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違和感



「どんなの着よっかなー」


 俺はいまクローゼットを漁っている

 理由?んなモンオシャレかつカジュアルな服でデートに行くために決まってるだろう。

 俺のオシャレパワーを総動員してコーディネートを考える。

 今の時刻は九時二十分。

 今日の予定は十時に駅前に集合してそのままブラブラしながら行動を決めるという事になっている。


「よし、これだ」


 いそいそと服を着替える。


 財布もハンカチもティッシュもバックに入っている。スマホも持った。モバイルバッテリーもある。

 準備は万端だ。


 よし、出陣!


 ☆


 俺が駅前に着くと氷華はもう待っていた。

 今日の氷華はパステルカラーのワンピースに裾の短い黒のジャケットという格好だ。


 可愛い。


「ごめん!待った?」

「ううん、今来たとこ」


 男の俺が「待った?」を言う側になるとはな。もっと早く来た方が良かったか。


「そっか。じゃあ、行こうか」


 氷華の手を握る。俗に言う恋人繋ぎってやつだ。



 ☆



「あ!これ可愛い!」


 俺達は今小物屋に来ていた。

 氷華は猫のマグカップを手に取って眼を輝かせていた。


「あ、色違いもあるんだ。こっちも可愛い」


 その後も氷華はあれやこれやを手に取っては「可愛い」といって機嫌を良くする。まぁ、女の子が好みそうなものを集めたのが小物屋だからな。

 とてもリアルなラブラドールレトリバーの陶器細工を見つけた時は若干心動いたが、それ以外には特に俺の興味を引くものはなかった。

 まぁ、手当たり次第に商品を手に取っては眼を輝かせる氷華を眺めるのは楽しいしいいか。

 女の買い物に付き合うのは嫌だと言う奴がいるが俺にはそれが信じられないね。


「あっ、ごめんね、夢中になっちゃって。退屈じゃない?」


 俺の視線に気がついたのか、氷華が俺を気遣ってそう言った。


「気にしなくていいよ。氷華を見てるだけで俺は満足だから」

「ふふっ、何それ。私の事好きすぎでしょ」

「そうだな。大好きだ」


 氷華はそれからさらに三十分かけて小物を選んだ。




「ん!会計してきたよ!」

「いい物はあったか?」

「うん!」


 氷華は笑顔で頷いた。


「そうか。良かった。じゃあ、次は何処行く?」

「映画見に行こうよ!」

「オッケー」


 そういう訳でシネマフロアに来た。


「何やってるかな〜?」


 氷華がパタパタと電光掲示板に近づく。

 俺も後を追い、どんなものが上映しているか見るのだがいかんせん数が少ない。何故だ?前に来た時はもっとやっていた筈だが。

 しかも全て俺が一回見た事のあるものだ。まぁ、空気を読んでそんな事を言ったりはしないが。


「ねぇねぇ!これにしようよ!」


 氷華が渡してきたパンフレットには高校生の男女が入れ替わり、彗星をどうにかこうにかするアレが載っていた。


「ん。それならこれにしようか」

「うん!」


 一回見た事があるなんて関係ないな。氷華の喜ぶ顔が見れればそれで良いか。



 ☆



「面白かったな」

「う〜……凄い感動しちゃったよ」

「凄い嗚咽漏らしてたもんな」

「い、言わないでよ!」

「はははっ可愛かったぞ?」

「そんな事言われても機嫌直さないんだからね!?」

「そんなご無体な。どうか機嫌を治してくださいませお嬢様」


 俺は恭しく頭を下げた。

 チラリと氷華の顔を伺うと微妙な表情をしていた。


「ん〜……唯斗くんはあんまりそういうセリフ言っても似合わないねぇ」

「結構恥ずかしかったからもう突っ込まないでくれ」

「えっへへ〜。.......それで、次はどうする?」

「そうだな。ちょっと遅いけどご飯食べに行こうか」

「ん、そうだね。フードコートにする?」

「いや、俺はファミレスがいいな」

「おっけー。そうしよっか」




 え?ショボいだって?高校生のお小遣い事情舐めんなコラ。


「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」


 昼食の時間には若干遅いからか。ファミレスは休日とは思えないほどガラリとしていた。


「二人で」

「畏まりました。お席に案内致します」


 店員に付いて行く。


「メニューがお決まりになりましたらそこのボタンをお押し下さい」


 頭を下げてから店員は退散する。


「それじゃあ何食べる?」


 俺はファミレスに来たら柔らか青豆の温サラダとほうれん草のクリームパスタにチキン、それにドリンクバーと決めている。


「ん〜……私はこれにしようかな」


 氷華が指さしたのは明太子のスパゲッティとアンチョビとキャベツのソテーだ。


「ん。なら頼もうか」


 ピンポーン


 ボタンを押し、気の抜けた音が鳴る。


「はい、ご注文をお伺いします」

「えー……これにこれとこれと、これ。あとドリンクバー二つ」

「畏まりました。ご注文繰り返させていただきます────────」


 店員は注文を復唱すると一礼してから去っていった。


「なに飲みたい?」

「ん!カルピス!」

「りょーかい」


 氷華には席に座って貰っていて俺はドリンクバーを取りに行く。

 ちなみに飲み物もいつも同じものをのんでいる。オレンジスカッシュをトニックウォーターで半々に割ったものだ。

 え?どうでもいい? そうか。


 席に戻ると氷華がチャラい三人組に絡まれてる……なんてことも無く既にサラダが届いてるだけだった。


「先に食べてても良かったのに」

「唯斗くんといただきますしたかったからね」


 可愛い。


「はは、ありがとうな。じゃあ、いただきますしようか」

「うん」


 俺は外食でもちゃんといただきますをする派だ。


「「いただきます」」



 そういえばとあるネット掲示板でパスタとサラダを頼んでが来る前にサラダを食べ切るチャレンジなんかをしてる奴がいたよな。

 今は氷華と一緒なのでやらないが。


 おっと、パスタが運ばれて来たようだ。

 いただきます。


 パスタを食べながらふと氷華の方を見ると羨ましげにこちらを眺めていた。


「.......食うか?」

「いいの?」

「うん。そんな目をされたらなぁ」


 氷華に巻いたパスタを差し出す。


「はい」

「ん。あ〜ん」


 氷華は眼を瞑って口を開けている。

 なんというか、雛鳥に餌付けしてるみたいで可愛いな。


「うぇへへー私もお返しだよー。あ〜ん」

「あーん」


 うん、美味い。

 幸せだなぁ。本当に夢みたいだ。


「いきなりボーッとしてどうしたの?」

「いや、次はどこ行こうかなって」

「うーん、そうだなぁ.......それなら、久しぶりに水族館行きたいな!」

「そっか。じゃあ食べ終わったら行こうな」

「うぇへへー、ありがと」


 なんだか、氷華の顔を見ていると全部どうでも良く思えてくるな。

 あぁ、幸せだ。


 ☆



 入口から水族館の中までは、いきなり長いエスカレーターを登ることになる。


 真っ暗、というわけではないがほとんど前が見えないほどの暗さそんなエスカレーターを上がりながら、俺は考えていた。


 ……そういや、氷華と二人なんだよな。


 いつもなら誰か別の友達が一緒にいるはずだった。委員長とか、二階堂さんとか、昴とか。


 そもそもデートに来たのは今回が初めてだ。


 いや、それは違う。デートには何度も行った。

 本当に最近は記憶がおかしくて困る。痴呆か?

