第一章 ゴリラの加護
この世界では十六歳になると『加護の式典』を受ける習わしがある。
この儀式に参加することで神様――様々な動物神から、能力を得ることが出来るのだ。
その種類は実に多岐にわたり、鳥系の神から加護を得れば自由に飛べる翼を、魚系の神であれば、水中で自在に泳げる体を与えられる。
もちろんこれらは俗にいう『アタリ』で、その優れた能力を生かして専門職に就くものがほとんどだ。逆に言えば大したことが出来ない『ハズレ』の神もいるわけで、まもなく十六歳を迎えようという少年少女たちは皆、「自分は一体何の神から選ばれるのだろうか」と日々心をときめかせる。
それは今日まさに十六歳を迎えた――ソフィアについても同様であった。
「ソフィア・リーラー、前へ」
副学校長から名前を呼ばれ、ソフィアはおどおどと立ち上がった。ルビーのような赤い瞳。瞼にかかりかけの長い赤毛。平均より少し高い身長を気にしているのか、猫背で歩くその姿を見て、クラスメイトたちが失笑していた。
がたがたと震える足で登壇すると、学校長がにこやかな表情で待ち構えていた。彼の前には木目が真っ直ぐな一枚板の台座があり、挟むようにしてソフィアは正対する。
卓上には瑠璃の塗られた美しい盆が鎮座しており、きらきらと星粒を溶かしたような水が縁のぎりぎりまでを満たしていた。やがて校長が厳かに言葉を紡ぐ。
『――生きとし生ける、先達者たちよ。我らに力を与えたまえ』
途端に水の中に浮かんでいたきらめきが、一斉にちかちかと瞬き始めた。学園長は長方形のカードを複数枚取り出し、はらりと水面に落とす。
だが不思議なことにカードは濡れるどころか、中空でぴしりと垂直に立ち上がり、ソフィアの眼前に浮かび上がった。
トランプで言えば背中側に当たる、同じ文様の面を見せつけるように、一枚、二枚と輪を描くようにしてくるくると周回する。やがて八枚のカードが、走馬灯のように一定の間隔を保ったまま、ゆっくりと盆の円形をなぞるように漂っていた。
「さあ、好きなカードを選びなさい」
「……」
ソフィアは思わずこくりと息を吞んだ。
(あああ、一体どれを選んだら……!)
選ばれれば、ほぼ百パーセント美容業界に放り込まれる『カメレオンの神』と『クジャクの神』だけは嫌だ。
あと必ず劇団のスカウトが来る『キツネ』と『たぬき』の神も勘弁してもらいたい。
(出来るなら暗闇でも目が利く『もぐらの神』とか……とにかく、目立たない加護なら何でもいい……!)
裏面に描かれた模様はすべて同じで、どれがアタリかハズレか全く見極めがつかない。だがそのうちの一枚が少しだけ違うように感じられて、ソフィアは祈るような思いでそれを摘まみ上げた。
その瞬間、選ばれなかった七枚のカードはぺしゃりと落下し、水面にするりと溶け込んでしまった。
跡形もなくなったことに驚く間もなく、ソフィアの手に残ったカードがわずかな燐光を持ち始める。
(お願い……!)
恐る恐るカードをめくる。
するとそこには真っ白い面があるだけで、ソフィアは思わず何度か目をしばたたかせた。だが中央から金色の炎が上がり、じゅわ、と燃え広がるようにカードを包み込む。
驚きで手を離す暇もなく、ソフィアの目の前に一枚の図柄が現れた。
描かれていたのは、黒い毛並みにしっかりとしたEライン。横顔だけ見れば、彫りの深い男性のようにも見える姿――そして『ゴリラ・ゴリラ』という神の名だった。
加護の式典を終えた翌日。昼休みを迎えた途端、ソフィアの周りを派手な令嬢たちが取り巻いた。中心にいるのはリーダー格であるカリッサだ。
「あなた、昨日加護の式典に出ていましたわよね? 一体何の神様に選ばれたのかしら」
「そ、それは……」
「鳥系? ああ、でもあなたの運動神経じゃ飛ぶのは無理そうね」
「まさかクジャクの神? そんなわけないわよねえ?」
「どんな神でも、カリッサ様にはきっとかないませんわ!」
「わ、わたくしのことはいいのです! それより何か早くおっしゃいなさい!」
「……」
何も言わないソフィアに対し、カリッサたちはにやにやと愉悦を浮かべながら、しつこく問いただす。
すると廊下から現れたもう一人が、頬を赤く染めて叫んだ。
「みなさま! 今日はスカーレル先輩が、学校来てるらしいわ!」
「本当ですの⁉ こんなことしてる場合じゃないわ、早く行きましょう!」
途端にばたばたと人がいなくなった。ソフィアは彼女たちが戻ってこないうちに、と急いで教室を後にする。
