のら犬に餌付けされたドラゴン
ドラゴンの朝は早かった。
日が照りだすとぱちりと目を開け、翼を広げて空を舞う。
少しばかり空を散歩すれば、鹿だ、猪だと生きのいい獲物が見つかるので、空から落ちるように襲いかかる。
魔力で少しばかり威圧してしまえば竜を前に自由に動ける相手はいない。
簡単につかみとって、後はブレスで焼き上げればそれで豪勢な朝ごはんに変わる。
ご飯さえ食べてしまえば後は昼寝の時間だ。
お気に入りのふかふかした草の生えた場所で陽光に撫でられながら、夕方までのんびりするのだ。
朝の獲物が大物ならそのまま残りを食べて眠り、そうじゃなければまた襲いに行くだけだ。
食べる、寝る、食べる。
それだけの日々ではあったが、不満もないし、文句を言う相手もいない。ドラゴンには親も仲間もいないのだ。
ドラゴンは神が作った世界の調整者だ。
魔族の王である魔王や、人族の守護者である勇者。両者がおのれの領分を超え、相手の種族を滅ぼさんと行動した時、相手側に協力するのが役目だ。
強い魔力と様々な魔法を行使でき、何よりも剣を弾く強靭な鱗を持っている最強の存在。
不死ではないが、死ねば再び女神がドラゴンを作るだろう。
だから、世界にドラゴンは1人だ。
まあ、ドラゴンは巨大だし、よく食べる。なので、近くで何人も住んでいると、あっという間に山や森に獲物がいなくなってしまうだろうから、1人だってしょうがない。
それに気楽だ。誰に憚ることなく好きに生きられるんだから。
そんな、人間で言うなら独身貴族生活を送っていた。
送っていたのだが――
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「どらごんさん、おはようございます」
巨大な蓮の葉に穴を開けて蔦で結んだだけの衣服とも言えない服を身につけた幼い少女が耳元で挨拶をしている。
ぼんやりとしたゆるい眠気にまどろんでいたのに子供の声は耳によく響く。
起きるまで繰り返す挨拶は返事をするまで何度でも繰り返される。
根負けするのはいつだって俺の方だ。
「おはよう! ございます!」
「……ああ、おはよう」
ただ挨拶を返しただけなのに、きゃっきゃとなにが楽しいのか、俺の顔の周りをウロウロうろつき、目を開けるとこちらを覗き込む。
「ご飯! これ私も食べていいですか!?」
「まだ量は残ってるだろう。好きに食べろ」
しっかり焼けて焦げていない部分を差し出すと、喜んで食べだす。
森で拾った冒険者の錆びたナイフを片手に、斬るというよりは削ぐようにして肉を一口、二口と食べている。
「これも食え。偶然落ちていた」
肉だけでも生きていけるドラゴンと違って、人間はゴブリンと同じように雑食で野菜や果物を食べなければいけないらしいのだ。
「どらごんさん、果物は枝付きで落ちてないですよ!」
「はん、お前はまだまだ物を知らないようだな。俺の降りた時の風で落ちたんだろうさ」
そう言ってやったのに、嬉しそうに笑って果実を口にする。
「あまいです! どらごんさん!」
「そうか」
「どらごんさんもどうぞ!」
「あ?」
なにも返事をしていないのに、押しこむように口に果実を押し付ける。
しゃりしゃりと噛み潰すと甘い汁が口に流れる。
「おいしかったですか?」
「ああ、まあまあだな――ノラ」
のら犬のノラ。
森で拾った人間の女。言葉を覚えだしたくらいの、小さな人間の中でも更に小さい子供の女。
茶色い髪はボサボサで手足は擦り傷と土に汚れている。
けれど、なにが嬉しいのか満面の笑顔が浮かんでいた。
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出会いは森の中だった。
その人間は1人で、ゴブリンに襲われようとしていた。
人間が死のうがどうでも良かったし、ゴブリンは血が臭い。
近寄れば追い払うが、好んで食いたい相手ではない。
だから、普段であれば見なかったことにして飛び去るところだ。