 まぁいい。それは置いておこう。


 だが、本当に二人きりなのだ。


 それを意識すればするほど、胸は高鳴ってしまう。


 学校では普通に二人きりでいたりするのにデートとなると強く意識してしまう。

 それは行動自体が特別だからか。

 それともデートの途中で見られる、愛している人の楽しそうな表情が見れるからか。


 どちらにしろ、それはとても俺にとって嬉しいものだった。


 強く握り締めた手には、鼓動が伝わっていないだろうか。

 もしも伝わっていたら、かなり恥ずかしいな。


「なぁ」

「なに?」


 声が返ってきただけで、なぜか顔が赤くなってしまう。


 一度変な風に意識してしまうと、それからずっと緊張するものだ。


 何をするにも相手がかなりの美人に見え、一日が最高なものになる。


 自分はそこらの女子に何かをされてもときめくような感性をそれ程は持ち合わせていない。

 誰にでも好感を覚えるほど女子に幻想を抱いていない。


 だが氷華が相手ならばどうだろうか。


 答えなんて分かりきっている。


 先程から高鳴っている胸は何か。


「……なんかさ、ロマンチックだな」

「それはこれから決まるよ、唯斗くんのの努力次第だね」

「……なんだよそりゃ、プレッシャーになるだろ」

「……なんだか、今は少し弱気なんだね」

「……弱気じゃねぇよ」


 照れ隠しはまるで言い訳のよう。

 強い一言はまるで愛を囁く言葉のよう。


 何を話すにしても、俺は緊張しなければならないのか。


 必死に頭を整理する。


 こんなの、ただのデートなんだと。

 今から告白しよう、なんていうわけではない。

 既に自分の物になっている彼女とのデート。

 一々緊張なんてしていたら心臓がもたない。


 なのに……手、柔らかいな。

 なんて、さっきは感じなかった事なんかを感じ取っては頭が混乱する。


 自分から勝手に混乱しているのだから、誰に文句を言うことも出来ないのだが。


「ねぇ」

「な、なんだよ」


 いきなり話し掛けられ少しどもってしまう。


 デートというのは会話から成り立つものなんて言われてんのにな。


 もうすぐエスカレーターは終わってしまう。


 ずいぶん長く感じたが、実際はわずか二分程度だ。


 エスカレーターの天井は深海をイメージしたようなライトアップに変わってきた。


 ぎゅっ、と氷華が俺の手を強く握る。


「緊張してる?」


 エスカレーターが終わってしまう。


 その先には美しい魚達が泳ぐ巨大な水槽が広がっている。何度か来たことがあるから覚えている。


 これからデートは本番だ。


 なのに、なぜかエスカレーターが終わってしまうのが嫌だった。

 刻一刻と終わりが迫って来るまるでこのエスカレーターだけが、デートでいられる空間のように感じられる。


「.......私は」


 ぽつり、と消え入りそうな声で氷華が話す


 実際、他の客には誰一人聞こえていなかった。


 そんな中、俺には


 俺だけには、聞こえた。


「私は、唯斗くんと二人きりで緊張してるな」


 不安ではなく、嬉しさや恥ずかしさから来る震えを持った声が。


 少し、唇を湿らせてから口を開く。

 あぁ、なんだ。俺だけじゃ、なかったのか。


「……氷華が楽しめるように努力するよ」

「……お願いしていいかな?」

「当たり前だろ」


 優しく氷華の手を引っ張り、エスカレーターから彼女を降りさせる。


 記憶通り、目の前には大きな水槽が広がっていた。


 つい、ため息をついてしまう。


 なんと美しい光景なのだろうか。前見た時よりも何割増しにも綺麗に見える。


 人間は海から生まれたとは、こういう理由から言われるのかもしれない。


 海の中に落とされると不安になるだろうが、水族館の中にいるとなぜか落ち着きさえ覚える。


 文明を築いたせいで海の中で暮らすのは怖くなったのかもな。


 だが少ししてそんな難しいことに思いを馳せるのは辞めた。


 目の前に広がっているのは哲学や理屈を並べて汚していい光景ではない、そう思う。

 難しいことはテレビでよく見る学者にでも任せれば良いのだ。


 今は、ただこの美しい光景を楽しんでみるべきだ。


「綺麗だね」

「あぁ、なんだか俺達まで海の中にいるみたいだ」

「はは、そのままじゃん」

「……こんなの目にして、難しい言葉は並べられないな」


 心の底から感動しているのが分かる水槽の近くには、「写真を撮らないで下さい」との注意書きがあった。


 フラッシュが魚に影響してしまうからだろう。


 だがしかし、こんな美しい光景ならたしかに写真に収めてしまいたくもなる。


「ほら、小さな魚はやっぱり群れるもんなんだな」

「仲良しで可愛いね」

「……そうだな」


「……ねぇ、あっちの大きな魚は何だろう?」

「あれはマグロだな」

「へー?マグロってあんな見た目だったんだね」


 小さく笑ってしまう。


 そんなことも知らないわけはない。


 ということは、話を途切れさせないためにわざわざそんな話題を振ってきたのだろう。


 そんな気遣いが今は嬉しかった。


「……マグロってたしか、泳ぎ続けないと死ぬんだっけな」

「泳ぎながら呼吸するんだよね」

「進まなければ待つのは死、なんてな」

「なんだかカッコいいね」


 クスクスと氷華が笑う。


「ほら、次行くぞ」


 笑う顔が可愛くて直視するのが恥ずかしくなり早足で歩いてく。


 次の水槽は鮫が泳いでいた。


 ここはかなりの迫力だ鋭い目つきを見ると、さすが海のハンターだと頷いてしまう。


「……私、海で泳いでて鮫が来たら、気絶する自信があるよ」

「は?なんだよいきなり」

「どう?海ってたまにそんな風な不安に襲われること、ない?」

「うーん、あ……でも船に乗ってる時、落ちたらどうしようってことなら頃は思ってた時があったな」

「深い青って不気味だもんね、私は好きじゃないかな」

「いやぁ、水族館でそういう台詞は考えものだな」

「ここはいいんだよ、だって安全だもん」

「……そうか?」


 水槽のガラスに少し近づく。


 子供の頃は、このガラスが壊れたら中にいる魚達が自分を襲うものだと思っていた。


 実際、壊れることなんてありえないのだが。


 万が一そうなったとしても、魚達は水が無ければ行動出来ない。


 自分を襲いに来るなんて馬鹿馬鹿しい考えは辞めだ。でも、この分厚いガラスが割れた場合の死因は魚に襲われたことじゃなくて、水が溢れた事による溺死になるんだろうな。


「もしかしたら、このガラスが割れるかもしれないぜ?」

「や、やめてよ……そんな冗談」

「なんだ、そういうの苦手なのか?」

「……ジョーズって映画知ってるよね?」

「この水槽にはホオジロザメなんていなかったぞ?」

「……あんな映画を知ってたら、多少は怖いの」

「そうか?」


 水槽の中を泳いでいる鮫を見つめる。

 昔は怖くて直視出来なかったっけな。


 だが今はそんなこともない。


 よくよく見てみれば、 目とか黒黒としててキュートだ。

 最近とある家具屋でデフォルメされた鮫のぬいぐるみが大人気だって言うのも聞いたな。

 なるほど分からんでもない。



「ほら……あんまり近づかない……」

「あれ?ヒビ入ってる」


 出まかせを口にするが、中々効果があったようだ。


 手を握る強さが一段と強くなる。


「ははは。冗談だよ、悪い。意外と怖がりなとこがあるんだな。可愛いよ」

「そんな事言われても許さないんだからね」

「ごめんって。ほら、行こう?」


 鮫に背中を睨まれている気がしたが、それを無視して先に進む。


 次は小さな水槽がたくさん並んでいるゾーンだ。


 熱帯魚やクラゲの子供、砂から顔を出したり引っ込めたりしているよく分からない魚。チンアナゴだっけか?


