第二章 3
「……?」
そのまま無言でソフィアを見つめる。一方のソフィアは訳がわからず、こちらもひたすらに沈黙を守り続けた。
しかしさすがに長すぎるのでは、と恐る恐る首を傾げる。
挨拶の時はそれどころではなかったが、改めて間近で見る騎士団長は、非常に怜悧で綺麗な目鼻立ちをしていた。
透き通るような銀の髪と、深い青色の瞳がソフィアを睨みつけたかと思うと、ばっさりと言い捨てる。
「君」
「は、はい!」
「その前髪をなんとかしたまえ。戦闘で不利になる」
「……は、い」
かろうじてそれだけ答えたソフィアに、団長はうむと頷くと、ようやく騎士団の建物へと戻っていった。
その間、いたたまれないほどの周囲の視線を受けながら、ソフィアはだらだらと汗をかく。
(ど、どうしよう……まさか、一番偉い人から直接注意されるなんて……)
その後、騎士団棟の一角に移動して今後の予定や規則について説明を受けることとなった。従騎士の所属を表す銀の襟飾りも配られ、皆それぞれ誇らしげにつけている。
だがソフィアの心の中は紋章を愛でる余裕すらなく、ただ「どうしよう……」という団長からの指摘だけで埋め尽くされていた。
やがて解散の号がかかったと同時に、アイザックとエディが顔をのぞかせる。
「ソ、ソフィア、大丈夫か⁉」
「あ、はい……とりあえず明日髪を切ってきます……」
「ま、まあ確かにその前髪は見づらいだろうしな……いい機会だろう」
なおもどよんと落ち込むソフィアを、二人はあまり気にするなと必死に慰めた。
そして翌日。
ソフィアは昨日よりも、いっそう疲弊した顔で鏡の前に立っていた。
(――ど、どうしよう……)
手にあるのは歪んだ小型のハサミ。
鏡に映るのは――長さがバラバラになった前髪だ。
(うう、難しい……)
昨日の騎士団長からの注意を受け、ソフィアはさっそく前髪を切ってみた。
だが今まで自分で切ったことがなかったので、まったくバランスが取れない。右を切れば左より短く、では左を――としているうちにガタガタになってしまった。
おまけに最終的に力加減を間違えて、ハサミの柄を曲げてしまった。これではもう使うことが出来ない。
(こ、こうなれば、街の理髪店に行くしかない……)
自力での解決を諦めたソフィアは、とりあえず前髪を隠すようにスカーフで頭を覆い隠した。
他の生徒たちに見つからないよう、学校の正門前から出ているバスに乗り、王都の中心地を目指す。
揺られること十五分。
到着したのは王都の中心にある大広場だった。
ここを起点に街中を八本の通りが走っており、中でも北に向かう幅広の通りの先には、うっすらと王城の城壁や塔の先端が見えている。
広場には大聖堂と巨大な噴水があり、第二アルキュオネである今日は多くの人でにぎわっていた。
『蝶の加護者』らしき踊り子が優雅な衣装とともに舞い、『鳥の加護者』である吟遊詩人が極彩色の羽をはばたかせながら、実に見事な歌を奏でている。
(街中に来たの、久しぶりだわ)
休みの日、ディーレンタウンに通う生徒の多くはこの市街地に外出する。
だがソフィアと言えば、寮か図書室で読書をしていることがほとんどで、友人と買い物に出たり、食事に行ったりという経験は皆無だった。
どこに何の店があるのか分からぬ状態のまま、とりあえず理髪店を探す。
(い、一体どこにあるのかしら……)
実はソフィア自身、理髪店で髪を切ってもらったことがない。
もちろん多くの貴族の子女がそうなのだが、基本的には実家に戻った際、専属の女中から切ってもらう。そのため大抵の女子生徒は髪を整えたくなったら、休暇を取って帰省するのが当たり前なのだ。
だがソフィアの実家は王都から遠く離れた地方にあり、長期休暇以外で気軽に帰省できる距離ではなかった。そのため髪も伸びっぱなしのぼさぼさ状態。今まではそれで一切構わなかったのだが、さすがに騎士団長から直々の指摘とあれば直さないわけにはいかないだろう。
