表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「鬼滅の刃」の鬼舞辻無惨にひとこと言いたい。「違う、そうじゃない」と。

*本エッセイは「鬼滅の刃」の重大なネタバレを含みます。結末等を知りたくない方はご遠慮ください。

 今や、国民的人気作品といっても過言ではない「鬼滅の刃」。


 自分が「鬼滅」を知ったのはアニメからで、アニメ第一期を見てみようと思ったのはズバリ、ファンである声優の松岡禎丞さんが出演されるからだ。


 その松岡さんが演じる「嘴平伊之助」の、猪の頭皮を被っている風貌にも驚いたが、声優陣や製作陣の豪華さにはもっと驚いた。


 そしてアニメが放映されると、圧倒的な作画&演出クオリティに仰天し、さらには主人公の竈門炭治郎達に退治される「鬼」たちの声優ですら、これまた有名どころのオンパレード……。


 回を増すごとに世間にも徐々に火がつき始め、その後は皆様もご存知の通り、劇場版は歴代興行記録を塗り替え、街のあちこちで市松模様を見かけるようになった。


 漫画も全巻揃え、劇場版も公開初日に見に行ったくらい「鬼滅」には好意的な自分だが、たった一つだけ心残りなこともある。


  それは本作におけるラスボスの、「鬼舞辻無惨きぶつじむざん」というキャラクターについてなのだが、あくまで一個人の見解であることを先に断っておきたい。




 まず、鬼舞辻無惨は圧倒的な強さと恐怖で、最後の最後までまさにラスボスたる存在感を放っていたのだが......自分は無惨の言動を見ていて、いつもこう思っていた。


 「こういう人、現実に結構いるよね?」、と。


 簡単にいうと、極めて利己的な人のことだ。

 

 そう、無惨といえば非常に利己的で、残忍で、ふとしたことで暴力を振るい……公式ファンブックでも、「人間的感性がなく、共感能力が低い」とある。


 自分さえ良ければいい人。


 己の利益ばかり考え、他人は利用するものだと思っているような人。


 目的のためなら他人を傷つけても、なんとも思わない人。


 程度はさておき、そういう人って結構いませんか?


 例えば音楽業界でも、誰かを貶めたい、利用したい、押しのけたいなんて人は沢山いたし、今でも出会う。


 そして、成功のためにはどんな手段でも使い、誰かを見返すだとか、承認欲求を満たすだとかの、自らの目的を果たそうとするのだが......そういった人はその場その場の結果は出るかもしれないが、次第に他人から恨みを買い、敵に回られ、誰も味方にならず、孤独になっていく。


 逆に、他者のためにと動ける人は、その温かい想いに感謝した人たちが味方になっていくので、ピンチの時に周りが助けてくれたり、ひとりでは成し得ないことも多くの人の協力で達成できたりする。


 ある意味、鬼滅の刃という物語は「利己心(無惨)VS利他心(炭治郎ほか、鬼殺隊など)」の戦いでもあると思うが、利他心側が最終的に勝つのは現実世界でも同じ道理だと感じる。


 鬼滅でも死闘の末、弱点である太陽の下にさらされ、体が崩れ落ちていく中で無惨は「想いは不滅であり永遠である」という言葉をついに認め、感動し涙した。


 そして自らの、「鬼狩りを殺し最強の鬼となれ」という想いを主人公の炭治郎に託すが......。


 結局炭治郎は仲間の元へ戻り、無惨は孤独と消えていった。


 ......。


 違う、そうじゃない。


 そうじゃないんだ、無惨。


 結局無惨のは最後まで、「利己的な想い」なのだ。


 なので、受け継がれることはなかったのだと。


 そうではなく、「利他心の強さ」に気づくべきだった。


 無惨を最後まで、徹底的な悪として書き切ったことに、納得はしている。


 しかし、これだけ社会的に大反響を呼び、多くの人の目に触れた作品だからこそ自分は、


 「究極の利己心の持ち主である無惨に、利他心に負けたという事実をはっきりとメッセージしてほしかった」とも思うのだ。


 無惨のようにどこまでも自分本位で、我儘で、短気で気難しい人は、現実にもいるだけに。


 そしてそうした人たちが、全てに見放されていった無惨の姿を見て、己を省みるきっかけになれるように。


 これが自分の、「鬼滅の刃」へのたった一つの心残りだ。



 

 最初にお断りしたように、これまで書いたことはあくまで個人の見解であり、鬼滅の刃を読んで自分はこう思いました、というご紹介にすぎない。


 その上でこんなエッセイを書いたのは、誰にでも「鬼の心」はあると思っているからだ。


 自分にも、残酷冷酷な心は存在するし、理不尽な現実に自暴自棄になったことだって山ほどある。


 心の中の「鬼」に負け、誰かのことを傷つけてしまったことも当然ある。


 そのことを今でも悔いる。


 しかし幸いながら、自分は出会いに恵まれ、損得を超えて動ける人たちの言動に幾度となく、心を温められてきた。


 それは規模の大きさではなく、例えば金欠の友人ミュージシャンのライブを手伝った時、お礼としてご飯を奢ってくれたとか、そういうレベルでも、だ。


 その時の温かい気持ちを覚えているからこそ、彼が困っている時にはできるだけ力になりたいと思う。


 人はひとりでは、本当に何もできない。


 そして、突然鬼に家族を殺されてしまった炭治郎のように、生きていると理不尽なことは沢山ある。


 だからこそ、人と人は助けあって、この理不尽な世界を生き永らえている。


 自分自身を大切にすることはもちろん大事だ。


 しかし、利他の心、相手を思いやれる心を忘れたくはないと、鬼滅の刃アニメ第二クールを見つつ感じた今日この頃だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 深い……! [一言] 超個人的な意見ですが、鬼滅の刃+このエッセイで完成形と考えるのもアリかなと。 あくまで脳内補填といういう意味になってしまいますが、そういう形もアリだなと思ってしまった…
[良い点] 実は鬼滅はちゃんと観たことがないのですが、アチコチで情報が出回ってるしコラボしてるので、キャラクターやあらすじは大体知っています。 無残様は、ラスボスとしては良い存在ですよね。 そして、…
[良い点] 鬼舞辻無惨は最期まで無惨(罪を犯しながら心に恥じないこと)でしたね。 自分の境遇を呪う気持ちに勝てず…… それもある種、人の業でしょうか 鬼達は最期に人の心を取り戻していたのに 鬼を…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