 そんなモノの中に、海蛇がいた。


「……海蛇って、かなり強い毒を持った種類もいるんだよね」

「らしいな。コブラとかより強いんだっけか」

「へ〜、そうなんだ。でも蛇って聞くとさ、私メデューサを思い出すんだよね。ちっちゃい頃凄い怖くてさ」

「あれはまた別の恐さがあるけどさ」



「……あ、こっちは小さなカニがいる」

「……なんだか笑えるくらい小さいな」

「昔はこういうの見てると、美味しそうって思ってたよ」

「あぁ、あったあった」

「それで頑張って捕まえようとしたりしてね」

「女子だってそんな事するんだな」

「子供なのは変わりないからね」


 子供の頃の氷華を想像し、すぐにでも抱きしめたくなる衝動を抑え、彼女の手を引く。変態か、俺は。


「次はラッコのゾーンみたいだ、行こう」


 壁に書かれた案内板をちらりと見てから歩き出す。


「……ラッコ、ね」

「なんだよ、ラッコは嫌いか?」

「ラッコが嫌いな人なんてあんまりいないと思うよ」

「……ならなんでそんなに嫌そうなんだ」

「嫌なんかじゃないよ……でも、丁度半分だからね。寂しいなって」


 氷華がため息をつく。


 楽しいデートの時間が残り半分だと知らされるようなものか。


 それが悲しくて、あまり進みたいと思えないのだろう。


 氷華にはそんな悲しげな表情をしていて欲しくないな。



「……じゃあ、ちょっと寄り道しようか」

「寄り道?」

「そっちのエスカレーターを下に行ったら、珍しい魚のコーナーがあるんだよ」

「よく知ってるね」

「ちょうどニュースでやってたんだよ」


 そんなことを言うが、本当は違った。


 氷華が手洗いに行ってたりした時間にスマホで検索していたのだ。

 丁度一年に一回あるイベントの時期に出くわすとはとても運がいい。

 そういえば、このイベントも一回経験したことあるな。二重に運がいいってか?