けれど、その時はただそういう気分だったのだ。
ずっと暇で暇でしょうがなかったからかもしれない。
蜘蛛の糸にかかった蝶を外してやるような、善意でもなんでもない、ただの気分。
ゴブリンの後ろに着地して、爪でちょいとなぎ払う。
それだけでゴブリンは木に飛んでいき、ぶち当たると弾けて辺りに血と肉を撒き散らす。
人間の子供はその様子にぱちくり目を瞬かせていたが、俺はそれ以上に、手についた血の臭いのほうが気になっていた。
スンスン、うえっ。
「ああいやだ。さっさと川で洗おう」
助けた時点でもうなんとなく良いことをしたような気分になって、でもその瞬間、爪についた血の汚れに憂鬱になった。
やめておけばよかったと思っていたら、人間の少女は俺の顔の前までやってくるとペコリと頭を下げたのだ。
「たすけてくれてありがとう!」
「……別に」
そう言って背を向けようとしたら、少女は慌てて追いかけてくる。
「どこにいくの?」
「川に行って、洗ったらすみかに戻る」
「わたしもつれていってください!」
はあ? 人間がなにを言っているんだ。
ドラゴンの住まいに来るなんて正気か? だが、その目はすがるような逃すまいとする目で、『そういえば俺は暇でしょうがなかったんだ』と思い出した。まあ、ガキなら寝首もかかれまいと拾い上げたのだ。
「おまえ、名前はなんて言うんだ」
空を飛びながらの会話は風に流されて途切れながらだったから、え……ノーラと聞こえた。
「のら犬のノラか」
「うー」
後から聞くとノラじゃないと言われたが、人間の名前なんて2つも3つも覚える気はない。
俺はノラとしか呼ばないし、お前はノラと呼んだら返事をしろというとはいと返事をしたからそれからはノラがあいつの名前になった。
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そうして、出会いが春で、今も春。いつの間にか季節は一巡した。
時間が立つのはあっという間だ。
人間は脆弱で狩りも一人前に行えないし、冬なんて寒さに震えて抱きついてくるから石に火を拭いていちいち住処を温めてやらないといけない。
全く面倒なことだ。
だったら何故面倒を見るのか? 結局は情が移ったのだろう。
餌を用意して世話してやった奴を捨てたり死なれたりするのは気分が悪い。
目の前で楽しそうに何かの歌を歌ってゆらゆらと体を動かしているノラが魔物に襲われてぐちゃぐちゃに殺されたり、飢えて死んでいるところを想像するとムッと来るのだから。
「どらごんさん」
「なんだ?」
「ずっといっしょにいてくださいね?」
「覚えてたらな」
もっとも、なんでも覚えられるドラゴンの知能に、忘れるという機能はないのだけれど。
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それから数日がたったある日、ノラがご飯を吐いた。
肉を食べさせても、野菜を食わせても、果実をすりつぶして口にさせてもダメだ。
顔は真っ赤で、肌はいつもより熱くなっているのに、ノラは震えるのだ。
「どらごんさん、さむいです」
「ちかくにいてください」
「これでおわかれなんですか?」
「さむい、さむいです」
なにもできない。
優れたドラゴンの感覚が、ノラがだんだん弱っていっていることを教えてくれる。人間の生態なんてわからない。知らないのだ。
だが全く心あたりがないわけではない。
おそらく病だ。
ドラゴンがかかる病気は存在しないから、中々思い浮かばなかったが、そういう状態異常があるのは知っている。
怪我でも毒でも麻痺でも、魔法で直してしまえるが、何故か病は癒やしの力では治せないのだ。
医者だ。人間ならば人間の病を治せるだろう。
ノラを生かしたいなら人間の街に連れていかなければならない。
――人間は好きじゃない。奴らは力が怖いのだ。ドラゴンを恐れて兵を向けるのだ。
それにドラゴンの血などの体液も、鱗も目も牙もすべてが高価だ。欲にかられる人間も多い。
