依頼
「それで、」
立ち止まるなりアリタは単刀直入にそう切り出した。
「殺すの? 生かすの?」
手元の書類に目を落としたまま、こちらを振り向きもしない。いわば彼は背中で、返事を求めていた。
アンナは一瞬、口に出すのをためらった。もっと正確には、やっぱりやめようか。昨晩、無理を通してアリタから時間をもらってからというもの、何度も迷い、考えあぐね、どうにか自分なりの理屈を通してしぼりだした答え。今の彼の問いが、その最終確認であるのがはっきりと分かった。分かったからこそ、物怖じせずにはいられないのだった。
隙あらば責任逃れしようとする身勝手な己の性格を、彼女は初めて呪った。
長い長い一瞬。静寂は、自分の声で破った。
やるほかないのだ。
「殺して。」
その一言だけでいいと言わんばかりに、アリタは顔を上げた。依然振り向きはせず、ただ窓の反射越しに大きくウィンクを私に投げる。
承知したという合図と、すぐさまこの場を去れという合図。
私は先程女々しく躊躇を見せた女とはさも別人のように背筋を正すと、踵を返し、アリタの書斎をあとにした。カツカツと履いているピンヒールがリズミカルに音を立てる。私はそれを少しばかり心強く思った。
きっともう二度とアリタを訪ねに来る事はないだろう。これが最初で、最後な予感がしていた。
それでいいと思った。それがいいと持った。