5回目の土曜日:友達の存在
ピピピピ、ピピピピ
静かな部屋に鳴り響く音。
ピピピピ、ピピピピ
安らかな眠りを妨げる音。
ピピピピ、ピピピピ
うーん……
ピピピピピピピピピピピピ
「…………」
ピピピピピピピピピピピピ
……
ピピピピピピピピピピピピ
……
ピピピピピピ……カチッ。
部屋に静けさが戻る。
「う、うーん……」
頭が重い。
窓の外に広がる青い空とは裏腹に、頭の中はどんよりとした曇り空だった。
今日が休日であることを祈りながら時計を見る。
4月30日 土曜日 AM7:13
やった……
まだ眠れる……
週休二日制に感謝しながら、再び目を閉じる。
…………眠れない。
なんだか落ち着かない。
一度起きたせいなのか、それとも朝日のせいなのか、なかなか寝付くことができない。
眠いのに眠れない。
地味に辛い……
かといって寝られないものは仕方ないので、今日の予定を考える。
今日は……何か用事はあったっけ?
うーん……誰かと何かを約束してた気がする。
何だったかなぁ……
しばらく考えてみるけど、思い出せない。
そうこうしている間に眠気も覚めてしまったので、ベッドから起き上がると、机の上のメモ帳が目にとまった。
そこに書かれた『4』という文字が妙に引っかかった。
4……
4個
4人
4回……?
……だめだ。思い出せない。
もやもやした気持ちのまま、一階におりる。
食パンにピーナッツバターを塗り、半分に折って口に運ぶ。
こんな気分だからか、パンの耳のもそもそとした食感が、鬱陶しく感じる。
何気なくつけたTVからは、大物芸能人が婚約発表をしたというニュースが流れてきた。
またこのニュースか。
と思ったその直後に、強烈な違和感が襲ってくる。
僕はこのニュースを今初めて見たはず。
なんだろう。この既視感は。
やっぱり何かを忘れている。
そう思うのに十分過ぎる程強い既視感だった。
絶対に忘れてはいけない、とても大切な何かを忘れている。
なぜか確信できた。
けれど、どうしても思い出せない。
「あぁもうっ!!!」
こんなに清々しい朝なのに、僕の苛立ちは最高潮だった。
ふと窓の外を見ると、小鳥が鳴きながら飛んでいく。
僕は何をしているんだろう。
「はぁー…………」
深く、大きくため息をつく。
とりあえず外に出よう。
このまま家に居たら、おかしくなりそうだ。
適当に着替えて、玄関の扉を開ける。
気温も風も心地いい、快適な陽気だった。
こんな日は、どこかで遊びたいけど、未だにこのもやもやは消えてくれない。
家の前の道に出て、左右どちらへ行こうか考えていると、左の方向、少し遠くに、こちらに向かって駆けてくる人影があった。
あれは……杉城?
なんてことを考えている間に、杉城は物凄い早さで間を詰めてきた。
そして僕の前まで来ると、突然僕の肩を掴み、
「浦見! 今日は何曜日だ!!」
そう聞いてきた。
「え、えっと……土曜日だよね」
「昨日は何曜日だった!!」
少し考えてみる。
「……金曜日?」
僕がそう答えると、杉城は僕の肩から手を離し、ため息をついた。
そういえば、なんでこいつは全力疾走したのに息が切れてないんだろうか。
「本当に昨日は金曜日だったか?」
「え?」
どういう意味だろう。
杉城の表情を見ると、冗談を言っているようには思えない。
けれど、聞いている事が当たり前過ぎる。
「土曜日の前は金曜日でしょ。そんなの……」
当たり前だろ?
そう言おうとした。
でも、言えなかった。
それを言ったら、大切な何かが最初から無かった事になる。
そんな気がした。
「昨日は、土曜日だ」
杉城が静かに言った。
あり得ない事なのに、なぜかそれが本当の事に思えてきた。
……いや。
本当の事だった!!!
「す、杉城! あ……あ…………」
昨日は土曜日で……!
その前も土曜日で!
あいつが! あの日!!
「あの日っ! あ、あいつが! 」
あいつ……って誰だ?
名前が出てこない。
何があったのかも、記憶がぼやけて上手く思い出せない。
信じられないような、酷い事があったはずなのに!!
「……南原ゆうた」
杉城がつぶやくように言った。
「!?」
そうだ!! ゆうた!!!
