上中下の上:定石
キリキリキリ、ネジを巻く。
卒業が見えたとき父が言った。
「何になりたい?」
父はいつもそう言う。兄と姉も言われ、何になりたいかを言い、それになるためのお金をくれる。幸い兄も姉も成功し、ダメになった次に父が何を言うかは解らない。
「本屋になりたいです。好きな本を手に入れられる本屋に」
論文を書くときに図書館や図書室にはお世話になったが、やはり必要な本は自分の手元に置いておきたい。新刊書店にしろ古書店にしろ、その世界に入ったら一般人よりも多くの情報が入ってくる。
父はそうか、とだけ言うと、部屋から出て行った。子どもが言ったことを始めるためにいくら必要なのかを調べるのだ。
私は私でなりたいものを否定されなかったので、どちらの書籍業界に進むべきかを書斎派の面々に相談をする。みな「こいつが情報を掴んでくれるかもしれない」と好意的に意見を教えてくれるのだが、聞きに廻ってからほとんどの人が国際派なことに気がついた。ほぼ全ての人が、外国の文献について、注文を受けて発送するまでの丁寧さ親切さは日本を基準にしてはいけない、気長に待たなければならないという「世界の常識」を懇々と述べた。
「新刊書は気長にまたなければならないが、古書業界は相手の懐に入ることができれば早い。情熱を持って対処してくれる」
私の周囲の人たちがそういう人ばかりであったことを改めて知り、その流れで古書業界志望になってしまった。
それはそれで構わない、別に新刊書店業に迷いがあるわけでもないので、古書店で修業先を考えることに決めると、どの相談相手も自分が懇意にしている店を推してくる。一応自分でも古書業界で開業するノウハウを調べてみると、組合に入って相談に乗ってもらうことが早道だと知る。
さてどうしたものかと、ここで始めて兄に相談を持ちかけてみる。兄もまた起業して成功しているのだ。
畑違いとはいえ弟に相談を持ちかけられて笑顔で、
「専門的なことは解らないけど」と前置きをして、自分が身に染みたことを言ってくれる。
「お前がやりたいことは仕入れのようだな。お前が相談を持ちかけた研究者や大学の先生も仕入れルートを基準に考えているだろ。けどやっぱり、店をやるからには売り上げも大事だ。その人達が顧客になってくれたら楽は楽だろうけど、それだけじゃ不安だ。そこまでの専門性に特化していなくても、経営に知恵を絞っている店で修行することがいいと思う」
すると姉がやってきた。
「父さんから聞いて私なりに調べてみたけど、今の時代古書だけを売っているお店って、ネット通販かオールジャンルかの二極化みたいね。全国に支店を出している有名古書店もあるけど、あんたそんなに大きな規模でやるつもりはないんでしょ?」
そりゃそうだ。初心者が最初から大規模店なんてことはできない。
「今まで相談した相手がそこまで仕入れルートに期待しているとなると、オールジャンルは無いわよね、あんたの嗜好から学術系だし。その上で無店舗が実店舗かから始めないと」
うむ。
「イメージとしては、無店舗だと自分から気軽に仕入れに行けるのがあるわね。実店舗だと、どこに店を開くかからして自分を主張できる。誰も行かない山の中に店を開いても、情報は出せるのだから、そこに行かないと手に入らない希少性を売りにすることはできるわね」
おぅおぅ。
「今の古書店は店舗自体でどんな主張をしているのか、足を使って自分で見てこい」
ありがとうございます。
それではと改めて古書店を品揃えでなく店主の主張として観察に行くと、専門店は専門店の強みとして、扱っているジャンルに自信を持っていても、客と店主とで信頼関係がなければ、窮屈そうに思えてしまう。
たとえば私や研究者が懇意にしている店であれば、在庫は店頭に置いているだけでなく奥や倉庫にしまってあるかもしれないと「この本ないですか?」と聞けるし、なければ情報を辿って仕入れてもらうこともある。しかし信頼関係がなければ店頭に無ければ無いと思うし、聞いて無いと言われて「もしあったら連絡を」と頼んでも、そのまま忘れられることが普通である。
かといって信頼を構築していくためには、日常でその店で本を買って顔を覚えてもらうのが常道だが、欲しい本がなければどうしようもない。
他にも、一冊でも多くの本を置こうと店内に積み上げているのは私の趣味では無いが、本棚に見栄えをよく置いていても点数が少なくて店内をすぐ見終わってしまう、それも物足りない。
どんな店作りがいいだろうと歩き回っていたら、店内でサイドビジネスをやっている形態に行き当たった。
…なるほど、画廊を併設するのか。
基本的には書店エリアに絵本を置き、画廊エリアには原画やその作者の絵、関連作品を置いている。応用として絵本ではなく藝術の絵画や工芸品、多ジャンルのテーマ作品などか。その手法を追っていくと作家のトークイベントや演奏会、スタートパーティなどイベントをやっている。これは人付き合いを楽しめる人でなければ難しいのではないか。
店主に少し聞いてみたら
「初めての作家さんは用心しますね。どんな人たちがファンなのか解らなかったり、展示のやり方に厳しかったり。でも作家さんの側も、初めてのお店は緊張するでしょう、ちゃんと支払いをしてもらえるか、作品管理は大丈夫かとか、初めてですとね」
すると常連らしき客が会話に入ってきて、
「どこどこのお店、いきなり閉めましたしね」
「えー!あの作家さんがよく使ってた?作品の回収とかは?」
「それは大丈夫だったみたいですよ」
等々。
礼を言って辞去する。
うーん、作品が盗まれるリスクは、どうなんだろう?本はまだ自分の店の物だから盗まれて泣いて済むとしても、預かり品だとなぁ。
一応頭の中に止めておく。
結局のところ私が気になるのは、来店者と客と泥棒の切り替えか。店に来はしても何も買わない人、これは自分でもそうなのだからどうしようもない。買いはしても良い客と悪い客、良い客でも嬉しい客と苦手な客か。で犯罪者対策、泥棒だけでなく痴漢だの掏摸だの、そして警察を呼んで来るまでの諸々か。
接客だけでこんなに問題があるのか。古書を扱うなら買い付けとか在庫の量、倉庫や、組合に入って助言を求めるなら諸先輩方との付き合い方とか、いろいろあるのか。
非常に難しい。