悪役令嬢として転生した先の乙女ゲームがクソゲーすぎる。
すべてのクソゲーに愛を込めて。
あれ……私……。
どうしたんだっけ。
死んだんだっけ……?
最後にある記憶は、青い信号機。なのにこちらに向かってくるトラック。渡ろうとする子供。
そこで記憶は途切れているが、そこで死んだとなるとこのあと起きたことの大体の予想はつく。
自分のことを特に正義感とかのない人間だと思ってたけど、意外と良いやつだったんだなーと思いつつ、私は今見える豪華すぎる天井にまずは絶叫した。
「あんぎゃ~~~~~~~!」
「お、お嬢様!?どうかされましたか?」
即座にすっ飛んでくる使用人らしき人々。
お嬢様って何のこと!?誰のこと!?
戸惑ってるうちにどうも周りのやり取りから、「お嬢様」=「自分」であることに察しが付いてしまった。
自分の周囲を思わず眺めてみる。絶対に私の趣味じゃない白いネグリジェ。
そして私がいつの間にか寝ていた広すぎるベッド。
「ちょっと鏡!誰か鏡持ってきて頂戴!」
「はい、只今!」
使用人が持ってきた鏡をひょいと覗く。
案の定、そこに写っていたのは私、ではなく。
「あんぎゃ~~~~~~~!」
金髪縦ロールの娘、乙女ゲーム「アウトリーチ・アイデンティティ」の悪役令嬢ことミレーヌ・ドゥ・ジャカールであった。
「ど、どうして!どうしてよりによってミレーヌなのよ!もっとマシなのたくさんあったじゃん!最近発売されたやつにいくらでもさぁ!」
「お嬢様!?急に枕の羽毛を毟り始めて何を……!?」
「なんで、なんで『チンティ』なのよぉ……!」
物分りの良い私は自分が今、乙女ゲーム「アウトリーチ・アイデンティティ」の悪役令嬢ことミレーヌ・ドゥ・ジャカールになっていることを即座に認識した。
そして号泣した。
この「アウトリーチ・アイデンティティ」(通称・チンティ)は、近年発売された乙女ゲームの中でも最凶の問題作なのだ。
2020年代も初頭ながら、これからの十年でこれを超えるクソゲーは出ないだろうとあらゆるレビューサイトに書かれるくらい。
グラフィックが90年代のアニメのような出来なのはまだいいだろう。
問題は攻略対象がたったの3人しかいないというボリュームの薄さに加えて、極め付きにはそのバグの多さだ。
現代に作られたテキストアドベンチャーゲームとは思えない稚拙なバグの数々は、時に攻略対象の顔と悪役令嬢の顔が入れ替わったり、時に同じ画面に出てた攻略対象の男同士が重なり合ってキメラ化したり、時に重要なシーンなのにお気楽なBGM(ネットでは「スネ○が自慢話をするときに流れている曲」とか言われてる)が流れてしまうなどをしてプレイヤー達の失笑を買うのに貢献した。(ちなみに価格は強気の8,778円だ)
そしてこの「アウトリーチ・アイデンティティ」、最大の問題点があって……。それは攻略対象の一人、王子キャラのセドリック・ドゥ・ヴィゴーが進行不能バグにより攻略できない、ということである。
どうも悪役令嬢断罪ルートはその王子ルートの一貫に含まれていたらしく、ネットではお邪魔キャラのミレーヌが破滅している様子を見ることが出来ないことも相まって大変な不評を受けている。
また、とにかくのこのゲームはあらゆる面でツメが甘く、誤字が多いのが特徴だ。
悪役令嬢を断罪してくれない王子キャラはヒロインには簡単に「すこし求刑しようか」と実刑を求めてくるし、幼馴染はヒロインの帰宅中に誰かに話しかけられるだけで「俺たち帰るとチュウなんだ」と毎回セクハラをかます。
それだけなら可愛いもんだと思ったが、大人の色気路線の化学教師が「では、この機材の死よウホウホウニ突いてわかる者?」と授業中突然ウホウホ言い出した時は我が目を疑った。
私はこの化学教師のビジュアル(銀髪ロングメガネ)に惹かれて最初に攻略しようと思ってたからだいぶショックだった。
(ネットでは当然のように彼のあだ名は「ウニ突きゴリラ」になっている)
とまあ以上のことから、私がこの世界に転生してしまったことを悔やむ理由がわかってもらえたことだろう。
(どうして世の中にはいくらでも乙女ゲームがあるのに……私はこの世界に来ちゃったの……)
ちなみに私は前世ではまあまあ名の知れた乙女ゲームプレイヤーだった。
新作が出たら会社を休んで乙女ゲームに費やし、感想と攻略情報をネットに上げる。
その確かな情報の信頼性と速度から、ネットでは私のことを「ビッチ・パーフェクト」と呼んでいる層もいるくらいだった。
しかし、その百戦錬磨の私を以って匙を投げさせたのがこのゲームだ。
(だいたいなんでテキストアドベンチャーでここまでフラグ管理がうまく行ってないのよ……。もはや好感度によるフラグ管理が出来ていないと判断したから、全部の選択肢を総当りしようとしたけど……)
このゲームは、中世のヨーロッパの貴族の子息・令嬢が通う学院が舞台となっている。
制服の規定がないため、ヒロインは毎日自分が着ていく服を選ぶ事ができる。
ここで攻略対象の好みの服で学校に行くことが好感度上げのポイントとなるのだが、とにかくその選択肢が多い多い。
ボタンの色から帽子の色・形まで、「なんで朝からこんな事考えなきゃいけないの?スティーブ・ジョ○ズ見習えよ」としか言いようがない。
しかも攻略対象は前回会ったときの服装をやたら事細かに覚えている。
そのためアクセサリーの一個でも前回と同じものを身に着けていこうものなら「君んち貧乏なの?(笑)」的な扱いを受ける。
とにかくゲームのこだわりポイントが意味不明で、ストレスが溜まるのだ。
(でも、よくよく考えたらラッキーかも?)
そう、なんせこのゲームではバグにより王子キャラの攻略ができない。
王子キャラの攻略ができないということは……私は破滅しない。
そう言う視点で考えれば、意外と悪くない世界かもしれない。
私がそう思っていると、コンコン、と部屋のドアをノックされる音がした。
使用人が開けてもよいか許可を求めてきたので、私は「どうぞ」と答える。
入ってきたのは見知らぬ顔の男。
淡い栗色の髪の毛と、毛先がふわふわっと跳ねた男の子だった。
「さっきから騒がしいけど……どうしたの姉さん」
「誰!?」
私に弟なんていなかったはずだけど!?