だが、俺には使命がある。俺自身がバランスを崩すわけにはいかないから、数人なら無視して、数十人なら追い払い、でも、軍が来たら飛んで逃げなければいけない。
「どらごんさん」
「なんだ」
「いままで、ありがとうございました。わたしにとって、どらごんさんは家族でした。だいすき、でした」
弱った体で、ぽつりぽつりと途絶えながらか細い声で、そう言った。
すべてが過去の事のように話される。
お別れを伝える気なのだと、そう思った。
ノラのくせに自分は気持ちよく別れを伝える気らしい。
こっちはお前を助けるために……と悩んでいるのに。その態度に腹が立ってきた。
一言助けてと言えばいいのに。
「その先はいらん」
「え?」
「必要なくなる」
俺はノラが布団にしている死んだ冒険者の残したボロ布で包むと、そっと口で咥える。
モゴモゴ動いているのを感じて、『まだまだ元気ではないか』と呆れる。
だが、体力はだんだん下がって止まらない。
余裕はさほどない。
俺は大きな翼を広げ、飛び立つ。
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ソーシアン皇国の辺境伯、オスヴァルト・フォン・レープマンは隣国にも知られる皇国最高の武人の1人だ。
戦争となれば先頭にたち、槍の一振りで十の兵士を倒すことから死神槍のオスヴァルトと呼ばれている。
そんなレープマン領には趣味と鍛錬を兼ねた狩用の森があり、今日もそうして楽しんでいたところだ。
成果はそれなり。美味である、ヒーリングバニーが手に入ったのは嬉しい。
蕩けるような肉は想像するだけでヨダレがでるほどなのだか――
そのとき、頭上を覆うような大きな影が森にかかり、巨大な何かが木を押しつぶすようにして降りてくる。
「貴様、貴族だな」
そこには世界で一匹だけの最強の存在であるドラゴンがいた。
強力な魔力は確かに魔王や勇者に匹敵するに違いない。目が合うだけで、武人であるはずの自分すら体が震えてくるのだから。
死神と呼ばれた俺の死神役はドラゴンか。さすがだな。
「お願いがあってやって来た」
どうやら彼は私の死神ではないようだった。
それどころか、幸運の神かもしれない。
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街に向かう途中、森で大勢の従者と、作りのよく派手な馬車を連れていた男を見て、貴族に違いないと確信した。
人間社会は面倒で、直接医者に連れて行って直してくれるかはわからないし、腕の善し悪しは更に不明だ。だが、貴族に話を通せば、良い医者に見せてくれるに違いない。
鱗のひとつでもくれてやれば喜んで従うだろうし、従わないなら脅すまでだ。
それなりに頭が回れば人を直す程度で領の安全が買えるなら安いものになるだろう。
そう、髭の長い貴族の男に伝えると、それまではブルブルと震えていたのに、今はもう、得られる利益を計算しているようだ。
「ドラゴン殿。あなたのの願い、必ず叶えよう。それで、その子はどこに」
「これだ。ノラを必ず治せ」
男はノラを見ると『これは……』と驚く。
まあ、葉っぱでできた服を着て、体は汚れ、病に弱っているのだから、拒否感を示すのもしかたがないのかもしれない。だが。
「例え汚れた体であろうと、ドラゴンの願いであることを忘れるな」
「もちろんです」
男はノラを抱き上げると馬車の中に運ぶ。
その動きは令嬢を扱う優しく丁寧なもので、ひとまず安心する。
「それでは早速我が屋敷に運び、治療を行います。3日もあれば治る病です。私の名はオスヴァルト・フォン・レープマン。私の屋敷はここから南に真っすぐ行ったところにございます。一緒に行きますか?」
「よい。ドラゴンが屋敷に来たとなれば余計な混乱を起こすだろう。3日だな? そのくらいたったらまた来よう」
「はい、お待ちしております」
治せなかったときに俺がこの領になにをするか。
その想像がないはずもないだろう。だが、オスヴァルトは涼しい顔をしている。
