている。
ロイドがクスリと笑った。
「どうしましたか?ロイ」
「アンジーが屋敷に帰りたいと言ってくれるのが嬉しくて」
もうとっくにアンジェニカの帰る場所は、ミリタリル領のモルガン伯爵邸だ。カサブランカ領に入っても、生家に着いても全く帰ってきた気にはならなかった。久しぶりだなとは感じたが。少し寂しい気もするが、もうここに自分の居場所はない。
「私も嬉しいです。私に帰る場所があって」
「これからもずっとあの屋敷があなたの帰る場所ですよ」
ロイドは優しくアンジェニカの手を取ってそう言った。
読んで下さりありがとうございます。








