ティーダ猊下の報告書:清酒とモツ煮の相性について
「はぁ、もう良いんじゃないッスかねぇ?
こんなに細かくやる必要無いッスよ」
「何をおしゃっているのですか、猊下!
ささ、次はこちらの書類に目をお通し下さい」
私が疲れを溜息として吐き出すが、第4聖騎士団第6分隊長のユリウス助祭が真面目くん丸出しで書類を押しつけてくるッス。
ケレバンでの誘拐事件が悪魔召喚騒動へと発展し、更には悪魔を取り逃してから、はや3日。
昨日エリーさんも帝都へ帰ってしまったッス。
それなのに私はケレバンの外、遺跡の近くで聖騎士団の天幕に缶詰にされているッス。
ああ、私もさっさと帰りたいッス。
悪魔とか全て忘れてお酒飲みたいッス。
「うう、現実逃避でもしてないとやってられないッスよ〜」
こう言う面倒……いえ、繊細な配慮が必要な事柄は私向きじゃ無いッスよね。
良きに計らえ、でいい感じにしておいて欲しい物ッス。
大体、あのドンドルとか言う背信者がこんな事をしでかすから悪いんッスよ。
地獄に……落ちてるッスね。悪魔の贄にされたんッスから、女神様のお側へとは向かえず、その魂は永劫に苦しむ筈ッス。
「はい、これで最後ッス」
「お疲れ様です、猊下。では次の書類を……」
「いやいや、ユリウス助祭!今日はこの辺にしておくべきッス」
「え、しかし、猊下……」
「女神様!女神様もそう思うッスよね!…………ほら!女神様もこう言っているッス!」
「え、ぼ、僕には何も……」
「それはいけないッス!修行が足りないッスよ!ユリウス助祭!さぁ、瞑想して祈りを捧げるッス!今すぐ!5時間くらい!」
「え、は、はい、猊下!」
慌てて瞑想を始めたユリウス助祭に気付かれない様にそっと天幕を抜け出した私は、聖騎士共に見つからない様に、スタコラサッサとケレバンに戻ると、流れる様なムーブで近くの酒場に滑り込んだ。
「い、いらっしゃい、お嬢さん」
「お邪魔するッス。えっと……取り敢えず、おすすめのお酒とツマミを」
「はぁ」
慌てて飛び込んで来た私に、店主は目を丸くしながらも、熟練の手付きで酒を用意してくれる。
「はい、どうぞ。清酒と鬼鹿のモツ煮だよ」
「おお?」
私の前に差し出されたのは水の様に透き通ったお酒と、鹿の内臓の煮込み料理だったッス。
「これは東の島国のお酒ッスね?」
前にユウさんに貰った薬酒に使われていた彼女の故郷のお酒ッス。
大陸ではあまり見かけない透明なお酒ッス。
「若いのによく知っているね。僕は昔冒険者をしていてね。その時のツテで仕入れているんだ。このケレバンの街でも清酒を出せるお店は少ないよ」
「へぇ〜」
私は逃げ込んだだけのお店で、レアなお酒に出会えた事に少しテンションが上がる。
曇りなく磨かれたグラスに満たされた透明なお酒。それでいて、漂って来るのは濃く強い酒精の香り。
クイっと一口。
途端に喉を焼く様な感覚が、胃の腑に落ちるまで帯を引いて行く。
その後、体の中心から全身に広がる様に熱が伝わって行くのを感じるッス。
ワインやエールとは違う、上品で有りながらもワイルドさも有る上等な酒。
そして次に共に出された内臓の煮込みを口にする。
「こ、これは!」
なんて濃厚で深い味わいなんッスか!
鬼鹿の内臓は、猟師が森で食べるご馳走ッス。
鮮度の関係で、あまりお店で出される事はなく、もし出されたのなら、安い内臓を使った安物料理が殆ど。
しかし、この煮込みには内臓の臭みなどはまるで感じられない。
鮮度の良い内臓を丁寧に処理した証拠ッス。
それに……。
「ご主人、この不思議な風味は一体……」
「ふふ、これはね、味噌と言う調味料だよ」
「味噌?」
「大豆を醗酵させて作る東の島国の調味料さ。最近は一部の地域で取り扱われる様になって来ていてね。清酒によく合うだろ?」
「最高ッス!この濃厚な味わいを酒精の強い清酒で洗い流すのがまた!」
私は熱々の味噌煮を口に入れ、グニグニと内臓の独特な食感を楽しんだ後、口に残る塩気と味噌の風味を酒で一掃する。
「はは、お嬢ちゃんはなかなか行ける口だねぇ。ほら、コレも試してみな」
「これは?」
店主が差し出して来たのは小さな瓢箪。
手にとって振ってみると、中に何かの粉末が入っている事が分かったッス。
「それは唐辛子と言うスパイスを粉末にした物だ。味噌煮に掛けるとピリっとした辛味が加わって更に酒が進む」
「おお!」
言われた通りに試してみると、塩気と風味が何処までも広がる味わいだった味噌煮が、鋭い辛味でピシっと引き締まった。
「素晴らしいッス!」
「気に入って貰えて嬉しいよ」
「いやぁ、まさに隠れた名店ッスね。
こんな美味しいお店があったなんて知らなかったッス!」
その後も、甘く酒精が弱い甘酒や、芋から作られた強い辛口のいも焼酎など、店主お勧めの東方のお酒を堪能し、ツマミも天麩羅や醤油と言う調味料で味付けしたモツ煮も美味しく頂いた。
こうして、仕事に追われていたイライラなど吹き飛ばして、私は楽しく飲み明かしたと言う訳ッス。
◇◆
西大陸に有るイブリス教の中心地、イブリス神聖国の聖都にある大神殿の一室で、つい先ほど届けられた報告書に目を通していたのは、見る角度によって七色の光を放つ美しい髪を足元近くまで伸ばした女性だった。
彼女こそ、イブリス教の頂点に座す存在、イブリス教教皇カルディナ・イブリスである。
イブリス教の教皇は、その座に就くと同時に家名を捨て、イブリスを名乗り、生涯を女神様へと尽くす。
その姿は、神聖国のみならず、イブリス教の影響下にある国々、一信者に至るまでの尊敬と敬愛を集めていた。
そのカルディナが目を通していた報告書をグシャリと握りつぶす。
「き、教皇猊下!」
その報告書を持ってきた司祭が驚き身をすくませた。
「あらあら、私ったら、ごめんなさいね」
「い、いえ、一体何が……」
「ふふ、ティーダがまた悪しき背信者を成敗したそうですよ」
その表情は慈愛に満ちた笑み。
しかし、明らかに怒気を孕んでいるのを感じて司祭は背筋が冷たくなった。
カルディナが読んだ報告書は、『報告書』と言うていで送られて来た物だが、その内容の殆どは中央大陸で飲んだ酒や美味しい食べ物の話だった。
肝心の大司教の不祥事や悪魔の召喚の話など、最後にps扱いでちょろっと書かれているだけだ。
そのティーダからの旅行記風報告書は、立場上、大神殿からあまり出る事が出来ないカルディナにとっては、胸踊らされると同時に羨ましい限りなのだ。
勿論、ティーダはワザとだろう。
これは、今度帰ってきた時、生半可なお土産では済まさないぞ!とカルディナが心に刻んでいると、助祭が言いにくそうに告げる。
「あ、あの教皇猊下。実はティルダニア猊下から、今回の調査に使用した経費の請求と、次回の任務に必要な軍資金の催促が来ているのですが…………」
「うふふ……却下」