途端に、それまでぼやけていた記憶が、霧が晴れるように鮮明になっていく。
あの日、僕らはコンビニに行った。そこで、トラックの下の血だまりと、動かなくなったゆうたの腕を見た。
次の日、僕は必死でゆうたを探した。
次の日も、そのまた次の日も。
どれだけ探しても、ゆうたはいなくて。
少しずつ、少しずつゆうたがいたという証拠になるものも消えていって。
そして今度は記憶まで!!
「なんなんだよこれ……なんでどこにもいないんだよ! なんでどんどん消えてくんだよ!! ゆうた!!!」
「落ち着け、浦見」
杉城が諭すように言う。
「お前が叫びたくなる気持ちはわかる。俺だって混乱している。だが、それをしたところで何になる? 俺達が今すべき事はなんだ。考えてみろ」
その言葉を聞いて、頭が冷めていくのを感じた。
「僕達のすべきこと…………ゆうたを探す?」
「それは散々しただろう。そうじゃない。俺達が今すべきなのは、この状況への対策だ」
……対策?
「ここまでして見つからないなら、南原は恐らく普通の方法では見つけられない。普通の方法で見つけられないなら、普通ではないこの状況を調べる事が、考えられる最善の策だと思わないか?」
「そんな……そんな、普通の方法で見つけられないなんて、それじゃあゆうたがもうこの世界にいないみたいじゃないか!」
「いないんだよ」
「っ!?」
「考えてもみろ。この繰り返す土曜日の中で、南原がいたという証拠は次々と消えている。なのに南原本人が、あるいはその身体が残っているなんて、あり得ないだろう」
「じゃあどうしろって言うんだよ」
「だから、この不可解な状況への対策だ。消えていく証拠、記憶、繰り返す土曜日に対する何らかの対策。それが恐らく、南原への近道にもなるだろう。このまま当てもなく南原を探すのは効率的じゃない」
……確かに、それがいい方法なのかもしれない。
でも、杉城の提案を受け入れるという事は、ゆうたがもうこの世界に存在しないと認める事になる。
だから僕は、
「諦めたくない」
そう言った。
「…………」
杉城は何も言わずに腕を組み、僕の言葉の続きを待っている。
「杉城の言ってる事は、多分正しい。でも、いくら効率的だからって、ゆうたを探すのを諦めてまでそんなオカルトじみた事をしたくはないんだ」
「…………」
「ゆうた探しは、続けたい」
「……そうか」
杉城は静かに言った。
「正直なところ、お前はそう言うと思っていた」
「じゃあ……!」
「だが、証拠が残っていない以上、俺は南原がすでに存在しないという考えを変える気はない」
そんな……
もしかしたら、まだゆうたはどこかにいるかもしれないのに!
なにか杉城を杉城を説得できるものは……!
「そうだ! 証拠ならまだある!」
「……ほう」
「ゆうたの家だ!」
「なんだよ、これ…………」
目の前の光景が、信じられなかった。
僕達がゆうたの家の玄関を開けて、最初に見たものは、
「全部無くなってる……」
家具や家電など、生活用品が全て消えた家だった。
「壁にあった傷や日焼けの跡も無くなっているな」
そう言われて辺りを見回すと、確かにタンスや棚がおいてあったはずの場所には、家具だけじゃなく日焼けの跡も無かった。
まるで、最初から何も置かれていなかったみたいに。
最初から、誰も住んでいなかったみたいに。
「ゆうた…… ゆうたぁぁぁっ!」
全て……全て消えてしまった。
ここは、ゆうたがこの世に存在したという、最後の証だった。
僕に友達がいたという、確かな証だった。
それなのに、消えてしまった。
「ゆうたはっ! ゆうたは確かにここにいたのに! 一緒に遊んで、一緒にふざけて、一緒に笑ってたのに!! なのにっ……なんでっ……」
生まれてから十年以上の間、望んでいた友達。
クラスメイト達が次々仲良くなっていくのを遠巻きに眺め、その光景にただ憧れるだけだった僕に、やっとできた大切な友達。
失いたくなかった。
もっとずっと一緒にいたかった。
なのに、世界は唐突に、理不尽に、僕からゆうたを奪った。
「うわぁぁぁぁぁっ! ああぁぁぁぁぁっ」
世界が憎い。
「なんで……なんでだよぉぉぉ!」
なんで僕だけ。
何度もそう思った。
楽しそうに笑う、あの輪の中に、なんで僕はいないのか。
なんで僕だけ仲間はずれにされるのか。
辛かった。
死にたいとすら思った。
そんな僕に、ゆうたは希望をくれた。
なのに、世界はそれすら奪った。
だから僕は許さない。
何もかもが憎い。
この世界を構成する、ありとあらゆる物が憎い。
こんな世界なら、いっそ壊して―――
「浦見。まだ残っている」
杉城の声がした。
何の事だかわからなかった。
「南原がいたという証拠は、まだ残っている」
「……え?」
「お前の記憶の中には、南原がいる。それが、何よりの証拠だ。だから、もう泣くな」
「あ……」
そこで初めて、自分が泣いていた事に気がついた。
「物的証拠が無くなった以上、さっき言ったように俺は南原がすでに存在しないという考えは変えない。だが、4日前のあの日、彼は確かに存在した。それは俺も覚えている。俺たちが忘れさえしなければ、その事実は消えない」
……そうだ。
なんで僕は証拠なんかにこだわっていたんだろう。
僕が覚えている。それで十分じゃないか。
この記憶だけは、失っちゃいけない。
この記憶さえ失なわなければ、まだ希望はある!