このゲームの数少ないプレイヤーだからこそ断言できる。
お前のような弟はいない。
しかし私の自称・弟は「やれやれ、そんなことも忘れちゃったんですか?」と言わんばかりに首を横に振った。
「先日、DLCで追加されたあなたの弟ですよ」
「このゲームDLC出してたの!?」
そういやDLC疑惑のあるモブ、一人いた気がする。
やたら見た目がいいのに、話しかけると衝撃の「<テキストテキストテキストテキスト>」というダミー文書を出すヤベーやつ。
攻略に関係なかったから気にしてなかったのだが、そうか、実装されたのか……。本編確か返金騒動になってたくせに本当に強気な運営だな……。
というか悪役令嬢の弟なんていう重要な役どころ、DLCで後から出していいの?せめて続編とかの新キャラにならない?
お姉ちゃんだって急にでかい弟出来たら普通にショックでしょ。
(ん?でも待って。こいつ自分がDLCって理解してるし、この世界から抜け出す方法、なにか知ってるかも)
私は彼の協力を得ようとベッドから飛び降りて話しかける。
「ねえあなた!私もあなたと一緒で最初からこの世界の住人じゃなかったの。なにか外の世界のこととか知らない?」
「~本キャラクターは有料追加キャラクターとなります。詳しくはオフィシャルサイトを御覧ください~」
「勝手にEショップに飛ばすなあああ!!!」
私がなんとかネットの海を泳ぎきり、チンティの世界に戻ってきた頃、既に授業開始の時間となっていた。
「ああ、姉さん。よかった、戻ってこれたんだね」
「……あんたに話しかけると課金要求された挙げ句公式サイトに飛ばされるんだけど……」
「さっきはごめん。もうオフラインモードに切り替えたから大丈夫。本来のテキストは見せることが出来ないけど、僕の意志で話すことはできるよ。さ、そんなことより学校の時間だ。姉さん、そこのベッドの奥の壁に向かって3秒間歩き続けた後、スティックの↓とBボタンを同時に押して!」
「なんで!?」
「壁を抜けるからさああぁぁぁ……」
先にそれを実行したらしき弟は壁に吸い込まれて、どんどん声が遠くなる。
私はその光景に恐怖を覚えつつも、学校の時間帯はすべてのキャラクターが消失するらしきこの館に残り続けるよりはマシ、と壁に向かって歩き始めたのである。
(ほ、本当に教室についてもうた……)
どうなってるんだこのゲーム。ただのテキストアドベンチャーかと思いきや、無駄に物理演算エンジンを搭載している。(バグってるけど)
弟も多分自分の教室に向かったのだろう、ここにはいない。
自分の席に着き、周りの様子を伺っていると王子キャラと幼馴染キャラ、そしてこのゲームのヒロインを確認することが出来た。
ヒロインの今日の姿はデフォルトと同じ姿。大きな黄色いリボンを頭につけている。
どうやら昨日もそのアクセサリーだったらしく、幼馴染キャラに「君んち貧乏なの?(笑)」的なセリフを言われている。
(わかる。わかるわ……。初期装備、イカれたアクセサリーばっかで、それが一番マシな格好になっちゃうのよね……)
その幼馴染キャラの好感度を上げるには、毎日孔雀の羽根と西洋甲冑のヘルメットを交互に着るのが一番手っ取り早い。※ヘルメットはアクセサリー判定
既に私達の間に利害関係がないのは確認しているし、親切心で教えてやってもいい。
だが、ヒロインは幼馴染キャラの言葉もどこか上の空で聞いている。
(もしかして彼女……)
セドリックを見つめている……?
(バカねー。私ですら攻略出来なかったキャラなんだから。諦めなさいって)
セドリック目当てで購入したんだったら気の毒だけど、彼には今攻略の手立てが全く無い。
教室に「ウニ突きゴリラ」が入ってきて、おしゃべりもお終いとなった。
授業がつつがなく終わり、私は弟と合流するため教室を出ようとする。
すると、
「あ、あの……セドリック様」
「どうしたんだ?」
ヒロインが、王子キャラに話しかけていた。
「授業でわからないことがあったので……この後、図書館で一緒にお勉強に付き合っていただければと思うのですが……」
「そうか……」
セドリックは顎に手を当て考えるポーズをする。
(なかなか果敢ね、あの子)
その恋が無駄だと知れば、傷つくだろうか。
セドリックはまだ考えている。
「………………………………………………」
(お、おかしい。長過ぎる……)
このゲームでデートの誘いをする場合、成否は「内容」と「好感度」によって判定される。
なので「好感度」が低くともは「内容」、すなわちデートプランが良ければ成功する可能性もあるのだ。
特に図書館デートはセドリックの大好物のはずである。
割と好感度が低いときからでもOKしてもらいやすい。……はずなのだが。
(……も、もしかして、フリーズしてる!?)