「じゃあ、そっちに行こうよ」

「あぁ」


 エスカレーターを下に下りると、怖い瞳をした魚が目に入った。

 しかも、何やら牙のような歯が生えている。


「これ……ピラニアだよね?」

「あぁ、血の臭いに敏感なヤツらだな」

「すごい……初めて見た」

「俺も生で見るのは初めてだな」


 鮫とはまた違う恐ろしさがある。


 アマゾン川で泳いでいてちょっと怪我をしたらそれだけで、ピラニアが大群となって襲い掛かって来る。

 川の中で怪我をすれば傷口からムシャムシャと.......。


 なんて考えを、またしても途中で終わらせる。


 こんなイメージはデートに似合わない。


「……あ、あっちにはピラルクがいるよ!」

「うっわぁ……ノッペリしてんなぁ」


 大きな水槽の中に、長くて地味な印象の魚が入っていた。


 かなりの大きさだ。


 一緒に泳いでいいですよ、なんてサービスがあっても絶対に参加したくない。それくらい大きな魚だった。

 大きな水生生物だが、鯨とかはまた違う感覚を抱く。


「地球で最も大きな淡水魚だってさ」


「……ピラルクとピラニアって、名前が似てるよね」

「生存してる地域も同じだしな」

「……アマゾン川って怖いんだね」

「その解釈は間違ってるぞ……」


 いや、あながち間違いでもないのかもしれないな、なんて考えて思わず苦笑いする。


「……あ、デンキウナギがいるよ!」


 氷華がまた別の水槽の元に駆け寄る。


「……あ、放電した」


 電気鰻の水槽の上には、何かメーターのようなものがついていた。どうやらデンキウナギが放った電流の強さを計る機械らしい。


 どれほどの電流を放ったかが分かるようになっている。


「……なんかさ、電流を操る魚なんて卑怯だよな」

「一体どういう仕組みなのか気になるよね」

「 これを電力問題の解決作に使えないのかね」

「デンキウナギ」


 電気鰻自体は感電しないことは今でも不思議だ。後で調べてみようか。


「っと……あっちには小さなクラゲがいるみたいだな」

「私、結構クラゲって好きなんだよね」

「プカプカしてるの可愛いよな」

「分かってくれる?」


 二人で顔を見合わせてから吹き出す。


 なんだかいまの会話がとてもおかしく感じられた。何の生産性もない、無駄な会話。それがとても愛しく思える。


「ははは……でもよ、たしかにクラゲはいいな」

「自由というかなんというか……」

「フワフワしてるよな。見た目はちょっとグロテスクだけど」

「フワフワしてるなんて、私達の心みたいだね」


 氷華が突然詩的な事を言う。


 ……乗ってみるか。


「どこに落ち着くこともないもんな」

「……でも、その不安定なのが楽しいのかもね」


 氷華が俺の肩に頭を乗せる。


 ちらりと辺りを見渡す。


 何組かのカップルはいるが、大して俺達には注目していないようだ。


「……あんまり甘えすぎるなよ」

「二人きりなんだからいいでしょ?」

「……構わないけどさ、俺だってさすがに疲れるもんなんだよ」

「男らしくないね」

「……結構グサッとくるもんなんだな」

「でも、そこも好きだよ」

「……上がるぞ、ラッコが見たい」

「あ、待ってよ」


 照れ隠しに、手を放して若干距離を置きながら歩く。


「もう……そうやってすぐ先に行こうとするんだね」

「……ちょっとばかり先に行って、俺の背中を見せてやるよ!」


 ニヤリ、と笑いながら振り返る。


「……でもね、私は並んで一緒に歩きたいかな」

「……じゃあ仕方ねぇな」


 立ち止まり、氷華が隣に来るのを待つ。


 そしてその手を再び、優しく握る。


「これで文句ないだろ?」

「うん、これなら安心だよ」


 二人並んでエスカレーターに足を踏み入れる。


「……ねぇ、唯斗くん」

「どうした?」

「今、幸せ?」

「すごくな」

「それなら、良かった」


 短い会話だな、と俺は笑う。


 だけど、その短い会話で愛が分かるならそれでも構わなかった。


「……ラッコってなんでこんなに可愛いんだろうな」

「さぁ……?」


 ラッコのいる水槽の前で、二人はぽつりと呟いた。


 貝殻をお腹の上に乗せて必死で割ろうとしているラッコその姿に愛くるしさを覚えない人間がいるのだろうか。


「……あれさ、痛くないのかね」

「……慣れてるんじゃないかな?」

「そうなのかねぇ……」

「……可愛いよね」

「……あぁ、可愛い」


 誰がとは言わないが。


 ぽけーっとしながらラッコを見つめる。


 水の流れに乗って流されるラッコ。


「……ねぇ、あのラッコと私、どっちが可愛い?」


「.......ん?何か言ったか?」

「む、なんでもない」


 そう言って氷華は頬を膨らませた。

 なんだ?



