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コミックス3巻発売お礼ss:ヴィクトル・ヴォルクの愉快な一日




 陸上隊隊長ヴィクトル・ヴォルクは、酒臭い男たちの中で目を覚ました。日の出直後なのか、どこかからちゅんちゅんと小鳥のさえずりが聞こえてくる。


「……んあ?」


 ぼんやりとここまでの記憶を辿る。

 確か一カ月ぶりに休暇がもらえたとかで、部下たちと速攻酒場に繰り出した。一軒目、二軒目、三軒目、四軒目までは覚えているのだが――その後の行動が曖昧だ。


(あー……店が閉まってたから、じゃあ、うちで吞むかって話になって……)


 ちらりと周囲を見回す。

 お世辞にも綺麗とは言えないヴィクトルの部屋には、空になった大量の酒瓶と、酔いつぶれて屍と化した陸上隊の面々が、足の踏み場もないほど転がっていた。


「……お前ら、起きろー」

「うう……」

「頭いてえ……」


 ヴィクトルの弱々しい呼びかけを聞き、倒れていた部下たちがよろよろと体を起こす。その惨状を目にしたヴィクトルもまた、ずきずきと痛むこめかみに手を当てた。





「そんじゃ隊長、ゆっくり休んでください」

「おう、頼んだぞ」


 なんとか全員を叩き起こして部屋から追い出したあと、ヴィクトルはぐぐっと大きく伸びをした。


「さて、どうすっかね……」


 どろどろでぼさぼさの身なりのまま、とりあえず放置されていた酒瓶を麻袋へと放り込む。ついでに散乱していたゴミと、テーブルの上に広げっぱなしになっていた書類などを次々と捨てていたヴィクトルだったが、途中でぴたりと手を止めた。


(手紙……実家からか)


 いつ来たやつだ? と首を傾げながら、ヴィクトルは適当に封を切る。

 中には伯爵家の立派な紋章付きの便せんが入っており、そこに書かれていた文章をさらっと読んだあと、ヴィクトルは手にしていた麻袋の中にその手紙を突っ込んだ。


(また見合いの話か。めんどくせえ……)


 ヴォルク家は由緒正しき伯爵家で、後継である兄はとっくの昔に結婚し、今では二人の男子をもうけている。

 一方次男であるヴィクトルは、騎士団の仕事が忙しいという理由であらゆる縁談を断り続けており、男性としての結婚適齢期を過ぎた今も未婚のままだ。


(余計なお世話だっつーの。だいたい、マナーだの作法だのまどろっこしいんだよ)


 ヴィクトル自身は、品位や格式を常に要求される貴族としての生活が肌に合わず、苦肉の策として就職した王立騎士団で、ようやく自分の居場所を得られたと感じた。

 浴びるように酒を呑んでも怒られず(シンから眉をひそめられたりはするが)、気の合う仲間たちとバカ騒ぎしながら夢を語り合う、そんな今の生活を手放す気は毛頭ない。

 だが次男とはいえ伯爵家。

 おまけに気づけば、王立騎士団の隊長格だ。

 男子のいない貴族の家から「ぜひうちの娘と」という縁談が途切れることはなく、こうして今もまだ実家から打診が届くのであった。


「……シャワーでも浴びっか」


 いっぱいになった麻袋を部屋の隅に残し、ヴィクトルは浴室へと向かう。冷たい水を頭から浴びながら、ふと先ほどの手紙を思い返した。


(結婚、ねえ……)


 正直なところ、結婚自体が嫌なわけではない。

 ただし『今の仕事を続けても良い』という条件を満たしてくれるのであれば、だ。

 しかし――


(こんな、いつ死ぬか分からないような仕事している奴を、誰が夫にしたいと思うかね……)