本来この後に続くセリフは「構わない」、もしくは「すまない」だ。
それでも微動だにせず長考してるあたり、フリーズの可能性は高い。
「ちょっと、あんた、来なさい」
「え!?ミレーヌ様?でもわたし、セドリック様と……」
「あの男は今日は一日そのままよ。一晩経てば直ってるから今はついて来なさい」
私は硬直してるセドリックからヒロインを引き剥がし、弟の教室へと一緒に向かった。
「弟!」
「やあ姉さん。……あれ?なんで彼女も?」
「あんた達二人にまとめて話があるから連れてきたのよ。まず弟、あんたから状況を説明しなさい」
「え、僕?」
私に突然指名されて、弟はキョトンとしている。
だが弟に対してキョトンとしているのはヒロインも同じようで、「あれ、ミレーヌ様って弟いらっしゃいましたっけ?」と戸惑っていた。
「はじめまして、僕は最近追加された新キャラクターで、悪役令嬢ミレーヌの弟です。DLCで販売してるんで、良かったら攻略してみてね」
「は、はい、ご丁寧にどうも……。って!どうしてこの世界がゲームだってこと知ってるんです!?」
弟と握手をしかけたヒロインは飛び退く。
「やっぱり、あんたも人間だったようね。このゲームのプレイヤー?」
「は……はい。あんた『も』ってことは……ミレーヌ様、あなたも……?」
「その通りよ。あんたにも色々確認したいことがあるから、弟の次はあんたに事情を聞くからそのつもりでね」
「はい……」
ヒロインはシュン……としながらも現状を受け入れることにしたようだ。
弟は「状況の説明って言っても……どこからしたら良いかな……」と頭を掻きながら言った。
「まあ、既にご挨拶しましたとおり、僕はDLCキャラクターだからもともとこの世界の住人じゃないんです。どうやらこの世界……えーと、『チンティ』でしたっけ?どうも開発陣も頭を抱える問題作だったようで」
「開発陣が頭を抱えてる場合じゃないわよ。一番頭を抱えたのはプレイヤーなんだから」
「それはまあ、ごもっともで。それで、開発陣がどうにか『チンティ』の評価の巻き返しを図ろうと急遽実装されたのがDLCキャラクターでして……。なんでも、僕のストーリーは相当力を入れて作られたみたいですからね」
「知らんがな。開発の初期段階から力入れときなさいよ。なんでDLCに力入れちゃうのよ」
「それもまあ、おっしゃるとおりで……」
私がひたすらこのゲームへの文句を言っていると、弟はやれやれという仕草をした。
だが本人の言う通り、グラフィックのクオリティは下手すれば王子キャラよりも上回っている。
新作のストーリーも期待できる……かもしれない。
「で、なんであんた、自分がゲームのキャラだって自覚あるの?」
私がいよいよ核心に迫る質問をすると、弟は先程よりも困った表情で笑った。
「いや、こんなゲームでしょ?昨今はゲームもすぐにインターネットに接続できる時代で……。僕、このゲームのレビュー見ちゃったんですよね。本当に罵詈雑言の嵐。さすがの僕も、『僕一人でこの評価は覆せないぞ』って思ってプレッシャーで……。で、気がついたら、<テキストテキストテキストテキスト>以外の言葉が喋れるようになってたんですよね」
「ふーん……」
なるほど、自我が芽生えたゲームキャラクターか。
そんな事ある?と聞きたくなるが、現に自分がこのゲームのキャラクターに生まれ変わっている以上野暮なことは言えない。
「というわけでこのように、DLCに収録されたシナリオ以外は自由意志でおしゃべりできます」
以上、というように、弟は手のひらをこちらに向けた。
次はこちらの番、ということだろうか。
「私はこのゲームの悪役令嬢、ミレーヌ・ドゥ・ジャカール。前世は普通の日本人。乙女ゲームプレイヤーだったわ。トラックに轢かれて死んだと思ったらこのザマよ。なんとかこのクソゲーから脱出したいと思ってるわ。はい次あんた」
「え、ええ?もうわたしですかぁ?」
私に指名されてヒロインは戸惑っているが、しばらくして観念したように喋りだした。
「えーっと大川みき、です。このゲームでは、ミキ、って名乗ってます」
「そうだね、ステータス画面に出てるし」
「ふーん、あんた、乙女ゲーム本名でプレイする派なんだ~。ふ~ん」
「べ、別にいいじゃないですかぁ!」
「いや?もちろん?別にいいけど?ふ~~~ん」
別に他意はない。私だったらヒロインにデフォルトネームのついてる乙女ゲームはデフォルトネームでプレイするなぁ。と思った程度だ。ふ~~~~~ん。
私がそんな態度を隠さずにいると、ヒロインことミキは「……名前戻してきます」とメニュー画面を開いた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよあんた!別にいい名前じゃない」
「やです!だってミレーヌ様わたしのことバカにしてます!」
「バカにしてないわよ!だいたい名前変えられるの一回だけなんだから慎重にやりなさい、後悔するわよ」
そう、このゲームの珍しい機能に、『プレイ中に一回だけ名前を変えられる』というものがある。
普通、主人公の名前を変えたくなったら「はじめから」を選ぶしか無いのが常だと思うが、よくわからないところに気を回すゲームである。
「……そう言えばミレーヌ様、なんでわたしがこのゲームのキャラクターじゃない、って気がついたんですか?」
メニュー画面を閉じながらミキが話しかけてくる。
私は「別に何がってわけじゃないけど……強いて言うならあんたの『目』が原因ね」と答えた。
「私の……『目』?」
ミキはキョトンとしている。
私はすかさずミキの少し長過ぎる前髪に手を当て、おでこまで捲くりあげた。
「ひゃ、何するんですか」
「そ。この『目』。教室であんたが幼馴染キャラと話してる時に、何故かあんたがセドリックを見たような気がして……ピンときたのよ。あんたは最近の乙女ゲームにしては珍しい『目隠れヒロイン』よ。顔出しはほとんどしない」
そう、『チンティ』のヒロインに設定されているのはデフォルトネームと大方のシルエットだけ。
目元はいつも長い前髪の影に隠れている。
それなのに、攻略対象との会話中にも関わらず視線を動かして他のキャラクターを見てしまうのは、プレイヤーの意志に他ならない。
「だから、あんたにも人間が入ってるんじゃないかと思っただけ」
「……す、すごいミレーヌ様。さすがですね……」
私が彼女おでこから手を離すと、ミキは手ぐしで前髪を整えた。
「じ、実はですね、わたし……。このゲームプレイするの、150回目なんですよ……」
「150回!?」
「このクソゲーを!?」
150回、といったのは私、このクソゲーを?と言ったのは弟である。
「は、はい、びっくりしちゃいますよね……こんなゲーム、誰がそんなにプレイするんだって言う……はは」
ミキは自虐的に笑ったが、私は笑わなかった。
なぜならこのゲームの試行回数を伸ばす原因に、心当たりがあるからだ。
「セドリック、ね」
そう、バグにより難攻不落となった王子キャラ。セドリック・ドゥ・ヴィゴー。
彼の攻略のためにそこまでの回数を重ねたと聞けば、疑問はない。
「うう、そうなんです~~~!わたしも何度も諦めようと思ったんですけど、どうしても浜辺の白馬イベントが見たくて~~~」
「あのPVに使われてたやつね!」
「そうです~~~!」
ミキの言った『浜辺の白馬イベント』とは、公式PVでやたら推されていたシーンだ。
正直白馬のグラフィックは下手くそすぎて、ネットでは「マ○バオーに乗った王子」とかバカにされていたが、それを差し引いてもあのスチルは美麗だった。
「わたし、このゲームのCM見たとき、本当にひと目でピンときて。『これだ!』って思ったんです……。セドリック様に一目惚れなんです!だから、どうしてもあのイベントを見るまで諦めがつかなくて……!」
「なるほど、事情は理解したわ。でもあのイベント、攻略の終盤に用意されてたものらしいし、誰も見ることが出来なかったみたいじゃない?」
「いえ!でもですね!一人だけ、わたしが崇めている乙女ゲームプレイヤーさんが、このイベントを見ることに成功したらしいんですよ!『ビッチ・パーフェクト』さんって呼ばれてる方なんですけど!」
「え……?」
『ビッチ・パーフェクト』って……私のことじゃない……?