「……はぁ、もう最後か……」


 イルカショーの行われる会場で、俺は溜め息をついていた。


 水族館というのは、大抵最初と最後が面白い。


 遊園地のようにいろんなアトラクションがあるわけでもない。


 動物園のように、様々な生態をした生き物と触れ合えるわけでもない。


 水族館の欠点はそこだろう。


 たしかにラッコやイルカ、カニ、クラゲなんかの変り種もいるにはいるが、大抵は「泳ぐ」だけの魚だ。

 大きさ、形や種類は違ってもさすがにずっと見るのには堪えられない。


 象がでかいね、キリンは首が長いね、ライオンは迫力があるね、猿が鳴いてるよ!!という、変化のある動物園とは少し違うのだ。

 ちなみに俺は猿があまり好きではない。


「……そうだね」


 よって、ラッコのあとは軽く流しながら見るだけだった。


 もちろん、いくらかは目を引かれるものもあったが。


「……それにしても、凄い微妙な時間になってるよ」


 腕時計をみると、ちょうど四時半。


 イルカショーは二十分間のため、これが終わって外に出る頃にちょうど五時といったところか。


「……そろそろ解散か」

「……今は、イルカショーを楽しもう?」

「あぁ、そうだな」


 じっと、イルカの水槽を見つめる。


 つぶらな瞳のイルカが、まるで自分を見つめているかのように錯覚してしまう。


 あぁ、イルカというのは可愛らしいものだな。



「見て!トレーナーさんにすごい懐いてるね!」

「そりゃそうだろうな」


 トレーナーが笛を吹くだけで、ジャンプをしたり宙返りをしたり、立ったまま後ろに泳いだりする。


 人間なんかよりよっぽど利口なものだ。


「……あぁいうのを見てるとさ、動物も馬鹿には出来ないよな」

「ふふ……むしろ、動物のほうが人間よりも純粋だよ?」

「そうかもね」


 エサをもらえるから、トレーナーに褒めてもらえるから。


 それだけでよくもあそこまで頑張れるものだ、と考えると自然に拍手してしまう。


 子供に混じって拍手をするのはなんとも照れくさいが。


「……ほら、お手伝いさん募集してるぞ?」

「いいんだよ、子供達がこんなにも手を上げてるんだから」

「そうか」

「……ねぇ、唯斗くん」

「なんだ?」


 トレーナーに当てられた子供が嬉しそうにはしゃいでいる。


 きっと、イルカに間近に近づくのが初めてなのだろう。興奮しながらイルカに指示を出す様子は可愛らしい。


「……私達も、あんな時代があったんだよね」


 楽しげな子供たちを見つめながら、なぜか寂しそうに呟く。


「……あったのかもな、きっと」

「覚えてる?そんな昔のこと」

「……いや」

「……そうだよね、私も覚えてないもん」

「でもさ、今の事は心に残せるだろ?」


 そう言うと氷華は俺の肩に頭を乗せた。


「……だから、似合ってないよ」

「そうだな」

「……なんだかありがとね」

「?何がだ」


 氷華はこっちには目を向けず、ひたすらにイルカだけを見ているようだった。


「ううん、なんでもない」


 氷華は話をすり替えるようにイルカ達の方を指さして言った。


「ほら、子供達が頑張ってるよ」

「.......楽しそうだな」


 イルカが水面から飛んで一回転する。それをどこか遠い世界を眺めるようにして見る。

 なんだか俺達だけ時間がゆっくり進んでるみたいだ。


「……ねぇ、唯斗くん」

「どうした?」

「貴方はこんな生活が続いて欲しいと思ってる?」

「当たり前だろ?そんなの」

「それなら、私だけを見てて。私だけを愛して。他の物には目もくれないで私だけを見てて欲しいの」

「どうしたんだよいきなり」

「変な事言ってごめんね。でもこれは大切な事だから」

「……なんだ。可愛い奴だな」


 そんな事を言っているとどうやらイルカショーが終わったようだ。

 トレーナーが一礼してから手を振って退場していく。イルカもそれに合わせてスイスイと泳ぎ去っていった。


「.......帰ろっか」

「あぁ、そうだな」



 ☆