もしかしたら、もう病の正体と治療法にあたりが付いているのかもしれない。
――ならばいい。
弱っているノラと、笑顔のノラが脳裏に浮かぶ。
どちらであってほしいかなど決まっている。
拾ってから初めてノラから離れる。
それが妙に寂しく感じている自分に気づき驚いた。
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「どらごんさん、今日のごはんですよ!」
「――ああ」
三日後に会いに来ると、ノラは元気になっていて、俺に抱きついてきた。
汚れていた体は綺麗になっていて、衣服も絹でできた白い服に変わっている。
鼻をノラの体に押し付けると、花の香りがした。
なるほど。人間はだいぶノラに丁寧にしてやったみたいだ。
そうとなれば、ノラは人間に任せてしまったほうがいいんじゃないか。
そんな気持ちも湧いてくる。
「ノラ。お前はここにいたいか?」
「――置いて行かないでください!」
頭の角にギュッと抱きつかれる。人間の力なんて簡単に振りほどけるだろうが、そうする気にはなれない。
「森も良かったが、街で暮らしてみるのも良いかと思ってな」
「本当ですか!?」
オスヴァルトに街の近くに住むと告げると、驚くような顔をしてから、街から半刻分も離れていないところにある屋敷をもらった。
誰も住まなくなったという屋敷はオスヴァルトのものと比べれば小さめだったが、ノラには十分すぎるほどだったし、屋敷の裏には広い庭があって、そこを俺用の寝床に作り変えると言っていた。
柔らかくしろ、雨に濡れないようにしろ、空から降りてすぐ入れるようにしろと散々注文をつけてやったが、その次の日には大工がたくさん集まり、数日で作り上げていってしまった。
こうして俺達の街での生活が始まった。
食事は俺が取ってくることもあるが、毎日街から運ばれてくる。
屋敷にはノラを世話する人間が何人かいるようで、そいつらと肉を料理するのだ。
今まではブレスで焼いて食べていた。ただ、はきつけられた炎は高温でしかも短い時間で焼いているため、表面は焼けていても中は生焼けだったり、焦げて苦かったりする。
別にそれでも食べれるのだからいいと思っていた。
だが、俺にと振る舞われた肉は何倍にもうまかったのだ。よくわからない黒い粉と塩をふるだけでぐっとうまくなるのだから不思議だ。
果物も森では手に入らない様々なものが出てくる。
大量の肉に果物に。それをノラが俺に毎日運んでくる。
今と比べたからわかるが、森で生きていた時のノラは髪はボサボサで、肌もカサカサ。体も痩せていた。
今のノラは体は全体的にふっくらとしているし、毛並みは艷やかで匂いもいい。
体は清潔で、ひらひらとした白の衣装はどことなく愛らしさすら感じる。
そんな風に、オスヴァルトには色々と恩を売られた形になるが、奴は対価を要求してこなかった。
鱗で払ってやろうと思ったのに、受け取りもしない。
毎日重なる貸し。だが一度肉の味を知ってしまうと離れがたい気持ちがあった。
仕方がない。
人間たちの噂を集め、街道に現れる盗賊団を潰したり、冒険者では敵わない強い魔物を食い殺したりして返してやる。
ただに見えるモノのほうが高くつく。
うまくやるものだ。
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「どらごんさん! わたし、大人になりました!」
夜になるとすぐに眠そうにするノラに、子供だとからかってやった次の日だった。
嬉しそうに駆け寄ってきたノラからは血の臭いがした。
何故嬉しそうにしているのか、どこを怪我したのかと探ると股から臭いがしたから治そうとすると抵抗される。
「わっ、やめてください。ちがうんです!」
何が違うというのか。鼻で突いて草の上に押し倒した。
舐めてやって回復魔法を唱えてひと安心すると、何故かバシバシ叩かれて逃げられた。
やめろ、目を狙うな。流石に痛いぞ。
なにが悪かったのか?