ミキの意外な言葉に、今度キョトンとするのは私の方だった。
(ほ、ホントだ……。私が事故る当日に、ブログ更新してる……)
弟にネットに接続してもらい、私は私のブログを閲覧した。
確かに事故の当日の朝、私はこんな内容のブログを更新していた。
タイトル:チンティ、セドリックルートクリア間近!
みなさーん、久しぶりにチンティのセドリックルートの情報です。
なんと私、試行錯誤の末にセドリックの攻略ができました!
ほとんどデバッガーみたいな作業でしたが、一応ありましたよ攻略方法が!
浜辺の白馬スチルもバッチリ回収済みです。
おかげで三徹ですが(笑)、今日会社終わったら告白シーンを見て、サイトの方にもセドリックの攻略情報を上げたいと思いまーす!
「うそ、嘘でしょ……?」
どうしよう、トラックに轢かれたせいか、全く記憶がない。
だが、私の言葉はミキには違う風に捉えられたらしく、「ちがくありませんよ!ビッチ様は本物なんです!」と自慢げに語られた。
「でも、この後ビッチ様、色々あったみたいで……。弟くん、ビッチ様のツリッター出せる?」
「はい、どうぞ」
ビッチ様のツリッター、つまり私のツリッターアカウントの最新ツリートは、こんな内容になっていた。
『リオ☆デジャネイロ3世の母です。娘がいつもお世話になっております。先日、G県で起きたトラック事故に娘が巻き込まれて……』
う、うそ……。
お母さん……。
なんで私のアカウント知ってるの……。
しかもパスワードまで……。
同人界隈でもたまに身内が訃報ツリートを流す様子を見てきたが、毎回「どうやってアカウントとパスワード把握してるんだ?」とうっすら疑問に思っていた。
しかしいざ自分の身に降り掛かってみると、疑問の前にまず恐怖心が湧く。
なんでお母さん私のアカウント知ってるの……。
ショックで文章の続きが読めず、私は弟にツリッターを閉じてもらった。
「それで、ビッチ様の攻略情報は幻にはなってしまったんですけど、わたしはなんとか自力でもセドリック様を攻略しようと足掻いていたところなんです。……そしたら」
「……そしたら?」
「ある日、あまりにも攻略できないストレスでモニターに頭突きをかましたら……あの、ほら、あそこの噴水。あそこから……ヒロインの姿で、出てきちゃったんです……」
ミキが「あそこの噴水」と指したのは、このゲームのマップの中心地になっている、学園の噴水であった。
なるほど、つまりミキの場合は転生者ではなく転移者である、と。
状況は整理できた。
そして私は母親にアカウントがバレてたショックから徐々に立ち直り、それどころか事故前の記憶まで徐々に取り戻しつつあった。
「ふ……ふふふ。あっははははは!」
「み、ミレーヌ様?」
「どうしたの姉さん、急に笑いだして」
「我が乙女ゲーム道に一片の敗北なし!」
そうか、私はセドリックが攻略できていたのか。
そうするとあの行動とあの選択肢、……あとあの時の早押しも正解だったわけね。
私は抑えようとも出てくる高笑いを必死に堪えてミキに話しかける。
「ありがとうミキ。あんたのおかげで私も成仏できそうよ。お礼にあんたをセドリックルートクリアまで導いてあげる」
「え?どういうことですか?」
「何を隠そう、私こそがセドリックルート唯一の覇者・『ビッチ・パーフェクト』こと、リオ☆デジャネイロ3世ってことよ」
「ええええええええええ!!!!」
待ってろよクソゲー王子ことセドリック。このリオ様が地獄の底から蘇って、あんたを再度攻略してやる。
その日から、地獄のセドリックルート攻略が始まった。
「ビッチ様~!デートにセドリック様が来ません~」
「いるから!画面に表示されてないだけでデートに来てるから!」
「ビッチ様~。学園祭でセドリック様が衣装と制服を重ね着します~!」
「グラフィックのバグくらいで泣き言言うな!このゲームじゃデフォルトよ!」
「ビッチ様~!なんでわたしなにもない空間に向かってAボタン連打しなきゃ行けないんですか~!?」
「セドリックが兄との確執から逃げ出す重要な場面よ?しっかりしなさい!セドリックの『話しかけられた判定』が異常に厳しくて、生徒会室の扉が開いてから0.2秒で声かけなきゃいけないんだから!ほら、来るわよ!」
亜空間デート、重ね着バグ(実はついでに足も4本に増殖してる)、光速会話イベントなど様々な苦難を乗り越えて、私達は順調に攻略を進めていた。
そして明日はいよいよ、このゲームの最難関イベントの日である。
「明日は朝7時に浜辺集合ね。ほんっとにここ時間かかるから。覚悟しててね」
「はい、わかりました。おやすみなさいビッチ様、弟くん」
ミキと別れて、私は弟と一緒に帰路につく。
「ミキさん、順調そうだね」
「そりゃこの私が攻略指導してるんだもの、当然じゃない」
私は上機嫌で弟の言葉に答える。
弟は「そうみたいだね」と笑った。
「でも、良いの?姉さん。ミキさんがセドリックを攻略するってことは、悪役令嬢である姉さんは断罪されるってことだよ」
弟がいつになく真剣に言うので、私は思わず笑ってしまった。
「あはは!この私を誰だと思ってるの?数々の乙女ゲームを渡り歩いてきたリオ☆デジャネイロ3世様よ?もうどうせ失った命よ。人生の最後を乙女ゲームのキャラクターとして過ごせて、悪役令嬢として散れるなら本望だわ」
「そっか……。ふふ、そうだね」
そうだ。普通、死んだら人間先はない。
それにも関わらず意識を保って自分の好きなことができるなんて、幸運以外の何物でもない。
「あーあ、僕も姉さんに攻略されたかったな~」
弟が、わざとらしく明るくしゃべる。
「そうね、新しい乙女ゲームがプレイできないのは心残りね。……でも、人生の最期に最も手強いと感じていた相手を攻略できる。……乙女ゲーマー冥利に尽きるって話よ」
さあ、立ち止まってる時間はない。
明日はいよいよ最難関イベントにしてこのゲーム最大の謎イベント、『なぜか突然始まる音ゲー』の日である。
「ど、ど、どうして!どうして今まで意味不明な着せ替え要素とか早押し要素とかで独自路線突き進んでたくせに、ここに来て音ゲーなんですか~!」