 家に帰った後、俺はどこか上の空で過ごしていた。気がついたら夕飯を食べて風呂に入り歯を磨き、あとは寝るだけになっていた。


 自室のベットに寝転がりながら、今日のことを思い出す。

 楽しかった。それは間違いない。

 幸せだったし、なによりずっとこんな日々を送っていきたいと強く感じた。


 でも、最後。氷華が言っていた『私だけを見ていて欲しい』という台詞がとても耳に残っている。

 喉の奥に刺さった小骨のような、小さいがそれでいて取れない違和感が俺を支配している。


 まぁ考えても仕方が無い、か。

 明日も学校だ。寝るとしよう。


 電気を消した。



 ☆


「おはよう」

「よう唯斗!今日も遅せぇな!」

「遅刻はしたことないし、成績の上でも学年でも一桁の常連だ。よって問題はない」

「チッ、そういやお前優等生だったな」


「おはよう、柊くん」

「おはよう」

「おはよう、委員長に二階堂さんも」


 挨拶を返して、席に座る。そして、軽く周りを見渡して考える。一緒に登校するのを約束していない日は何時も俺より早くについている氷華がいない。

 氷華はまだ来てないのか?


「あら、柊くんは聞いてないのかしら?」


 何がだ?

 俺は怪訝な表情をしていたのだろう。二階堂さんは言葉を続けた。


「あぁ、聞いてないのね。あの子、お爺さんの三回忌で休みなのよ」

「そうなのか」


 ……何故か、この状況にとてもデジャブを感じる。前もこんな事があったような。


『宮畑さんは今日、家庭の用事で休みです』


 そう、確か百合ちゃんがこんな事言ってたような……。

 その後風の噂で知ったのだがどうやら氷華は法事で休みだったらしい。お爺さんの、とも聞いた。


 ────今はその状況に酷似、いや、時期的にも考えて存在しているのがおかしい筈なのに、俺にはその記憶が無かったものには思えない。


「……今日ってさ、何月何日だっけ?」


 昴に問う。


「あん?おいおい唯斗、何日はまだしも何月はやばいだろう。まだ寝ぼけてんのか?」

「あー……そうかもな」

「はぁ、まぁお前は時々訳の分からない事を仕出かすからな。今日は七月十九日だよ。ったく、これでいいか?」


 七月十九日?

 俺の誕生日は九月の二十三日だ。つまり……

 俺はまだ十五歳ってことか?

 いや待て。俺は夏に氷華と祭りに行ったし文化祭も楽しく終えた。


「おい、どうしたんだ?顔色悪いぞ」


 いや待て、おかしい。

 いや、なんでそもそもここでおかしいという考えが生まれるんだ?

 今日は七月十九日で。まだ俺の誕生日では無い。それが当たり前の筈なのに。

 だが、俺の中には十六の誕生日を祝ってもらった記憶がある。

 あの日は父さんも早く帰ってきて家族全員でケーキを囲んだ筈だ。


「あぁ糞、頭いてぇ……」


 ガリガリと頭を掻き毟る。


「おい、おい唯斗?お前今日なんかおかしいって。休んだ方がいいんじゃねぇの?」

「あぁ? いや母さんに怒られるかも知れねぇし、早退すると俺の評価が下がるだろ」

「いや、体調悪いなら仕方ねぇだろ!」


 その時、ちょうどチャイムが鳴って百合ちゃんが教室に入ってくる。


「はーい、HRを始めますよー。席について下さーい……と、どうかしましたかー?」


 百合ちゃんがこちらに気づき声をかけてくる。


「いえ、なんでもな」

「あー、こいつ体調悪いそうなので保健室連れてきます」

「そうですか、なるべく早く帰ってくるようにして下さいね」

「了解でーす。おら、唯斗行くぞ」


 否定して教室に残ることも出来たが面倒臭かったから辞めた。熱だけ測って帰ってくればいいだろ。




「失礼しまーす。一年七組の柊です。体調不良で熱を測りに来ました」

「はい、そこに体温計あるから勝手に測ってちょうだい」

「うーす。……昴は帰ってもいいんだぞ?一限目げんげんの数Aだろ?戻った方がいいって」


 体温計を脇に挟む。

 因みに"げんげん"とはうちの高校で一番厳つい教師だ。声もでかく考えも古臭い為大概の生徒に嫌われている。何故体育ではなく数学を担当しているのが不思議に思われている程だ。


