幸せは儚くて
待ち合わせ場所では馬車の御者席にトマーソンが寝ころんで、昼寝をしながら待っていた。
「お待たせしました」
「ん……あ、ああ、お帰りなさいませ」
「長く待たせてしまって申し訳ありませんでした」
「とんでもないことでございます」
二人を見てもさほど慌てないトマーソンは、普段からのんびりとしている。「今日は長く待たせるかも」と先にアンジェニカが謝っていたが、「のんびりできるので、ゆっくりしてきてください」と、昼寝をする気満々だった。まさか本当に昼寝をして待っているとは思わなかったが。
そんなマイペースな御者のトマーソンは、鞭と雷魔法の使い手で隠密行動を得意としているというのだから、人は見かけによらない。
馬車に揺られるとアンジェニカは疲れて少しボーッとしてしまう。沢山歩いたし、楽しいことばかりでもう少しロイドと二人で町を回りたかった。
いい歳をしてまだ遊びたいなんて笑われてしまうわね。
アンジェニカは窓の外を見ながらクスッと笑った。
「何か楽しいことがありましたか?」
アンジェニカの様子を見てロイドが声を掛けた。
「ええ、今日はとても楽しかったなぁって。ロイはどうですか?」
「私も楽しかったです。それに……」
頭から被ったフードを取ったその顔は変わらずに美しい。
「誰も、私に近寄ってこなかった」
ロイドがふと感じていた違和感。誰も寄ってこないどころか、自分たちをジロジロ見ないように気を遣っていた周りの人たち。
「普段ならフードを被っていても、人が寄って来るのに、今日は誰も寄ってきませんでした」
「まぁ。それは、良いことですよね?」
それとも残念なのかしら?
「勿論良いことです。ですが、驚いています」
「そうなのですか?」
「はい。今までだったら、こんなにのんびりできることもなかったし」
ロイドはそう言いながら顎に手を当てている。
「きっと、周りはアンジーに目を奪われて、私のことなど目に入らなかったのだと思います」
「はぁ?」
ロイドの斜め上の結論に、思わず品のない声が出た。
「安心してください。アンジーを変な目で見る男たちは私が睨み付けておきましたから」
「え?」
ロイドは頼もしく胸を張るが、はっきり言ってアンジェニカには理解が出来ていない。誰がロイドではなく自分に興味を示すというのだ。しかも、ロイドが睨み付けた?
「大丈夫かしら?その方は」
ロイドの言葉はあまり理解出来なかったが、ロイドが睨み付けたという人が居るなら同情してしまう。彼の目力はいかほどのものか。
立っているだけでオーラのあるロイドである。フードからチラチラ見える顔や、ずっと見えている美しい形をした唇に目を奪われない人などいるはずがないのに。そして、そんな美しい人に睨まれるなんて。きっと……しちゃうわ。
「とにかく、私は今日初めて、誰にも言い寄られず過ごすことが出来たのです。何故だか分かりませんが、とても、嬉しいです。きっとアンジーが居てくれたから……」
言葉に詰まったロイドはニコッとして、アンジェニカを見つめた。
私が居たからロイドが言い寄られずに過ごせた?確かに誰も寄ってきた人は居なかったけど。私に遠慮したのかもしれないわ。
「私がお役に立てたのならよかったです。これからも私がしっかり盾になりますわ。お任せ下さい」
アンジェニカは真剣な顔をしてロイドを見つめた。そんなアンジェニカを見つめていたロイドは我慢をしきれずに笑い出した。
え?何か可笑しなことを言ったかしら?
「いや、嬉しいなと思いまして」
「何がですか?」
「そんな風に私に言ってくれるなんて」
「あ」
女の自分が屈強の騎士に対して「盾になる」なんて、烏滸がましいにも程がある。
「も、申し訳ございません。出過ぎたことを」
「そんなことを言わないでください」
「いえ、何の力も無い私が盾になるなんて」
「あなたがいてくれたら、私はこれからもっといろいろなことが出来そうです」
「……」
突如として真剣な顔をしたロイド。その眼差しにアンジェニカはドキリとした。
「本当に今日のようなことがこれからも続くかは分かりません。でも、何故かアンジーが居れば何かが変わる気がするのです」
アンジェニカは僅かに心臓がドキドキしている。
本当に?私が何かの役に立っているの?
「……、もし本当にそうなら、嬉しいです」
アンジェニカがそう言うと、ロイドは嬉しそうに頬を緩めた。そしていつまでもアンジェニカを見つめている。
止めて欲しい。そんな熱っぽい瞳で見つめられたら勘違いをしてしまう。もし勘違いをしてしまえばその先に待っているのは別れだ。それだけは嫌だ。
「あ、あまり見つめないでください」
「あ、ああ。不躾にすみません」
顔を赤らめたアンジェニカは俯いた。それを見てロイドは慌てて目を逸らした。二人の間に暫くの沈黙が流れたが、いつの間にか外に目を遣ったアンジェニカは、やはり少し顔を赤らめたままだった。
「本当はもっと前から、あなたが私にとって特別なのではないかと思っていました」
「え?特別?」
何の話だろう?
「初めて会った日に仮面を取った私を見ても、あなたは特に変わりがなかった」
「え?そうでしたか?」
「はい」
ロイドの顔に見とれていたし、可愛らしいとさえ思ってしまったけど。
「他の令嬢たちは、私の顔を見た瞬間から態度が一変していたのです。だから、もしあなたも同じだったらそのままあなたの生家へ戻ろうと思っていました」
「私は違いましたか?」
「はい、ずっとあなたはあなたのままだった。冷静で、穏やかで」
「……」
「あなたがずっと変わらずにいてくれたら」
なら、私が変わってしまったら?ロイを好きになってしまったら?追い出すのかしら?それとも私が逃げ出すのかしら?
アンジェニカは無意識にドレスを握りしめた。
「大丈夫です。私は変わりません」
絶対に越えてはいけない線を間違えない。間違えたら、この時間を失ってしまう。
さっきまで幸せだった気持ちの熱がスッと冷め、きりきりとした現実に引き戻された気分だった。
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