 今でこそ平和なアウズ・フムラだが、もし周辺国と戦争でも始まれば、当然騎士団は最前線に送られるだろう。それでなくとも、危険な任務は少なくないのだ。


「……」


 じっと鏡に映る自身を見つめる。

 その頬には斜めに走る大きな傷があり、ヴィクトルは自嘲気味に「はっ」と笑った。


(まあこんな荒くれクソヤローを信じてくれる? 心優しい天使のようなお嬢さんがいるなら? 一度会ってみたいもんだがね)


 なかばやけくそのような願望を抱きつつ、ヴィクトルは濡れた黒髪を両手でぐっと後ろに撫でつけるのだった。





 部屋の掃除もそこそこに、さっぱりしたヴィクトルは私服に着替えると、ふらりと王都の街へと繰り出した。

 いつもは上げている髪も下ろしたまま。

 騎士団の制服も着ていないせいか、すれ違う市民たちもヴィクトルだとまったく気づいていない。


(さーて、どうすっかな。とりあえず追加の酒買って、あとは適当につまみを――)


 その前にまずは腹ごしらえか、とヴィクトルは近くの酒場に入ろうとする。すると通りの奥から、女性の甲高い悲鳴が聞こえてきた。


「なんだ?」


 他の市民らに交じって、ひょいとそちらの方を覗き込む。

 その直後、ものすごい勢いで駆け抜けていく葦毛の馬が目の前を通り過ぎた。


「……馬?」


 おそらく馬車に繋がれていたのが逃げ出したのだろう。

 あまりに一瞬の出来事に、その場にいた客たちも皆ぽかんとしている。

 だがそこに、さらなる走駆の音が聞こえてきた。


「そこの馬、止まってくださいー!」

(は?)


 どどど、と土煙を上げる勢いで走って来たのは、馬ではなく人。

 一つに結んだ尻尾のような赤い髪をなびかせた、王立騎士団の従騎士であり『ゴリラの加護者』でもあるソフィア・リーラーだった。彼女は猛烈な勢いで大通りを走りながら、必死に前方の馬へと呼び掛けている。

 馬と似たような速度で走る人間、という奇天烈な光景に市民らはあっけにとられ、全員言葉を失っていた。

 そのただ中にいたヴィクトルは、いちばんに「はははっ」と爆笑する。


「あれが『ゴリラ』か、面白ぇじゃねえか!」


 そう呟くとヴィクトルはつま先で、とんとん、と地面を叩いた。

 足にぐっと力を込めると――どんっ、と音を置き去りにして大地を蹴り出す。

 その速度は、先に走っていた馬とソフィアを凌駕しており、ぐんぐんと彼我の距離を縮めたかと思うと、馬の後ろを追尾していた彼女に向かって声をかけた。


「ソフィア・リーラー!」

「え⁉ は、はい!」

「あんた、団長みたいに馬と喋れんのか?」

「い、いえっ⁉ でも、もしかしたら、通じるかなって――」


 とてつもない速度で走りながら、二人は平然とした様子で会話を続ける。


「あ、あの、失礼ですが、どうして私の名前をご存じで」

「あ? あー……これで分かるか?」


 ヴィクトルは前髪を無造作に掻き上げる。

 露になった頬の傷と、覚えのある髪型が合致したのか、ソフィアは途端に「ひいい」と顔をこわばらせた。


「ヴォ、ヴォ、ヴォルク隊長⁉ ど、どうしてこちらに……」

「たまたま休みだったんだよ。んで、アレどうやって止める気だ?」

「き、傷つけたくないので、手綱を握って落ち着かせられればと思ったんですが、いかんせん向こうが早くて……」

「そりゃま、そうだろうな」


『ゴリラの加護』で出せる速度はおよそ時速四十キロ。

 もちろん大層な数字ではあるが、本物の馬の最高時速は六十キロを超す。距離を詰められないのは自明の理だ。


(しかし十分早いな……。これで腕力、跳躍力の強化もされてるときた。『戦闘系最強』の名は伊達じゃねえってことか……)