「うるさい、気が散る。一瞬の油断が命取り!」
私は泣き言を言うミキの頭をグーで殴った。
そういうイベントなんだからしょうがない。
セドリックは過去のトラウマを引きずり、ヒロインの元を去ってしまう。
ヒロインはセドリックの心を慰めるために、浜辺で一人フルートの演奏を続けるのだ。
「そもそもヒロイン最初からフルートなんて持ってました!?このイベントで突然生えてきた設定ですよね!?」
「しょうがないじゃない、シナリオライターごとに整合性が取れてないんでしょ」
まあ、ミキの言いたいこともわかる。
本当にこのイベントは唐突で、しかも異常に難易度の高い音ゲーをプレイさせられるのだ。
音ゲーの再チャレンジは一日に5回まで可能。
もちろん低いランクでもイベントをこなしたことにしても良いのだが、その場合セドリックは二度とヒロインの前に現れない。
「卒業式前の最後のイベントなんだから!なんとかこの3日間でクリアするわよ!」
「うううう~。がんばります!」
私に発破をかけられて、ミキはフルートを握りしめる。
Sランクを取るための条件は、1万点以上でクリアすること。
だが、1万点以上でクリアするためには、ミスして良いのは実質二回までしか無い。
私はなんとか今までプレイしてきたゲームの経験を活かしてクリアしたが、話を聞くとミキは乙女ゲーム以外はほとんどやったことがないらしい。
代わりに操作してあげたいのは山々だが、それではヒロインが攻略したことにならず意味がない。
ゲームには一応練習モードがあり、これは一日の挑戦可能回数にカウントされない。
なのでミキには、練習を頑張ってもらうしか無いのだ。
私がミキにスパルタ指導をしていると、弟が深刻そうな顔をして近づいてきた。
「姉さん、まずいことになった」
「どうしたの?」
「近いうちに、このゲームに大型アップデートが適用されることになった。主な内容はバグの修正、そして問題とされるイベントの変更だ」
「あら、いいことじゃない!」
開発陣に今更このゲームを改善する気があったことにびっくりしたが、私は素直に喜んだ。
大型アップデートによってバグが修正され、セドリックの攻略が可能になるのなら、私達が今こんなに苦労する必要は無い。
だが、弟の顔は浮かないままだ。
「それが、そんなにいいニュースでもないんだ。今準備してるアップデートではグラフィッカーもシナリオライターも総入れ替え。つまり、今までと全く違うイベント内容になるんだ」
私は、それができるなら最初からやれ。怒られてからやめるとか犬か。と思ったが、『今までと全く違うイベント内容』という言葉が気になった。
「新しいディレクターは、品質至上主義のクリエイター気質でね。一つでも『製品未満』と判断される要素のあるイベントは、修正ができない限りまるごと削除される」
「……それって、まさか」
「……残念なことに、新しいグラフィッカーにも、上手に馬を描ける人がいなくてね。セドリックの『浜辺の白馬イベント』も、削除の対象になったよ」
「そんな……!」
馬上手に描けるやつ一人くらい雇えよ、と思うが、今更言っても遅いだろう。
遠くで一人音ゲーの練習をしていたミキは、弟に気がつくと「あ、弟く~ん!どうしたの~?」と無邪気に近づいてきた。
「ミキ、まずいことになったわよ。時間がない。あんた、このイベント明日の朝イチでクリアしなさい」
「へ?どうしてですか?まだこのイベント2日間は挑戦できるんですよね?」
「ミキさん、時間が無くなったのはゲーム内の時間じゃなくて、リアルタイムの方なんだ。近いうちに大型アプデが適用されて、セドリックの『浜辺の白馬イベント』も含めて、今あるものはほとんど削除される」
「えっ……!そんなことって……。うそ、嘘ですよね?」
ミキは今にも泣きそうな顔で私の顔を覗き込むが、私には否定のしようがない。
私の態度を見てすべてを察したらしきミキは、「そんな……わたしには、ムリ、ですよ……」と、フルートを持つ右腕を力なく下ろした。
確かに、今日のミキの成績は散々だった。
練習しても、うまく言ってC判定という結果だった。
Sランクなんて、もともと3日あっても難しいくらいの目標だ。
なんせ、前世の私が三徹したのも、思い返せばこのイベントが原因だったのだ。
だが、ここで立ち止まってる時間はない。
「やりなさい、ミキ。練習を。他でもない、セドリックとあんたのために」
「…………ビッチ様……!……はい!わたし、やります!明日の朝イチでクリアできるように!」
「今日は寝ずに練習よ!」
「はい!」
このゲーム、一日の時間の流れは早朝・午前・午後・夕方・夜と5タームあるが、実は夜は殆ど行動できる場所がなく、先程あげた練習モードくらいしかやることがない。
そしてゲーム内の夜時間は、プレイヤーが「次の日へ」コマンドを押さない限り、ずっと変わらない。
なので実質、夜はヒロインが寝る選択をしない限り無限に過ごせるのだ。
「……姉さん、大丈夫?」
「あっ、私、寝ちゃってた?」
「うん……。もう限界なんだよ」
弟に起こされて、私ははっと意識を取り戻す。
ここは夜の浜辺。景色は何も変わらない。だが、現実ではどれだけの時間が流れたのか……。
ミキはずっと音ゲーの練習をしている。
だが、監督してる私ですらこのザマなのだ、ミキの方だってとっくに限界だろう。
「……姉さん。もう、いいんじゃないかな?新しいイベントだって、セドリックはセドリックだよ。そのうち公式PVだって新しいものに差し替わる。『浜辺の白馬イベント』だって、そのうちみんな忘れるよ……」
弟が悲痛な面持ちで私に語りかけてくる。
彼の言ってることはもっともだ。
このクソゲーはこの後まともな乙女ゲームに生まれ変わる。
今意地になって、このゲームをクリアする必要なんて、どこにもない。
「……だからこそ、だよ。みんな忘れちゃうから。セドリック本人ですら、そんなイベントがあったこと、忘れちゃうから。……今見るんだよ、私達が」
「姉さん……」