その日も次の日もノラじゃなくて屋敷の人間が肉を届けに来たから、状況を説明して何が悪かったのかと聞いたらデリカシーが無いと責められた。
「ドラゴン様には女の子について知ってもらう必要がありますね」
人間の女について授業が始まった。
なるほど。悪いことをした。
屋敷の女に伝えてノラに会いたいと伝えるとようやく顔をだした。
「すまんな」
「別にいいですよ。どらごんさんなら」
「それとおめでとう。良い子を産め」
「ハイ!」
元気よく返事が帰ってくる。笑顔も戻ったようだ。
拾ったころはいつ死ぬか心配なくらいだったが、最近は『ノラ様はいつも明るくて元気がもらえますねえ』と屋敷の女が言っていた。
しかし、相手が必要か。番には1人ではなれないからな。
だが、ふうむ。ノラをくれてやってもいいと思うような奴は思い当たらない。
俺相手でも気圧されないやつじゃないと認める気にもならないが。
そんな奴はいるだろうか。いないかもしれない。人間なんかに。
だとしたら一生――。
「ああ、相手がいないか」
そう言うとまた怒って行ってしまった。
なるほど。これが反抗期か。
事前に聞いておいてよかった。そうでなければショックだったかもしれない。
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人間の街で暮らすようになって数年がたった。
慣れてくると欲が出る。街で金の使い方を覚えて、盗賊や魔物を退治すればたくさん手に入ると知ってからは甘味を買い漁ったり、香辛料を自分で仕入れてノラに作らせたり、衣服を買ってやったり。だいぶ充実した生活を送ることができるようになった。
人間の生活は森や山よりずっと刺激的で、満たされていた。
ノラはなにをやっても喜び、笑顔を見せた。
「ノラ。お前、竜の巫女などと呼ばれているようだな」
「そうなのですか?」
森からドラゴンとやってきて、食事を世話して、代わりに盗賊や魔物を倒させている。ドラゴンを人の味方をさせている聖女だと噂されていた。
「少しは周りに耳を傾けろ。人間社会でやっていけないぞ」
「どらごんさんの言葉は全部覚えてますから!」
「俺はお前の言葉なんて覚えてないがな」
「じゃあ、覚えておいてほしいことは何度も言いますね!」
『だいすきです』と言って、俺の顎の下に唇をつける。
それは逆鱗と呼ばれる部位で、敏感なところだ。妙に柔らかくなんとも言えない気持ちになる。
最近のノラは悪い子になってしまった。
俺を困らせると嬉しそうに笑うのだ。もっともっと困らせてやると笑うのだ。
「おぼえてくれましたか?」
忘れたというとまたされたので、覚えたと返した。
だけどもう一度とまたされた。
ノラは段々と美しくなってきた。
ドラゴンの俺ですらそうであるとわかるのだから、年中発情している人間の雄など、言うまでもない。ドラゴンにも気圧されない男がいいといったが、貴族を名乗ったり、冒険者だったり、勇者を自称する者が顔をだすようになったのだ。
大抵のものは震えながら俺の前に来て、『娘さんをください』などとたわ言をほざくので吠えて追い払う。竜の咆哮に恐怖を喚起しないものなどいないのだから。
