第二章 5
「――その、せっかくだから、色々食べてみたいんだが」
「ど、どうぞどうぞ! ここは私が奢りますので!」
「いやそういう意味ではないんだが……すみません」
傍に立っていた店員に向けて、ルイがつらつらとメニューを読み上げる。
「このピスタチオを二つ、くるみのタルトを一つ、キャラメルナッツとアーモンドを一つずつ。あ、あとドライフルーツとナッツのパウンドケーキを二切れ。それからコーヒーウォールナッツケーキを二つ。持ち帰り用にクッキーを」
「……」
ソフィアと店員は揃って沈黙した。
お互いどうして口をつぐんだのか理解できたが、店員はそれらを一切顔に出さず「飲み物はどうされますか?」とだけ尋ねる。
その姿に「さすがプロだわ……」とソフィアは一人感心した。
やがて注文した商品が運ばれて来た。
テーブルいっぱいにひしめくケーキの数に、ソフィアは少しだけ恥ずかしくなる。気のせいか、隣の席の女性たちの視線がこちらを向いているような。
だが実に幸せそうな目でそれらを眺めるルイを見て、ソフィアは「とりあえずもう人目とかどうでもいい。私はペットの犬かゴリラである」と諦観した。
いただきます、とフォークを差し入れた後、ルイがそういえばと口を開く。
「騎士団あてに君の両親から手紙が届いたそうだ」
「え⁉ な、なな、なんと……」
「ふつつかな娘だが、くれぐれもよろしくと」
(うう、……それ書くのって婚約の取り決めとか身上書じゃないの⁉)
ソフィアが一口食べる間に、ルイは一皿を食べあげていく。だがけっして雑多な食べ方ではなく、むしろどの隙に口に運んでいるのかと言いたくなるほど、優雅かつ迅速にケーキは処理されていた。
何か話題を変えなければ、とソフィアはさりげなく尋ねてみる。
「せ、先輩はこういうお店、来たことなかったんですね」
「ああ。今は君がいてくれるから、だいぶ気が楽だな」
「で、でも先輩なら、いくらでも付き合ってくれる方がいると思うのですが……」
言った後で「しまった」とソフィアは言葉を呑み込んだ。
こんなプライベートなことに首を突っ込んで良いわけがない。大体、これだけ素敵な人なのだからとっくに彼女とか婚約者がいるはずで――とぐるぐる迷走するソフィアをよそに、ルイは微苦笑を浮かべた。
「いるわけないだろう、こんな男に」
「へ⁉ でもあの、学校ではいつも女性に囲まれて……それに婚約者とか」
「ああ……たまにしか学校に来ないから、怪しまれているんだろうな。絶対に目を合わせようとしてくれないし、話しかけようとしても逃げられてしまう」
(それは……照れているだけなのでは……)
言われてみれば、ソフィアに対しては詰め寄る先輩方も、何故かルイ自身に突撃することはなかった。
ルイのこの証言を聞く限り、皆あれだけ周囲を取り囲んでいるにも関わらず、いざルイと対峙すると緊張して会話どころではなくなるようだ。
(まあ私も、従騎士の先輩というつながりがなければ、絶対関わっていないし……)
気づけばテーブルの上から三分の二のケーキが消失していた。空になった皿は綺麗に積み重ねられており、ソフィアは慌てて自分のケーキの消費に励む。
あざやかな緑のピスタチオムースを口に運びながら、ルイは何かを考えるように言葉を続けた。
「婚約者もいないな。目標を叶える自信がつくまで、結婚など考えられない」
「目標、ですか?」
「ああ」
そう言ったきり、ルイは黙々とケーキを食べ続けた。若くして従騎士になり、家柄も見た目も性格も何一つ不足ないような人が、これ以上一体何を望むというのだろうか。
すると今度はルイの方から話しかけてきた。
「そういえばその、言いたくなければ答えなくていいんだが……」
「な、なんでしょうか⁉」
「ソフィア、君はもしかして――『ゴリラの加護者』なのか?」
ソフィアは飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
「どっどどどどうして、それを⁉」
「す、すまない。その、君の持つ力があまりに規格外過ぎてというか、範囲が広すぎるというか……少々気になったもので」
するとルイは手首を返し、手のひらをびしりとソフィアに向けた。
「い、言いたくなかったら言わなくていい。加護はそれぞれにとって大切なものだ。ただその、どうしても、気になっただけで……」
「あ、いえ、その……」
しどろもどろになりながら、ソフィアはたまらず顔を伏せた。膝に置いた手をきつく握りしめる。
(ばれた……よりにもよってルイ先輩に……)
だがここで隠したところで、エディのように他の誰かに見抜かれて終わりだろう。
それよりはこうして真摯に尋ねてくれた先輩の気持ちに応えたい、とソフィアはためらいがちに頷いた。
「は、はい……そうです」
「! やはりか」
「す、すみません! や、やっぱりおかしいですよね、女なのに、こんな、……乱暴な力で、ゴリラの、加護だなんて……」
言葉にするたび、ソフィアの体は鎖に縛られていくようだった。
(こんなこと、わざわざ口にしなくても当たり前なのに……)
嫌われるかもしれない、とソフィアの体の奥がきゅっと痛む。だがルイはすぐに相好を崩した。
「そうか、君が……。いや、逆に君だから選ばれたんだろうな」
「……え?」
「自分のことよりも、人のことを気遣う。君のそうした優しさが『ゴリラの神』に見初められたんだろう。君の力は、人を助けるための力だ」
なぜか褒められている。
ソフィアは恥ずかしさを誤魔化しつつ、ルイに尋ねた。
「せ、先輩は、私が『ゴリラの加護者』でも……嫌いになりませんか?」
「なるはずないだろう。どうしてそんなことを聞く?」
「あ、い、いえ……」
率直なルイの言葉に、ソフィアは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
(良かった……怖いとか、嫌がられるかと思っていたのに……)
やがて最後の一皿となったケーキを口に運んだあと、ルイが口を開いた。
「とはいえ君が女性であることは、俺も少し心配している」
「心配、ですか?」
「いくらゴリラの加護があるとはいえ、男の俺たちとは違うつらさがあるだろう。騎士団も男ばかりだ。何かあればどんなことでもいい、俺を頼ってほしい」
「先輩を……」
「ああ。何かと至らない男だが、少しは君の力になれると思う」
「あ、ありがとう……ございます……」
惜しげもなく贈られた言葉に、ソフィアは顔が熱くなるのを感じていた。
(ち、違う……先輩はただ単純に、後輩としての私を心配してくれているだけで、……そんな、私が期待するようなあれじゃないって分かっているのに……!)
最後の一切れを口に運んだものの、ソフィアはまったくタルトの味が分からなくなっていた。一方ルイも残り半分となったタルトに取り掛かっている。その姿を見ながら、ソフィアはわずかに頬を染めた。
(でもルイ先輩……本当に優しいな。一体どんな神様の加護を受けているのかしら……)
獅子。虎。もしかして象?
――どれも騎士団所属に有利とされる加護たちだ。勇壮な能力はどれもルイの清廉さにふさわしい。
そう言えばソフィアと同じ『戦闘系最強』と言われる加護も二つあったはずだ。一つはゴリラとして、もう一つははたして何の神様なのか。
(もしかしたら先輩がその、もうひとつの加護だったり? だったらちょっと、……嬉しい、ような……)
ソフィアはわずかに浮かんだ希望を心に留めつつ、満足げにケーキたちを完食したルイの笑顔を眺めるのであった。