「で、その方法だが」
「え? 方法?」
何の?
「南原を忘れないようにする方法だ」
「そんな方法があるの!?」
「ああ」
僕が驚くと、杉城はいつもの自信に満ちた様子でこう言った。
「―――今夜は、徹夜だ!」
「―――ただいま」
家のドアを開ける。
いつものようにやってくる喪失感。
物足りない。
何かが足りない。
でも、今日はいつもより悲しくない。
なぜなら―――
「ほう。ここが浦見の家か。中に入るのは初めてだな」
「僕も初めてだよ! 浦見君の家!」
杉城と柏柳がいるから。
杉城が言っていた「方法」というのは、徹夜の事だった。
彼曰く、寝て起きるたびに記憶が消えているならば、寝なければ記憶は消えないのではないか。
ということらしい。
なるほど! と思ったけれど、そんなに何日も寝ずにいられるわけがない。
そう言うと、杉城は
「これはあくまで実験だ。この繰り返す土曜日という状況を調べれば、何かしらの解決策は見つかるはずだ」
と言った。
そんなに上手くいくのかなぁ。
そう思ったけれど、他に方法がないのも事実なので、そうすることにした。
で、なぜ柏柳がいるのかというと、ついさっき、玄関先に立っていたからである。
なんでも、柏柳もゆうたの事を忘れていて、図書館に行ったときに偶然そのことを思い出したので、僕の家に来たらしい。
というか、杉城も柏柳も、なんで僕の家や電話番号を知っているのだろうか。
「それにしても、僕、誰かの家にお泊まりするのって初めてだな」
柏柳がいう。
そっか。お泊まりか。
それも、昔から僕がしたかった事だ。
それがこんな形で叶うなんて、皮肉だな。
その後、ゆうたの思い出話をしたり、夕飯を一緒に食べたりして過ごした。
楽しかったけれど、ここにゆうたがいたらと思うと、胸が締め付けられた。
そして、時刻は間も無く深夜0時。
寝るつもりはないので、私服のまま、僕の部屋で雑談をしている。
「そろそろだな」
杉城が言う。
「あっ、本当だ。日付がかわるまで、あと3分ちょっとだね」
柏柳も時計を見ながら言う。
「浦見、眠くはないか?」
「大丈夫。不思議なくらい目は冴えてる」
そう言って、デジタル表示の時計を見る。
1秒ずつ時間がカウントされていく。
―――そして、全ての数字が0になった。
次の瞬間。
「うぅっ!!」
「どうした! 浦見!」
世界がねじ曲がるような錯覚と共に、尋常じゃない眠気が襲ってきた。
―――まずいまずいまずい!!!!
自分はこれに耐えられない。
本能的にそう理解した。
「メモ……メモを……書かない、と……」
なぜそう思ったのか、自分でもわからない。
それでも、ふらつく足で机まで行き、メモに『5』と書いた。
「柏柳! 浦見! 寝るな! 目を覚ませ!!」
気付くと、僕は床に寝転がっていた。
霞む視界の先に、同じく横になっている柏柳の姿が見える。
なぜ杉城だけなんともないんだろう。
そんな事を深く考える余裕はなかった。
「なんだこれは……辺りが、世界が歪んでいる……?」
杉城が動揺している。
けれど、床に伏している僕には、その原因がわからない。
「と、とにかく起きろ! 浦見! 浦見!! 浦見―――」
朦朧とする意識の中、杉城の声だけが響いていた。