「だいたいあんた、今のセリフ、ミキに言える?ミキは『浜辺の白馬イベント』のセドリックに惚れて、このゲームを始めたんだよ」
私は苦笑しながら弟に乙女ゴコロを説教する。
ミキはずっと練習している。きっと私が止めても、今のミキは止まらないだろう。
それが恋というものだ。
対象が二次元だろうが三次元だろうが、そのエネルギーに違いはない。
「……そうだね。姉さんの言うとおりだ。僕が間違ってた」
弟はそのまま何も言わず、私に自分のコートを掛けた。
「でも、姉さんは眠って。リアルの時間の流れが影響しているんだろう?僕の方はゲーム時間しか影響しないから大丈夫。ミキさんは、僕が見てるよ」
「うん……ありがと」
私もやはり、だいぶ限界だったらしい。
弟にそんな言葉を掛けられて、一気に深い眠りについてしまった。
「ッチ様!ビッチ様!」
「姉さん起きて!ミキさんがクリア目前だよ!」
「は!?なに!?」
それからどれくらい時間が経っただろう。
ミキと弟にやたらハイテンションで叩き起こされた。
景色は……朝。
体感としてはそんなに時間が経っていないが、朝になっているということはやはり、ミキは音ゲーをクリアする自信があるらしい。
「ミキ……!」
「ビッチ様……!わたし、やりました!」
まだクリアしていないのに、ミキの目には涙が溢れている。
私は半ば呆れつつも、「もう、本番はこれからでしょう?」とミキの涙を手で拭った。
「うふふ、ごめんなさい。でもわたし、嬉しくって。諦めないって、本当に大事なことだったんだなって」
練習で余程自信がついたのだろう。ミキの喜びは止まらない。
私はこんなに短時間で上達したことに驚きを覚えつつ、
「分かった分かった。あんまり浮かれすぎると本番で失敗するわよ、慎重にね」
と言った。
「もう本当に、大丈夫なんです、わたし。見ててくださいね!本番、行きます!」
ミキがフルートを構える。
前奏が流れる。
上空から、音符型のノーツが降ってきて、水平線には判定用のバーが現れる。
「はい、ここ!」
ミキが突然セレクトボタンを押す。
音量調整用のコンフィグ画面になる。
「な、何してんの?」
「すごいんだよ、姉さん。ミキさん、自分で気がついたんだ」
ミキが音量をマックスにする。
ミキは何に気づいたというのか。
実は今まで音無しでプレイしてたから音ゲーが下手でした。テヘ☆とか今更言うつもりなのか。
私の不安をよそに、ミキは音量をマックスにしたあとも、更にコントローラーの十字キーの右側を押し続ける。
「うおおおおおおおおお!!!!」
音量は当然最大のままだ。何も変化はない。
だがミキは気にせずもうひたすらボタンを乱打する。
「がんばれ!頑張れミキさん!」
(何の儀式よこれ……)
正味三分ほどその奇妙な光景を見守っていただろうが。
ミキはようやくコンフィグ画面を閉じて、画面を音ゲーの譜面に戻す。
そして、
「オーバーフロー!!!」
ミキが一度ノーツを叩いたら、なんとそれだけで10万点、いや、正式には98,776点が入った。
「え、なにあれ、え」
こんな数字本来はありえない。
ミスを2回以内に抑えて、ようやく1万点が狙えるゲームバランスなのだ。
本来一つのノーツから手に入る点数は30点からマイナス10点ほど。
こんな序盤で98,776点入ったら、これからすべてミスしようと問題は無いだろう。
「え、いまミキ、『オーバーフロー』っつった?」
「そうなんだよ姉さん!このゲーム、音量ボタンと音ゲーのノーツの点数が隣り合ったブロックにあるみたいで、音量ボタンをマックスにした後もひたすらボリュームを上げ続けると、次にノーツから手に入る点数がオーバーフローを起こすんだ!」
「昔のドラ○エかよ!」
そりゃ、クリア前なのに感極まって泣き出すわ……。
先程のミキと弟のテンションの高さに私はようやく合点がいった。
だが、どんな方法であれクリアはクリアだ。
「クソゲーに感謝、ね……」
私は、ミキを迎えに来た白馬の王子の姿を遠くに確認しながら、ひとり呟いた。
「ビッチ様~~~!わたし、わたしやりました~!」
ミキがフルートを捨てて私に飛びついてくる。
「本当に、本当にこれまでありがとうございました~!」
私は感涙にむせぶミキの背中に腕を回し、ポンポンと撫でながら、「はいはい、泣かないの。時間がないんだから」と言った。
だが実際は、これでこのゲームはクリアしたも同然だ。
後はヒロインのモノローグを読めばセドリックが表れ、『浜辺の白馬イベント』が開始になる。
私はほっと胸を撫で下ろしつつ、ムードを壊さないように弟とそっと浜辺を離れていく。
だが。
「待って。姉さん。……何かがおかしい」
ミキが、白馬に乗ったセドリックに駆け寄る。
本来はこのタイミングで、2つの影が重なるのだが、たしかに様子がおかしい。
「セドリックが……動かない……?」
あいつまたフリーズしてんのかよと思いつつ、弟に意見を求める。
弟は眉間にシワを寄せて、「いや……あれはただのフリーズじゃない」と、低い声で呟いた。
「……まずい!姉さん!」
「弟!」
突然、大きな地鳴りが響く。
そこから少しの間もなく、地割れが起きる。
セドリックと白馬がその地割れの中に吸い込まれる。
ミキの悲鳴が聞こえる。
空が、自分の周りの空間が、パリパリと音を立てて崩れ去る。
弟と私の間に、大きな亀裂が生じる。
「大型アップデートのダウンロードが完了して、インストールが始まったみたいだ!!」
「なんですって!!」
大型アプデが始まってしまった。
この世界は新しい世界に生まれ変わる。
そこにはかつてのセドリックも悪役令嬢もヒロインもいなくて、以前の世界はただの黒歴史として葬り去られる。
「ビッチさまあ!!!」
ミキの声が聞こえる。
「姉さん!ねえさーん!」
私は弟の制止する声も聞かずに、ミキの声がする方へと駆けていった。
「ごめんなさい、ビッチ様……。わたしがのんびりしてたから……」
狭間。
ミキの声が聞こえる。
「本当にごめんなさい……!こんなに手伝ってもらったのに、何一つ成し遂げられなくて……!!」
水。
ミキの涙だ。
(ミキッテ、ダレ?)
