第五話
「圭君先生は美奈ちゃんを泣かせちゃったのかしら?」
冗談めかして三住先生が尋ねる。
「そういう風に言わないでくださいよ~。別に俺が原因じゃないんですから……」
圭介は口調とは合わないくらい真面目な顔をしていた。
「そういう顔してたらまだ、本当の年齢に近いのにね」
早瀬先生がカーテンで仕切られていたスペースから出てきて、圭介を見ていった。
「ここで言わないでくださいよ、それ。後、『圭君先生』もダメですよ」
「あら、今はもう誰もいないのよ? 私たち以外はね。だから、呼び方も年齢もいいんじゃない?」
三住先生はそう言いながら談話スペースの椅子に座った。三住先生が座ったのを見て早瀬先生も談話スペースの椅子に座った。
「ボロが出たらどうするんですか?」
溜め息を吐きながら圭介が言うと、二人はそんなのと言って話し出す。
「実際、美奈ちゃんは勘付いてるでしょう?」
「そうそう、多分私たちと同じ仕事してるって気付いてるわよ、あれは。それ以上に問題はあんたでしょ?」
「そうよね、いくらなんでも抱きしめるのは問題でしょ」
「しかも、最初に本名言っちゃったでしょ『宮野圭介』って。いっつも、他の休学中の生徒とか偽名を名乗らせてもらってるのに。まあ、圭君って呼べるからこっちがボロ出すような事も殆どないからいいけど」
「でも、患者に手を出すのは厳禁よ? そのくらい分かってるでしょう?」
「……分かってますよ、そのくらい」
色々言われ続けた圭介は小声でそう言った。すると、三住先生と早瀬先生は見事に同時に溜め息を吐いた。
「本当に分かってるんだか……」
「と言うか、分かってるんだったら最初っからヘマやるのよ!」
「ヘマって……、あれ、俺の所為じゃないでしょう?」
圭介は二人から冷たい視線を受けながらも、負けじと言葉を放った。
「まあ、そりゃ、結果的には良かったんだろうけど……。美奈ちゃんもここに来てくれたし」
「でも、患者は美奈ちゃんだけじゃないのよ? それに他だって受け持った事あるだろうから分かってるけど……」
「あ~もう、分かってるよ! 問題が解決したら離れていかないといけない事くらい!」
圭介はいい加減嫌になったように怒鳴った。それに対して、二人は冷めたように言い放った。
「だったら、どうしてあれだけ甘やかすように接してるのよ」
「あれで、あんたが離れていったらまた別の問題が発生するでしょ?」
圭介はうっと言って言葉に詰まった。
「最初に美奈ちゃんので、多分心に問題抱えてるって言ったのはあんただから任してたけど、どうするつもり? もう素人じゃないんだから、患者との距離は自分で考えないといけないのよ」
「ねえ、前から思ってたけど、いつから、美奈ちゃんが心の問題を抱えてるって気付いたの? あんたは去年からでしょ、この学校。いつ会ったわけ?」
圭介は暫く無言でいたが、それはそんなに長い間は許されなかった。
「圭君先生」
「白状なさい」
にっこりと笑いながら黒いオーラを纏っている二人には到底敵う訳なく自白させられた。
「……最初会ったのは、俺がこの学校に来た日ですよ。取り敢えず、この格好で仕事するっていうのは教員にも言っとかないといけないからって、職員室に行ったんで。その帰りに見かけたんですよ」
「その時に気付いたの?」
「違いますよ。その時はえらく大人しそうな子だな~って思ったのと、規則通りの模範的生徒っていう印象を受けただけですよ」
「でも、この学校ってそんなに違反してる人いないでしょ?」
確かにこの学校は校則違反をしている人は少ない。
「その中でも一際って感じだったんですよ」
「まあ、本当に律儀なくらい校則守ってるもんね。持ち物ですら、だもんね」
そう、美奈は校則で決められたものはこれでもかって程きっちり守っている。逆に言うと、守り過ぎているくらいだった。
これだけ守っていると息が詰まるんじゃないかってくらい守っている。
「じゃあ、いつ気付いたの?」
「今年度初の患者を受け持った時ですよ」
「斉藤聖君だっけ? 確か、担任の先生が手に負えないからってこっちに連れてこられた子よね」
「ええ、まあ、言ったらそうですけど、もうちょっと言葉、選びません?」
「それは今いいから、なんでその時に気付いたの?」
「まあ、斉藤君の場合、教室に戻れるようにするのが目標だったじゃないですか。だから、校内を歩き回る事は結構してたんですよ。そしたらその時に……」
「運命の出会い?」
圭介が話してる途中に三住先生が前のめりになって聞いてきた。
「運命の出会いって……。そんなんじゃないですよ。ただ単に、友達以外の人と居たのを見かけたんですよ」
「何で友達以外といたの? 美奈ちゃんの場合、あんまり他の人に近寄りたがらないじゃない。人見知りだし……」