 眉尻を下げながら猛然と走るソフィアを、ヴィクトルは値踏みでもするように静かに見つめる。だがすぐに前を向くと、にかっと白い歯を見せた。


「ソフィア・リーラー、俺を信じられるか?」

「へ?」


 するとヴィクトルは、走りながら隣にいるソフィアを器用に抱きかかえた。突然のことに目を白黒させる彼女をよそに、どこか楽しそうに叫ぶ。


「俺があの馬に追いつく! 馬上に送ってやるから、なんとかして止めろ!」

「は、はいい⁉」


 言うが早いか、ヴィクトルはさらに一段加速した。

 ソフィアを横抱きした状態だというのに、暴走馬にぐんぐん接近していく。


(あと少し――)


 疲労の色を滲ませた馬が減速し始めたのを見て、ヴィクトルはすかさず並走する。そのまま鞍の位置を見定めると、腕の中にいたソフィアを勢いよく放り上げた。


「行ってこい!」


 だが手を離したあとで、ヴィクトルははたと我に返った。


(――あ)


 つい、いつもの団員のつもりで指示を出したが、相手は『ゴリラ』とはいえ女性だ。

 そもそも、普段からヴィクトルに無茶ぶりされている陸上隊の部下たちであっても、恐怖におののく場面だろう。


(まずい――)