私はミレーヌ・ドゥ・ジャカール。この世界の悪役令嬢だ。
この世界は今新しく生まれ変わる。
このプレイヤーの進行状況的に、ミレーヌは既に追放済みだ。
ヒロインが目の前にいるのはなにかのバグだろう。
バグは許されない。私は、自分の身体を消去するーー。
「ダメッ!消えないで、ビッチ様!」
身体を揺さぶられる。
体の奥底から、私じゃない私の声がする。
「ミキ……名前……」
「え?ビッチ様!?」
「名前……変えなさい……」
「へ?」
プレイヤーがスタートボタンを押す。
プレイヤーは私の指示のまま、名前を変更する。
その名前は。
夕日の浜辺で、二人の男女と一頭の白馬が寄り添っている。
二人は、遠くから見ても幸せそうな、お似合いのカップルだ。
「セドリック様……夕日、きれいですね」
男の名前はセドリック・ドゥ・ヴィゴー。
このゲームの難攻不落と名高い王子だ。
「DELETE FROM UPDATE_SETTING……君のおかげで、私は本当の自分を取り戻せたよ。感謝している」
女の名前はDELETE FROM UPDATE_SETTING。
ミキの現在の名前である。
「いや~。『SQLインジェクション』なんて、とっさによく思いつきましたね~」
「……私もまさかこんなハックすれすれの行為がここまでうまくいくなんて思わなかったわよ」
セドリックとミキ、ことDELETE FROM UPDATE_SETTING嬢を眺めながら、私と弟は喋った。
『SQLインジェクション』、それは名前の入力欄などを利用したデータベースシステムの不正操作方法である。
本来は「田中 花子」といった文字列を入力することを想定されているスペースに、SQL文と呼ばれるデータベースの命令文を仕込み、実行させることなどを指す。
大型アップデートのダウンロードが完了し、インストールが始まったと聞いたとき私は、アップデートファイルを丸ごと消去することを思いついたのである。
とは言え、私の方で変えられるアイテム名なんて無いし、ましてプログラムに直接関与することなんて出来ない。
だが、一度だけヒロインの名前をリネームできるこのゲームなら、やってみる価値はあると思った。
DELETE FROM UPDATE_SETTING(アップデートファイルを削除せよ)、この命令文をヒロインの名前を通してゲームに差し込むことで、私達は大型アップデートを回避することに成功したのだ。
「ふつー対策されてると思うんだけどねー。対策というか、名前に文字数制限設けるとか、アルファベット禁止にするとか、そういうのしないわけ?このゲームは」
「まあまあ。開発陣の手抜きのおかげで二度もピンチを切り抜けられたんだし、姉さんも喜ぼうよ」
「ま、そうね」
ミキに、『浜辺の白馬イベント』を見せることが出来て本当に良かった。
ミキは笑っている。セドリックも笑っている。
たとえこの世界からすべてが無くなったとしても、ミキの心には思い出が残る。
それで十分だ。
「姉さん、次のアプデの予定ですが、割とすぐです。UPDATE_SETTING2が今夜中に配布され、UPDATE_SETTINGが何らかの不具合で終わらなかったROMにも、UPDATE_SETTINGとUPDATE_SETTING2の内容が適用されます」
「今夜って、現実の時間?」
「そうです。開発陣はいま、てんやわんやです」
「……そっかぁ」
私達の時間も、もうすぐ終わる。
『浜辺の白馬イベント』を終えたミキが、こちらに戻ってくる。
現状を伝える。ミキは覚悟を決めていたように、「……はい」とだけ言った。
「……ほんとに夕日、キレイだね……」
「はい……そうですね……」
なんの変哲もない、ただのグラフィックの夕日だけど。
それでもこの景色がキレイだと感じられるのは、お互いにこの時間が有限だと理解しているからだろう。
「あの……。次のアップデートが適用されたら、ビッチ様にはもう会えなくなっちゃうんですよね?」
「そうね。新しいシナリオだと、私はこの時点でもう追放されてるみたいだから」
「そう、ですよね……」
ミキもわかっていたことだろう。落ち込んでいるが、ショックを受けている様子はない。
だが、悪役令嬢ミレーヌの退場は、私の人生の終焉でもある。
少しでも長く生きられたことに感謝して、私もこの世界を去らなければならない。
「え?なんでですか?」
「『なんでですか?』って……あんた、私の母のツリートみたでしょ?私がトラック事故に巻き込まれて死んだって話」
「へ?ビッチ様、トラック事故に巻き込まれてませんけど……?」
「はあ!?」
突然何を言い出すんだこいつは。
私は自分の耳と目と彼女の脳とすべてを疑いながら話を聞こうとするが、ミキは「も~!お母様のツリートよく読んでください~」と弟に私のアカウントを呼ばせた。
『リオ☆デジャネイロ3世の母です。娘がいつもお世話になっております。先日、G県で起きたトラック事故に娘が巻き込まれてしまったという噂が流れていますが、事実無根です。
娘はたまたまトラックの自損事故現場に居合わせて貧血で倒れていただけのようです。貧血の原因は連日のゲームプレイによる徹夜のようで、栄養失調の症状も出ていたため緊急入院をさせています。
また、トラック事故の近くにいた子供も無傷です。大きな音を立ててトラックが倒れたので驚いただけのようです。
この事故で人的被害は出ておりません。無実のトラック運転手さんや運送会社さんを特定し、勘違いした正義感を振りかざすことだけはおやめください』
「……なにこれ」
「え、ですから。今入院されてるんでしょ?ビッチ様。ゲームのし過ぎで栄養失調になって」
「え……?マジで?」
そんな理由?アホ過ぎるのでは?と私が衝撃を受けていると、ミキは「いや~わたしも実はいつも心配だったんですよ~。ビッチ様いつ寝てるのかわからないし、ご飯も惜しんでゲームしてるってツリートしてたし~」と続けた。
そうか、私。お母さんにアカウントがバレてたって衝撃で、ツリートの全文を全く読んでなかったんだ……。
「なんか~、たまたま近くで起きたトラック事故と現場が重なっちゃって、ビッチ様ネットではちょっとした有名人だったじゃないですか。ファンもアンチも大荒れで一時期大変だったんですよ」
「嘘でしょ……。ネットリンチこわ……私の界隈治安悪……」
自分という人間が他人からどう見られてるのか、よくわかる瞬間である。
というかよくよく思い出したら『ビッチ・パーフェクト』って異常な攻略速度でサイトを更新していた私にアンチがつけたあだ名だし、こいつ最初からアンチ側の人間じゃねぇか畜生。
「え~。そんなことないですよ~。うふふ」
ミキの表情は読めない。
なぜなら目隠れヒロインだからである。
さて、そんな風にいろんなところにオチがついたところで、
「姉さん、そろそろ時間ですよ」