「いや、寧ろサボれるじゃん。病人の介護って言えばアイツもなんも言えねぇって」

「まだ病人と決まったわけじゃないんだけどな……」


 その時、ちょうど体温計が鳴った。


「えーっと……熱は……」


 液晶には38.5という数字が表示されている。


「おい、お前普通に熱あるじゃねぇか。しかも結構高ぇし」

「……帰りまーす!」


 俺はなげやりに保健室の先生に言った。


「はいよ。アンタ七組だったっけ?いま担任って百合子先生よね?」

「はい。多分……今の時間なら一限目の教室に移動してるか職員室にいると思います」

「じゃあ荷物纏めて帰りな。伝えておくから。あとこれ、後で先生に書いてもらって生活指導に提出ね」


 そうして、『早退届』と書かれたプリントを渡される。


「分かりました。……じゃあな昴。付き添いありがと」

「おう、テストも再来週だしまた後でプリントとか持ってくからな」

「あぁ、頼むわ」

「はいはい、そういうのは廊下で歩きながら言ってちょうだい。ここもそう広くないんだから」

「はい、失礼します」

「失礼しまーす」


 廊下を歩く。チャイムは既に鳴っていて一時間目の授業は始まっている。授業中に外に出ているなんてそう経験した事が無かったため、背徳的な気分になる。


 俺も昴も会話が無いだけで気まずくなるような間柄では無い。でも今はなぜか落ち着かない。陰鬱な気分だ。


「……どうしたんだよ、いつものお前なら『帰れるヒャッハー!』みたいな感じなのに。そんなに体調悪いのか?」

「いや、別にそんな訳でもないんだが……」


 なんというか気分が悪い。身体の中に変なモヤモヤがある。


「まぁいいや。明日には治せよ?愛しの氷華ちゃんが心配するぞ?」

「既に二階堂さん辺りから連絡されてると思うんだがなぁ」

「確かに。明日何かしら言われるのは変わりねぇな」

「そうだな」


 教室に着く。


「おい!既に授業は始まっているぞ!早く席に着け!」

「こいつの付き添いしてましたー早退するそうでーす」

「早退しまーす」


 そう言って俺は早退届をげんげんに渡した。


「何ぃ?……三十八度もあるのか。荷物纏めて帰れ」

「うぃーす」


 げんげんは手馴れた様子で早退届に色々記入していく。机に出していたのは筆箱だけだった為、帰りの用意はすぐに終わった。


「家に着いたら職員室に家に着いたという報告の電話を入れること。いいな?」

「うす」

「安静にして寝てろよ」

「うす」


 教室を出る時、昴と委員長、二階堂さんは小さく手を振ってくれた。




 カシャンカシャンと軽い音をたてながら大通りに沿って自転車は進む。

 それと同時に俺は今日感じたどうしようもない違和感について考える。


 俺の知っている筈のない記憶。それが幾つも頭の中に存在している。

 考えれば止まらない。

 思えば次の期末テストの内容すら思い出せる。いや、思い出す、という言葉さえ当てはまらないのか。


「あぁ、くそっ」


 今は周りの目も気にならない。注目されようとも、声に出してこの気持ち悪さを少しでも発散させないとどうにかなりそうだった。


「どいつもこいつも同じような面しやがって……」


 自分がこんなに苦悩しているっていうのに、道行く人々は虚空を見つめながら歩き去っていく。その顔にはひとつの感情も写しておらず────


「ひっ……!?」


 いや、同じだ。同じような、じゃない。全員同じ顔をしている。

 目、鼻、口、眉。顔面には必要最低限のパーツがあるだけで全員の顔には個性の欠片もない。髪の毛が長いか短いか、それだけで男女を見分けなければならないほどだ。


 自転車のギアを上げてペダルを強く漕ぐ。

 気持ち悪い、気持ち悪い。

 今はここから一刻も早く離れたい。


 人がいないと見越して、入ったことのない小路地に入る。そこは先が見えないほどまっすぐ続いていて、抜ければ相当遠くへ行けると判断出来た。


 俺は自転車のギアをMAXにした。





「はぁっ、はぁっ、」


 そろそろ路地を抜ける。車の走ってる音からして、抜けた先はなかなかの大通りらしい。 まぁそんな事はどうでもよくて。

 ただただあんな所から離れればそれでいい。それで良かったのに。


「…………なんでだよ」


 出た場所はさっきと同じ。俺のいつもの通学路。


「なんでだよ、なんで、なんで」


 あの小路地にはひとつも曲がり道なんて無かったし、別れ道で曲がることすら無かった。

 俺が分からない程に少しずつ道が曲がっていたという可能性もあるがそんな道を造る意味は無い。


 全身をこれ以上無いくらいの悪寒が貫いた。


 これ以上ここにいたら頭がおかしくなりそうだ。いや、もしかしたら既におかしくなっているのかもしれない。

 逃げなきゃ。何処か遠くへ。


 今財布には約八千円。交通系ICカードには四千円ほど。

 安いバスを使えば相当遠くまで行ける。


 決めれば早かった。行く先をシティエアターミナルに変更する。

 後の事なんて何も考えなかった。

 逃げなければという強迫観念に突き動かされて自転車を漕ぐ。



 ☆



 チケット売り場に着いた俺はスマートフォンで今日の運行予定を見る。受付の人間もあの顔をした奴だった。

 値段が高い上りは除外。下りのバスを選びなるべく遠い場所が到着地となっているものを選んでチケットをとる。

 何のイベントも無いただの平日だった為、席自体は空いていて特に時間をかけるわけでも無くチケットはとれた。


 発車は二十分後。時間を潰す為にSNSを開きニュースを見る。


 掲載されていたニュースは政治家の不倫、芸能人の結婚についてのスクープ、サッカーの試合結果。最新のニュースはそんなものだったが、どれもこれも、全て俺が見た事のある、存在を知っていたものだ。読み進めていっても俺が知っている以上の情報は無かった。