 怯えたソフィアが落ちてくる光景を想像し、ヴィクトルは受け止め直そうと、慌てて腕を差し出す。

 しかしソフィアは臆することなく、そのまま高く跳躍した。


「は、はいっ‼」

「――っ!」 


 暴れ馬の背に器用に跨ると、そのまま手綱をしっかりと握り、静止の合図を力いっぱい馬に送る。


「止まって――!」


 強烈な力強さを馬銜(はみ)越しに感じ取ったのか、はたまたただならぬ『加護』の圧に震えあがったのか。

 暴走していた馬は「ぶひひひぃん!」といななくと、前足を地面から大きく浮き立たせた。急速に大人しくなったその背中で、ソフィアは疲れ果てたように胸を撫で下ろす。


「良かった……。やっと止まってくれました……」

「おう、よくやった。大した度胸だ」

「でもいきなり投げられるのは、心臓に悪すぎます……」

「ははは、悪かった!」


 ソフィアのささやかな文句を、ヴィクトルは闊達に笑って流す。

 するとそんな二人を見ていた馬が、突如ずりっと足を動かした。馬上にいたソフィアの体がぐらりと揺れ、彼女は慌てて手綱を引く。

 だが――ガキンと嫌な音がして、結びつけていた金具の一方が取れた。


「あっ!」

「ソフィア‼」


 あわや落馬というところを、下にいたヴィクトルが慌てて受け止める。

 よほどびっくりしたのだろう。

 腕の中に収まったソフィアは、赤い瞳を大きく見開いていた。


「す、すみません! まさか金具が外れるなんて……」

「『ゴリラ』の力で引っ張られりゃ、どんな金属だって壊れるだろうよ。というか……怖くなかったのか?」

「え?」

「あんな速度で放り投げられて。下手すりゃ大怪我だぞ」


 それを聞いたソフィアは、しばらくぱちぱちと瞬いたあと、えへへとはにかんだ。


「まあその、私『ゴリラ』なんで、多少なら大丈夫というか」

「……ほー」

「あとはその、ヴォルク隊長のことですから、きっと何とかしてくださるという、信頼感があったというか……」

「……」


 その言葉を聞いたヴィクトルは、ソフィアを抱き上げたまましばらく沈黙していた。さすがに不思議に思ったソフィアがおずおずと首を傾げる。


「あの、隊長?」

「……悪い。ちょっと驚いてただけだ」


 ヴィクトルは小さく笑うと、ようやくソフィアの足を地面へとつけさせた。ふうーと安堵する彼女の頭に、その大きな手をぽんと乗せる。


「度胸があるのはいいが、無茶はするな。いかに『ゴリラ』とはいえ、怪我すりゃ痛ぇんだからよ」

「す、すみません……」

「ま、結果オーライだ。……よくやった、ソフィア」


 そのまま軽く頭を撫でてやる。

 最初は緊張していた様子のソフィアだったが、しばらくすると柔らかい笑顔を見せ始めた。それを見たヴィクトルもまた、つられたように笑みを浮かべるのだった。





 翌日。

 団長と隊長格らの会議を終えたヴィクトルは、ふわーあと大きくあくびをした。それを見た射撃隊隊長・アーシェントが「あれ~?」と首を傾げる。


「ヴィクトルさん、なんか疲れてます?」

「ああ……昨日ちょっとな」


 がりがりと頭を掻きながら、会議室の扉を開ける。

 するとちょうど廊下を通りかかっていたソフィアが、ぴゃいっと小動物のように飛び上がった。それに気づいたヴィクトルもまた大きく目を見張る。


「ソフィア・リーラー。どうした、こんなところまで」

「い、いえ、その、団長に、提出する書類が、ありまして……」


 ヴィクトルにアーシェント、シンに騎士団長という上役揃い踏みという光景に畏縮しているのだろう。

 暴れ馬に飛び乗ったのと同一人物には思えない小心ぶりに、ヴィクトルはたまらず「ふっ」と噴き出した。

 戦場でもないのに、どうしてか、胸がわくわくする。


「そういや、言い損ねていたんだが――」

「は、はい! 何でしょうか?」

「あんた、俺の嫁にならないか?」

「……へ?」


 その瞬間、隣にいたアーシェントがものすごい勢いでヴィクトルの肩を掴み、そのまま二人壁に向かってひそひそと話し始めた。


「ヴィクトルさん⁉ 寝ぼけてんですか⁉」

「あ? ンなわけねえだろ」

「いっそ寝ぼけてた方が良かった……! ていうか、普通にありえないでしょ! もう少し段階とか時期とか人目とか場所とか考えたうえで――」

「そういうまどろっこしいのはめんどくせえ」

「あーーーーっそうですか! 知ってましたけどね!」


 アーシェントがちらりと振り返ると、当のソフィアは何と言われたのかすら理解出来ていなかったらしく、ぽかんと書類を手にしたまま立ち尽くしている。

 やがてシンの隣にいた騎士団長・エルンストがこほんと咳ばらいをした。


「ソフィア・リーラー。書類を貰おう」

「は、はい! で、では、失礼いたします!」


 敬礼を返し、ソフィアは微妙に首を傾げながらその場をあとにする。

 残された四人のうち、エルンストが再びごほんと空咳をした。


「ヴィクトル。彼女とは親しいのか」

「いや? 昨日初めて会った」

「……これは友人としての助言だが、結婚を申し込むにはもう少し、互いの関係性を深めてからの方がいい」

「……?」


 何を進言されているのか本気で分からない、とばかりにヴィクトルは眉を寄せる。それを見ていた海事隊隊長・シンが心底軽蔑したように目を眇めた。


「そういうの、『権力を笠に着た嫌がらせ』って言うんだよね」

「あァ⁉ シン、そりゃどういう意味だ」

「そのまんまの意味。訴えられないよう気をつけて」


 すたすたと離れて行くシンに続き、エルンスト、アーシェントがやれやれと立ち去っていく。置いてきぼりを食らったヴィクトルは顎に手を添え、心の底から不思議がった。


(……じゃあ、どう言やいいんだよ⁉)



 ヴィクトル・ヴォルク。

 女心が分かるのは、まだだいぶ先の話らしい――



(了)




コミックス③巻発売、お礼ssでした!

ヴィクトルは他人が自分の部屋に入っても全然気にしない派、シンは絶対入れない派、アーシェントは恋人しか入れない派です。

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[一言]  女心以前の問題のような…(笑)
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