アデルの奮闘:嚥下すべき猛毒
この日、ボクは執務室に隣接している応接室で、1人の男と向かい合っていた。
「お久しぶりです、アデル殿下。
お会いできて光栄です」
「久しぶりだね、エイワス。
わざわざ呼び出して悪かったね」
「いえいえ、幼い頃は可愛らしかった殿下も、実に美しくなられた。
殿下の様な女性に呼ばれたのならば、このエイワス、万難を排して馳せ参じましょう」
朗らかな笑みを浮かべて口上を述べるこの男はエイワス。
一見すると軽薄で軟派な優男に見えるが、その実、とんでも無く厄介で有能な男だ。
「はてさて、田舎の領地に引っ込んでいただけの私の様な者に殿下は一体どの様な御用でしょうか?
ああ!殿下のその美しく神秘的な御姿を詩に詠めと言う事でしょうか?
それならば、このエイワスにお任せ下さい。
社交界の鶯と呼ばれたこの私が……」
「エイワス、用件なら分かっているだろ?」
「はて?私の様な凡人には、賢者の如き殿下の御考えの片鱗すら見えませぬ。
どうか、この暗愚に殿下の叡智のカケラをお与え下さい」
エイワスはまるで舞台俳優の様にツラツラと言葉を綴る。
この芯を掴ませない喋り方は苦手だ。
「エイワス、ボクは回りくどい言い回しは嫌いだ。エリザベート姉様は何処に居る?」
「ああ、殿下!その件で御心を痛めておいでなのですね。
ですが貴女様にその様なお顔は似合いません。どうか笑って下さいませ。
そうだ!王都に美味しい甘味屋が有るのですよ。
是非、私に殿下をご案内する栄誉を賜りたく……」
「エイワス!」
ボクは中身のない彼の話を強い口調で止める。
「…………」
「ボクは君の戯言に付き合う暇は無い。
エリザベート姉様の居場所を教えて貰おう」
「申し訳有りません、殿下。
彗星の如く煌めく王都の貴族方が手を尽くして知りえぬ事柄を、田舎に引き篭もる領主代行に過ぎぬ私が分かるとは思えません」
「くだらないね。君が知らない筈がないだろ?」
ボクは心を落ち着ける様に息を吐く。
エイワスに会話のペースを掴まれてはいけない。
少しでも隙を見せると、この軟派な優男はすぐに話を逸らし、相手を丸め込む。
「エイワス……単刀直入に言おう」
魔力を纏い威圧するが、エイワスはまるで気付いていないかの様に飄々としている。
「ボクの下に付け」
「…………殿下、いくつかお尋ねしても?」
「いいだろう」
「なぜ、殿下はその様な事を?
殿下は南大陸で随分と優秀であったとお聞きしました。
わざわざ呼び出しに応じて、こんな面倒事を押し付けられて、何をなさりたいのですか?」
そう尋ねるエイワスの顔は、いつもの笑みを張り付けているが、その身に纏う空気はガラリと変わっている。
「民の為だ。
愚かな父や兄の所為で民が苦しむ事になる。
ボクは王族に生まれた者の責務として、民を護らなければならない。
その為なら、父や兄を廃する事になっても構わないと思っている。
この身に流れる血と誇りに賭けて、ボクは民の守護者であり続けると決めている」
「…………誇りですか?」
「そうだよ。ボクは民の血税で生きて来た。
ボクにはその肉の一片、血の一滴に至るまで、民の為に使う覚悟がある」
「…………その生き方の先に幸福はないと思いますが?」
「そうだろうね。
だが、この国を滅亡させる訳にはいかない。
いや、国は別にどうでも良いか。
ボクは、この国に生きる全ての人々を護りたいんだよ」
「その為に私に忠誠を捧げろと?」
「そうだ。この先、国は動乱と混沌の時代に入るだろう。お前の力が必要だ」
そう、この先を生き抜く為、ボクはこの猛毒の様な男すら、飲み下さなければならないのだ。
エイワスは最早、最初の柔和な笑みを消し去っている。
その瞳に浮かぶのは鋭い眼光と強い意志。
「それは……それは、殿下が姉と慕う者と対立してもですか?」
「っ⁉︎」
やはり………今の王国の混乱の裏にエリザベート姉様がいるのか。
ボクはエイワスが暗に告げた事実を噛み締める。
「その言葉を聞いて、更に君が必要になった。エイワス、ボクに従え。
ボクはこの国を救う為、君が必要なんだ」
「ふむ…………良いでしょう。
ひとまず、アデル殿下の下に付きましょう。
ただし、貴女が私を納めるに値しない器で有ると判断したら……」
「その時はボクの寝首を搔けば良い」
ボクのその言葉に、エイワスは声を上げて笑った。
そして……。
「トレートル商会?」
「はい、ユーティア帝国のレブリック辺境伯領と帝都を中心に活動している新興の商会です。そして、その商会の商会長がエリー・レイス」
「エリー・レイス…………エリザベート姉様」
ボクはとうとう知りたかった情報を聞く事になった。
その結果は最悪の予想が当たった。
エリザベート姉様は完全に王国を敵視しており、復讐の為の力を得ようとしている。
本気で抗わなければならないな。
ボクの瞳に浮かぶ覚悟を読み取ったエイワスは、不敵な笑みを浮かべると、その場に跪き臣下の礼を取った。
「殿下の覚悟、しかと拝見致しました。
このエイワス、殿下が御心にその覚悟を抱き続ける限り、忠誠を誓いましょう」