「どらごんさんはいつもおいはらっちゃいますね」
「ふん。気に入らない奴らだっただけだ」
「ずっと気に入らないでくれるといいんですけど」
そうだ。むきになっている。
誰かにやりたいだなんて思わない。俺が拾ったんだ。
ノラはずっとずっと俺と一緒にいればいい。
ああ、出会った頃からノラの笑顔を見続けているはずなのに。
今では空高く輝く太陽よりもきらめいて見えてしまう。
渡したくはない。
だが、噂は聞こえてくる。竜の巫女は誰を選ぶのか、と。
隣国の王子にまで求婚されているのだと。
はやく、早くなんとかしなければ。
だから、結婚して退職しますと挨拶に来た屋敷の女に聞いてみたのだ。
結婚とはどうやってするのかと。
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「どらごんさん、なんですかこれ」
「指輪だ」
「……綺麗な宝石ですね」
「うむ。竜眼石と言って竜の瞳のように赤く透き通っている石だ。名前を聞いてからこれしかないと思って探してきた」
「それで、これは一体?」
「ああ――その、勘違いするなよ? いや、そうではない。ごほん」
勢いをつけるべく咳をすると、正面にたっていたノラが倒れそうになる。
ああ、そんなつもりではないのに。
決心した、宝石を探す間ずっと考えていた。なのに言葉がうまく出てこないのだ。
なんと不甲斐ない。
「だ、だいじょうぶか?」
「だいじょうぶです、どらごんさん」
「だから、あ――人間は、指輪のプレゼントに特別な意味を込めるらしいな。俺も倣って見ることにした。人間のものになどなるな。死ぬまでずっと俺のものでいてくれ」
ギュッと目を閉じ、ただ、返事を待つ。
ノラにだって欲はあるはずだ。人とともにありたいと願っていてもおかしくない。なにせ俺はドラゴンだ。抱きしめられることはできても抱きしめることはできない。
今までだってろくに優しい言葉をかけてやったこともなければ、ほめてやったこともない。
人間の男たちはメスを美しいと褒め称え、アレができる、これを持ってると口説くのだから。
恐る恐る片目だけ開けてみると、ノラは眼をぱちくりさせて驚いていた。
まさかそんなって顔をしていて返事に恐怖する。
恐れていた。ドラゴンである俺が。
でも、断られたら俺の隣からいなくなってずっともう戻らなくなってしまうのだ。
俺は誰と食事をわけ合えばいいのか。
誰が俺におはようと言って、おやすみと返すのか。
自分が1人森に戻る時を考えて――
「どらごんさん。人間のプロポーズに『俺のために毎朝味噌汁を作ってくれ』っていうのがあるんです」
「なんだそれは?」
「お味噌汁を作るのは奥さんの役目なんですよ。ドラゴンさんは飲みませんけどね」
ぐっと喉が詰まる。言ってくれれば飲んだのに。
やはり、普通の人間がいいのだろうか。
「どらごんさん。毎日、私が用意したお肉を食べてくれますか?」
「ああ。あたりまえだろう」
そう言って首をかしげる。ノラの用意した肉を食べなかったことはない。
ん?