とりあえず端の通りから、と目星をつけて歩いてみる。
どうやら通りごとに店の傾向があるらしく、ある一帯は農産物、またある一帯は毛織物というように、似たような業種の店舗が並んでいた。
(ある程度調べてから来ればよかった……)
ソフィアは次の通りに移動する。
今度は飲食店が密集している場所らしく、店外のテーブルで酒瓶を交わす男たちの姿や、色鮮やかなフルーツの乗ったケーキを囲む女性たちが多く見られた。
そのうちの一軒に、ソフィアは思わず目を奪われる。
(わあ、苺のタルト……おいしそう……)
そこは老舗のケーキ屋らしく、ガラスのショーケースには宝石と見紛うようなタルトたちが並んでいた。建物の中にはテーブルがあり、中で食べることも出来るようだ。
数あるタルトの中でも、ひときわ目を引くルビー色の苺タルトに、ソフィアはきらきらと目を輝かせる。
だがすぐに首を振ると、本来の目的である理髪店探しに戻ろうとした。
「……ソフィア・リーラー?」
「――⁉」
突然フルネームを呼ばれ、ソフィアは思わず足を止めた。
もしや学校の生徒に見つかってしまった⁉ と恐る恐る振り返る。そこにいたのは間違いなくディーレンタウンの生徒――だが、従騎士の制服を着たルイ・スカーレルだった。
ルイはソフィアの顔を確認すると、ぱあと明るく笑いかけてくる。
「やっぱり。今日は遊びに来たのか?」
「あ、ええ、と、その……」
どうしよう、と目が泳ぐ。
そんな挙動不審なソフィアにかまわず、ルイはなおも質問を続けた。
「もし分からない店があれば聞いてくれ。従騎士の仕事には、王都内の見回りも含まれるから、それなりに詳しいつもりだ」
「そ、そうなん、ですね……」
そこでソフィアはふと思いついた。いやいやさすがに恥ずかしすぎる、という気持ちとここで聞かねば何時間さまようことになるか、という気持ちが拮抗していたが、やがておずおずとルイに尋ねる。
「あ、あの、理髪店ってどこにありますか?」
「理髪店? それならこの先一帯にあるが、普段行くところは?」
「そ、それが、今まで、行ったことがなくて……」
するとルイがふうむと顎に手を添えた。
もしや理髪店というのは人からの紹介が無いと入れないのだろうか、とソフィアが愕然としていると、ルイはにっこりと微笑み、慣れた様子で通りの先を指さした。
「じゃあ、俺が行く店を紹介しよう」
「俺が行く……って、え⁉」
「こっちだ」
言うが早いか、ルイはさっさと足を進めていく。ソフィアが慌てて追いかけると、二区画ほど進んだところに一軒の建物があった。
石造りの立派な建物で、表の看板は三色に塗り分けられている。ソフィアがぼうっと外観を眺めている間に、ルイは迷うことなく出入り口の扉を開いた。カランカランと高い鐘の音が響く。
「マスター、すまないが今から一人お願いできるか?」
「ルイか。いいぞ」
ルイに手招きされ、ソフィアは恐々と店内に足を踏み入れた。正面にいた店主の姿を見て、ソフィアは一人唾を呑み込む。
(こ、怖い……ここほんとに理髪店なの……⁉)
マスターと呼ばれた男は、見事なまでのスキンヘッドだった。
凛々しい眉と並行の幅広の目。何故か左目側には斜めに傷が走っており、理髪師というよりは凄腕の傭兵という表現がしっくりくる感じだ。
マスターはソフィアの全身をじろじろと見つめていたが、すぐにルイに視線を戻す。
「珍しいな。お前が女をつれてくるとは」
「ああ。後輩なんだ」
「後輩、か」
再びじろりと睨まれ、ソフィアはひいいと戦慄する。
マスターは顎で椅子に座るように指示を寄越し、ソフィアは素早くそれに従った。次いでスカーフをとれと命令され、あわただしく結び目を解く。露わになったソフィアの歪な前髪を見て、マスターはぎりと口元を歪ませた。