「もうそんな時間か。あんたにも世話になったわね」
「いえいえ、楽しかったですよ。僕も、僕と恋愛する人たちがどういう人たちなのか、学べるいい機会でした」
弟が、私に握手を求めるように手を差し出す。
私はそれを握り返す。
だが、私の身体は既に半透明になっていた。
「ビッチ様!現実世界に戻っても、乙女ゲーム続けてくださいね?」
「当然よ。まだ生きてるとなれば、やりたいゲームはいくらでもあるわ」
私は予約していた数々の乙女ゲームを思い出す。
そして、ふと思い出す。
「そう言えば、弟。あんたの名前、聞いてなかったわね」
私がそう尋ねると、弟は「今更ですか?」と苦笑した。
「アップデートしたら、一番に攻略してあげるわよ」
私の身体が半透明とは言えないレベルまで消えかかる。
「光栄だな。僕の名前は――」
**********
「これでよし、と」
わたしはいつものリボンを装備する。
今日は卒業式だ。
今日だけはどんな服装をしていても誰にもケチを付けられないので、一番お気に入りの格好をした。
大型アップデートの第二弾が適用された後、ビッチ様の姿は影も形も無くなった。
悪役令嬢ミレーヌが、この世界からは既に退場してしまっているからである。
ヒロインと同化していたわたしはゲームから追い出されず、おそらくクリアまではこの世界にいられるのだろうと判断した。
(アップデートしてから……キレイになったなあ。グラフィックも、音楽も、みんなの顔も)
本当に、生まれ変わったと呼んで差し支えない。
テキストの誤字脱字も今の所見つからないし、前の世界の面影を探すほうが大変だ。
ーーコンコン。
「はーい」
わたしの部屋のドアをノックする音がする。
寮生活のヒロインは、ゲームの最終日である卒業式は、特別な男性に迎えに来てもらえる。
それは即ち、今回のシナリオで攻略した男性だ。
ドアを開けるとそこには、
「セドリック様!」
が立っていた。
「おはよう、少し早かったかな?」
「いいえ。ちょうど準備も終わるタイミングでした」
セドリック様はアップデートが適用された後、90年代アニメのような厚塗りはすっかりやめて、非常に現代的な容姿の男性になった。
これなら更なる人気が見込めるだろう。
だが、
「さあ行こうか、マノン」
新しいセドリック様は、わたしのことをデフォルトネームの「マノン」と呼ぶ。
仕方がない。事情はどうあれ最終的に「DELETE FROM UPDATE_SETTING」という名前にしていたのだから。
デフォルトネームに置き換えられてしまったのは当然の処置だろう。
リネームのアイテムも一回しか使えないし、この周回ではこのまま「マノン」でいるしか無い。
でも。
わたしは、セドリック様のエスコトースする手を、振り払った。
「ごめんなさい。わたしの王子様は、あなたじゃないの」
走る。走る。どこまでも走る。
寮の廊下を走る。階段を下る。扉を開ける。庭に飛び出す。
沢山のグラフィックが描き変わったこの学園でも、変わらなかったものが一つだけある。
それは学園の中心地となっている噴水だ。
わたしが、この世界に来る時に使った場所でもある。
「やあミキさん、来ると思ったよ!」
「弟くん!」
ひょっこりと木の陰から弟くんが顔を覗かせてくる。
「セドリック様置いてきちゃったんだけど、大丈夫かな?」
「まあこっちで適当に誤魔化しておくよ。向こうの世界に戻ったら、姉さんによろしく」
「うん!」
わたしはあの日と同じように、いや、あの日と真逆に、噴水の中に飛び込んで現実世界へと帰ってきたのだ。
(う~ん、ただいま!我が家!)
優雅な生活やイケメンとは無縁だけど、やはりここが一番落ち着く我が家である。
わたしは早速PCを起動して、ブラウザを立ち上げる。
アクセスするのはもちろん、ビッチ様のブログだ。
(あ、更新してる……)
タイトル:大型アプデ前の滑り込みセーフ!
皆さんどうもお久しぶりです!
事故に巻き込まれたとか噂が立ってたみたいだけど、私は元気です。(笑)
栄養失調で入院していたのは本当ですが、これからは健康に気をつけつつゲームを頑張りたいと思います!
ところで、チンティにアプデ来ましたね!
なんと私は入院中、母にゲームを持ってきてもらってまして(←懲りない)、
病院にはWi-Fiがない、イコール、まだアプデが完了していない状態のチンティが手元にあったのです!
さっそくやり残していたセドリックルートの告白イベントをこなし、その後は粛々とアプデを受け入れましたとさ!
アプデ前のセドリックルートの感想と、もう不要だと思うけど攻略情報は、この後備忘録としてサイトにアップしておきます。
さーて、アプデ終わったら、早速DLCの弟ルート行くぞー!
(ふふ。ビッチ様、相変わらずだなあ)
現実(?)だと若干口調がきつかったけど、ネット上だと若干ノリが古い。
それがビッチ様の魅力なのだ。
(ん?なんだこれ。……文字がある?)
『アプデ前のセドリックルートの感想と、もう不要だと思うけど攻略情報は、この後備忘録としてサイトにアップしておきます。』と『さーて、チンティアプデ終わったら、早速DLCの弟ルート行くぞー!』の間に不思議な空白がある。
マウスを重ねてみると、I型カーソルに変化した。
そのままドラッグすると、そこには『ミキちゃんよかったら見てね』と、隠れていた文字が浮かび上がって来る。
(ビッチ様……!)
夢のような、夢じゃなかったような。不思議な物語。
世界中のどんな記録にも、誰の記憶にも残らなくていい。
確かにそこにあったと、確信が持てたから。
**********
「さーてと、弟くんやりますか~」
点滴から大量の栄養を流し込み、退院して準備万端。
私はブログを更新した後、早速ゲームを起動した。
乙女ゲーム「アウトリーチ・アイデンティティ」。
公式サイトのPVからオープニング、本編に至るまで、全てがアップデートされている。
もはやアプデ前の面影は無いと言っても差し支えない。
「えーと、DLC、DLCと」
彼は「このゲームの評価を僕一人で変えるのは重荷だ」と言っていた。
実際にどんなものなのか、公正な目でプレイしてレビューをつけてあげよう。
それがきっと、乙女ゲームプレイヤーである私が、攻略対象である彼にできる恩返しだ。
DLCの項目で、あの日と変わらない弟の姿を見つける。
いや、彼は悪役令嬢ミレーヌの弟であって、ヒロインの弟じゃない。
あの奇妙な関係性は、ほんの一時の、幻のような思い出となるのだ。
「ん……?DLC6,000円もすんの!?」
完。
ブクマ・評価・感想ありがとうございます!
まだされてない方もお気軽にどうぞ。
たくさんの方に読んでいただいたお礼に後日談的なものを書きました。
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