「それは、毎日作ってくれるということか?」
「そう言いました!」
なるほど? だがいいのか。ドラゴンは何一つ忘れないぞ。
顔を赤らめたまま、恥ずかしそうに身悶える様子はとてもかわいらしく、初めて見る表情だった。
じっとノラを見つめていると、ノラから近づいてきて、背伸びをすると、口を合わせてきた。
逆鱗と違って実は感覚は薄いが、気分は良かった。
唇と唇は愛しあうものがするのだと聞いていたから。
ああ、これでもう心配はない。
ずっとノラと一緒にいていいのだ。
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「王命ですか」
「ああ。魔王が現れた」
魔王が世界を征服すると宣言をした。
この世界には魔王と勇者がいて、けれどお互いの力はほぼ互角のはずで、たとえ相手を倒しても、更に侵略を行う余力はなく、お互いの領域を奪ったり奪われたりの繰り返しだ。
だが、今回の魔王は規定外らしい。
魔王の全力の一撃は国を守る勇者ごと吹き飛ばしてしまった。
そして、それで終わることなく侵略を開始している。
和解も降伏も全て無視され、人間を虐殺しながら歩を進めている。
いずれこの国にもその手は伸びるだろう。
行き過ぎた魔王を止めるのは使命である。
使命に従わないなら生まれた意味がない。今までの生はその時のためにあったのだから。
「どらごんさんは人間じゃありません」
魔王がノラになにをするか。いつか自分がゴブリンにしたみたいに、ぐちゃぐちゃにされて死んで、二度と笑わなくなる。
「でも、ノラは人間だ」
今までなら使命を仕方がないものだと思っていただろう。
だが、今は違う。ドラゴンでよかった。
力があるから。戦いができるのだから。
「じゃあ、わたしも連れて行ってください。――私の用意したお肉、食べてくれるんですよね?」
「すまん」
「約束したじゃないですか!」
守るためだと、なだめても、離さないとすがりつかれる。
ノラが俺に抱きつく時幸せな気持ちに慣れていたのに、いまは離れることが悲しかった。
それで思い出したのだ。戦場に向かう戦士が、行かせまいとする妻を納得させる方法を。
「人間の男は、戦に行くとき、愛している女を抱いていくと聞いた」
「どらごんさんは人間じゃありません……」
「だが、人間にはなれる」
ドラゴンは強大な魔力とあらゆる魔法を操る力がある。
人化だって可能だ。
輝きが体を包み、あとには1人の人間がたっていた。
端正だが、真っ赤な瞳と、ドラゴンの鱗と同じ緑色の髪をしている。
「変身なんて出来たんですか」
「ああ。焼いてもらったお菓子をどうすればたくさん食べれるかと考えていたら、な」
人間になれるようになって、街で色んな買い物や、噂話を聞くようになった。
ギルドに魔物の体を売りに行き、金を稼いだりした。
ノラの服や、宝石を用意した後、指輪を作ってもらったのも人間の姿で街に行けたからだ。
「どうりで色々仕入れてくると――オスヴァルトさんに用意してもらっていたんだとばっかり。なんで秘密にしていたんですか?」
「――初めて街に降りた時『アンタ変な髪と眼をしてるね』と言われた」
「妙に打たれ弱いのはどらごんさんらしいですね……」
それで? という目でこちらを見てくる。
「俺の子供を守って待っていてくれ」
「やです」
「なんだと!?」
まさかすげなく断られるだなんて思っていなかった。
変だと言われるのも覚悟の上で人の姿を晒したのに。
ショックで心臓が止まりそうなほどだ。
「どらごんさんならともかく初めてあった人間になんて抱かれたくありません」
「俺がドラゴンだ」
「でも、一緒にいてくれたらそのうち納得するかもしれません」
死ぬつもりで行かないでください。
そんな風に願われたなら。
叶えないわけには行かなかった。
「そうか。じゃあ、帰ってこなきゃな」
「そうですよ。戻ってきたら、その分たくさんお肉を食べさせますからね」
「ああ。じゃあ、すぐ帰ってこなきゃな」
いつまでも、そうしているわけにはいかなかった。
これは別れではない。いつもの狩りと同じだ。
魔王を狩って、すぐに戻ればいい。
「いってくる」
「いってらっしゃい」
ドラゴンは空を飛んだ。
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竜の巫女の伝説があった。
巫女は皇女の1人でエレオノーラは幼いころ、魔物に襲撃に合い、ドラゴンに拾われた。
ドラゴンは出会った瞬間に巫女に恋をした。
なにをするにも一緒にいて、巫女に願われ、国を守っていた。
勇者すら打ち破る魔王が世界を滅ぼそうとしたとき、ドラゴンは立ち上がった。
巫女の涙を止めるのだと魔王に戦いを挑んだのだった。
戦いは三日三晩続き、最後まで生きていたのはドラゴンだった。
ドラゴンは女神に願い、人となって巫女の元へ戻った。
竜の巫女はただ一人の少女に戻り、竜とともにどこかに旅立っていったという。