「くそ……」


 気持ち悪い。今にも倒れてしまいそうだ。




 ピーンポーンパーンポーン、と軽いチャイムが鳴ると、アナウンスが流れる。


『九時四十分発、鳥取行きバスが到着します』


 程なくして、二台のバスがステーションに着いた。


 俺は学生鞄を肩に掛け直して、チケットを見せバスに乗り込んだ。指定された窓際の席に座り、靴を脱ぐ。

 予定では三時間後に着くはずだ。


「……はぁ」


 思わず溜息をつく。今さら後悔してきた。

 このバス代があれば焼肉食べ放題にでも行けたのに。

 さっきまでの俺はどこかおかしかった。

 何故か得体の知れない恐怖に襲われて。

 逃げることしか考えれなくて。


 いや、そんなの今更だ。なんの問題もなく到着したら思う存分遊んでやる。どれだけ母さんに怒られても構わない。


 そこまで考えて俺は目を瞑った。三時間もあるなら少しの仮眠には十分だ。途中でいくつかサービスエリアに止まるだけで途中下車はない。寝過ごしても運転手が起こしてくれるだろう。

 バスが動き出す。


 いつの間にか、俺の意識は途絶えていた。



 ☆


 目が覚めるとバスは止まっていた。

 着いたのか? なら起こしてくれても良かっただろうに。


 降りる途中、チラリと見えた運転手の顔が何度も見たあの顔で。

 俺は逃げるようにしてバスを降りた。


 周りを見渡してヒュッと息を呑む。


 変わっていない。移動すらしていないのではないか。

 シティエアターミナルから発車して到着地がシティエアターミナルとは笑えない。


「どうなってんだよ……」


 これは何処へ逃げても意味が無いという暗示なのか。


「畜生、俺にどうしろって言うんだよ……」


 異世界にでも逃げればいいのか?


 その言葉を思い浮かべた途端、尋常ではない頭痛が襲い掛かってきた。


「ッ!?」


『ようこそ勇者様方!!!!』『甘い、甘いぞ少年。だがその甘さ、嫌いじゃない。しかしだ、私は引く事は出来ない。最後は武人として終わらしてくれ、少年』『私は既に死んでいる身。今更この世界に未練など持っておらんわ』『なに、其方ならば我が主を救ってくれると思ってな』『そうだ、少年。私の剣を貰ってはくれまいか? 持ってるだけでいい。甘く、優しい其方のような者にこの剣を持っていて欲しい。私が生きていた頃は皆が皆悪鬼のようなものだったからな。己が為と言っておきながら気にしてしまうような其方に私を覚えていて欲しい。我が儘なこの願い、聞き届けてくれんだろうか』『.......我を斃したんだ。我が主を、頼んだぞ、人間』















『だから、少しいい夢を見ていておくれ』









 異世界バース。旧魔王城。デュラハン。皇龍アルカイド。


 エリア・レイアルラ。


「全部、思い出した」


 あの王の顔も。王城の景色も。握った聖剣の輝きも。デュラハンが託した言葉も。

 そして、最後に見たあの少女も。



 すると。

 いつからか俺の目の前に氷華が立っていた。


 氷華は少し不機嫌な様子で言う。


「言ったでしょ? 私だけを見ていてって。驚いたよ。ああやって言ってからたった一日で気づかれるなんて、本当に思ってなかったんだからね。もう、唯斗くんは私との約束を守ってくれないんだね」


 腰に手を当てた「私怒ってますよ!」と言わんばかりのポーズだった。


「は、ははっ。よく言うぜ。俺の純情を弄びやがって。なぁ、エリア・レイアルラ」


 俺がその名を呼ぶと氷華はにんまりと満面の笑みを浮かべて、クルリとターンをした。


 一回転が終わる時には気がつけば氷華の姿は褐色の少女へと変わっていて。


「まぁ、驚いたのは本当だ。今の余じゃ其方を"消化"するのに時間がかかるのにこんなに早く目覚められてはな.......。普通、こうやって他人に化けて惑わすなんて事はしないのだが.......まぁ、今回は特別だ。其方を喰えなければ余はおしまいだからなぁ。まぁでも、それも全部意味がなかったがな。正直、打つ手なしだ。殺せ。余を殺せば其方もこの世界から出ることが出来るぞ。まぁ、何回目で死ぬかは分からんがな」


 前回会った時のように、奴は両手を広げた。

 隙だらけだ。多分、今ここで武器を『生成』

 して斬りかかっても奴は抵抗ひとつしないだろう。


 奴を殺せばこの世界から出られる?

 ふぅん。

 ところで、俺は人の言う通りに動くことがあんまり好きじゃないんだよな。


 俺は満面の笑顔で言ってやった。



「嫌だね。『万物理解』」



 お前の事を全部暴いて完璧にこの世界を攻略してやる。


 そう考えて『万物理解』を発動した途端、世界が暗転した。

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