ようやく食堂に着いたものの、席は既にほとんど埋まっている状態だった。
(どうしよう……もう端っこの席空いてない……)
出がけに引き留められたのが運の尽きかとソフィアは諦め、売れ残っていたサンドイッチを買うと、こっそりと食堂に背を向ける。
人とすれ違うたび、向かいから誰かが来るたびこそこそと進行方向をずらしていき、やがて校舎の陰にある薄暗い裏庭へと流れついた。
「ここなら……大丈夫そう」
少しでも乾いたところを、と大きな木の根元に腰かける。
ひとけがなく、どことなくじめっとした場所だが、人がいないというだけでソフィアにとっては天国のようだ。紙袋に入ったサンドイッチを取り出すと、ほうとため息を漏らす。
「早く卒業したい……」
ソフィアが通っているのは『ディーレンタウン』という、貴族や良家の子息・子女の通う名門校だ。
王都にある全寮制の寄宿舎校で、次世代のリーダーとなるべき人材を育成、またその伴侶として相応しい品格と知識を身に付ける、という謳い文句がある。
しかしその実態は、男子は卒業後のコネクション作り、女子はより格上の結婚相手探しと割り切っている生徒も多く、また家同士の関わりや格の違いから、不文律であるがはっきりとしたヒエラルキーが決まっている。
ソフィアも一応伯爵家令嬢という肩書はあるが、父が所有する領土は王都から遠く離れており、広大な農地や鉱山資源が産出されるわけでもない、とても痩せた土地だ。
幸い領民たちの心根が優しいこともあり、なんとか生活は出来ているが、王都近くの伯爵家や侯爵家と比べると、どうしても下に見られることが多い。
またソフィア自身、己の容姿にも才覚にもとんと自信がなく、入学当初からどこか浮いている感覚があった。
最初の内はそれでも目こぼしされていたのだが、高等部に昇級した途端、先ほどのような嫌がらせを受けることが増えたのだ。
(でも卒業まであと二年もある……それまでなんとか耐えないと……)
手にしたサンドイッチを口に運ぶが、どうにも味がしない。とりあえずお腹に入れなければと無理やり押し込むソフィアだったが、その途中でぐしゃりと音を立てて食パンがつぶれてしまった。
「ああっ……!」
またやってしまった、とソフィアは絶望した。昨日の『加護の式典』の後から、どうにも力加減が上手く出来ない。
寮のドアノブは掴んだだけで外れてしまうし、今朝は髪をとかすブラシを真っ二つにしてしまった。筆記具を折るまいと気を遣い続けたせいで授業にも集中出来ないし、良いところナシだ。
(やっぱり、これって『ゴリラの神』の加護のせいだよね……)
――式典終了後、ソフィアは残っていた学校長を捕まえて尋ねてみた。『ゴリラ・ゴリラ』とは何なのか、と。
すると校長はとても驚いたように目を丸くして、すぐににっこりと微笑んだ。
「それは『ゴリラの神』ですね。実に珍しい加護です」
「め、珍しい、ですか?」
「はい。わたしも『フクロウの神』の加護者として、多くの子どもたちに加護を授けてきましたが、ゴリラの神はあなたが初めてです」
聞けば『ゴリラの神』の加護者は非常に希少らしく、五十年に一度出るか出ないかという頻度らしい。ぽかんとするソフィアを前に、校長は嬉しそうに続ける。
「『ゴリラの神』は戦闘系最強クラスの加護のひとつと呼ばれています」
「戦闘系、最強……?」
「ご存じの通り、ゴリラの腕力は我々人の七倍。握力に至っては十倍の五百キロを超えるそうです」
「いや知りませんけど⁉」
「おや、そうでしたか」
おっとりした物言いに、普段出さないような大声を上げてしまったソフィアは、改めてぐぬぬと奥歯を噛みしめた。
(戦闘系最強と言われても……絶対嫌……!)
そもそも戦いなんて、痛いし怖いし絶対やりたくない。ましてや女の自分がゴリラの加護を得たところで、有効に使う手段がまったく思いつかない。
だが校長はソフィアの苦衷を知る由もなく、先ほど同様のほほんとした口調で告げた。
「ああそうだ、そうであれば少し話をしなければなりませんね」
「え?」
「すみませんが、明日の昼休み、昼食を食べたら校長室に来てください」
新連載はじめました!
さまざまな動物神の加護があるなか、何故か最強の『ゴリラの神』から守護されてしまったお嬢様のお話です。
ゴリラにとても詳しくなりました。
良ければのんびりお付き合いいただけると嬉しいです~!