美奈は元々人見知りで、友達も少ない。それでも、最近は改善されてきた方だ。
「その時は、何か仕事を頼まれていたみたいですよ。詳しい事は知りませんけど」
「で、なんで分かったわけ? 美奈ちゃんが心に問題抱えてるって」
「その時だって確信はなかったですよ? ただ、他の人見知りの子とかも見てきたけど、一際重症な感じだったのと、パニック発作を起こしかけてる感じだったんですよ。まあ、その時は結局、大丈夫だったみたいですけど……」
「そう、パニック発作とか起こると辛いもんね。私は経験した事が無いから想像するしかないけど、呼吸困難とか起こったりするとしんどいもんね。」
その言葉に圭介は苦い表情を浮かべた。
「しんどいどころじゃないですよ。」
「あれ、圭君先生は経験した事あったの? 初耳なんだけど」
「パニック発作はないですけど、呼吸困難とかは何度もありますよ? 小さい頃に喘息持ちだったんで、よく発作起こしてたんですよ。まあ、パニック発作は友達がなってたのを何度か見たんで……」
「ああ、圭君先生がカウンセラー目指すきっかけになったってやつ?」
三住先生がそう言うと、早瀬先生は「なにそれ、私知らないわよ!」と言った。
「あれでしょ? 圭君先生の初恋のお話、でしょ?」
「なにそれ聞きた~い」
三住先生はにやにやしながら圭介を見て、早瀬先生は目を輝かせていた。
「え~、言わないとダメですか?」
「もちろん!」
三住先生と早瀬先生は口を揃えてそう言った。圭介は仕方ないと簡単に話し始めた。
「……俺が中学生の時の話ですよ。その時は中一の終りの方で、俺の友達が交通事故にあったんですよ。まあ、奇跡的に助かったんですけど……」
「心に傷が残ったって事ね」
圭介は頷いて話を続けた。
「まあ、酷い時は家から一歩も出れなくなってたんですよ。その時には俺が迎えに行ったりして、どうにか支えてたんですけどね」
「その時に病院とか行かなかったの?」
「行きたくないって最初は拒否られてましたよ。精神的には元々そんなに弱くはなかったんですけどね。だからこそでしょうけど、何と言うか『病院は精神的に弱い奴が行く所』ってイメージがあったらしいんですよ」
「あ~、偶に居るわね。そういう人って」
「実際はそういう訳ではないんですけどね。まあ、それでも生活に支障が出てるから俺が無理やり引っ張っていったんですけどね」
圭介はにっこりと言ったが、他の二人は『無理やり』と言った瞬間、顔が引き攣った。
「でも、病院に引っ張っていた甲斐がありましたよ。今では普通に過ごせてますから」
「へ~……、ってそれただ単に友達が事故から回復したって話じゃない! 初恋は? 圭君先生の恋バナは?」
「えっ、それ言わないといけないんですか?」
圭介は顔を引き攣らせながら尋ねた。すると、見事なハモりが響いた。
「もちろん!」
圭介は観念したかのように話し始めた。
「はあ~。そんなに面白いような話じゃないですよ?」
「いいのよ、面白いとかはそんなの。さっさと話しちゃいなさい!」
「まあ、言ったら、友達を引っ張っていった所の先生に好意を待ったっていうか……」
「好きになったって言いなさいよ、ちゃんと」
圭介はそう言われたのが気恥ずかしく、少し赤くなって二人から目線を逸らした。
「圭君先生、赤くならずに続き話してよ」
「誰の制だと思ってるんですか?」
「そんなんどうでもいいから、続き話してよ」
圭介は「ひどっ」と言いながらも拒否権が無い事を悟り、渋々話し始めた。
「最初は付添いって形で俺も行ってたんですよ、その病院に。引っ張っていったのは俺なんで、友達が今までの日常を過ごせるようになるまで一緒に行ってたんですよ。その時に、一人で待合で待ってたらその人に会ったんですよ。『付添いだったら、待ってる間に何か話そうか?』って言われて……」
「それがきっかけで好きになったって事?」
「と言うか、好きって言ってもですよ。ある意味、憧れにも近かったんですよ」
それに対しては二人は興味なさそうにふ~んと言った。
「何ですか、その反応。そんなんだったらもうここで話すの止めますよ?」
「あ~、ちゃんと聞くから続き話して」
「まったく……。それにもう一回言っときますけど、俺が中学生の時の話ですよ? 向こうはすでに働いてたし、今の俺と同じくらいの年齢ですよ、当時は。一回り以上違うんですよ。それなのに……」
「つまり、最初は年上、今度は年下に恋しちゃったって事?」
そう言われた瞬間、圭介は噴き出した。
「な、何言ってるんですか! 違いますよ!」
「あら、違うの? じゃあ、美奈ちゃんの事は好きじゃないとでも言うのかしら?」
「だから、そういう意味じゃなくて……」
「明らかでしょ、行動が。これで違うなんて言ったら、あんたよっぽどの天然じゃない?」
