第八話
私はあの日から何日間も圭介君と共に職員室の近くまで行き、やっと平気になってきた。だから、当然言われると思っていた事を言われた。
「もうそろそろ、職員室に入ってみようか? 取り敢えず、入ってもいいように許可は取ってあるし」
流石に許可まで取ってるとは思わなかったけれど、私は大きく頷いた。
「美奈ちゃん、自分で扉開けてみる?」
「うん」
私はそう言って深呼吸をし、扉をそっと開けた。すると、何人かの人がこっちを向いた。
その瞬間はやっぱり息が詰まりそうで、思わず後ろに下がってしまった。後ろに下がると、トンと圭介君に軽くぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
「大丈夫だよ」
圭介君は優しく微笑み、私の手を引いて出入り口から離れた。
「流石に入り口で止まってると邪魔になるしね。でも、大丈夫そうでよかったよ」
そう言われた時は意味が分からなかったけど、そう言えば、と思った。
「前みたいにはならなくってよかったよ、本当に。もし、無理させちゃったらどうしようと思ったから」
圭介君がそう言うと、誰かが独り言だろうけど、聞こえるような大きさの声で言った。
「ああ、前の時倒れた子か」
その言葉を聞いた瞬間ドキッとして、前倒れた時の感覚を思い出してしまった。
そして、息を吸い込もうとした時にヒューっという音がした。息苦しくなったと思った時に、圭介君が声のした方を向き言葉を放った。
「そういう風に言わないでください。何気なく言っている言葉で人を傷付ける事だってあるんですから」
その言葉を聞いた人は謝罪の言葉を述べてきた。それからは心が落ち着いてきて、呼吸も元に戻ってきた。
「落ち着いたみたいでよかったよ。これで、もう大丈夫そうだね」
圭介君は少し寂しさの混じる、柔らかな笑顔を浮かべそう言った。そして、私が何かを言おうとした時に、大きな声が響いた。
「あ~、平野先輩!」
驚いて声の主を職員室に居る人全員が見た。すると、その人は気にしないといったようにこっちに来た。
ふっと圭介君の方を見ると驚いたような、それだけど気まずいような表情を浮かべていた。
「平野先輩ですよね? 覚えてませんか、俺の事」
「あ、いや、斉藤だよね。斉藤聖……」
そう圭介君が答えると、斉藤君はニカっと笑った。
「そうですよ。あれから会わなくなったから、俺の事もう忘れたのかと思いましたよ」
斉藤君はそう言いながら笑った。
「こら、斉藤! 職員室で騒ぐな!」
一年生の担任の先生がそう言って、斉藤君の事を叱った。
「すみませ~ん。じゃあ、俺はここで失礼しますんで」
斉藤君は先生に謝ってから、圭介君に手を振って職員室を出ていった。
「……ねえ、圭介君。なんで『平野先輩』って呼ばれてたの? 呼ばれるとしたら『宮野先輩』じゃないの?」
私が静かに問うと、職員室はシンとした。その沈黙を破ったのは常坂先生だった。
「宮野、取り敢えず頑張れ」
先生はそう言って圭介君の肩に手を置いてからそう言った。圭介君は観念するかと言ったような表情で、大きく溜め息を吐いた。
「説明はカウンセリング室でするから、ここから出よう」
「分かった」
私はそう言って、圭介君と共に職員室を出た。
職員室を出ると、斉藤君が何人かの友達らしき人と立っていた。向こうは圭介君に気付き、手を振ってきた。
圭介君はそれに応じるように斉藤君たちに近付いた。私は圭介君の一歩後ろを歩き、圭介君の陰に隠れるようにした。
「本当に久しぶりですよね、平野先輩」
「ああ、そうだな。元気してたか?」
圭介君はそう言いながら、斉藤君の頭をくしゃりと撫でた。「元気でしたよ~」と、斉藤君は言った。すると、友達が誰? と聞いてた。
「ああ、悪い、言ってなかったな。三年の平野瞬先輩。俺がここ入ったばっかの時にかなりお世話になった人」
「あー、お前が学校きても教室に入って来れなかった時のか」
「そう。だから、俺が今、普通に過ごせてるのは先輩のおかげって感じ。でも、酷いですよ~。俺が普通に生活出来るようになったら行き成りどっか行くんですもん」
そう言いながら、斉藤君は頬を膨らましていた。圭介君は悪かったと言いながら苦笑している。
「でも、なんで眼鏡してないんですか? 髪型も変えてるから、パッと見じゃ分からなかったですよ」
「眼鏡は伊達だったんだよ、かなりの童顔だから」
「ああ、そうですよね。下手すると俺らと同い年に見えますもんね」
斉藤君が笑いながらそう言うと、圭介君は斉藤君の首に腕を回して軽く締めるような動作をした。
「これでも年上なんだよ! 敬え!」
「あ~、はい、すみませんでした」
その言葉を聞いて圭介君は斉藤君を解放した。
「何か親しみやすい感じの先輩だな」
「だろ? 勉強も教えてもらったりしたんだぜ」
斉藤君がそう言うと友達が一斉に「今まさに必要じゃん!」と言った。
「ん~、どうかしたのか?」
「ああ、こいつ成績悪くて、さっき課題を受け取りに行ってたんですよ」
「マジでヤバいんすよ。クラスで最下位!」
「は~あ? お前何やってるんだ?」
圭介君が呆れた顔で言うと、斉藤君はだって~と泣きそうな顔で言った。
「勉強、チョー難しんですよ? 最初は先輩に教えてもらったから結構成績良かったんですよ」
「確かにな。最初はクラスでもトップクラスだったのに最近は下がってきたもんな」
「仕方ないな~。でも、俺ばっかりに頼るなよ? 自分でどうにかしないといけない時だってあるんだから」
「分かってますよ。で、いつ教えてくれますか?」
「教えてもらう気満々かよ。まあ、いいけど、昼休みとかに教室に行ってみてやるよ」
圭介君がそう言うと、斉藤君だけじゃなく、周りの友達もわ~いと言って万歳していた。
「って、お前らもか⁉」
「ダメっすか?」
「いいけど……、行き成りだな~」
そう言いながら圭介君は苦笑していた。そんな時に、斉藤君と私は目が合った。
「先輩、その子、誰ですか? 先輩の彼女?」
「えっ、あっ、この子は……」
圭介君が説明しようとしたが、直ぐに遮られた。
「うっわ~。小っちゃい感じで可愛い。名前なんて言うの?」
「高篠美奈です」
私が簡潔に言うと、圭介君が私の側に来て手を繋いできた。
「この子はお前らより一つ年上なんだぞ?」
「えっ! マジで!」
「すいません! タメで喋っちゃって……」
皆が一斉に頭を下げてきて、私は驚いてしまった。
「あの、頭上げて、ください」
何故か私は敬語になってしまった。まあ、それでも頭を上げてくれたからいいけど……。
「兎に角、俺らは用事があるから勉強教えるのもまた今度な?」
圭介君はそう言って私の手を引いてカウンセリング室に向かった。