圭介は真っ赤な顔をして言葉を失った。
「て言うか、当時二十七くらいって事はもう四十くらい? 私より年上って事?」
圭介はまあ、そうですけどと言いながらぶつぶつ言っていた。
「じゃあ、どうしてカウンセラーを目指そうと思ったの?」
圭介は少しばつが悪いようで、話し難そうになった。
「……その人と話してたら、カウンセラーの話とかもしてて、その時に思ったんですよ。カウンセラーの人だって疲れたり、人に話を聞いてもらいたくなるだろうから、俺が聞いてあげられればいいな~って思ったんですよ」
「へ~、で?」
「でってなんですか?」
「だから、その後どうなったの?」
「その後は、友達も今までみたいな生活が出来るようになったんで病院に行く事も無くなったんで、臨床経験積むまで会わなかったですよ」
「臨床経験積むのって、その人が居る所でやったの?」
「ええ、そうですよ。会ったら、昔と全く変わらなくって驚きましたけど」
「思い出のまんまって?」
「と言うよりも、本当に同じだけの月日が経ったのか疑問に思うほど若いまんまだったんですよ。最初会った時も学生に見えるくらいだったのに……」
圭介は遠い目をしながら語った。
「そ、そんなに変わらなかったの?」
「ええ、全くと言っていいほど変わってなかったですよ。まあ、年齢はその時に知ったんですけどね」
「その時って臨床経験積む時?」
「そうですよ。思わず聞いてしまったんです。昔と全く変わらないようですがって」
圭介は本当にしみじみといった感じだった。
「圭君先生もかなり学生と間違われるけど、話聞く限りじゃその人もすごいわね……」
「ええ、しかもいまだに独身らしいですけどね」
「そうなんだ……って、それじゃあチャンスあったんじゃないの?」
「チャンスってなんですか? それに、付き合っている人は居ましたよ、向こうは。後、こっちはあくまでも年下で弟みたいって言われてましたから」
「つまり、初恋は実らないって事ね」
「別に初恋って訳じゃないですよ。三住先生が勝手に言ってるだけですから」
「え~。絶対初恋でしょ、それ」
三住先生はそう言いながら、ぶーぶー言っていた。
「じゃあ、圭君先生はカウンセラーになろうと思ったのはその人の悩みとか聞いてあげたかったからって事?」
早瀬先生は三住先生を無視して圭介に聞いた。
「それだけじゃないですよ。やっぱり友達が困っているのに何にも出来なかったのも辛かったですし、それに友達に言われたんですよ」
「何て?」
「『お前はお節介って言っていいくらい人の世話を焼きたがるから、何か人の為に働くような仕事にでも就いたほうがいい』って。後、その交通事故にあった友達に『ありがとう』って言われたんですよ。傍から見たら余計なくらい世話焼いてただろうけど、あの時そうしてくれて助かったって。それが嬉しかったんですよ。いっつも世話焼き過ぎとかお節介とは言われてたんですけど、それで感謝されるなんて思っていなかったんで……」
「感謝されるって思ってなかったのに、人の世話焼いてたの?」
「自分では世話を焼いてるって感覚がなかったんですよ。ただ無意識だったんで、言われる度に迷惑掛けちゃったかな? とか思ってたんですけどね。」
圭介は昔を懐かしむような柔らかな微笑みを浮かべていた。
「圭君先生は友達から何て言われていたの? お節介とか、世話焼き以外に」
「えっと~、そうですね……。話しやすい、とか愚痴を溢しやすいとかも言われてましたし、明るいとかはよく言われてましたよ。後、偶に『お母さん』って言われてましたよ。男なのに……」
最後だけ少ししょぼんとしていたが、それでも懐かしさが溢れた口調で話していた。
「お母さんって……、まあ、お裁縫とかも出来たからじゃないの?」
「まあ、縫い物に関して言うと、偶に女子にも頼まれたりしましたよ。友達の場合、しょっちゅうどこか破っただとかボタンが取れただとかで持ってこられていましたけどね」
それを聞いた二人はその情景を思い浮かべ思わず噴き出した。
「ぷっ、あはは、確かにそれはお母さんね」
「何人の子供を抱えてたのかしらね」
「何ですか、それ~。酷いですよ」
圭介は剥れてから、顔を背けた。
「圭君先生、怒らないでよ」
二人が手を合わせて謝るのを横目でちらりと見てから、まったくと言って顔を戻した。
「まあ、昔の事より問題は今の事よね」
三住先生は少し真剣な声で言った。早瀬先生はそうねと言って頷いたが、圭介は只管に黙っていた。
「兎に角、美奈ちゃんとは距離を考えて接してくださいよ? 圭君先生」
「……分かってますよ。もう少し考えて行動しますよ」
圭介も神妙な面持ちでそう答えた。
「じゃあ、今日はこれにて解散って事で」
三住先生がそう言うと三人は声を合わせて「お疲れ様でした」と言って、それぞれ帰っていった。